Fate/Grand Order : 冠位影法録(グランドオーダー・シャドウレコード) 作:りー037
炎上する街と、影の獣たち
【時刻:2004年 某月某日 ??:??】
【場所:特異点F 炎上汚染都市 冬木・未確認区画】
視界を覆っていた眩い光の奔流が晴れたとき、ヴァルナ・クロスを最初に迎え入れたのは、肌を焦がすような暴力的な『熱』と、肺の奥までこびりつくような死の匂いだった。
「……」
ヴァルナは無言のまま、ゆっくりと瞬きをした。
足裏に感じるのは、先ほどのカルデアの硬質で清潔な床ではなく、熱でドロドロに溶け、ひび割れたアスファルト。周囲を埋め尽くしているのは、赤黒い炎に包まれた高層ビル群と、黒煙によって月すらも遮られた澱んだ夜空だった。
気温は優に四十度を超えているだろう。周囲に生命の気配はない。ただ、炎が建物を舐め回す不気味な破裂音だけが、絶え間なく鼓膜を打ち据えている。
(レイシフト……時空間の跳躍か。完全に別の座標、いや、別の世界線に落とされたという感覚に近いな。カルデアで感じた清浄な魔力の波長が、ここでは酷く淀み、濁っている)
ヴァルナは己の肉体を確認する。欠損はない。魔力による強制転移の負荷も、常時巡らせている『呪力肉体強化』によって完全に相殺されていた。
カタ、カタカタカタ……。
ふと、背後の炎の向こうから、乾いた硬質な音が響いた。
人間の足音ではない。もっと軽く、そして有機的な水分を一切感じさせない、骨と骨が擦れ合うような異音。
ヴァルナがゆっくりと振り返ると、そこには三体の異形が立っていた。
肉を持たず、汚れたボロ布を纏い、錆びついた剣や弓を構えた歩く骸骨――竜牙兵(スケルトン)。彼らの落ち窪んだ眼窩の奥には、赤い憎悪の光が宿っており、明確な殺意を持って侵入者であるヴァルナへと歩みを進めていた。
(……呪霊ではないな。呪力のような負の感情の塊ではなく、魔力で編まれた使い魔のようなものか。強さは……取るに足らない)
ヴァルナの感情は、一切揺れなかった。
驚きも、恐怖も、あるいは闘争心すらも湧かない。ただ、「そこに排除すべき障害がある」という事実を、極めて事務的に処理しただけだった。
「ギチィィッ!!」
一体の骸骨が、錆びた剣を振りかぶって跳躍した。人間離れした脚力。その刃がヴァルナの脳天を唐竹割りにしようと迫る。
しかし、その刃が彼に届くことは、永遠にない。
ダンッ!!
ヴァルナの足首から爆発的な呪力が推進力となって放たれ、ひび割れたアスファルトがクレーター状に粉砕された。
骸骨の剣が振り下ろされるよりも速く、ヴァルナの長身はすでに骸骨の懐へと完全に潜り込んでいた。
「――遅い」
呟きと同時に、呪力で青黒くコーティングされた右の拳が、骸骨の胸骨の中央へと叩き込まれる。
ドォォォォンッ!!!
大気を震わせる重い破裂音。打撃の瞬間、圧縮された呪力が相手の内部へと浸透し、爆発的に拡散する。骸骨は悲鳴を上げる間もなく、全身の骨という骨を粉微塵に砕かれ、後方の瓦礫へと散弾のように吹き飛んだ。
残る二体の骸骨が、即座に反応して左右から襲い掛かる。
だがヴァルナは歩みを止めない。左から迫る骸骨の槍を、最小限の首の動きだけで躱すと、そのまま流れるような動作で回し蹴りを放つ。呪力を纏ったその蹴りは、骸骨の頸椎を正確に切断し、頭部をボールのように遥か彼方へと蹴り飛ばした。
右から迫る最後の骸骨が弓を引き絞るが、ヴァルナはすでにその眼前へと滑り寄っていた。長く美しい指が、骸骨の頭蓋を鷲掴みにする。
メキ、メキィッ!
