Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード) 作:りー037
上空から音速で落下してきた串刺し公・ヴラド三世の長槍と、極限まで呪力を圧縮したヴァルナ・クロスの右腕が真正面から激突し、凄まじい火花と衝撃波が死の街に吹き荒れる。
「……後にしてくれないか、吸血鬼」
ヴァルナは、上から押し込んでくるヴラドの凶悪な眼光を、一切の感情を宿さない瞳で受け止めながら、ひどく面倒くさそうに呟いた。
「今、忙しくてな。お前の相手をしている暇はないんだ」
「ふん……減らず口を叩く。悪いが、無理にでも付き合ってもらうぞ、得体の知れない人間よ!」
ヴラド三世の口元が、獰猛な笑みに歪む。
「余を侮った罪、その命と血肉を以て贖ってもらおうか!」
「……」
ヴァルナは無言のまま、弾き返すように呪力の出力を一瞬だけ跳ね上げ、ヴラドの巨体を上空へと押し返した。
空中で軽やかに身を翻し、着地するヴラド。その瞳には、狂化による赤い濁りが確かにある。しかし、それ以上に、ヴァルナという「獲物」の力量を正確に見定めようとする、王としての極めて理知的な光が宿っていた。
「ゆくぞ」
直後、姿がブレる。
吸血鬼の身体能力と、英霊としての規格外の筋力が生み出す爆発的な踏み込み。数メートルの間合いなど存在しないかのように、鋭く重い長槍の突きがヴァルナの眉間へと迫る。
(……速い)
まずはその速度と間合いに慣れるため、彼は観察と対処を優先する。
大ぶりの、しかし絶対に回避を許さないほど洗練された神速の突き。
ヴァルナはそれを深く身を屈めることで紙一重で躱し、そのまま踏み込んで懐へと潜り込み、下から突き上げるようなアッパーを放った。
「シッ!」
だが、ヴラドはその長い槍の柄を器用に回転させ、ヴァルナの呪力を帯びた重い拳を「刃の腹」で的確に受け止める。
(こいつ、かなりの技量だな)
この一瞬のやり取りだけで、ヴァルナは目の前の存在の力量が、先ほどまで相手にしていた有象無象とは一線を画していることを理解する。
そこから、純粋な武と武による超高速の近接戦闘が始まった。
長物ゆえに懐に入られることを嫌うはずの槍兵クラス。だが、ヴラドはその定石を無視し、自ら強引に間合いを詰めてくる。
ヴァルナもまた、体術、そして呪力強化による異常な俊敏性を活かし、戦場を駆け回りながらヴラドを翻弄しようと試みた。
「ギャアアアアッ!」
その乱戦の最中、空気を読まない野生のワイバーンが一頭、二人の死闘に横槍を入れようと巨大な顎を開いて上空から急降下してきた。
「邪魔だッ!!」
だが、ヴラドはヴァルナから視線を一切外すことなく、片手で槍を力任せに横へと薙ぎ払った。それだけで、巨大なワイバーンの胴体が真っ二つに両断され、血の雨となって周囲に降り注ぐ。
その血飛沫の目隠しを利用し、ヴァルナが低く沈み込んで再接近する。
鋭い横薙ぎの槍を、ヴァルナはふわりと宙に浮くようにして躱した。そのまま空中で身体を捻り、ヴラドの背後へと回り込みながら、後頭部目掛けて必殺の拳を打ち下ろす。
「甘いわ!」
ヴラドは振り返ることすらなく、背中に回した槍の柄でその一撃を完璧に弾き返した。
ヴァルナは地面を転がるように着地し、体勢を整えようとする。
しかし、それを待つほど串刺し公は甘くない。さらに一歩踏み込み、その心臓を穿たんと必殺の刺突を繰り出した。
彼は、地に伏せたような極端に低い姿勢のまま、突き出された槍の穂先を足の甲で真上へと蹴り上げる。
槍の軌道が上に逸れる。
決定的な隙。ヴァルナはその隙を縫うように、呪力をバチバチと迸らせた拳をヴラドの腹部へと放った。
「――チッ!」
