Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード) 作:りー037
ちょっとあげ直します!!
【一節】雪原の観測所と、規格外の異邦人
猛烈な吹雪が、視界を分厚い白で塗り潰していた。
耳をつんざくような風の咆哮が響く中、輸送機から降り立った男は、微かに目を細めた。気温はマイナス数十度。普通の人間であれば防寒着を着込んでなお数分で命を落とす極寒の地獄。
しかし、白髪の長身を包む衣服の下で、ヴァルナの肉体は静かな熱を保っていた。
(……寒い、というよりは、痛いな)
呼吸をするたびに肺が凍りつくような感覚。だが、彼は無意識のうちに『呪力による肉体強化』を極めて微弱に循環させていた。呪力が血流の代わりとなって全身を巡り、細胞の隅々にまで強靭な活力を与えている。彼にとって、この大自然の猛威すらも「観察対象」の一つに過ぎない。
「こちらです、新人マスター! はぐれないように付いてきてください!」
防寒服を着込んだカルデアのスタッフが叫ぶ。ヴァルナは無言のまま、雪を踏みしめて歩き出した。
彼がここにいる理由は至ってシンプル。『適性』があると見なされ、スカウトされたから。魔術という体系にはさして興味はなかったが、この場所が「人類の未来を観測する」という大仰な目的を持っていることには、ほんの少しだけ興味が湧いた。
鋼鉄と魔術的結界で守られた巨大なゲートが重々しい音を立てて開き、カルデアの内部へと足を踏み入れる。
外の吹雪が嘘のように、施設内は無機質で静謐な空気に満ちていた。温度と湿度が完璧に管理された、無垢な通路。微かにオゾンと、「呪力」とは似て非なるエネルギー――「魔力」の匂いが漂っている。
すれ違う魔術師やスタッフたちは、皆一様に緊迫した顔をしている。彼らは何か重い使命を背負っているようだが、ヴァルナにはそれがひどく遠い出来事に感じられた。
彼の中にあるのは、超然とした孤独。圧倒的な力を持つがゆえの、静かな諦観だった。
通路の曲がり角に差し掛かる。
パタパタと硬質な床を蹴る急ぎ足の小さな足音が近づき――出合い頭に、小柄な人影がヴァルナの胸元に軽くぶつかった。
「あっ、すみま――っ」
無意識下で極めて微弱に呪力を循環させている彼にとって、その衝突は羽虫が触れた程度の感覚でしかない。だが、ぶつかった側の少女にとっては、分厚い鋼鉄の壁に激突したような理不尽な反発力だったのだろう。
眼鏡をかけ、片目が前髪で隠れた少女は小さくよろけ、胸に抱えていたバインダーから、一枚の資料を床に滑り落としてしまった。
「あ……」
彼女が慌てて身を屈めるよりも早く、ヴァルナは静かに動く。
長い指が床に落ちた一枚の資料を拾い上げ、淡々と彼女の前に差し出す。
「あ、ありがとうございます……!」
マシュはホッと息を吐き、申し訳なさそうに頭を下げながら資料を受け取った。
「……気にするな」
ヴァルナは一切の抑揚がない、温度の感じられない声で短く返し、そのまま踵を返そうとした。
――だが、ふと。
彼の瞳が、目の前の少女の『奇妙な輪郭』を捉えた。
(……魂の形が、いびつだ)
ただの人間ではない。普通の魔術師とも違う。その生命の成り立ちそのものに、ひどく人工的で、今にも崩れ落ちそうなほどの「歪さ」が内在している。
ヴァルナは立ち去る動作を途中でキャンセルし、資料を抱き直したマシュの目の前、わずか数十センチの距離まで音もなく近づき、じっと彼女の顔を覗き込んだ。彼の特異な性質による行動。他意はない。ただ「人間にしては少し特殊な造りをしている」という純粋な観察だった。
「……いい目をしてる。でも、少し脆いな」
「え……?」
あまりの近さに、マシュは後ずさる。心臓が跳ねたのは、彼が魅力的だからというよりは、本能が「この男の領域(テリトリー)に入るな」と警鐘を鳴らしたからだ。しかし、彼はそんな彼女の動揺に気づく様子もなく、あっさりと身を引いた。
「おお、こんなところにいたのか、マシュ。それに新人君も」
その絶妙な空気を破るように、明るく、しかしどこか芝居がかった声が通路に響いた。緑色のコートを羽織り、シルクハットを被った長身の男。レフ・ライノール。
「私はレフ。レフ・ライノール。このカルデアで技術部門の責任者をしている。君が最後の一人だね。歓迎するよ、48人目のマスター候補」
レフはにこやかに笑いながら、ヴァルナに右手を差し出した。
その手を見つめる。
(……奇妙な男だ)
