灰かぶりの魔術戦記 ~ただの補助兵だった孤児の少年、戦場で本物の魔導師に才を見出され、『灰かぶりの英雄』として戦場と魔法学院を成り上がる~   作:星舟能空

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第7話 外郭壕攻略

 修道院砦は、近づくほど城に見えなくなった。

 

 遠目にはまだ、灰色の塔と高い壁を持つ古い修道院だった。だが前面まで出ると、それは祈るための建物ではなく、土と石と杭と死体で無理やり延命している巨大な傷口にしか見えなかった。

 

 壁の手前には外郭壕が一本、弓なりに走っている。

 そのさらに手前に王国軍の仮壕と砲座が並び、昨日の夜に運び込まれた攻城用の術式杭が泥へ半分埋まりながら積み上がっていた。

 

 朝靄は薄い。

 そのぶん、全部がよく見えた。

 

 砲火で抉られた土。

 崩れた祈祷堂の一角。

 壕の縁へ引っかかったまま動かない兵の脚。

 そして、これから自分たちが運ばされる重い杭。

 

「英雄の仕事には見えねえな」

 

 グレンが、肩で一本持ち上げながら言った。

 

 杭は人の背丈ほどもあり、黒鉄の芯へ銀線の紋が巻かれている。打ち込めば周囲の魔力流を固定し、複数本で結べば結界の骨組みにもなるし、逆に敵の流れを噛ませる罠にもなる。地味で、重くて、華がない。だが、こういうものがないと城は落ちない。

 

「見えなくていい」

 

 ディーン伍長は地図板から目を上げなかった。

 

「今日は目立つな。生きて帰る方を選べ」

 

 オットーが鼻を鳴らす。

 

「鍋抱えたまま走らされるよりはましだ」

 

「それ、お前がいつも抱えてるだけだろ」

 

「飯がなきゃ戦えん」

 

 そのやり取りに、何人かが小さく笑った。

 笑い声はすぐ砲声に潰されたが、それでも少しは人間らしい音だった。

 

 シオンは術式杭の列の前で立ち止まり、ひとつへ手を置いた。

 

 冷たいはずの鉄の芯に、かすかな温度が残っていた。

 

 いや、温度というより、熱が抜けていく向き、と言った方が近い。

 表面は冷えているのに、指の腹へ土の下へ引かれるような感覚がある。昨日までの刻印板とも、果樹園で流した火とも違う。だが、どこか似ていた。

 

 火を通したあとのものには、消える時の癖がある。

 

 そう思った瞬間、アーデルが後ろから声をかけた。

 

「ぼうっとするな。持つ前に向きを見ろ」

 

 振り向くと、アーデルは杭の先端部へ白墨で印を書きつけていた。袖をまくった腕は白墨と煤で汚れ、指先だけがやけに落ち着いている。砲火の近い場所でも、その手つきだけは崩れなかった。

 

「白が南。これを間違えると味方の結界が噛み合わない」

 

「はい」

 

「今日は板じゃない。杭だ。でかい分、間違えると被害もでかい」

 

 リゼがその横で測距杖を立て、風見の布を確認していた。

 

「西南西。さっきより落ちた。砲着、二刻前より手前へ寄る」

 

「どこまで持つ」

 

 ディーンの問いに、リゼは外郭壕の端と砲座を見比べる。

 

「一斉射二回までは同じ線で行ける。三回目から怪しい」

 

「十分だ」

 

 ディーンは地図板へ短い線を引いた。

 

「主力が正面を叩く。第三中隊はその陰で南東側の縁へ回り込む。杭は六本。打つ場所はアーデルの指示どおりだ。目的は外郭壕の南端を切り取って、こっちの砲座から見える窓を作ること」

 

 つまり、壕全部を奪う必要はない。

 だが、六本の位置が狂えば意味がない。

 

「敵が押し返してきたら」

 

 シオンが口を開くと、ディーンは即答した。

 

「生きて戻る」

 

「杭は」

 

「戻れない時は置け」

 

 短い言葉だった。

 だが、その短さの中に順番が入っていた。物より人。功より帰還。ディーンの言うことはいつも同じで、そのぶん迷いがなかった。

 

 攻勢は、砲声から始まった。

 

 王国軍の砲座が一斉に火を噴き、修道院前面の土塁と外郭壕へ土煙を立てる。間を置かず、敵側の反撃。空気の層ごと叩くような音が腹へ響き、地面が脈を打った。

 

「行くぞ!」

 

 ディーンの声で、中隊が杭を担いで走り出す。

 

 一本を二人で持つ。シオンはグレンと組んだ。昨日の補給路と違い、今日は前へ進むほど地面が柔らかい。砲撃で耕されたみたいになった土へ軍靴が沈み、杭の重さが肩へ食い込む。

 