だが、今度はヴラドが体勢を異常なほど低く沈み込ませ、その拳を躱した。
それと同時に、槍を手放したヴラドの片手が、吸血鬼としての恐るべき「鉤爪」へと変貌し、首筋を抉り取らんと下から凄まじい速度で振り上げられる。
ヴァルナは即座に左腕に呪力を極限まで集中させ、その鉤爪の連撃を盾のように受け止めた。呪力と吸血鬼の魔力が激しく衝突し、火花と焦げ臭い匂いが散る。
(長く鍔迫り合いをすれば、上に弾いた槍が再び降ってくる)
そう判断したヴァルナは、力任せにヴラドの腕を弾き返し、素早いバックステップで十メートルほど距離を取った。
直後、落下してきた長槍をヴラドが器用にキャッチし、静かに構え直す。
互いに一定の距離を取り、見つめ合う二人。
静寂は、一秒しか持たない。
ヴァルナが自身の足元の大地を強引に踏み砕き、ソフトボール大の瓦礫の破片を空中に蹴り上げた。ご丁寧に、足と接触した瞬間に濃厚な呪力を込めた、即席の『呪力弾』である。
音速を軽く超えるレベルの投石。空気を切り裂き、轟音を立てながらヴラドの頭部へと迫る。
ヴラドはそれを、僅かに首を傾け、体勢を低くするだけで最小限の動きで回避した。
だが、その瞬間。
投石の影に隠れるようにして、ヴァルナがすでにヴラドの眼前にまで肉薄していた。
限界まで呪力が圧縮された、純粋な暴力の結晶。
回避不能のタイミングで放たれたその拳が、ヴラドの鳩尾に深々と突き刺さる――。
「ぬ、ぐぅ……ッ!?」
直撃かと思われた。
しかし、ヴラドは間一髪のところで長槍を両手で持ち、その堅牢な柄の中央でヴァルナの拳を受け止めていた。
だが、完全に防ぎきれたわけではない。ヴラドの槍を持つ両手が、痺れるようにブルブルと震える。
(なんという力だ……! これが、人間の出す出力か!?)
内心で驚愕しながらも、ヴラドは衝撃を逃がすために自ら大きく後方へと跳躍し、威力を完全に殺してみせた。
両者、息もつかせぬ超高速の近接戦闘。
常人であれば一瞬で肉片に変わるような死闘だが、この二人にとって、これはまだ互いの実力と手札を測り合うための「小手調べ」に過ぎない。
「……どうした? 貴様の力は、こんなものではあるまい?」
距離を取り、ヴラドが凶悪な笑みを浮かべて挑発する。
「先日見せた、あの奇妙な影の獣はどうした? 貴様の使い魔のようなものではないのか」
「そうだな」
ヴァルナはだらりと腕を下げ、一切の抑揚のない声で返す。
「だが、そちらこそ全力ではないだろう。……宝具はどうした? 狂化されて、頭と一緒に使えなくなったのか」
「……言うではないか、人間。であれば……こちらも本領を発揮するとしよう」
ヴラドの全身から、先ほどまでの比ではない、極めて禍々しく重厚な魔力が立ち上り始めた。周囲の空間が、彼の存在感だけで歪み始める。
「……貴様も本気を出さねば、このまま串刺しだぞ」
宝具の発動シークエンスに移行する串刺し公。
それを見つめながら、ヴァルナはぽつりと語り出した。
「俺の術式は、影を媒体としている」
「……何?」
唐突な独白。魔力を高めていたヴラドは、何のつもりかと怪訝な顔をする。
「影絵を作ることで、対象となる式神を呼び出すことができる。その式神は全部で十種類。調伏の儀式をもって使用可能となるが……俺はすでに、すべて調伏済みだ」
「……」
己の能力の詳細、いわば手の内をわざわざ敵に語り出す男。
狂化されているとはいえ、武人であるヴラドはその奇妙な行動を深く訝しんだ。
だが。
ボウッ、と。
ヴァルナの周囲を渦巻く黒い呪力のエネルギーが、先ほどとは比べ物にならないほどの圧力を持って、爆発的に上昇したのだ。
(何だ、この現象は……? 今まで力を抑えていたというのか?)
