Fate/Grand Order : 冠位影法録(グランドオーダー・シャドウレコード) 作:りー037
焦土の空と、翼持つ幻想
【時刻:1431年 某月某日 ??:??】
【場所:第一特異点 邪竜百年戦争 オルレアン・フランス某所】
純白の光の奔流が収束し、世界が新たな色と匂いを持って再構築される。
魔術的な次元の跳躍――レイシフトが完了した直後、ヴァルナ・クロスの鋭敏な感覚器官は、まずその『空気の質』を正確に計測していた。
冬木の特異点Fで感じた、焦げたゴムや近代的な建材が燃える不快な匂いではない。
ここは、もっと生々しい。土と、青草と、古い木造の家屋が炭化する匂い。そして、おびただしい量の血と獣の脂が焦げる、むせ返るような死臭が風に乗って運ばれてきていた。
「……着いたな」
ヴァルナは静かに息を吐き、足元の感触を確かめた。
硬いアスファルトではなく、柔らかく湿った土と下草。彼の長身を包む黒い衣服が、少しだけ冷たさを帯びたヨーロッパ特有の風に揺れる。
「マスター……ここは……」
彼の背後で、巨大な十字盾を構えたままレイシフトを終えたマシュ・キリエライトが、息を呑んで周囲の惨状を見渡した。
彼らが降り立ったのは、なだらかな丘の上。だが、そこから見下ろすことができるはずのフランスの美しい田園風景は、見る影もなく破壊され尽くしていた。
遠くに見える村々は黒い煙を上げ、緑豊かな森のあちこちが不自然に焼け焦げ、地面には巨大なクレーターが穿たれている。
『――通信確立! よし、二人とも無事だね!』
ヴァルナの腕の端末から、ロマニ・アーキマンの安堵した声が響き渡った。
『バイタルサイン正常、空間座標の固定も完了した。君たちが今いるのは西暦一四三一年、フランス。……百年戦争が終結に向かいつつあるはずの時代だ』
「百年戦争……。ジャンヌ・ダルクが活躍した時代、ですね」
マシュが自身の知識を照らし合わせながら呟く。
『ああ。本来の歴史なら、数日前にルーアンでジャンヌ・ダルクが火刑に処され、その後フランス軍が反撃に転じて平和に向かっていくはずなんだ。だが……』
ロマニの言葉を遮るように、通信機から別の声が割り込んできた。
『観測データは異常だらけだよ、二人とも』
レオナルド・ダ・ヴィンチの、鈴を転がすような、だが知的な興味に満ちた声。
『この時代には存在しないはずの強大な魔力反応が、フランス全土にばら撒かれている。まるで、神代の幻獣でも蘇ったかのようなデタラメな数値だ。新人マスター君の持つ「呪力」とも違う、純粋で暴力的なマナの結晶体だよ』
「神代の、幻獣……」
ヴァルナは目を細め、上空を覆う分厚い灰色の雲を見上げた。
「ドクター、ダ・ヴィンチ。状況は理解した。……だが、わざわざ計器で観測するまでもない」
ヴァルナが淡々と告げると同時。
頭上の雲を切り裂いて、鼓膜を劈くような甲高い咆哮が響き渡った。
「キシャァァァァァァッ!!!!」
マシュが弾かれたように空を見上げる。
灰色の雲の中から、巨大なコウモリのような翼を持った影が幾つも降下してきていた。
強靭な爬虫類の鱗に覆われた巨体。鋭い牙と、岩をも砕く太い尾。
「……双足飛竜(ワイバーン)の群れ、ですか」
マシュが盾を強く握り締め、身構える。
『なっ……ワイバーン!? 一四三一年のフランスに!?』
ロマニが驚愕の声を上げた。
『あり得ない! 西暦に入ってから幻想種は世界の裏側へと姿を消しているはずだ! なぜそんな近代に、しかも群れで存在するんだ!?』
「理由は後で考えればいい。……今は、迎撃する」
ヴァルナの足元で、青黒い呪力が音もなく渦を巻き始めた。
(……空飛ぶトカゲか。死徒や悪霊とは勝手が違うが、物理法則に従って肉体を持っているなら、潰せば死ぬことに変わりはない)
彼は『鵺』や『大蛇』を喚び出す印を結ぼうとしたが、ふと、視界の端――丘の下の街道沿いで、何かが動くのを捉えた。
「――っ、マスター! あそこに!」
マシュも同じものに気づき、声を上げる。
丘の下を通る街道。
そこで、鉄の鎧を着込んだ十数人のフランス兵たちが、空から急降下してきた三頭のワイバーンに襲撃されていたのだ。
「陣形を崩すな! 槍を突き立てろ!」
兵士の隊長らしき男が怒号を飛ばすが、彼らの持つ鉄の槍はワイバーンの硬い鱗に弾かれ、逆に巨大な尾の薙ぎ払いで数人の兵士が宙を舞い、血を吐いて倒れ伏す。
絶望的な戦力差。このままでは、数分のうちに彼らは竜の餌食となるだろう。
「……マシュ」
ヴァルナは、印を結ぼうとしていた手をスッと下ろした。
「現地の人間がいる。俺の影(式神)を見せれば、無用な混乱と恐怖を与える可能性がある。コンタクトを図るなら、正体不明の『化け物使い』として現れるべきじゃない」
ヴァルナは、かつて聖堂教会の代行者として活動していた頃の経験から、一般人が「未知の神秘」に対してどれほどの排他性と恐怖を抱くかを熟知していた。
特にこの中世ヨーロッパの時代、異端の術式は問答無用で「魔女」や「悪魔」の烙印を押される。
「盾と、俺の体術だけでいく。お前は俺の死角をカバーしろ」
「はい、マスター!!」
ヴァルナの足首に、極限まで圧縮された呪力が集中する。
ダンッ!!