「脆いな」
握力を込めるまでもない。呪力の放出だけで、頭蓋骨は熟れた果実のように容易く砕け散り、魔力の残滓となって霧散した。
戦闘開始から、わずか三秒。
呼吸一つ乱さず、ヴァルナは砕けた骨の粉を払うように軽く手を振った。彼にとって、これは戦闘ですらない。ただの歩行の延長線上にある作業だった。
「先輩……っ!」
ふと、瓦礫の陰から声がした。
聞き覚えのある、しかし先ほどカルデアで聞いた時よりも、ずっと力強く、澄んだ響きを持った声。
ヴァルナが視線を向けると、崩れたコンクリートの山の向こうから、一つの影が立ち上がろうとしていた。
炎の照り返しを受けて輝く、巨大な金属の十字盾。
それを軽々と片手で持ち上げ、紫の髪を揺らして現れたのは、マシュ・キリエライトだった。
しかし、彼女の姿はカルデアにいた時とは全く異なっていた。白衣と眼鏡は消え去り、黒と紫を基調とした、肌の露出の多い流線型の甲冑を身に纏っている。何より彼女から放たれる気配が、先ほどまでの「脆い人間」のものではなく、圧倒的な魔力の密度を誇る『英霊』のそれへと変貌していた。
「マシュ。……生き返ったのか」
ヴァルナは歩み寄り、いつもと変わらぬ、距離の測り方を間違えた近さで彼女の顔を覗き込んだ。
「い、いえ、生き返ったというわけでは……っ! 近いです、先輩!」
マシュは慌てて一歩後退し、顔を赤らめながら巨大な盾を胸の前に抱え込んだ。
「私は……カルデアで致命傷を負った際、私の中に眠っていた英霊(サーヴァント)と契約を交わしました。英霊は私に自身の能力と宝具を譲り渡し、消滅。私は今、英霊と人間の融合体……『デミ・サーヴァント』という存在になっています」
マシュは真剣な瞳で、まっすぐにヴァルナを見つめた。
「先輩。改めまして……私に、貴方の戦いをサポートさせてください。人類最後のマスター」
その健気で必死な決意表明に対し、ヴァルナは数秒間、じっとマシュの瞳を観察した。
(……死の淵にあった絶望の匂いは消えている。魂の形が、別の巨大なものと混ざり合って補強されているな。悪くない)
「サポート? いや、お前は前衛だ。その盾は飾りじゃないだろう」
「えっ……あ、はい! もちろんです!」
「よろしく頼む。だが、死にそうになったら後ろに下がれ。俺が片付ける」
ヴァルナの言葉は冷淡にも聞こえるが、マシュにはそれが、彼なりの不器用な気遣いであることが不思議と分かっていた。
『あああーっ! 繋がった、繋がったよ!! 聞こえるかい、新人君、マシュ!!』
突然、ヴァルナの腕に巻かれた通信端末から、ヒステリックな男の声が飛び出してきた。
カルデアの医療部門トップ、ロマニ・アーキマンだ。
「……うるさいな。耳元で叫ぶな、ドクター」
『う、ごめん! でも叫びたくもなるよ! カルデアはもうメチャクチャだ! 生存者は僕を含めてごく僅か、所長も行方不明だ! それより君たち、今どこにいる!? バイタルは正常みたいだけど……!』
「燃えている街だ。どこかは知らないが、気温は高い。だが俺の平熱は保たれているから問題ない」
『問題大ありだよ!! 君の平熱の話なんかしてないから!』
ロマニが頭を抱えている様子が、通信越しにもありありと伝わってくる。
「ドクター。ここは2004年の日本、冬木市で間違いありません。ただ、街全体が炎上し、完全に廃墟と化しています」
マシュが冷静に状況を報告する。
『2004年の冬木……特異点Fか。間違いない、そこが人類滅亡の原因となっている過去の分岐点だ。いいかい二人とも、そこには本来の歴史には存在しない危険な魔物や、はぐれサーヴァントが蔓延っているはずだ! むやみに動かず、まずは安全な拠点を……』
「探すにしても、目が必要だな」
ヴァルナはロマニの忠告を半分ほど聞き流し、両手を胸の前に掲げた。
「え? 先輩……何をしているんですか?」
マシュが首を傾げる。ヴァルナの指先が、複雑な形に絡み合っていく。片手の薬指と中指の間を広げ、もう片方の手を重ねる。両親指をピンと立て、耳に見立てる。
それは、壁絵の影絵遊びで作る『犬』の形。
「――玉犬」
ヴァルナの足元に落ちていた濃密な『影』が、まるで沸騰したコールタールのようにボコボコと泡立ち始めた。