 外郭壕の手前には、敵が昨日のうちに打ったらしい杭が何本も残っていた。折れたもの、半分抜けたもの、黒く焼けたもの。

 

 その脇を駆け抜けるたび、シオンの身体は勝手に反応した。

 熱が、まだ残っている。

 ただ熱いのではない。撃ち終えたあと、どちらへ流れて消えたかが、指先の奥で分かる気がした。

 

「どうした」

 

 グレンが肩越しに言う。

 

「……いや」

 

 説明できない。

 説明できないまま、シオンは走った。

 

 第一陣の砲撃はうまく噛み合った。

 敵前線は頭を上げられず、第三中隊は南東側の浅いくぼみまで予定どおり出られた。アーデルが一番杭の位置を示し、オットーと別班の兵が槌で打ち込む。重い音が土へ沈む。

 

 一本。

 二本。

 

「三本目、もっと左!」

 

 リゼが怒鳴る。

 

「風でずれる! 今のままだと四本目と噛み合わない!」

 

 アーデルが舌打ちしながら白墨線を引き直す。

 

「オットー、半歩左! シオン、そっち持ち上げろ!」

 

 シオンは泥の中へ膝まで入って杭の角度を直した。重い。冷たい。だが打ち込まれかけた杭の根元へ触れた瞬間、今度は自分たちの側の熱が土へ落ちていくのが分かった。

 

 熱は、まっすぐ沈まない。

 土の下で、何かに沿って流れる。

 

「シオン!」

 

 ディーンの声で顔を上げた瞬間、主力側の砲煙が不自然に切れた。

 

 敵の反撃だ。

 

 修道院側の壕から盾兵と術兵が同時に頭を上げ、王国軍の正面攻勢が止まるのが見えた。怒号が走り、こちらを援護するはずの味方砲撃も半拍遅れる。

 

「主力が止まった!」

 

 リゼが叫ぶ。

 

「外郭壕、閉じる!」

 

 まずい、とシオンにも分かった。

 主力が押し込めなければ、南東側へ出た第三中隊だけが外で取り残される。

 

「残りは二本だ!」

 

 アーデルが歯を食いしばる。

 

 その時、敵側の杭が三本、立て続けに光った。

 

 壕の縁、崩れた聖像の下、そして土塁の影。

 三点を結ぶみたいに薄い熱が走る。

 

 シオンは思わず足を止めた。

 

 見えた、というより、身体の奥で分かった。

 あの杭の熱は、土の中へ引いている。壕のこちら側ではなく、修道院側の低い場所へ。まるで見えない溝が掘られているみたいに、同じ向きへ逃げていく。

 

 敵術兵の位置だ。

 

 そう思うより早く、言葉が口をついて出た。

 

「伍長! あの杭、向こうに流れてる!」

 

 ディーンが振り向く。

 

「何がだ」

 

「熱が! 撃ったあと、土の下へ逃げてる。三本とも同じ方角です。あそこにまとめてる」

 

 自分でも滅茶苦茶な説明だと思った。

 だがリゼだけはすぐに反応した。

 

「同じ方角?」

 

 彼女は敵杭の位置を一度見、次に風と外郭壕の曲線を見た。

 

「聖像の裏の低地……」

 

 記録板の裏へ線を引きながら、息を呑む。

 

「敵術兵陣地、そこ」

 

 アーデルの目が細くなる。

 

「あの三本、発射点じゃなく導線か」

 

 ディーンが短く言った。

 

「やれることはあるか」

 

「やるなら逆流式です」

 

 アーデルは即答した。

 

「敵杭を一本奪って、うちの四番で噛ませる。向きが合えば返る」

 

「合うか」

 

「シオンが言ってる“流れ”が本物なら」

 

 そこで初めて、全員の目がシオンへ集まった。

 

 怖かった。

 だが、怖いのに分かる。

 焼けた杭からまだ熱が逃げている。土の下の細い道を通って、同じところへ。

 

「……あれです」

 

 シオンは聖像の足元の杭を指した。

 

「いちばん近い。あれを返せば、流れはたぶん戻る」

 

 ディーンが一拍だけ考えた。

 その一拍で、敵の盾兵が外郭壕へ走り込んでくる。残り二本を打つ時間はもうない。

 

「やる」

 

 決断は短かった。

 

「グレン、シオンと来い。リゼ、位置と間隔を離すな。アーデル、組み替えろ。オットー、残りを下げるな、持たせろ!」

 

 全員が同時に動いた。

 

 グレンが笑う。

 

「またお前の勘頼りか」

 

「勘じゃないです」

 

「じゃあ何だ」

 

 答えられなかった。

 火の感覚、とでも言えばいいのか。そんなもの、自分だって初めて意識したばかりだ。

 

 聖像の裏までは十数歩だった。

 だが敵術兵の援護が薄く通る。

 土が跳ね、石片が飛び、どこかで王国兵の喉が潰れたような声が上がる。

 