ヴラドの疑問に対し、ヴァルナは淡々と答える。
「言っておくが、抑えていたわけじゃない。これもルールなんだ。……一見、己に不利に働く『情報開示』を敵に対して行うことにより、縛りとしてそのリターンを得ることができる。呪いのシステムだ」
「……なるほどな」
聡明な王は、その理屈を即座に理解した。
おそらく、魔術における「等価交換の原則」。目の前の男は、己の手札を晒すという制約(リスク)を自ら結ぶことで、自身の力を強制的に引き上げたのだ。
「面白い術理だ。……だが、余のやることは何も変わらん」
ヴラド三世は、自身の足元の大地へ向けて、長槍を深々と突き立てた。
「我が血鬼の領土に踏み入ったこと、後悔するがいい! 『極刑王(カズィクル・ベイ)』!!」
宝具解放。
次の瞬間、リヨン跡地の郊外という「空間そのもの」が、異様な魔力に包み込まれた。
「……! 何だ、この不気味な気配は……!」
「マスターさんのいる方角から……凄まじい魔力反応!」
少し離れた場所でサンソンと対峙しているマリーやアマデウス、カーミラと交戦しているジャンヌとマシュも、戦いの手を止めて思わずその方向を振り返るほどの、圧倒的な死の概念の顕現。
護国の鬼将によって作成された『領土』。
その空間内に、大量の『杭』を出現させ、敵を無慈悲に串刺しにする絶対領域。
狂化の影響により、展開できる範囲こそ通常より落ちているが、その致命的な脅威は未だ健在。
大地から、瓦礫から、崩れかけた城壁から。
ありとあらゆる場所から、無数の巨大な杭が産声を上げるように突き出す。
それは、自身が現在踏みしめている、まさにその足元の「大地」からも。
(何か、くる――!)
ヴァルナの判断は、常軌を逸して早かった。
彼は足の裏で感じた「影」を通じた僅かな違和感を察知した瞬間、脚部に爆発的な呪力を込め、一切の躊躇なく上空へと跳躍する。
コンマ一秒後。彼が先ほどまで立っていたその場所の地面を突き破り、鋭利な鉄の杭が虚空を貫いた。
一瞬でも判断を誤れば、股下から脳天まで完全に串刺しになっていたであろう一撃。
(危ないな。あれに刺されるのは、少しまずいか。……何らかの強大な『呪い』を感じる)
ヴァルナは空中で姿勢を制御しながら、両手で即座に鳥の影絵を組む。
「鵺」
足元の影から、骸骨の面を被った異形の鳥型式神・鵺が顕現する。
ヴァルナはその背に飛び乗り、さらに上空へと高度を上げた。
(大地から杭が発生するのなら、空中であれば関係はないだろ)
「甘い!!」
地上に立つヴラドが、まるでオーケストラの指揮者のような大仰な手つきで、虚空に向けて腕を振るった。
すると、大地から生え出た無数の杭が、まるで意志を持った大蛇のように根元からへし折れ、空中に生成され、空へ逃げたヴァルナのもとへと一斉に殺到してきたのだ。
(追尾機能付きか。厄介だな)
「旋回しろ」
鵺はヴァルナを乗せたまま、超高速で空中を飛び回り、下から、横から、斜めから殺到してくる無数の杭の雨を、紙一重の曲技飛行で避け続ける。
それと同時に、ヴァルナは鵺の翼に強力な雷撃のチャージを始めさせた。
右へ、左へ。そして回転し。
圧倒的な機動力を活かし、すべてを避けて回る。
さらに上空へと退避し、杭の群れが一つに固まって追尾してきた瞬間を狙い。
「薙ぎ払え」
チャージが終わった鵺の翼から、辺り一帯を白く染め上げるほどの強烈な雷撃が放たれた。
バリバリバリバリッ!!!
