Fate/Grand Order : 冠位影法録(グランドオーダー・シャドウレコード)   作:りー037

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邪竜百年戦争・オルレアン
【一節】焦土の空と、翼持つ幻想


【時刻:1431年 某月某日 ??:??】

 

【場所:第一特異点 邪竜百年戦争 オルレアン・フランス某所】

 

 

 純白の光の奔流が収束し、世界が新たな色と匂いを持って再構築される。

 

 魔術的な次元の跳躍――レイシフトが完了した直後、ヴァルナ・クロスの鋭敏な感覚器官は、まずその『空気の質』を正確に計測していた。

 

 

 冬木の特異点Fで感じた、焦げたゴムや近代的な建材が燃える不快な匂いではない。

 

 ここは、もっと生々しい。土と、青草と、古い木造の家屋が炭化する匂い。そして、おびただしい量の血と獣の脂が焦げる、むせ返るような死臭が風に乗って運ばれてきていた。

 

「……着いたな」

 

 

ヴァルナは静かに息を吐き、足元の感触を確かめた。

 

 硬いアスファルトではなく、柔らかく湿った土と下草。彼の長身を包む黒い衣服が、少しだけ冷たさを帯びたヨーロッパ特有の風に揺れる。

 

 「マスター……ここは……」

 

 

 彼の背後で、巨大な十字盾を構えたままレイシフトを終えたマシュ・キリエライトが、息を呑んで周囲の惨状を見渡した。

 

 彼らが降り立ったのは、なだらかな丘の上。だが、そこから見下ろすことができるはずのフランスの美しい田園風景は、見る影もなく破壊され尽くしていた。

 

 

 『――通信確立! よし、二人とも無事だね!』

 

 

 ヴァルナの腕の端末から、ロマニ・アーキマンの安堵した声が響き渡った。

 

 『バイタルサイン正常、空間座標の固定も完了した。君たちが今いるのは西暦一四三一年、フランス。……百年戦争が終結に向かいつつあるはずの時代だ』

 

 「百年戦争……。ジャンヌ・ダルクが活躍した時代、ですね」

 

 

 マシュが自身の知識を照らし合わせながら呟く。

 

 『ああ。本来の歴史なら、数日前にルーアンでジャンヌ・ダルクが火刑に処され、その後フランス軍が反撃に転じて平和に向かっていくはずなんだ。だが……』

 

 

 ロマニの言葉を遮るように、通信機から別の声が割り込んできた。

 

 

 『観測データは異常だらけだよ、二人とも』

 

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチの、鈴を転がすような、だが知的な興味に満ちた声。

 

 『この時代には存在しないはずの強大な魔力反応が、フランス全土にばら撒かれている。まるで、神代の幻獣でも蘇ったかのようなデタラメな数値だ。新人マスター君の持つ「呪力」とも違う、純粋で暴力的なマナの結晶体だよ』

 

「神代の、幻獣……」

 

 

 目を細め、上空を覆う分厚い灰色の雲を見上げた。

 

「ドクター、ダ・ヴィンチ。状況は理解した。……だが、わざわざ計器で観測するまでもない」

 

 

 ヴァルナが淡々と告げると同時。

 

 頭上の雲を切り裂いて、鼓膜を劈くような甲高い咆哮が響き渡った。

 

 

 

 

「キシャァァァァァァッ!!!!」

 

 

 

 

 マシュが弾かれたように空を見上げる。

 

 灰色の雲の中から、巨大なコウモリのような翼を持った影が幾つも降下してきていた。

 

 強靭な爬虫類の鱗に覆われた巨体。鋭い牙と、岩をも砕く太い尾。

 

 

「……双足飛竜(ワイバーン)の群れ、ですか」

 

 

 マシュが盾を強く握り締め、身構える。

 

『なっ……ワイバーン!? 一四三一年のフランスに!?』

 

 

 ロマニが驚愕の声を上げた。

 

『あり得ない! 西暦に入ってから幻想種は世界の裏側へと姿を消しているはずだ! なぜそんな近代に、しかも群れで存在するんだ!?』

 

「理由は後で考えればいい。……今は、迎撃する」

 

 

 ヴァルナの足元で、青黒い呪力が音もなく渦を巻き始めた。

 

(……空飛ぶトカゲか。死徒や悪霊とは勝手が違うが、物理法則に従って肉体を持っているなら、潰せば死ぬことに変わりはない)

 

 

