Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード)   作:りー037

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【十二節】影の底の殺意と、始まりの宣誓

 意識の底は、暗く、冷たい。

 

 ヴァルナは、自身の術式である十種影法術の根源――『影』の最深部に似た、果てのない暗闇の中を漂っていた。

 

 肉体は泥のように重く、呪力は干上がった湖底のようにひび割れている。特異点Fでの連戦、領域展開による脳の焼き切れ、極の番による限界駆動。

 

 

 そして何より、意識が途切れる最後、オルガマリーを庇って背中全体に受けた魔神柱フラウロスの凶弾による絶大なダメージ。

 

 それらすべてが、彼の強靭な肉体と魂に、これまでにない深い傷を刻み込んだ。

 

 

 だが、その昏い眠りの中で、彼の意識はひどく明瞭だった。

 

(……温かかったな)

 

 

 脳裏にフラッシュバックするのは、真っ赤に燃え盛るカルデアスの直前で、己の胸の中に抱きとめたオルガマリー・アニムスフィアの感触。

 

 恐怖に震えながらも、決して彼を離すまいとすがりついてきた彼女の命の重さ。

 

 

 

 

 ――レフ・ライノール。いや、フラウロスと名乗ったあの化け物。

 

 怒りではない。憎悪というほど人間らしい熱も帯びていない。

 

 

 それは、純粋な『殺意』。

 

 己が腕に抱いた命を弄り、あのような無惨な絶望を味わわせようとした障害物を、いかなる手段を用いてでも完全に排除し、粉砕し、この宇宙の理から消し去るという、呪術師としての極めて理知的な殺戮の誓い。

 

「……次は、必ず殺す」

 

 

 暗闇の中で、彼の魂が静かに、だが確かな熱量を持ってそう宣言する。

 

 その瞬間、彼の内に眠る呪力の源泉から、新たな水脈が噴き出すように青黒い力が湧き上がり始めた。肉体の細胞が急速に再起動を果たし、止まっていた時間が再び動き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッ、ピッ、ピッ……。

 

 電子音の規則正しいリズムが、鼓膜へと届き始めた。

 

 

 ヴァルナはゆっくりと、重い瞼を押し上げる。

 

 視界に映ったのは、無機質で清潔な白い天井。そして、消毒液のツンとした匂い。

 

「……ん?」

 

 

 ヴァルナがわずかに首を動かすと、ベッドの脇で点滴の数値を記録していた医療スタッフの女性と、至近距離でバッチリと目が合った。

 

「えっ……?」

 

 

 女性スタッフはペンを取り落とし、目を丸くした。背中全体をえぐり取られるほどの致命的な魔力弾を受け、常人であればショック死していてもおかしくない重傷を負っていた患者が、何事もなかったかのように目覚めたのだから。

 

「あ、あ、意識が……! ドクター!! 48番さんが目を覚ましました!!」

 

 

 女性スタッフはパニック気味に叫び、慌ててナースコールを押し、そのまま廊下へと飛び出していった。

 

「……騒がしいな」

 

 

 彼は上半身を起こし、自身の状態を確認する。背中には何重にも分厚い包帯が巻かれ、腕には点滴の針、生体モニターの電極が胸に貼り付けられている。

 

(……魔力による治療か。止血と縫合は完璧だが、組織の再生までは追いついていないな)

 

 

 ヴァルナは、腕に繋がれていた点滴のチューブや電極のコードを、一切の躊躇なく「ブチッ」と引き抜いた。

 

 

 赤い血がシーツに滲むが、彼は意に介さない。

 

 胸の前で静かに印を結ぶ。

 

「――円鹿」

 

 

 ベッドの横の床。カルデアの白い蛍光灯に照らされて落ちた彼の影から、巨大な鹿の式神が音もなく実体化した。

 

 円鹿はその荘厳な角をヴァルナの背中へと近づけ。

 

 

 

 

 

 

 

 ポワァァァッ……と。

 

 

 温かく、純白の反転術式――正のエネルギーが、ヴァルナの背中の傷口へと注ぎ込まれた。

 

 細胞が急速に分裂し、千切れた筋肉が繋がり、砕けた骨が元の形へと再構築されていく。現代魔術の治癒とは次元の違う、呪力による完全な肉体の『再生』。

 

 

 

 

 

 わずか数十秒。

 

 包帯の下にあったはずの痛ましい裂傷と火傷は完全に塞がり、傷跡一つ残らない白い肌が戻った。

 