迫り来る何十本もの杭が、雷撃によって炭化し、空中で粉砕されていく。
だが。
「ハハハハハ! その程度で余の領土から逃れられると思うたか!」
さらに下から、数百という圧倒的な物量の杭が、津波のように空へ向かって押し寄せてきた。
すべてを雷撃で焼き尽くすには、あまりにも量が多すぎる。
ヴァルナは、回避でも防御でもなく、攻めを選ぶ。
「……」
彼は上空で鵺を乗り捨て、空気を足場にするようにして、足に限界まで圧縮した呪力を込めて一瞬で跳躍する。
あり得ない速度。砲弾の如き急降下。
一度出し抜かれているヴラドは、この男の異常な速度と接近戦の脅威を完全に理解している。
空中の杭を呪力を込めた拳で粉砕しながら、一直線に自分のもとへ接近してくるのを見たヴラドは、即座に手を振るった。
「壁よ!」
ヴラドの指示に従い、無数の杭が彼の目の前に密集し、分厚い城壁のように束なって強固な防御陣を形成する。
(だが、問題ない)
急降下する空中で、ヴァルナの手はすでに影絵を作っていた。
「玉犬」
影の中で二つの式神の情報を混ぜ合わせ、顕現させる。
「――渾」
「なにっ!?」
驚愕するヴラド。
ヴァルナの真の狙いは壁の破壊だけではない。
彼は壁を壊した瞬間に巨大な玉犬・渾を弾けるように強制解除させ、その残滓である大量の影を、まるで墨汁のように周囲にぶち撒ける。
完全なる視界不良。極上の目眩まし。
その真っ黒な闇の中から。
「シッ!」
超高速で接近したヴァルナが、ヴラドの顔面目掛けて必殺の拳を叩き込む。
「ぐ、ぐぅぅぅ……ッ!!」
だが、ヴラドは一瞬の目眩ましを受けながらも、王の直感と長槍の柄を使って、ギリギリのところでその拳を受け止めていた。
しかし、ヴラドの額には滝のような冷や汗が流れる。
(バカな……! 此奴、更に力が上がっている!?)
力だけではない。動きも洗練されている。
時間が経ち、戦いが長引くにつれて、自分の動きが読まれ、対応されていくような恐怖。この男の動きの『キレ』が、戦闘中にどんどん上がっているのだ。
「……チッ」
ヴァルナはサイドステップで転がるようにして、頭上から降り注ぐ杭の雨を最小限の動きで避ける。
だが、そこで。
ズプッ。
「――っ」
ヴァルナが着地した瞬間の足元、その地面から新たな杭が発生し、彼の左足のふくらはぎを容赦なく貫通した。
(やはり、この地面に立つのはまずいな)
ヴァルナは一切の悲鳴を上げることなく、冷静に自身の足を貫いた杭を叩き割り、さらに大きく後方へと跳躍する。
空中で再び鵺を呼び戻し、その背に乗る。
杭が刺さった左足の傷口では、ヴラドの宝具による呪いが内側で蠢き、肉をさらに突き破ろうと侵食を始めていた。
ヴァルナは影絵を作り、回復の式神である円鹿を『部分顕現』させた。
自身の足元にの影から、鹿の角と光を顕現させ、反転術式のエネルギーを傷口へ直接付与する。抉られた肉を瞬時に治癒しながら、蠢く宝具の神秘を強制的に中和していく。
「……面倒な能力だな」
地上では、ヴラド三世が長槍を構え、警戒するように空中を睨み上げている。
(本当に面倒だよ、串刺し公)
ヴァルナの脳内で、呪術の演算と戦況の分析がさらに深く、鋭く回転していく。
『ザザッ……ヴァルナくん! 聞こえるかい!? ――』
右腕に付けられた、カルデアの通信がノイズ混じりに鳴った。
だが、何を言っているのかを聞く耳を持たない。今は、極限の死闘の最中だ。一切のノイズは不要。
彼は無言のまま、通信機をブツリと切断した。