 彼は『鵺』や『大蛇』を喚び出す印を結ぼうとしたが、ふと、視界の端――丘の下の街道沿いで、何かが動くのを捉えた。

 

「――っ、マスター! あそこに!」

 

 

丘の下を通る街道。

 

 そこで、鉄の鎧を着込んだ十数人のフランス兵たちが、空から急降下してきた三頭のワイバーンに襲撃されていたのだ。

 

 

「陣形を崩すな! 槍を突き立てろ!」

 

 

 兵士の隊長らしき男が怒号を飛ばすが、彼らの持つ鉄の槍はワイバーンの硬い鱗に弾かれ、逆に巨大な尾の薙ぎ払いで数人の兵士が宙を舞い、血を吐いて倒れ伏す。

 

 絶望的な戦力差。このままでは、数分のうちに彼らは竜の餌食となるだろう。

 

「……マシュ」

 

 

 ヴァルナは、印を結ぼうとしていた手をスッと下ろした。

 

「現地の人間がいる。俺の影(式神)を見せれば、無用な混乱と恐怖を与える可能性がある。コンタクトを図るなら、正体不明の『化け物使い』として現れるべきじゃない」

 

 

 ヴァルナは、かつて聖堂教会の代行者として活動していた頃の経験から、一般人が「未知の神秘」に対してどれほどの排他性と恐怖を抱くかを熟知していた。

 

 特にこの中世ヨーロッパの時代、異端の術式は問答無用で「魔女」や「悪魔」の烙印を押される。

 

「盾と、俺の体術だけでいく。お前は俺の死角をカバーしろ」

 

「はい、マスター!!」

 

 

 ヴァルナの足首に、極限まで圧縮された呪力が集中する。

 

 

ダンッ!!

 

 

 

 丘の上の土が爆発するように抉れ、ヴァルナの長身が、まるで砲弾のように空中へと射出された。

 

 数十メートルの距離と高低差を、たった一回の跳躍でゼロにする。

 

「なっ……!?」

 

 

 襲われていたフランス兵たちが、空から降ってきた黒衣の青年に目を丸くした。

 

「グルルゥッ!?」

 

 

 兵士の一人を食い殺そうと顎を開いていた一頭のワイバーンが、頭上から迫る異常な質量の気配に気づき、威嚇の声を上げる。

 

 

だが、遅い。

 

 

「――落ちろ」

 

 

 ヴァルナは空中で身体を捻り、重力と落下のエネルギーをすべて乗せた右の踵落としを、ワイバーンの脳天目掛けて正確に振り下ろした。

 

『呪力強化』によって鋼鉄の硬度を持ったその踵が、幻獣の硬質な鱗をまるで薄氷のように粉砕する。

 

 

 

メギャァァァァァンッ!!!!

 

 

「ギャ、ァァァッ!?」

 

 

 断末魔の悲鳴を上げる暇すらない。ワイバーンの巨大な頭蓋骨が完全に陥没し、その巨体は勢いよく地面に激突してアスファルト――いや、石畳の街道を蜘蛛の巣状に砕き割った。

 

「な、なんだアイツは……! 素手で、竜を……!?」

 

 

 兵士たちが腰を抜かして震える中、ヴァルナは潰れたワイバーンの背中を蹴ってふわりと着地した。

 

「キシャァァァァッ!!」

 

 

 仲間の死に激昂した残る二頭のワイバーンが、ヴァルナを標的に定めて左右から同時に襲い掛かる。

 

 鋭い爪がヴァルナの胴体を切り裂こうと迫るが。

 

「遅いですよ!!」

 

 

 ヴァルナの背後から跳躍してきたマシュが、白亜の十字盾を巨大な壁のように突き出した。

 

 

 

ガギィィィィンッ!!!!

 

 

 

 ワイバーンの爪が盾の表面で火花を散らして弾かれ、その反動で一頭の体勢が大きく崩れる。

 

「隙ありです、マスター!」

 

「ああ。上等だ」

 

 

 ヴァルナはマシュの盾を足場にするようにしてさらに跳躍し、体勢を崩したワイバーンの懐へと完全に潜り込んだ。

 

 左の掌でワイバーンの下顎を強引に跳ね上げ、無防備になった首の逆鱗――頸動脈が通る急所へと、右の手刀を突き刺す。

 

 

 

ズバァァァァッ!!