『な、なんだいその魔力反応!? サーヴァント召喚の術式じゃないぞ!?』
通信機越しにロマニが驚愕の声を上げる中、影の海面から、二頭の巨大な獣が音もなく這い出してきた。
一頭は雪のように純白の毛並み。もう一頭は夜の闇のように漆黒の毛並み。
どちらも大型の狼ほどの体躯を持ち、額には奇妙な紋様(道返玉と死返玉)が刻まれている。二頭の犬はヴァルナの足元にピタリと寄り添い、周囲の炎の臭いを嗅ぎ取るように鼻をヒクつかせた。
「わぁ……っ!」
マシュは目を輝かせ、思わず盾を下ろして白犬の方へと手を伸ばした。玉犬・白は嫌がる素振りも見せず、マシュの手にふんわりとした頭を擦り付ける。
「犬、ですか……? 魔術による使い魔……それにしては、あまりにも実体としての密度が高すぎます」
「これは式神だ。俺の術式、『十種影法術』。影を媒体にして、調伏した獣を使役する」
ヴァルナは黒犬の頭を撫でながら、淡々と説明した。
「こいつらは鼻が利く。索敵には最適だ」
『し、式神!? しかも影から……? 魔術基盤のどこにも該当しないぞ、そんな術式! 君、本当にただの魔術師なのかい!?』
「……歩くぞ。いつまでもここにいては、お前たちの言う『安全な拠点』は見つからない」
ヴァルナはロマニの悲鳴じみたツッコミを完全に無視し、玉犬を引き連れて炎の街路へと歩き出した。
マシュも「あ、待ってください先輩!」と、玉犬・白の背中を名残惜しそうに撫でてから、小走りで彼の後を追う。
【時刻:同日 ??:??】
【場所:冬木市・炎上する住宅街】
十分ほど歩いた頃だろうか。
先行していた玉犬・黒が、ピタリと足を止めて低く唸り声を上げた。その視線の先、炎上する交差点の奥から、再びカタカタと骨の鳴る音が複数近づいてくるのが聞こえる。
数は十体以上。先ほどよりも明らかに規模が大きい竜牙兵の群れだ。
「敵性反応、多数です! 先輩、私の後ろへ!」
マシュは即座に前に飛び出し、巨大な十字盾を地面に突き立てて構えた。その表情には、サーヴァントとしての使命感が宿っている。
しかし、後方から彼女の背中を観察していたヴァルナの目は、極めて冷静に彼女の『欠陥』を見抜いていた。
(……気負いすぎている。盾の質量と自身の筋力のバランスをまだ把握しきれていない。あの構えでは、多方向からの同時攻撃をいなしきれず、態勢を崩す)
「マシュ。お前は正面の三体を抑えろ。無理に攻撃しようとするな、盾の重さに振られている」
「えっ……はいっ!」
ヴァルナの的確な指摘に、マシュはハッとして姿勢をわずかに低くした。
直後、骸骨たちが一斉に襲い掛かる。マシュの盾に骸骨の剣が弾き返され、火花が散る。彼女は言われた通り正面からの攻撃を完全に防いでいたが、左右に回り込んだ骸骨たちが、彼女の死角である側背面から槍を突き出そうとしていた。
「白、右。黒、左だ」
ヴァルナが短く命じた瞬間、二頭の影の獣が弾かれたように動いた。
玉犬・白が右から回り込もうとした骸骨の首筋に食らいつき、凄まじい顎の力で頸椎を噛み砕く。同時に玉犬・黒が左の骸骨を強烈な体当たりで吹き飛ばし、その鋭い爪で肋骨を両断した。
「すごい……完璧な連携……!」
マシュが驚嘆の声を上げた、その時。
「よそ見をするな」
マシュのすぐ真横を、一陣の突風が通り抜けた。
ヴァルナだった。彼はマシュが盾で弾き返し、体勢を崩した正面の骸骨三体の懐へと、文字通り「滑り込む」ように侵入していた。
極限まで練り上げられた『呪力肉体強化』。
ヴァルナの打撃は、力任せの暴力ではない。相手の重心、骨格の脆い部分、重力のベクトル、すべてを完璧に計算し尽くした『最適解の破壊』だ。
トン、と。
ヴァルナの右掌が、一体目の骸骨の胸郭に軽く触れる。次の瞬間、内部で呪力が弾け、骸骨は内側から爆散した。
流れるような足運びで旋回し、二体目の頭部を肘打ちで粉砕。
最後に残った三体目が、ヤケクソのように剣を振り下ろしてくる。ヴァルナはそれを避けることすらせず、左手でその剣身を真横から弾き落とし、がら空きになった胴体へ、下からえぐり込むような右の掌底を放った。
バヂィィィィンッ!!!!