(おそらく、戦闘が長引いても奴が息切れしないのは、マスターである竜の魔女から相当な魔力が供給されているからだろう)
だが、これまでの数分間の戦闘で、明確に分かってきたことがある。
(あの男は、杭を『無から生み出している』わけじゃない。条件がある)
先ほどから、肌にまとわりつくような、空間全体を圧迫するこの不気味な違和感。
おそらく、これは『領域』の類だ。
(正確な範囲は不明だが、あの男は周囲の空間を自らの『領域(領土)』と定めて、その空間内の大地や障害物から大量の杭を発生させている)
いわば、戦場そのものを自分の陣地に作り変えているのだ。
その領域の内側にいる限り、どこにいても死角から杭が飛んでくる、かなり反則級の性能。
(であるのなら。……その『領域』を中和するまでだ)
ヴァルナは、空中の鵺に向かって飛んでくる残りの杭を、鵺の雷で的確に撃ち落とし、撃ち落としきれなかったものを呪力を込めた拳で次々と粉砕していく。
(一つ一つの威力は、決して耐えられないものではない)
彼は静かに鵺を解除し、自ら重力に身を任せて、再び死地である大地へと降り立った。
「……?」
その姿を見て、ヴラドは怪訝に眉をひそめる。
先ほど、足を貫かれたばかりだ。このまま空から遠距離攻撃を続けるものだとばかり思っていたが、あの鳥のような使い魔を解除して、自ら落ちてきた。
何が狙いか。
(いや、何であろうと、落ちてきたところを狙って串刺しにするまでよ。すでにここら一帯は我が領土。何も問題はない!)
ヴラドが再び大地から杭を発生させようと魔力を込める。
地に足をついたヴァルナ・クロスは、まるで東洋の武士が抜刀の瞬間にのみ見せるような、極めて静かで、かつ一切の隙を持たない異質な構えを取った。
深く腰を沈め、両手をだらりと下げたその姿は、周囲の空間から完全に孤立しているかのような錯覚さえ抱かせる。
「……簡易領域」
無機質な瞳が、静かに宣告した。
直後。
ヴァルナを中心とした半径四メートルの空間に、目に見えない『円』が波紋のように展開される。
(な、これは……!)
離れた位置からその光景を注視していたヴラド三世は、自身の肌を撫でる決定的な違和感に目を見開いた。
己の宝具『極刑王(カズィクル・ベイ)』によって血鬼の領土と化していたはずの空間が、塗り替えられている。いや、正確にはあの男の周囲の空間だけが、パズルのピースをくり抜かれたように『切り取られて』いた。
ヴァルナの周囲には、別の理が敷かれている。
ゆえに、その空間の内部から新たな杭を発生させることは、概念的に不可能となった。
「……この空間は、もうお前の領土ではなくなった」
「……小賢しい真似を」
ヴラドが、忌々しげに牙を剥いた。
「内側で発生させられぬのなら、外側から杭をぶつけるのみ!」
ヴラドの腕の振り下ろしに呼応し、ヴァルナの半径四メートルの円の『外側』から、数十、数百という大質量の鉄杭が一斉に生成され、中央に立つヴァルナ目掛けて全方位から殺到した。
だが。
ジュワッ……!
凄まじい速度と質量を持っていたはずの杭の群れが、ヴァルナの簡易領域の境界線を越え、内部に侵入した瞬間。
まるで熱した鉄が水に触れたかのように、目に見えてその威力が減退した。
「シッ!」
ヴァルナは、威力の落ちた数百の杭の雨を、ただ『徒手空拳』のみで迎え撃つ。
幼少期から教会で叩き込まれた、人体破壊のための極限の体術。そこに規格外の呪力強化が上乗せされた、超高速の乱打。
パァンッ! バキィッ! ゴォォォンッ!!