 グレンが前へ出て盾を払った。

 

「取れ!」

 

 シオンは泥へ滑り込むようにして杭へ飛びついた。根元は半分抜けている。熱が、まだ生きている。手袋越しでも分かる。こっちではない、向こうだ。引っ張られる。

 

「回せ!」

 

 アーデルが叫ぶ。

 

 シオンは杭の白墨痕を見た。上と下。流れの向き。頭で考えるより、熱の引かれ方に合わせた方が早い。

 

 ひねる。

 土の噛み合いが外れ、杭が抜けた。

 

 その瞬間、脇を矢が掠めた。頬が切れる。

 

「まだ死ぬなよ、新入り!」

 

 グレンが怒鳴る。

 

 戻ると、アーデルはすでに四番板を二枚割り、銀線を剥き出しにしていた。正規の手順ではない。戦場の手順だ。

 

「ここへ差す! 深く入れるな、返した瞬間に割れる!」

 

 シオンとアーデルで杭を押さえ、リゼが息を詰めたまま数える。

 

「次の敵射、二、三……今」

 

 ディーンがその“今”に合わせて、わざと小隊を半歩前へ出した。敵術兵の照準がそちらへ寄る。

 

 アーデルが組み替えた杭へ魔力を流し、シオンはその瞬間だけ、自分の手の中で熱が反転するのをはっきり感じた。

 

 向こうへ逃げていた火が、戻る。

 

 土の下を逆に走る。

 

 次の瞬間、聖像の裏の低地で白い火花が三つまとめて爆ぜた。

 

 敵術兵陣地だった。

 

 悲鳴が遅れて上がる。

 外郭壕の光が一瞬途切れ、盾兵の動きも鈍る。

 

「今だ、押し込め!」

 

 ディーンの号令で、第三中隊が残りの距離を詰めた。

 オットーが杭を担いだまま壕へ飛び込み、別班の兵が続く。リゼは砲着の修正を叫び、アーデルは最後の二本の位置を叩き込む。グレンは笑いながら最初の梯子を蹴り下ろした。

 

 壕を取るまでの数分は、ほとんど覚えていない。

 

 ただ、さっきまで敵の術が飛んできていた方向が急に静かになったことだけは、はっきり覚えている。

 

 外郭壕南端を奪い切った時、シオンは泥の中へ座り込んだ。

 

 砲煙が流れていく。

 壕の縁には打ち込んだばかりの杭が並び、まだかすかに熱を持っていた。

 

 ディーンが壕へ降りてくる。

 

「損害」

 

 リゼが荒い息のまま記録板を見た。

 

「戦死三、重傷五。作業杭六本、所定位置。敵術兵陣地、沈黙」

 

 ディーンは短く頷いた。

 

「十分だ」

 

 それだけだった。

 だが、その一言で外郭壕の血と泥と死が、きちんと戦果の中へ収まった気がした。

 

 アーデルは奪った敵杭の割れ目を指で確かめながら、シオンを見た。

 

「説明できるか」

 

 シオンは首を振った。

 

「できません」

 

「だろうね」

 

 彼女は少しだけ笑った。

 

「でも外してない」

 

 グレンがその横から口を挟む。

 

「お前、火の臭いでも聞いてんのか」

 

「そんなわけ」

 

 言いかけて、シオンは黙った。

 

 聞く、ではない。

 見る、でも少し違う。

 

 火が走ったあと、残る熱の向きが分かる。

 燃えたものが、どこへ逃げていくかが、体のどこかで分かる。

 

 それをうまく言葉にはできない。

 

 リゼが記録板へ新しい線を引きながら、小さく言った。

 

「分からなくても、使えるなら覚えておきなさい」

 

 いつもの言い方だった。

 だが今のシオンには、その言葉が妙にしっくりきた。

 

 ディーンが壕の外を見やる。

 

「第三中隊はこのまま修道院攻略隊に編入だ。外郭壕を切った。次からは本番だと思え」

 

 兵たちが顔を上げる。

 誰も喜ばなかった。ただ、それが階段を一段上がったという意味なのは全員に分かった。

 

 壕の縁で、シオンはもう一度、さっき奪った敵杭へ手を置いた。

 

 熱は薄れている。

 それでも、まだわずかに、どこへ流れたがっているかが分かった。

 

 火の感覚がある。

 

 そうとしか言えなかった。

 火を見た時、火が消えた時、そのあと何がどこへ流れるかが、体のどこかで分かる。

 

 昨日までなかったものだ。

 いや、ずっとあったのに、昨日まで名前を持っていなかっただけなのかもしれない。

 

 修道院の灰色の塔が、砲煙の向こうに立っていた。

 

 そこへ至る道は、もう少しだけはっきり見えた気がした。

 

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