 

 

 

 呪力を纏った手刀は、名剣すら凌ぐ切れ味でワイバーンの太い首の肉を断ち切り、脊髄を半ばまで切断した。

 

 二頭目が、大量の血を吹き出しながら倒れ伏す。

 

「ギチィィッ!」

 

 

 残る最後の一頭が、ヴァルナの背後から火炎の息(ブレス)を吐き出そうと胸を膨らませた。

 

 

 だが、そのブレスが放たれるよりも早く。

 

 

「――主よ、この身を委ねます!!」

 

 

 

 凛とした、しかし力強い少女の声が戦場に響き渡った。

 

 街道の奥の森から、一陣の風のように飛び出してきた『影』。

 

 純白の鎧を身に纏い、手には巨大な白百合の旗(ラ・ピュセル)を握り締めた、金髪の少女。

 

「はぁぁぁぁっ!!」

 

 

 少女は驚異的な速度で最後の一頭のワイバーンに肉薄すると、その巨大な旗の柄を、まるで槍のようにワイバーンの喉元へと突き入れた。

 

 

ドガァァァァンッ!!

 

 

 旗の柄に込められた強烈な魔力(マナ)の爆発。ブレスを吐き出そうとしていたワイバーンの喉の奥でその魔力が弾け、ワイバーンは自らの炎と少女の打撃によって内側から頭部を吹き飛ばされた。

 

「……」

 

 

 ヴァルナは血に濡れた右手を軽く振り払いながら、突如乱入してきたその少女を静かに『観察』した。

 

(……人間ではないな。英霊か。だが、特異点Fで見たシャドウサーヴァントたちのような淀んだ魔力は感じない。極めて清浄で、真っ直ぐな魂の形をしている)

 

 

「ふぅ……。間に合って、よかったです」

 

 

 少女は旗を肩に担ぎ直し、額の汗を拭いながら、ヴァルナとマシュの方へと振り向いた。

 

 その透き通るような青い瞳には、純粋な安堵の光が浮かんでいる。

 

「お怪我はありませんか? 私は……」

 

 

 少女が名乗ろうとした、その時だった。

 

「ひ、ヒィィィィィッ!!!」

 

「魔女だ!! 魔女が蘇ったぞ!!」

 

「化け物め!! 我々を呪い殺しに来たんだ!! 逃げろォォォッ!!」

 

 

 

 その耳障りな声の余韻だけが、破壊された街道に虚しく響いている。

 

 逃げていく兵士たちの背中を、マシュ・キリエライトは唖然とした表情で見送っていた。彼女の紫色の瞳には、信じられないものを見たという戸惑いが浮かんでいる。

 

 だが、誰よりも深い悲しみを抱いているのは、彼らを救った張本人である純白の少女だ。

 

 ジャンヌ・ダルクは、所在なげに宙を彷徨っていた手をゆっくりと下ろし、逃げ惑う人々の姿を、ただ静かに、酷く痛ましそうに見つめていた。

 

 

 しかし、彼女の悲哀は一瞬のものだった。

 

 ジャンヌは小さく深呼吸をすると、まるで己の内の揺らぎを無理やりに断ち切るかのように、凛とした顔を上げてヴァルナたちの方へと向き直った。

 

 カチャリと鎧を鳴らし、歩み寄ってくる金髪の少女。

 

「……飛竜の群れを撃退していただき、本当にありがとうございました。お怪我がなくて何よりです」

 

 

 透き通るような、しかし確かな強さを持った声。

 

 ヴァルナは感情の動かない硝子のような瞳で彼女を見下ろし、淡々と答える。

 

「気にするな。こちらこそ助かった」

 

 

 その平坦な言葉に、ジャンヌは少しだけ安堵したように微笑み、自身の胸に手を当てて名乗った。

 

「私は、ジャンヌ・ダルク。……クラスはルーラーのサーヴァントだと認識しています」

 

 

 ジャンヌ・ダルク。フランスの救国の聖女。

 

 その名を聞いた瞬間、ヴァルナの脳内で、かつて叩き込まれた膨大な歴史的・宗教的知識のインデックスが一瞬にして検索され、合致した。

 

 神の啓示を受け、百年戦争でフランス軍を勝利に導いた奇跡の少女。そして、味方の裏切りによって異端審問にかけられ、火刑に処された悲劇の聖人。

 

 

 ヴァルナは内心で極めて冷徹な分析を下しながら、自身も短く名乗る。

 

「俺はヴァルナ・クロス。カルデアのマスターだ。……こっちはマシュ」

 

