Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード)   作:りー037

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【二節】紅蓮の死地と、影を統べる者

 

 けたたましく鳴り響くサイレンが、カルデアの白亜の壁を不吉な真紅へと染め上げていた。

 

『緊急事態発生。中央管制室にて爆発および火災発生。スタッフは至急避難を――』

 

 

 無機質なシステム音声がループする中、部屋の空気は一変した。壁の向こうから伝わってくる微細な振動、そして換気扇から逆流してくる微かな焦げ臭い匂い。それは間違いなく、ただのボイラーの故障などではない、明確な「破壊」の痕跡だった。

 

 「嘘だろ……中央管制室で爆発!? 堅牢なカルデアの中枢で、どうして……っ!」

 

 

 ロマニ・アーキマンは顔面を蒼白にし、震える手で自身の端末を操作しようとしていた。平時の飄々とした態度は完全に吹き飛び、彼の瞳には明確な『恐怖』と『混乱』が渦巻いている。無理もない。ここは外界から完全に隔離された雪山の観測所。内部での大規模な爆発は、全滅を意味しかねない。

 

 

 しかし、そのパニックの渦中にあって、ヴァルナの肉体と精神は、完全なる『凪』を保っていた。

 

 (……振動の波形。空気の圧縮率。爆薬の類だな。だが、それに魔力のようなものが乗っている。内部からの破壊工作……いや、今はどうでもいいか)

 

 

 ヴァルナはゆっくりと立ち上がる。彼の表情には、驚きも、焦燥も、欠片ほどの恐怖も浮かんでいない。ただ、極めて事務的に、極めて冷徹に「戦場」へと適応するための呪力が、静かに血肉を巡り始めていた。

 

 

 チリ、と。彼の足元に広がる影が、主の意思に呼応するように脈動する。

 

 「あ、あの……新人君!? ま、待って、今は不用意に動かない方が――」

 

 「ドクター。自分の身は自分で守れ。お前は戦う構造をしていない」

 

 

 振り返ることなく、淡々と事実だけを告げた。

 

 その声音はあまりにも平坦で、しかし不思議なほどの説得力を持っている。ロマニが息を呑んで立ち尽くす中、ヴァルナは自動扉をこじ開け、真っ赤に点滅する廊下へと足を踏み出した。

 

 

 向かうべき場所は一つ。あの騒がしい少女と、少し脆い目をした少女がいる「中央管制室」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下はすでに地獄の様相を呈していた。

 

 分厚い防弾ガラスは砕け散り、天井の配管からは高圧の蒸気と火花が吹き荒れている。逃げ惑うスタッフたちの悲鳴、倒壊する瓦礫の轟音。気温は急激に上昇し、空気を吸い込むだけで肺が焼けるような熱気。

 

 

 

 

 

 ガァァァンッ!!

 

 

 突如、ヴァルナの頭上の天井が爆炎と共に崩落する。

 

 数百キロはあろうかという巨大な鉄骨とコンクリートの塊が、彼を押し潰さんとばかりに落下してくる。通常の人間であれば、反応することすらできずに肉片と化す絶望的な質量。

 

 

 だが、ヴァルナは歩みを止めない。見上げることも、避ける動作すらしない。

 

 (……邪魔だ)

 

 

 

 影絵を作る。

 

 足元、その『影』が、物理的な法則を無視して壁面へと一瞬で這い上がった。

 

 

 次の瞬間、影の海面から飛び出したのは、骸骨の面を被った巨大な異形の翼。

 

 ――十種影法術・式神『鵺』。

 

 

 完全な召喚ではない。部分的な実体化。

 

 

 

 

 

 バチィィィィンッ!!!