正面から迫る杭を、両腕の掌底で弾き、砕く。
背後から迫る杭を、見ることもなく完璧な旋回からの回し蹴りで粉砕する。
右から、左から、上から。
あらゆる角度から殺到する死の雨を、彼は半径四メートルの円の中で、ただの一歩も外へ出ることなく、圧倒的な武術の舞踏をもってすべて打ち壊していく。
(な……なんと、美しい)
ヴラド三世は、怒りや狂化の感情すら一瞬忘れ、その洗練され尽くした武に魅入られる。
無駄な動きが一つもない。感情の揺らぎが一切ない。ただ眼前の障害を壊すための、最も合理的で美しい暴力の循環。
そして。
最後の一本――ヴラドが放った最も巨大で鋭利な杭が、ヴァルナの眼前へと迫る。
「……ふぅ」
ヴァルナはさらに腰を深く落とし、右の拳を真っ直ぐに引いた。
そして、呼吸と同時に、ただの正拳突きを放つ。
極限の集中。
打撃と呪力の衝突が、0.000001秒未満で完全一致した時のみ発生する特異現象。
空間が歪み、呪力が禍々しく光を放った。
――バチィィィィィィィィィィィンッ!!!!
黒い火花が、リヨンの死の街に激しく散った。
『黒閃』。
空間にあり得ない特異点が発生したかのような凄まじい衝撃波が放たれ、最後の一本の巨大な杭は、粉々に消し飛んだ。
「どうした、ヴラド三世。これで終わりか?」
黒い火花の残滓を纏いながら、ヴァルナは覚醒状態(ゾーン)へと静かに移行し、感情のない硝子の瞳で串刺し公を見据えた。
「ハッ……!」
その声で、我に返るヴラド。
圧倒的な技量を見せつけられた彼の瞳は、かつてないほどの熱を帯びていた。
「この周囲の領域は、お前の領域を中和し、打ち消す」
ヴァルナは、再び口を開いた。自らの能力の詳細を語り始める。
「最大半径は、俺を中心とした四メートル。……そして、俺自身はこの領域から『出ることができない』」
「……」
さらなる情報開示。
ヴァルナは、淡々と言葉を続ける。
「これでこの領域はさらに強固になった。……それで、どうする? そのおもちゃでまだ遊ぶか。お前が魔力切れになるまで、付き合ってやってもいいぞ」
明らかな挑発。
だが、ヴラドはその挑発に乗るような単細胞ではない。彼は王としての優れた直感と知性で、開示した情報の「弱点」を即座に突いた。
「ふっ、王を侮るでないわ」
ヴラドは、手にしていた長槍を強く握り直した。
「貴様のその領域は、貴様自身の可動域を『半径四メートル』という極端な狭さに縛り付ける。……ならば、その狭い範囲から『外』へと出てしまえば、効果を発揮しないのだろう?」
「その通りだ。それが、どうかしたか?」
「であるのなら! 何の問題にもならん!!」
ヴラドは内心で、完璧な勝利の算段を立てた。
(あの狭い範囲から、あの男を引き摺り出せばいい。あの領域の内側に入ることで、我が領土が阻害されているのは確実。ならば、この槍で直接叩き、領域の外へ弾き出た瞬間に、無数の杭で串刺しにする!)
串刺し公の持つ長槍の間合いと、彼の踏み込みの速度を合わせれば、四メートルなど一瞬で届く。
そして何より、ヴラド自身は四メートルの領域の中に入る必要すらない。『五メートルの距離』から、長槍の穂先だけを突き入れれば済む話なのだから。
「ルァァァァァァァァァッ!!」
ヴラドが爆発的な速度で突進を開始した。
周囲に無数の杭を滞留させ、逃げ道を塞ぐように、一直線にヴァルナの領域の縁(エッジ)へと迫る。
残り、二十メートル。
十メートル。
五メートル。
(――獲った!)