「マシュ・キリエライトです。よろしくお願いします、ジャンヌさん」

 

 

 マシュは盾を背負い直し、少し緊張した面持ちで頭を下げた。

 

 しかし、マシュの脳裏には先ほどの異常な光景が引っ掛かったままだ。

 

「あの……ジャンヌさん。なぜ、彼らは貴方を『魔女』と呼んだのでしょうか。貴方はこの国を救った『聖女』のはずなのに……」

 

 

 マシュの純粋な疑問。その言葉に、ジャンヌの瞳が再び微かに翳る。

 

「……詳しい話は、あちらでしましょう。ここで立ち話をするのも危険です」

 

 

 ジャンヌはそう言って、街道から少し離れた、鬱蒼と茂る森の方を指差した。

 

 確かに、ここは開けすぎている。逃げた兵士たちが援軍を呼んで戻ってくる可能性もあれば、空から新たなワイバーンが降ってくる危険もある。

 

 

 マシュはどうするべきか、視線でヴァルナに判断を委ねた。

 

「……行くぞ。この特異点の謎を解明するためにも、彼女の持っている情報は必要だ」

 

 

 ヴァルナの即断に、通信機越しのロマニ・アーキマンも安堵の声を漏らす。

 

 

『僕も賛成だ。まずは安全な場所に移動して、情報交換をしよう』

 

 

 三人は街道を外れ、日の光が木漏れ日となって降り注ぐ、静かな森の奥へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

【時刻:同日 ??:??】

 

【場所:第一特異点 邪竜百年戦争 オルレアン・近郊の森】

 

 

 森の奥深く。街道から完全に姿を隠せる、少し開けた空間を見つけると、三人は足を止めた。

 

 ヴァルナは手頃な倒木に腰を下ろし、マシュとジャンヌもそれぞれ岩に腰掛けて向かい合う。

 

 血の匂いと焦げた空気が少しだけ薄れ、森の静寂が彼らを包み込んだ。

 

「さて……」

 

 

 ヴァルナは長い脚を組み、静かな、だが逃げ場のない視線でジャンヌを真っ直ぐに見据えた。

 

「いくつか聞きたいことがある。なぜ、聖女であるお前が魔女と呼ばれているのか。……そして、このフランスで一体何が起きているのか」

 

 

 問いかけは冷徹で、事務的ですらあった。

 

 ジャンヌは白百合の旗を大切そうに膝に抱き、少し迷うように視線を落とした後、静かに口を開いた。

 

「……私自身、数時間前に召喚されたばかりで、持っている情報は限られています。ですが、私が森を抜け、村々を見て回って確信したことがあります」

 

 

 彼女は一度言葉を切り、深い悲しみを帯びた瞳でヴァルナたちを見た。

 

「どうやら、この世界には……『私以外のジャンヌ・ダルク』が、もう一人いるようなのです」

 

「……もう一人の、ジャンヌ・ダルク?」

 

 

 マシュが信じられないというように目を見開く。

 

「はい。そして、その『もう一人の私』が、竜の群れを操り……このフランスの地を、無差別に襲っているのだと」

 

 

 静かな森に、衝撃的な事実が落ちる。

 

『……あり得ない話じゃない』

 

 

 通信機から、ロマニの真剣な声が響いた。

 

『同じ英霊が、同じ時代に複数存在するケースは、理論上は「ないわけではない」んだ。特に、英霊の持つ別の側面……反転体や、異なる解釈での召喚であればね』

 

 

 なるほど、とヴァルナは内心で頷く。

 

 彼は目の前で痛ましそうに俯くジャンヌ・ダルクを、極めてフラットな視点で『観察』していた。

 

 彼女から放たれる魔力の波長は清浄そのものであり、先ほど竜に襲われる兵士たちを我が身を挺して守った行動に、一切の偽りはなかった。この目の前にいる少女が、人間を虐殺して国を焼くような存在には到底見えない。

 

 であるならば、このフランスを焼いているのは、間違いなく『別の側面で召喚された何者か』であると推測できる。

 

「貴方はルーラー(裁定者)のクラスのサーヴァントですよね? なら、ルーラーとしての固有能力……周囲のサーヴァントの気配を感知する能力はどうなっているんですか? 近くに、敵のサーヴァントの気配はありますか?」

 

 

 だが、ジャンヌはゆっくりと首を横に振った。

 

「……申し訳ありません。私は、サーヴァントとして極めて不完全な状態で召喚されているらしいのです」

 

 