一瞬、ヴァルナの掌と骸骨の骨が衝突した接点から、青黒い火花が強烈に弾けた。
『黒閃』の未遂。完全に一致するには至らなかったが、それでも呪力と打撃の誤差が限りなくゼロに近づいたことによる、異常な出力の増大。
骸骨の上半身は完全に消滅し、その衝撃波は後方数十メートルの炎を吹き飛ばし、アスファルトを深く抉り取った。
「……少し、呪力のノリが悪いな。まだ環境に適応しきれていないか」
ヴァルナは自身の右手を軽く握り込みながら、不満そうに呟いた。
周囲には、すでに動く骸骨は一体も残っていない。玉犬たちが残骸の臭いを嗅いで回り、安全を確認している。
「せ、先輩……今のは……?」
マシュは盾を下ろし、呆然とヴァルナを見つめていた。サーヴァントである自分よりも、この人間のマスターの方が圧倒的に破壊力が高く、そして戦闘の最適解を導き出している。
彼はいったい、何者なのだろうか。
「ただの打撃だ。お前も、盾をただの壁ではなく『質量兵器』として認識すれば、あれくらいの破壊力はすぐに出せるようになる」
「盾を、質量兵器……。はい、意識してみます」
『う、うわぁぁ……なんというデタラメな戦闘力。君たち、本当にマスターとサーヴァントの役割が逆転してないかい……?』
通信機越しのロマニの呆れ声に、ヴァルナは答えず、玉犬を自身の影の中へと収納した。
その時だった。
「キャアアアアアアアッ!!!!」
遠く離れた区画から、ヒステリックな、しかし紛れもない恐怖に染まった女性の悲鳴が夜空に響き渡った。
『こ、この高飛車な声は! 所長だ! オルガマリー所長が近くにいるぞ!』
ロマニが切羽詰まった声で叫ぶ。
「先輩! 声の方向はあちらです! 急ぎましょう!」
マシュが盾を構え直し、走り出そうとする。
(……距離はおよそ五百メートル。瓦礫と炎が邪魔で、走って向かえば一分以上かかる。あの悲鳴の切迫感からして、間に合わない可能性が高いな)
ヴァルナの脳内で、瞬時に状況の計算が完了する。
「マシュ、走らなくていい」
「えっ? でも、所長が……!」
ヴァルナは自身の足元に落ちる濃密な『影』を見下ろした。
彼の視線は、空間的距離を無視して、五百メートル先の『影』へと焦点を合わせる。
拡張術式――◆ 影道潜行・疑似転移(シャドウ・リンク)。
「お前は後から追ってこい。俺が先に行く」
言うが早いか、ヴァルナの長身が、まるで水面に飛び込むように自身の影の中へと音もなく没した。
「えっ!? せん、ぱい……!?」
マシュが手を伸ばすも虚しく、アスファルトの上には、ただ揺らめく炎の影だけが残された。
【時刻:同日 ??:??】
【場所:冬木市・廃墟ビル前広場】
「こ、来ないで! 汚らわしい骨の分際で、私に触れるんじゃないわよ!!」
オルガマリー・アニムスフィアは、泥に塗れながらも必死に魔術を行使していた。
指先から放たれる魔弾(ガンド)が骸骨の頭部を吹き飛ばすが、数が多すぎる。彼女を取り囲んでいるのは、数十体に及ぶ竜牙兵の群れだった。
魔力はすでに底を突きかけ、呼吸は荒い。彼女の誇り高い銀髪は焦げ、魔術礼装はあちこちが破れている。
「なんで……なんで私がこんな目に……! 誰も、私を助けに……ッ!」
オルガマリーは地面にへたり込んだ。
無情にも、三体の骸骨が同時に彼女へと剣を振り下ろす。彼女は絶望に目を閉じ、死の恐怖に身を竦ませた。
――その刹那。
オルガマリーの足元に落ちていた彼女自身の『影』が、突如として不自然に盛り上がった。
影の中から、静かに、だが圧倒的な速度で這い出た黒い人影。
「……騒がしいな。あんたはどこにいても声がでかい」
感情の読めない、平坦な声。
ヴァルナ・クロスは影の中から実体化する勢いそのままに、振り下ろされる三振りの剣の死角へと入り込んだ。
最小限の動き。流れるような体捌き。
彼の両腕が、まるでしなる鞭のように骸骨たちの頸椎を捉え、呪力の衝撃波で三体の頭部を同時に弾き飛ばした。
「……え?」
オルガマリーは、目を開いた。
目の前には、カルデアの管制室で自分に「出て行け」と怒鳴り飛ばされた、あの不真面目で得体の知れない新人の男が、平然と立っていた。
周囲の骸骨たちが、突然現れた強大な捕食者に対する本能的な恐怖からか、一斉に動きを止める。
「な、なんで貴方が……!?」
「ドクターがうるさかったからな。とりあえず、立て。その後ろのやつらは俺が片付ける」
ヴァルナはオルガマリーを一瞥もせず、ただ静かに、群がる数十の骸骨たちへと向き直った。
その瞳の奥で、ほんのわずかに、強者としての冷酷な闘争の火が灯っていた。