ヴラドの槍が、必殺の軌道を描いて振り下ろされようとした。
この一撃で串刺しにする。仮に躱されたとしても、回避行動によって男は自身の領域から外へ出る。その瞬間に、足元から杭を突き立てる。
完全に詰ませた。王の顔に、確信の笑みが浮かぶ。
残り、一メートル。長槍が、届く。
だが、その瞬間。
あり得ない、異常な現象が起きた。
ヴァルナ・クロスが展開していた『半径四メートル』の簡易領域。
その境界線が、一瞬にして、爆発的に拡張されたのだ。
その距離、実に『二十メートル』。
「なっ――!?」
突進の勢いを殺せず、五メートルの位置まで肉薄していたヴラドの肉体が、一瞬にしてその巨大な簡易領域の中に「すっぽり」と飲み込まれた。
(二度目の開示は……『ブラフ』か!!)
四メートルの縛りなど、最初から存在しない。
相手を自身の迎撃範囲に誘い込むための、極めて悪質で巧妙な罠。
シュンッ!!
物理法則を無視したような、音を置き去りにする、あり得ない速度での接近。
ヴラドが槍を振り下ろすよりも早く、ヴァルナはすでに彼の懐、ゼロ距離にまで潜り込んでいた。
「――っ」
黒閃を経て、120%の覚醒状態(ゾーン)にあるヴァルナの、理外の一撃。
バチィィィィィィィィィィィンッ!!
ヴラドのみぞおちに、本日二度目となる黒い火花が炸裂した。
「グ、ハァァッ……!!?」
完全に無防備な状態での直撃。強靭な吸血鬼の肉体と霊基そのものを激しく揺さぶる衝撃に、ヴラドは大量の血反吐を吐き散らしながら、砲弾のように後方へと吹き飛ばされた。
(好機だ。……ここで殺る)
極限の殺意を帯びて細められる。
彼が吹き飛び、地面に叩きつけられるよりも早く。ヴァルナは式神を外部に顕現させないまま、自らの肉体にその能力だけを重ね合わせた。
「玉犬」
影法術の応用技術。
玉犬の強靭な脚力と俊敏性を、自身の両脚に重ね合わせ、疑似的にその速度を借り受ける。
ダンッ!!
大地が爆発したかのような踏み込みで、ヴァルナは吹き飛ぶヴラドの背後へと一瞬で回り込み。
そのまま、空中へ向かって強烈な蹴り上げを放つ。
「ぐ、ばぁぁッ!」
ヴラドの肺から空気が強制的に絞り出され、巨体がさらに上空へと打ち上げられる。
ヴァルナは空気を蹴りつけ、自身もまた空中に跳躍した。
そこからは、一方的な空中乱打戦。
呪力と玉犬の筋力が合わさった拳や蹴りが、空中に浮いたヴラドの全身に連続して突き刺さる。防ぐことすら許されない、圧倒的な速度の暴力。
ダダダダダダダダッ!!!
最後の重い右ストレートがヴラドの顔面に突き刺さり、王の巨体が遠くの瓦礫の山へと向かって弾き飛ばされる。
「蝦蟇」
ヴァルナの右肩に発生した影から、蝦蟇の口元だけがニュルリと顕現する。
ビュンッ!
そこから射出された強靭な粘着質の舌が、遠くへ吹き飛んでいくヴラドの足首に正確に巻き付いた。
「引き寄せろ」
ギリィッ! と舌が縮み、遠ざかっていたヴラドの巨体が、ゴム紐で引かれるように再びヴァルナの目の前へと猛スピードで引き戻される。
その顔面目掛けて。
ヴァルナは空中で全身のバネを使い切り、渾身の踵落としを打ち込んだ。
メキドゴォォォォォォォォォンッ!!!!
「ルルルゥゥゥゥアアアアアッ!!!」
だが、吸血鬼の耐久力と王の執念は、まだ死んではいない。
踵落としを腕をクロスさせてギリギリで受け止めたヴラドは、引き寄せの最中でありながら、自身の体から凄まじい魔力放出を爆発させた。
ドバァァァァァァッ!