ヴァルナの瞳が、極めて冷静に告げる。目の前の男の笑顔の裏にある、底知れない空虚と、人間という種族に対する絶対的な「何か」。呪力の流れとは違うが、彼の感覚はレフを「完全な安全圏の存在ではない」と無意識にカテゴライズしていた。
しかし、だからといってすぐに動く彼ではない。
「ヴァルナ・クロスだ。よろしく」
ヴァルナは感情の揺れを一切見せず、淡々とその手を握り返した。レフは一瞬、ヴァルナの異常なまでの平熱の瞳に何かを感じ取ったように目を細めたが、すぐにいつもの人当たりの良い笑みに戻った。
「さて、所長がお待ちかねだ。中央管制室へ向かおう。マシュ、君も一緒に」
促されるまま、ヴァルナは歩き出す。彼の十の影は、カルデアの白亜の床に濃く、深く落ちていた。まだ誰も、その影の奥底に潜む影の獣たちの存在に気づいてはいない。
レフの案内に従い、ヴァルナ、マシュ、そしてレフの三人はカルデアの中枢たる「中央管制室」へと足を踏み入れた。自動扉が重々しい駆動音を立てて開いた瞬間、ヴァルナの瞳に微かな光が反射する。
部屋の空気は、それまでの無機質な通路とは全く異なっていた。数十人規模のオペレーターたちがコンソールに向かい、絶え間なく暗号のような数値を叩き出している。何十ものモニターが明滅し、空間全体が微弱な熱を帯びているような。
しかし、彼の視線を最も引きつけたのは、部屋の中央に鎮座する巨大な球体模型だった。
『地球環境モデル・カルデアス』。
真っ赤に燃え盛るような光を放つその球体は、まるで自ら意志を持って脈動しているかのように見えた。
(……これは、凄まじい質量だな)
ヴァルナは静かに息を吐き、カルデアスから放たれるエネルギーの波長を肌で感じ取っていた。それは人間の負の感情から生まれる「呪力」とは異なり、もっと根源的で、星そのものの呼吸にも似た清浄な力。
敵意はない。殺意もない。それゆえに、ヴァルナの身体に刻み込まれた戦闘本能は、完全に沈静化していた。
「遅いわよ、レフ! 適性者が到着したと聞いてから、何分待たせる気!」
ヒステリックで、しかしどこか誇り高い響きを持った声が管制室に響き渡った。声の主は、銀色の髪を美しく結い上げた少女。豪奢な魔術礼装を身に纏い、苛立ちを隠そうともせずにこちらを睨みつけている。カルデアの所長、オルガマリー・アニムスフィア。
「申し訳ない、所長。彼にも少し、この施設に慣れてもらおうと思ってね」
「言い訳はいいわ! さあ、新入り。そこに立ちなさい。これからカルデアの理念と、貴方たちが背負うべき人類の未来について説明するわ」
オルガマリーは指揮台の上に立ち、尊大な態度で演説を始める。人類の決定的な絶滅。それを防ぐためのレイシフト実験。特異点の観測。
彼女の口から語られるのは、間違いなく人類史における重大な危機であり、壮大な使命だ。オペレーターたちも、マシュも、緊張した面持ちでその言葉に耳を傾けている。
――しかし。
(……暖かくて、うるさいな……)
ヴァルナの意識は、すでに深い海の底へと沈みかけている。極寒の雪原から一転して空調の効いた快適な室温。カルデアスの放つ一定のリズムの明滅。そして、オルガマリーの高く響き渡る一定のトーンの演説。
彼にとって「人類の滅亡」という抽象的な概念は、目の前で殺意を向けてくる悪霊の爪ほどの切迫感も持っていない。彼の肉体は「現在、脅威度ゼロ。休息に最適」と判断し、急速にシャットダウンを始めていた。
ヴァルナは立ったまま、腕を組み、長い睫毛を伏せる。呼吸が均等になり、呪力の循環が「戦闘待機」から「完全睡眠」のモードへと切り替わる。周囲の音が遠のき、微かに首がカクンと揺れた。
「――だからこそ、我々カルデアは……ちょっと、貴方!!」
ピシャリと、空気を叩き割るようなオルガマリーの怒声が飛ぶ。静まり返る管制室。すべての視線が、後方で腕を組んだまま微動だにしない長身の男に向けられた。
マシュが青ざめ、隣で「あ、あの……先輩……?」と小さな声で呟く。
「……ん?」
ヴァルナはゆっくりと目を開けた。その顔には焦りも、気まずさも、一切の感情が浮かんでいない。ただ、純粋に「なぜ呼ばれたのか分からない」という、天然の虚無があるだけ。
「ん? じゃないわよ! 貴方、今寝てたわね!? 人類存亡の危機を説明しているこの神聖な場で、立ったまま寝ていたわね!?」
「……いや。目を閉じて、言葉の響きを観察していただけだ」
「嘘をつきなさい! 今、完全に首が落ちてたわよ! そもそもその態度は何っ!? 」