丘の上の土が爆発するように抉れ、ヴァルナの長身が、まるで砲弾のように空中へと射出された。
数十メートルの距離と高低差を、たった一回の跳躍でゼロにする。
「なっ……!?」
襲われていたフランス兵たちが、空から降ってきた黒衣の青年に目を丸くした。
「グルルゥッ!?」
兵士の一人を食い殺そうと顎を開いていた一頭のワイバーンが、頭上から迫る異常な質量の気配に気づき、威嚇の声を上げる。
だが、遅い。
「――落ちろ」
ヴァルナは空中で身体を捻り、重力と落下のエネルギーをすべて乗せた右の踵落としを、ワイバーンの脳天目掛けて正確に振り下ろした。
『呪力肉体強化』によって鋼鉄の硬度を持ったその踵が、幻獣の硬質な鱗をまるで薄氷のように粉砕する。
メギャァァァァァンッ!!!!
「ギャ、ァァァッ!?」
断末魔の悲鳴を上げる暇すらない。ワイバーンの巨大な頭蓋骨が完全に陥没し、その巨体は勢いよく地面に激突してアスファルト――いや、石畳の街道を蜘蛛の巣状に砕き割った。
「な、なんだアイツは……! 素手で、竜を……!?」
兵士たちが腰を抜かして震える中、ヴァルナは潰れたワイバーンの背中を蹴ってふわりと着地した。
「キシャァァァァッ!!」
仲間の死に激昂した残る二頭のワイバーンが、ヴァルナを標的に定めて左右から同時に襲い掛かる。
鋭い爪がヴァルナの胴体を切り裂こうと迫るが。
「遅いですよ!!」
ヴァルナの背後から跳躍してきたマシュが、白亜の十字盾を巨大な壁のように突き出した。
ガギィィィィンッ!!!!
ワイバーンの爪が盾の表面で火花を散らして弾かれ、その反動で一頭の体勢が大きく崩れる。
「隙ありです、マスター!」
「ああ。上等だ」
ヴァルナはマシュの盾を足場にするようにしてさらに跳躍し、体勢を崩したワイバーンの懐へと完全に潜り込んだ。
左の掌でワイバーンの下顎を強引に跳ね上げ、無防備になった首の逆鱗――頸動脈が通る急所へと、右の手刀を突き刺す。
ズバァァァァッ!!
呪力を纏った手刀は、名剣すら凌ぐ切れ味でワイバーンの太い首の肉を断ち切り、脊髄を半ばまで切断した。
二頭目が、大量の血を吹き出しながら倒れ伏す。
「ギチィィッ!」
残る最後の一頭が、ヴァルナの背後から火炎の息(ブレス)を吐き出そうと胸を膨らませた。
だが、そのブレスが放たれるよりも早く。
「――主よ、この身を委ねます!!」
凛とした、しかし力強い少女の声が戦場に響き渡った。
街道の奥の森から、一陣の風のように飛び出してきた『影』。
純白の鎧を身に纏い、手には巨大な白百合の旗(ラ・ピュセル)を握り締めた、金髪の少女。
「はぁぁぁぁっ!!」
少女は驚異的な速度で最後の一頭のワイバーンに肉薄すると、その巨大な旗の柄を、まるで槍のようにワイバーンの喉元へと突き入れた。
ドガァァァァンッ!!