 円鹿を影へと収納し、ヴァルナは肩を大きく回す。痛みはない。呪力も、眠っている間に八割方回復している。

 

 

 

 

 

 

 ガラッ。

 

 

 その時、病室の扉が静かに開いた。

 

「マスター……?」

 

 

 入り口に立っていたのは、マシュ・キリエライト。

 

 彼女はデミ・サーヴァントとしての回復力で肉体的な傷こそ癒えていたが、その表情はひどく蒼白だ。

 

 

 カルデアの制服姿に戻った彼女は、すでに管をすべて引き抜いてベッドの上に座っているヴァルナを見て、ハッと息を呑む。

 

「先輩! だ、駄目ですよ、あんな大怪我を負っているのに……っ!」

 

 

 マシュが慌てて駆け寄ろうとするが、ヴァルナは片腕を軽く挙げて見せた。

 

「問題ない。傷はもう塞いだ。所長は、どうなった?」

 

 

 ヴァルナの問いに、マシュは足をとめ、ぎゅっと両手を握り締めた。

 

 その声には押し殺したような深い自責の念が滲んでいる。

 

「……隣の、集中治療カプセルで眠っています。命に別状はありません。バイタルも安定しています……」

 

 

 その言葉に、ヴァルナは小さく「そうか」とだけ返す。

 

「……私の、せいです」

 

 

 ぽつりと、マシュが唇を噛んだ。

 

「マスターが命を懸けて所長を救い出してくださったのに……私は、盾であるはずの私は、……何もできなかった。マスターの背中を、あんなにも傷つけさせてしまった……っ」

 

 

 所長が生きているという安堵。そして、自分のマスターが背中に魔力弾を受けながらも、たった一人で血反吐を吐いて世界を繋ぎ止めたことへの、申し訳なさと己の無力感。

 

 

 無言のまま、ベッドから床へと降り立つ。

 

 そして、音もなくマシュの目の前まで歩み寄り、俯く彼女の顔を至近距離で覗き込んだ。

 

「えっ……せん、ぱい……?」

 

 

 驚いたマシュが、顔を上げる。

 

「マシュ。お前は盾としての役割を完全に果たした。セイバーの極光を防ぎ、俺の無茶な空間転移にも即座に対応して、空中でレフの魔力光線を防ぎ切った」

 

 

 ヴァルナの瞳が、マシュの瞳を真っ直ぐに射抜く。

 

「お前があそこで防がなければ、俺は所長に届く前に消し炭になっていた。俺は、お前の盾を完全に『信じた』からこそ、あの動きができたんだ」

 

「マスター……」

 

「だから、謝るな。俺の肉体が焼けたのは、俺が選んだ結果だ。お前の責任じゃない」

 

 

 ヴァルナはスッと手を伸ばし、マシュの頭にポン、と無造作に掌を乗せた。

 

「胸を張れ。お前の盾が、カルデアの主を救った」

 

 

 その不器用で真っ直ぐな言葉の重みが、マシュの心に巣食っていた自責の念を優しく溶かしていく。

 

 彼の掌から伝わる、微弱だが温かい呪力の鼓動。それが、彼女に新たな誓いを立てさせる。

 

「……はい!」

 

 

 マシュは真っ直ぐにヴァルナを見つめ返し、力強く頷いた。

 

「私、もう二度と……誰かを守るために、先輩の背中を傷つけさせたりしません。どんな敵の攻撃も、私が、必ず先輩の前に立ってすべて防いでみせます……!」

 

「ああ。頼む」

 

 

 ヴァルナが珍しく口角を微かに上げた、その直後だった。

 

 

「だーっ! 勝手に管を抜いちゃダメじゃないか!! 君は本当に無茶苦茶だよ!!」

 

 

 廊下からドタバタと凄まじい足音を立てて、ロマニ・アーキマンが病室へと飛び込んできた。

 

 彼の白衣は乱れ、目の下には酷い隈ができている。不眠不休で働き続けている為だろう。

 

「背中の傷だよ!? 肉も骨もズタズタだったんだぞ!? すぐに横に……って、えええええっ!?」

 

 

 ロマニは、ヴァルナの背中を見て目を剥いた。血の跡こそあるものの、そこには傷口はおろか、かさぶた一つ存在していない。

 

「う、嘘だろ……。現代最高峰の治癒魔術でも、完全な組織再生には数日はかかるはずだ。それに君、自分のやった無茶苦茶な荒業、分かってるのかい!?」

 