 彼女の表情には、己の無力さに対する悔しさが滲んでいた。

 

「ルーラーとしてのクラススキルが、まったく機能していません。聖杯からの知識の付与もなく、敵の気配を広域で感知することも、真名を見破ることもできない。……今の私は、ただの少し腕の立つ兵士と変わりません」

 

 

 不完全な召喚。知識の欠落。

 

「そうか」

 

 

 ヴァルナは短くそう告げると、ゆっくりと目を閉じた。

 

 状況は芳しくない。現地で合流した強力なサーヴァントは、自身の能力の半分も発揮できない状態にあり、敵は竜を操る未知の存在。

 

 彼は脳内で戦況のシミュレートを行いながら、今後どう立ち回るべきかの計算を静かに進める。

 

 

 逆に、ジャンヌ・ダルクは不思議そうにヴァルナたちを見つめ返した。

 

「あの……差し出がましいようですが、あなた方は一体、どういった存在なのですか? その装いも、私の知るどの国のものとも違うようですし……」

 

 

 ヴァルナは目を開け、マシュに顎で合図をした。

 

「マシュ、説明してやれ」

 

「はい、マスター」

 

 

 マシュは姿勢を正し、カルデアという機関の目的、未来からのレイシフト、そして今、人類の歴史が根底から燃やされようとしている『人理焼却』の事実を、簡潔に、しかし丁寧に説明した。

 

 一通りの説明を聞き終えたジャンヌの顔は、驚愕に蒼白になっていた。

 

「歴史が……燃やされている。そんな、途方もないことが……」

 

 

 彼女は信じられないというように口元を覆う。

 

「それに比べれば、私自身の悩みなど……大したものではありませんね」

 

 

 そう呟いたジャンヌは、己の膝の上に置かれた、自身の手をじっと見つめた。

 

「……私は今、私自身を信用できずにいます」

 

 

 森の静寂に、彼女の震える声が落ちる。

 

「魔女と呼ばれている私。あの竜たちを操って、かつて私が命を懸けて守った都市を、人々を攻撃しているのは……私の別の姿なのだと」

 

 

 彼女の瞳には、悲しみと、自分自身に対する疑問、そして得体の知れない恐怖が入り混じっていた。

 

「そもそも、なぜ『私』は竜を操ることができるのでしょうか。私の逸話に、竜を従えたなどという伝承はないはず。それに、これほど大量の飛竜が空を埋め尽くすなど、明らかにおかしい……」

 

 

『その通りだよ』

 

 

 ドクター・ロマンが、通信機越しに思考をまとめるように口を開いた。

 

『ワイバーンを現代の魔術で召喚するなんて不可能だ。なんなら、この時代の魔術レベルでも絶対に不可能だ。膨大な魔力をどうやって補っているのか。……結論は一つしかない』

 

 

 ロマンの声音が、一段と重くなる。

 

『異常の根本原因である「聖杯」。その聖杯の力を用いて、誰かが竜を召喚し、操っている。……それが、一番可能性の高い仮説だ』

 

 

 聖杯。

 

 あらゆる願いを叶えるという、強大な魔力の結晶。特異点Fで見た、あの忌まわしい泥の器。

 

「……なるほどな」

 

 

 ヴァルナは組んでいた脚を解き、真っ直ぐにジャンヌの瞳を覗き込んだ。

 

「敵の正体も、目的のブツも大体予想がついた。……で、お前はどうする?」

 

 

 平坦な、しかし核心を突く問い。

 

「この先、どう動く気だ。不完全な召喚で、誰も味方がいないこの狂った国で」

 

 

 ジャンヌ・ダルクは、少しの間だけ沈黙した。

 

 だが、彼女が再び顔を上げた時、その青い瞳からは迷いの霧が完全に晴れ、代わりに真っ直ぐで力強い光が宿っていた。

 

 

「――オルレアンの都市を、奪還します」

 

 

 彼女は白百合の旗を強く握り締め、言い放つ。

 

「このフランスを蹂躙する障害……『もう一人の私』を、この手で排除しなければなりません。たとえ私一人でも戦う。……一度この悲劇に目を向けたからには、見逃すことなどできません」

 

 

 彼女の言葉には、狂信的な盲目さはなく、ただ純粋な「救済への意思」だけがあった。

 

「……歴史書の通り、本当に気高い方ですね」

 

 

 マシュが、感嘆の溜息を漏らしながら彼女を見つめる。

 