旗の柄に込められた強烈な魔力(マナ)の爆発。ブレスを吐き出そうとしていたワイバーンの喉の奥でその魔力が弾け、ワイバーンは自らの炎と少女の打撃によって内側から頭部を吹き飛ばされた。
「……」
ヴァルナは血に濡れた右手を軽く振り払いながら、突如乱入してきたその少女を静かに『観察』した。
(……人間ではないな。英霊か。だが、特異点Fで見たシャドウサーヴァントたちのような淀んだ魔力は感じない。極めて清浄で、真っ直ぐな魂の形をしている)
「ふぅ……。間に合って、よかったです」
少女は旗を肩に担ぎ直し、額の汗を拭いながら、ヴァルナとマシュの方へと振り向いた。
その透き通るような青い瞳には、純粋な安堵の光が浮かんでいる。
「お怪我はありませんか? 私は……」
少女が名乗ろうとした、その時だった。
「ひ、ヒィィィィィッ!!!」
「魔女だ!! 魔女が蘇ったぞ!!」
「化け物め!! 我々を呪い殺しに来たんだ!! 逃げろォォォッ!!」
ヴァルナたちが助けたはずのフランス兵たちが、少女の顔を見るなり、まるでこの世の終わりのような絶望の悲鳴を上げ始めたのだ。
彼らは武器を放り出し、ヴァルナたちに礼を言うどころか、転がるようにして街道の奥へと逃げ去っていく。
「え……?」
少女の表情が、凍りついた。
伸ばしかけていた彼女の手が、空を切り、所在なげに宙を彷徨う。
「待って……私は、そんなつもりじゃ……」
少女の悲痛な声は、逃げ惑う兵士たちの足音に掻き消された。
「……これは」
マシュが、信じられないというように眉をひそめる。
「命を救ってくれた相手に向かって、魔女だなんて……」
『……無理もないさ、マシュ』
通信機越しに、ロマニが重苦しい声で告げた。
『彼女の顔を見れば、フランスの人間なら誰だってそう反応する。……なぜなら、彼女は、時期的に彼ら自身の手で火刑に処されたはずの少女なのだから』
ヴァルナは感情の動かない瞳で、立ち尽くす少女を見つめた。
(……聖女、ジャンヌ・ダルクか。なるほど、死んだはずの聖人が鎧を着て現れれば、凡夫にとっては悪魔の復活にしか見えないだろうな)
彼はかつて聖堂教会で、人々が崇める「聖人」という存在がいかに脆く、いかに都合のいい神輿であるかを見飽きるほどに見てきた。
「……ここでは目立つ。森の中へ入るぞ」
ヴァルナは呆然とするジャンヌ・ダルクへと歩み寄り、彼女の腕を無造作に掴んだ。
「えっ……あ、貴方は……」
「お前を魔女と呼んで石を投げてくる連中が戻ってくる前に、場所を変える。……ついてこい」
ヴァルナの平熱の、しかし絶対に逆らえない強者の響きを持った声。
ジャンヌは微かに戸惑いながらも、その言葉に促されるまま、ヴァルナとマシュと共に深い森の奥へと歩みを進めた。
【時刻:同日 ??:??】
【場所:冬木市……ではなく、オルレアン近郊の森】
森の奥深く。街道から完全に姿を隠せる開けた空間を見つけると、ヴァルナは足を止めた。
「ここでいいだろう。マシュ、周囲の警戒を頼む。竜の匂いがしたら知らせろ」
「はい、マスター」
マシュは盾を置き、周囲の気配に意識を研ぎ澄ませる。
ヴァルナは倒木の上に腰を下ろし、ジャンヌ・ダルクへと視線を向けた。
彼女もまた、少し離れた岩の上に腰掛け、自身の持つ白百合の旗を痛ましげに見つめている。先ほどのフランス兵たちから向けられた「魔女」という憎悪の言葉が、彼女の心に深く突き刺さっているのは明白だった。
「……改めて、名乗ろう。俺はヴァルナ・クロス。カルデアのマスターだ」
ヴァルナが淡々と口を開く。
「こっちはマシュ・キリエライト。俺のサーヴァントだ。……そして、通信機越しに聞いているのが、ドクターのロマンと、ダ・ヴィンチだ」
『やあ、初めまして。カルデアの技術顧問、レオナルド・ダ・ヴィンチさ。……まさか、到着早々にフランス最大の英雄とお近づきになれるとはね』
『僕はロマニ・アーキマン。医療部門のトップをやっているよ。……君は、ジャンヌ・ダルクだね? ルーラーのクラスで現界した、はぐれサーヴァントと見て間違いないかな?』
通信機から聞こえる未知の声に、ジャンヌは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに姿勢を正し、真摯に頷いた。
「はい。私はジャンヌ・ダルク。……クラスは、おそらくルーラーだと思います」
彼女の言葉には、どこか自信のなさが滲んでいた。
「おそらく、とは?」
ヴァルナが首を傾げる。
「……お恥ずかしながら、私自身、今の状況がまったく理解できていないのです」
ジャンヌは申し訳なさそうに視線を伏せた。