 

 壁面の影から現れた鵺の翼が、青白い雷光を帯びて凄まじい放電を引き起こした。落下してくる巨大な鉄骨に雷撃が直撃し、強烈な磁場の反発と熱量によって、コンクリートの塊が空中で粉微塵に爆散する。

 

 パラパラと降り注ぐ高熱の瓦礫を、ヴァルナは一瞥もせずに通り抜けた。彼の足元から這い出た影の触手が、残った火の粉をすべて空中で絡め取り、自らの影の中へと「収納」していく。

 

 (火薬による物理破壊と、結界の崩壊。……かなり大規模にやったな。だが、仕事が粗い。殺意が広範囲に散りすぎている)

 

 

 ヴァルナは燃え盛る廊下を、まるで散歩でもするかのような滑らかな足取りで進む。熱も、煙も、彼の全身を覆う極めて精密な『呪力』の被膜を突破することはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひしゃげた分厚い隔壁を、呪力を込めた右腕で紙のように引き剥がす。

 

 

 管制室内に足を踏み入れた瞬間、そこはすでに凄惨な死の空間と化していた。

 

 先ほどまで整然と並んでいた47のマスター候補用ポッドは、その大半が爆発の直撃を受けて原型を留めていない。

 

 

 部屋の中央にある巨大な地球環境モデル『カルデアス』は、清浄な青い光を失い、まるで血の池のように禍々しい真紅へと染まり切っている。

 

 「……」

 

 

 ヴァルナは感情の動かない瞳で、その光景をスキャンした。

 

 死臭、焦げた肉の匂い、そして、微かに残る生命の鼓動。

 

 

 視線の先、管制室の最奥。

 

 崩落した巨大なモニターフレームの下敷きになっている、一つの小さな影があった。

 

 「……マシュ」

 

 

 それは、先ほど廊下で言葉を交わした、少女だった。

 

 彼女の下半身は数百トンの瓦礫に完全に押し潰され、床にはおびただしい量の血が広がっている。致命傷。誰の目から見ても、すでに助かる見込みはないだろう。

 

 

 さらに最悪なことに、爆発による余波で、管制室の巨大な天井が彼女の頭上へと崩れ落ちようとしている。

 

 距離はおよそ三十メートル。瓦礫の落下まで、コンマ数秒。

 

 (――届かせる)

 

 

 ヴァルナの意識が、極限まで研ぎ澄まされる。

 

 彼自身の足元に落ちた影と、マシュの周囲にある瓦礫が落とす影。その空間的距離を、彼の中で『ゼロ』と定義する。

 

 

 

 

 拡張術式――影道潜行・疑似転移(シャドウ・リンク)。

 

 

 ヴァルナの長身が、足元の影の中へと音もなく沈み込む。

 

 酸素のない、絶対的な漆黒の次元。そこに留まることは死を意味するが、通り抜けるだけであれば、これほど速い道はない。

 

 

 

 

 

 

 ズガァァァァァァンッ!!!!

 

 

 マシュの頭上に巨大な天井の塊が直撃した、その刹那。

 

 瓦礫の影の中から、ぬるりとヴァルナの肉体が実体化した。

 

 「……ふっ、」

 

 

 ヴァルナは息を吐きながら、両腕を天へと突き上げる。

 

 強化の出力を、瞬時に最大値まで引き上げる。細胞の一つ一つが歓喜の声を上げ、筋肉と骨格が呪力という名の鋼の糸で編み上げられる。

 

 

 激突。数千トンの運動エネルギーが、ヴァルナの細身の腕にのしかかった。

 

 足元の硬質な床が、彼の踏ん張りに耐えきれずにクレーター状に陥没する。しかし、ヴァルナの腕はミリ単位たりとも下がらない。彼はマシュを覆い隠すように立ち、その絶望的な質量を、己の肉体と呪力だけで完全に受け止めていたのだ。

 

 「……あ、」

 

 

 瓦礫の下で、霞む目をわずかに開いたマシュが、信じられないものを見るような声を漏らす。

 

 彼女の視界に映ったのは、崩れ落ちる天井を素手で支え、こちらを見下ろしている、白髪の異邦人の姿だった。

 

 「……せん、ぱい……?」

 

 

 口から血の泡を吹きながら、マシュは掠れた声で呟いた。痛覚はすでに麻痺している。自身の生命が残り数十秒で完全に消え去ることを、彼女の生物としての本能が正確に理解していた。