「荒業?……なんのことだ」

 

「所長のことだよ! 彼女の肉体はカルデアの爆発ですでに失われていた。それを君は……あのレイシフト崩壊の土壇場で、奪い取った『聖杯の欠片』を影の中に取り込み、術式経由で強引に所長のゴーストに繋ぎ合わせて、彼女の『肉体の再構成』を行わせたんだ!」

 

 

 

 

 ロマニは頭を抱えながら叫ぶ。

 

「一歩間違えれば、聖杯の魔力に君の影ごと飲み込まれて自滅していたんだぞ!? まさに奇跡だ!」

 

「フフフ。驚くのも無理はない、ロマン。でも、この世界には魔術の枠組みに囚われない神秘が数多く存在する。彼のそれも、その一つというわけさ」

 

 

 突如、ロマニの背後から、鈴を転がすような美しく、かつ知性的な声が響いた。

 

 現れたのは、豪奢なドレスのような衣服を纏い、片手に杖を持った絶世の美女。その瞳には、すべてを見透かすような天才の輝きと、底知れぬ好奇心が満ち溢れている。

 

「初めまして、イレギュラーのマスター君。私はレオナルド・ダ・ヴィンチ。このカルデアの技術部門の特別顧問であり……万能の天才たる英霊さ」

 

 

 ダ・ヴィンチは優雅に一礼をして見せる。

 

「ああ、なんて美しい! 君、少しだけ解剖させてくれないか? いや、指を一本提供してくれるだけでもいい!」

 

「……断る。それより、ドクター。治療も挨拶もこれで終わりだ」

 

 

 ヴァルナはベッドの脇にあった上着を羽織り、冷ややかな瞳でロマニを見据えた。

 

「この『人理焼却』とやらについて、俺はまだ断片的な情報しか持っていない。すべてを説明しろ。……これからの、俺の敵の全容をな」

 

 

 その言葉の重圧に、ロマニは息を呑み、そして真剣な顔で頷いた。

 

 

「……分かった。生き残ったスタッフたちも管制室に集めている。行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中央管制室の空気は、鉛のように重かった。

 

 カルデアスは、特異点Fで見たのと同じように真っ赤に染まり、本来の青く美しい地球の姿を失っている。

 

 生き残ったカルデアのスタッフは、わずかに二十名足らず。彼らは皆、疲労と絶望に顔を歪めながら、コンソールの前で作業を続けている。

 

 

 その中央に、ロマニ、ダ・ヴィンチ、マシュ、そしてヴァルナが集まった。

 

 オルガマリーは未だ集中治療室の医療カプセルの中で眠りについており、現在はロマニが代理としてカルデアの指揮を執っている。

 

「……まずは、特異点Fの修復、本当にお疲れ様。君たち二人がいなければ、カルデアはこのまま終わりを迎えていた」

 

 

 

 ロマニが深く頭を下げる。

 

「特異点Fの聖杯は回収され、冬木の異常は固定化を免れた。所長も今は眠っているが、君のおかげで命に別状はない。……だが、状況は最悪だ」

 

 

 ロマニはメインモニターに、いくつものデータを表示させた。

 

「レフ・ライノール……いや、魔神柱フラウロスが言っていた『人理焼却』。それは紛れもない事実だった。カルデアスが赤く染まったのは、二〇一五年の未来が消滅したからじゃない。……人類の歴史そのものが、過去から燃やし尽くされたんだ」

 

 

 モニターに、地球の歴史の年表が表示される。

 

「原因は、歴史上の特異点。冬木のような『本来の歴史には存在しない異常な歪み』が、人類の史実のターニングポイントとなる時代に、全部で『七つ』発生していることが確認された」

 

「七つの特異点……」

 

 

 

 マシュが息を呑む。

 

「レフたちは、この七つの時代に『聖杯』を送り込み、歴史の要を破壊することで、人類の過去から未来へ続く基盤を崩壊させたんだ。我々が未来を取り戻すためには……この七つの時代すべてにレイシフトし、元凶を倒し、聖杯を回収して歴史を正常化するしかない」

 

 

 スタッフたちが静まり返る。

 

 七つの時代。神話や伝説の英雄たちが跋扈する、理の崩れた世界。それを、たった一人のマスターと、一騎のデミ・サーヴァントで修復するなど、不可能に等しい。

 

 絶望が、管制室全体を冷たく支配しようとしていた。

 

 