 ヴァルナもまた、無言で彼女の瞳の奥を見つめていた。

 

 嘘偽りのない、本気の瞳。己の身がどうなろうとも、慈しみに満ちた心で他者のために戦うことを決意した瞳。

 

 聖女、ジャンヌ・ダルク。

 

 

(……ああ。彼女は、本物だ)

 

 

 ヴァルナの脳裏に、過去に見てきた光景がフラッシュバックする。

 

 奇跡を騙り、信徒から金を巻き上げる偽りの聖者たち。血にまみれた手を隠し、神の言葉を都合よく解釈する権力者たち。

 

 彼は、そんな人間の醜悪な「偽物」を嫌というほど見てきた。だからこそ、今目の前にいるこの少女の『筋の通った在り方』が、どれほど希少で、どれほど尊いものかが理解できた。

 

 

 彼は、純粋に美しいと、そう感じた。

 

 

 フッ、と。

 

 ヴァルナの感情の動かない、硝子のような瞳がわずかに細められ。

 

 その無機質な表情が崩れ、極めて珍しく、彼は微かに『微笑んだ』。

 

「……君は、本当に美しい聖女だ」

 

 

 ヴァルナは、まるで道端に咲く可憐な花を愛でるような、純粋で天然な声で真っ直ぐに伝えた。

 

「お前は、本物だ」

 

 

 一切の打算がないストレートな称賛。偽物を知っている彼だからこそ言える、絶対的な評価。

 

「えっ……あ、あの……!?」

 

 

 突然の微笑みと真っ直ぐな言葉に、ジャンヌ・ダルクの顔が一瞬にして真っ赤に染まる。

 

「そ、そんな……! 私は、聖女などと呼ばれるような立派な人間ではありません! ただの、田舎の村娘で……!」

 

 

 彼女は慌てて両手を振り、照れたように目を泳がせて謙遜する。

 

「…………先輩」

 

 

 マシュがジト目でヴァルナを睨むが、当のヴァルナは「なんだ?」と不思議そうに首を傾げるだけだった。

 

「コホン。……ええと、ジャンヌさん」

 

 

 マシュは気を取り直し、一歩前へ出て提案した。

 

「私たちの目的である『特異点の修復』の根本原因が、その『もう一人のジャンヌ・ダルク』である可能性は極めて高いです。……であるならば、私たちは目的を同じくする者として、協力できるのではないでしょうか」

 

 

 

『僕も大賛成だ!』

 

 

 ロマンが通信機越しに力強く同意する。

 

『彼女の持つ戦力は、今のカルデアにとって喉から手が出るほど欲しい。それに、何より彼女の人柄は信用できる!』

 

「そうだな。戦力は多い方がいい。……頼めないか。俺たちと一緒に来てくれ」

 

 

 ヴァルナは立ち上がり、ジャンヌに向かって右手を差し出した。

 

 ジャンヌは、差し出されたヴァルナの大きな手を、少し驚いたように見つめた。

 

 自分を信じきれず、魔女と呼ばれ、世界に絶望しかけていた自分を、「本物だ」と肯定し、共に戦おうと言ってくれる異邦人たち。

 

 

「……はい」

 

 

 ジャンヌは柔らかく微笑み、その手をしっかりと握り返した。

 

「こちらこそ。どうか、これからよろしくお願いいたします、ヴァルナ殿、マシュ殿」

 

 

 信頼に満ちた握手。

 

 強力なサーヴァントとの同盟が結ばれた、まさにその瞬間だった。

 

 

 

 ピクッ。

 

 ヴァルナの足元に落ちていた影が、微かに、だが不吉に波打った。

 

 同時に、森の奥深くから、空気を震わせるような重低音の『獣の咆哮』が響き渡る。

 

「……マスター。竜の匂いだけじゃありません」

 

 

 マシュが即座に手を離し、巨大な十字盾を構える。

 

「……ええ。嫌な魔力の気配が、急速にこちらへ近づいてきます」

 

 

 ジャンヌもまた、白百合の旗を槍のように構え直し、鋭い視線を森の暗がりへと向けた。

 

「……挨拶代わりの歓迎らしいな」

 

 

 ヴァルナは首の骨をコキリと鳴らし、両手を胸の前で交差させて印を結ぶ準備に入る。

 

 彼の瞳の奥には、再び冷徹な『戦闘者』としての光が宿っていた。

 

 協力を結んだ三人の、初めての戦闘の幕が上がる。

 

 

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