 

 「なぜ、」

 

 

 ヴァルナは天井を支えたまま、静かに問うた。

 

 「なぜ、お前はそんなに静かに死を受け入れようとしている」

 

 

 瓦礫を弾き飛ばし、ヴァルナは片膝をついてマシュの顔を覗き込む。その距離は、先ほど廊下で彼女を困惑させた時と同じ、鼻先が触れ合うほどのゼロ距離。

 

 炎の照り返しを受けるヴァルナの白い肌。そして、底知れないほどに冷たく、澄み切った瞳。

 

 「……私、は……」

 

 

 マシュは、その温度のない瞳に吸い込まれるように言葉を紡ぐ。

 

 「私は、造られた……命、です。最初から、長くは生きられない……ここで、終わりを迎えるのは……当然の、こと……」

 

 「当然? 誰がそれを決めた」

 

 「……カルデア、の……」

 

 「くだらないな」

 

 

 ヴァルナの冷徹な一刀両断に、マシュはわずかに目を見開く。

 

 彼は決して、彼女に同情しているわけでもない。涙を流しているわけでもない。ただ、彼の中にある「強者としての理」に照らし合わせたとき、彼女の諦観が気に食わなかっただけ。

 

 「造られた命だろうが、寿命が短かろうが、お前は今、生きている。死を受け入れるのは、すべての足掻きを終えてからにするべきだ」

 

 

 ヴァルナはそっと、自身の長い指をマシュの血に濡れた頬に添えた。

 

 彼の指先から、微弱だが確かな熱を帯びた呪力が、マシュの冷え切っていく肌へと流れ込んでいく。それは治療の術式ではない。ただ、彼女の魂の輪郭を繋ぎ止めるための、強引な生命力(呪い)の注入だった。

 

 「先輩……手、が……あたたかい、です……」

 

 「そうか。お前は冷たいな」

 

 「……ふふ、先輩は、本当に……変な人、ですね……」

 

 

 マシュの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。

 

 それは死への恐怖からではない。自身の死の淵に寄り添ってくれるこの男の、不器用で、超然としていて、どうしようもなく「孤独」な魂の形に触れた気がしたから。

 

 ヴァルナ・クロス。この男は、自分のような造られた命にも、まるで道端の花を愛でるような、平等で残酷な優しさを向けてくれる。

 

 (……助けるには、下半身の損傷が酷すぎる。俺の力では治癒できない。……円鹿を呼ぶか)

 

 

 ヴァルナが両手で影絵を作り、十種影法術唯一の反転術式使いである『円鹿』を召喚しようとした、その時だった。

 

 

『システム・アンサモンプログラム、起動。』

 

『霊子変換を開始します。』

 

 

 カルデアスから放たれる真紅の光が、突如として眩い純白へと変貌する。

 

 空間そのものが歪み、重力が消失していくような奇妙な浮遊感。

 

『全マスターのバイタル、消失を継続。……イレギュラーを検知。一名の生体反応を確認。』

 

『該当者を、レイシフトの対象に再設定。』

 

 

 光の奔流が、ヴァルナとマシュの身体を包み込んでいく。

 

 「……魔力による強制転移、か」

 

 

 ヴァルナは状況を瞬時に理解した。この光に抗うことはできるかもしれない。だが、この場に残れば確実にカルデア管制室の中枢ごと焼却される。何より、目の前の少女の命が尽きる。

 

 「先輩……手を、離さないで……」

 

 「ああ」

 

 

 光の中で、ヴァルナはマシュの手を強く握り返した。

 

 その顔にはやはり一切の恐怖はない。ただ、これから向かう未知の領域への、静かな観測の眼差しだけがあるだけ。

 

『レイシフト開始。空間、時間、異常なし。』

 

『――グランドオーダー、実証を開始します。』

 

 

 極彩色の光が弾け、彼らの意識は次元の狭間へと飲み込まれていった。

 

 

 

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