顔を真っ赤にして激昂するオルガマリー。彼女は小柄な身体を震わせながら、ビシッと入り口の扉を指差した。
「出て行きなさい! 貴方みたいな不真面目な人間はシミュレーションの邪魔よ! 自分の個室で反省していなさい!!」
その場の誰もが、所長の怒りに縮み上がっていた。しかし、当のヴァルナは「そうか」と短く呟くと、特に言い訳をするでもなく、あっさりと踵を返す。
「わかった。俺の部屋はどこだ?」
「レ、レフ! 彼を部屋に放り込んできなさい! あああもう、最初からこれだから素人は嫌なのよ!」
マシュが心配そうにこちらを見つめていたが、ヴァルナは軽く手を挙げて応え、閉ざされる自動扉の向こうへと消えていった。
*
レフの案内に従い、自室のドアを開けた瞬間、ヴァルナは微かに歩みを止めた。誰もいないはずの自分の部屋に、甘い匂いと、微かな「人間の気配」がしたからだ。
無音。
ヴァルナは一切の足音を立てず、部屋の中へと滑り込む。そこには、ベッドの上にだらしなく腰掛け、イチゴの乗ったショートケーキを頬張っている白衣の男がいた。オレンジがかったふわふわの髪を結んだその男は、パソコンのモニターで何かのアイドル番組を見ながら、へらへらと笑っている。
「いやー、マギ☆マリは今日も可愛いなぁ……って、えっ!?」
振り返った白衣の男――ロマニ・アーキマンは、背後に音もなく立っていた長身の男の存在に気づき、悲鳴を上げてケーキの皿を落としそうになる。
「うわあああ!? びっくりした! 君、いつの間に!? ていうか足音まったくしなかったよ!?」
「……お前が、不用心なだけだ」
ヴァルナは静かに歩み寄り、ロマニの顔のすぐ目の前、呼吸が届くほどのゼロ距離まで顔を近づけた。その瞳は、感情を一切映さない硝子のようだ。じっと、ロマニの顔、瞳孔の開き具合、魔力の波長、そのすべてを至近距離で「観察」する。
「ひっ……え、ええと……あの、近いです、新人さん……?」
ロマニは冷や汗を流しながら、引き攣った笑いを浮かべた。目の前の男から放たれる、底知れないプレッシャー。明らかに普通の人間ではない。魔術師とも違う、何か根源的に『ヤバい』生き物と対峙しているような錯覚。
「……お前は、敵じゃないな。だが、ひどく疲れている」
「えっ?」
「魂の奥が、すり減っているような匂いがする。甘いもので誤魔化しているようだが、無理はしないほうがいい」
ヴァルナはそう言ってあっさりと身を引き、部屋の隅にある椅子に腰を下ろした。呆然とするロマニ。この男は、一体何を見透かしたというのか。
「……あ、あはは。ええと、僕はロマニ・アーキマン。医療部門のトップをやっているんだ。通称Dr.ロマン。君は……48番目の新人君だね?」
「ヴァルナ・クロスだ。よろしく、ドクター」
ヴァルナは淡々と名乗る。その少し子供っぽい、だが達観した声色が、妙にロマニの警戒心を解きほぐしていく。
しかし、ヴァルナの硝子のような瞳はロマニの顔から、彼が手に持っていたショートケーキへ、そして再びロマニの瞳孔へと、極めて機械的な速度で移動した。
「糖分の過剰摂取。擬似的なアイドル映像による脳内麻薬の分泌。……なるほど、人間が自らの魂の摩耗を遅らせるための、合理的な自己防衛機能か」
「えっ!? な、なんだい急に。僕のささやかな趣味をそんな臨床データみたいに言わなくても……!」
「否定はしていない。お前のその『脆さ』は、見ていて少しだけ面白い」
悪意も、嘲笑もない。純度100%の客観的な事実として告げられたその言葉に、ロマニは背筋が凍るような感覚を覚えた。この男の目は、人間を「同じ生き物」として見ていない。まるで顕微鏡越しに細胞の動きを観察するような、絶対的な温度差がそこにあった。
ロマニが引き攣った笑いを浮かべ、何かを言い返そうと口を開きかけた。
その時だった。
――――ビーーーーーーーッ!!!
突然、カルデア中に耳をつんざくようなけたたましいサイレンが鳴り響いた。部屋の照明が一斉に赤の警告色へと切り替わり、機械的なアナウンスが無機質に告げる。
『緊急事態発生。中央管制室にて火災発生。カルデアスへの延焼を食い止めてください。……繰り返します――』
ヴァルナの瞳から、スッと色が消え去る。
空気が、一瞬にして張り詰める。それは、強者が戦場を察知した瞬間の、研ぎ澄まされた冷気だった。
しばらく書いてなかったんですけど、見直してみて少し、いやかなり微妙だと思ったので直します。
2ヶ月前?4月に投稿したものだから微妙だなぁって。
展開も少し変えて、また書きます。