「私が最後に覚えているのは、ルーアンの広場で……炎に焼かれた記憶です。その後のことは、何も。……気づいた時には、このフランスの地に立っていました。聖杯による知識の付与もなく、自分がなぜ召喚されたのか、誰に召喚されたのかすら、分からないのです」
『聖杯からの知識がない……? それは奇妙だね』
ダ・ヴィンチが思案するような声を上げる。
『本来、英霊が召喚される際には、その時代の基礎知識や言語、自身の役割などが聖杯からダウンロードされるはずなんだ。それが無いということは……彼女の召喚は、極めてイレギュラーで不完全なものだということになる』
「不完全な召喚……」
マシュが心配そうにジャンヌを見る。
「それじゃあ、ジャンヌさんは、サーヴァントとしてのクラススキル……例えば、相手の真名を見破る『真名看破』のような能力も使えない状態なんですか?」
「はい。サーヴァントの気配を感じ取ることはできますが、それが誰なのか、どのような宝具を持っているのかを知る術は、今の私にはありません。……ただの、少し腕の立つ兵士と変わりません」
自嘲気味に笑うジャンヌ。
救国の聖女として召喚されながら、何も知らず、かつて守ったはずの民衆からは魔女と石を投げられる。その絶望的な孤独は、計り知れないものだろう。
「……なるほど。状況は分かった」
だが、ヴァルナ・クロスの反応は、同情でも憐憫でもなかった。
彼は倒木から立ち上がり、ジャンヌの目の前まで歩み寄った。
「え……?」
ジャンヌが顔を上げる。ヴァルナの硝子のような瞳が、彼女の青い瞳を真っ直ぐに、そして至近距離で覗き込んでいた。
「知識がない。スキルが使えない。民衆には拒絶される。……それがどうした」
ヴァルナの平坦な声が、森の静寂に響く。
「お前はさっき、ワイバーンの前に飛び出して、旗一つで魔獣を叩き潰した。……誰に命令されたわけでもなく、お前自身の意思で、お前を迫害した人間を救おうとした」
「それは……私が、そうすべきだと思ったから……」
「なら、それで十分だろう」
ヴァルナは、ジャンヌからスッと身を引いた。
「俺は、聖人とか神輿とか、そういう肩書きには興味がない。だが、お前のその『芯の強さ』は本物だ。……俺は、お前の魂の形を評価する」
それは、かつて聖堂教会で数多の偽りの聖人を見てきた彼だからこそ言える、極めて冷徹で、そして真実味に満ちた承認(レコグニション)だった。
「魂の、形……」
ジャンヌの瞳が、僅かに見開かれる。
「俺たちの目的は、この狂ったフランスの特異点を修復し、原因である聖杯を回収することだ。……お前が自分の存在意義を知りたいなら、俺たちと一緒に来い。道すがら、真実を見つけていけばいい」
ヴァルナは手を差し伸べることもなく、ただ背中を向けて言った。
同情で手を引くのではない。共に歩く意思があるなら、自分の足でついてこいという、彼なりの不器用な誘いだった。
「……マスター。相変わらず、距離感が極端ですね」
マシュが苦笑いしながら、ヴァルナの背中を見つめる。
ジャンヌ・ダルクは、少しの間、その黒衣の青年の背中をじっと見つめていた。
感情が読めず、どこか恐ろしさすら感じる、底知れない冷たさを持った人。
だが、その言葉には嘘がなく、真っ直ぐに彼女自身を、ジャンヌ・ダルクという個を見てくれていることが分かった。
「……はい」
ジャンヌは、自身の白百合の旗を強く握り直し、凛とした笑顔で立ち上がった。
「私を、貴方たちの旅に同行させてください、ヴァルナ・クロス殿。私も……このフランスに何が起きているのか、自分の目で確かめたいのです」
「……殿はよせ。ヴァルナでいい」
ヴァルナは振り返らずに答え、足元の影を薄く広げた。
『やれやれ、新人君のそのカリスマ性には本当に驚かされるよ。……さて、ジャンヌという最高の戦力を得たところで、これからの指針を決めようか』
ロマニが、通信機越しに作戦の立案に入ろうとした、その時。
ピクッ。
ヴァルナの足元の影が、微かに、だが確かに波打った。
同時に、マシュの表情が引き締まり、ジャンヌが旗を構える。
「……マスター。北西の方角から、強力な魔力反応が近づいてきます」
「サーヴァントの気配です。……それも、複数」
ジャンヌが緊張した声で告げる。
「一つは、狂気と血の匂いがします。もう一つは……」
「……ドクター。作戦会議は後回しだ」
ヴァルナは首の骨をコキリと鳴らし、両手を胸の前で交差させた。
「お出ましらしい。……行くぞ、マシュ、ジャンヌ」
焦土のフランス。第一特異点での、本格的な死闘の幕が、今ここに切って落とされた。