 

 

 だが。

 

「……なるほど。よく分かった」

 

 

 ヴァルナ・クロスは、腕を組みながら、極めて平坦な声で呟く。

 

「要するに、その過去にある七つの異常、特異点を順番に潰していけばいいんだろう。原因を壊して、聖杯を奪い取る。……冬木でやったことの延長戦だ」

 

 

 そのあまりにもシンプルで、危機感の欠片もない結論に、ダ・ヴィンチが思わず吹き出した。

 

「アハハハハ! 素晴らしいね! 理屈の上ではまったくその通りだ。だが、相手は人類史を焼却するほどの存在と、それに従う無数の英霊たちだぞ? 恐怖はないのかい?」

 

「恐怖? なぜ?」

 

 

 ヴァルナは不思議そうに首を傾げた。

 

「俺がやることは、昔から変わらない。見つけて、観察して、最適な手段で殺す。……相手が神話だろうが、魔神だろうが、俺の『影』が喰えないものはない」

 

 

 彼の足元の影が、その言葉を肯定するように、ゾワリと広がって脈動した。

 

 生き残ったスタッフたちが、その存在感と、揺るぎない絶対の自信に圧倒され、ゴクリと生唾を飲み込む。

 

「……ふふ、本当に頼もしいよ、君は」

 

 

 ロマニは少しだけ目を潤ませ、居住まいを正す。

 

 そして、カルデアの代理責任者として、真っ直ぐにヴァルナを見据えた。

 

「ヴァルナ・クロス。我々に残された道は、君たちにすべてを託すことだけだ。七つの特異点を巡り、人類の歴史を奪還する聖杯探索。――『冠位指定(グランドオーダー)』。君に、人類最後のマスターとして、この使命をお願いしたい」

 

 

 

 重い、重すぎる決断。

 

 だが、ヴァルナは一秒の躊躇もなく頷く。

 

「引き受けよう。俺は俺のやり方で、障害物を排除する。その過程で世界が救われるなら、それでいい」

 

「マスター」

 

 

 

 マシュが、一歩前へ出た。

 

 彼女は自身の身の丈ほどもある巨大な十字盾を、ドンッ、と床に突き立て、背筋を真っ直ぐに伸ばしてヴァルナに向き直った。

 

「私はデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライト。貴方のサーヴァントです」

 

 

 彼女の紫色の瞳には、もう迷いも恐怖もない。

 

「これから向かう七つの世界、いかなる困難が立ちはだかろうとも。私は、先輩の盾として、必ず貴方の背中を守り抜きます」

 

 

 

 

 絶対の守護の誓い。

 

 ヴァルナは感情の動かない瞳で彼女をじっと見つめ、そして、短く答えた。

 

「ああ。頼む、マシュ。俺がお前の前を切り開く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦会議を終え、カルデアの残存機能の復旧とレイシフトの演算には数日を要する。

 

 その間、ヴァルナとマシュは十分な休息を取り、装備の点検と互いの連携の再確認を済ませていた。

 

 

 

 

 そして今日。

 

 人類の存亡を懸けた本格的な聖杯探索が、いよいよ開始される。

 

 第一の特異点、その座標が特定され、レイシフトの準備が完了していた。

 

「座標、一四三一年、フランス。……百年戦争の終結直後、救国の聖女ジャンヌ・ダルクが火刑に処された直後の時代だ」

 

 

 ダ・ヴィンチがコンソールを操作しながら告げる。

 

 

 コフィンスリーブの前に立つヴァルナとマシュ。

 

 ヴァルナは自身の内側で、呪力と術式の巡りが完全に万全であることを確認していた。

 

「準備はいいかい、二人とも。レイシフト・プログラム、起動!」

 

 

 ロマニの声と共に、足元から眩い光のリングが展開され始めた。

 

 ガラス越しの管制室から、ロマニとダ・ヴィンチが祈るように二人を見送る。

 

「アンチ・サモンシステム、作動。空間的、時間的、異常なし。……グランドオーダー、第一特異点へのレイシフトを開始します!」

 

 

 

 眩い光の奔流が、二人の身体を包み込む。

 

 

 次に目を開けた時、そこは新たな戦場。

 

 竜の咆哮が響く、焦土のフランス。

 

 孤高の呪術師と盾の乙女は、人類の未来を取り戻すための遥かなる旅路へと、静かに、そして確かな足取りで踏み出していった。

 

 

 




次は閑話いきまーす。
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