赤い魔力の奔流が空中で弾け、ヴァルナの体を強引に弾き飛ばす。
互いに空中で態勢を立て直し、十数メートルの距離を空けて、リヨン跡地の大地へと着地した。
「……はぁっ、はぁっ……」
ヴラド三世は、すでに全身ボロボロだ。
無防備な状態での黒閃の直撃、そして容赦のない空中での連続乱打。サーヴァントの霊基が崩壊寸前になってもおかしくないダメージだ。
だが、その狂気を宿した瞳は、未だに爛々と輝き、目の前の白髪の青年を見据えていた。
「……こすい真似をしてくれる」
「……」
ヴラドは、荒い息を吐きながら口の端の血を拭う。
彼は連撃を受けながらも、すでにヴァルナの仕掛けた罠の全貌に気づいていた。
「……わざと、懐に踏み込ませるよう誘ったな」
ヴァルナ・クロスの簡易領域は、四メートルが限界ではない。
二度目の開示は、完全なるブラフ。
自身の能力を縛り、強化の恩恵を得るという一回目の開示(真実)を見せたからこそ、二度目の開示も「真実である」と錯覚させた。
「狂化されている割に、思考が早いな。バトルIQは生前のまま据え置きか」
こちらの狙いやブラフについて、一瞬で見破った串刺し公に対し、ヴァルナは感情の読めない声で少しだけ感心の意を漏らす。
ヴラド三世は、忌々しげに槍を構え直しながらも、その瞳の奥には、圧倒的な暴力に対する怒りではない、別種の熱い感情が燃え上がり始めていた。
その血にまみれた顔に浮かんでいたのは、苦痛でも、屈辱でも、怒りでもない。
「……ハッ。ハハッ」
ヴラド三世は、己の血を拭うことすら忘れ、低く、しかし確かな歓喜を孕んだ笑い声を上げた。
狂化のスキルによって常に脳髄を焼いているはずの濁った視界が、今この瞬間だけは、恐ろしいほどに澄み切っている。
(……何とも、美しい)
ヴラドの瞳は、十数メートル先で静かに佇む白髪の青年――ヴァルナ・クロスに、完全に固定されていた。
確かに、彼は特異な力を持っている。影を媒体とする魔術、不可視の防御陣、空間を歪ませる黒い打撃。それらはどれも脅威。
だが、この男が真に恐ろしく、そして美しい理由は、決してそのような「与えられた異能」だけではないと、王の慧眼は見抜いていた。
一挙手一投足に無駄がない。
どれほどの時間をかければ、あれほど研ぎ澄まされた武術の型を、実戦の中で息をするように繰り出せるようになるのか。
どれほどの修羅場を潜り抜ければ、瞬時に最適を導き出し、一切の感情を交えずに罠を仕掛けることができるのか。
果てしない研鑽の上にのみ成り立つ、極致の体術。
一瞬の隙も逃さない、恐るべき思考の瞬発力とバトルIQ。
圧倒的な暴力に晒され、霊基を砕かれかけているというのに。
ヴラド三世の胸の奥には、目の前に立つ鮮烈な戦士に対する、深い敬意が溢れ返っている。
(サーヴァントとしての、第二の生。……これほどの者と出逢えるとは)
王としての誇りが、武人としての魂が、歓喜に打ち震えている。
同時に、自身の現在の状態――『狂化』という思考を濁らせる枷を嵌められていることが、たまらなく惜しいとすら感じた。狂いに身を委ねるのではなく、王としての完全な理性を保ったまま、この若き武の結晶と真っ向から語り合ってみたかった。
しかし、その感傷は一瞬で切り捨てられる。
曇りゆく思考の中で、ヴラドは王としての覇気を再び眼光に宿した。
敬意を抱いたからこそ、全力を以て目の前の強大な存在を乗り越え、徹底的に叩き潰す。それこそが、彼に対する唯一の礼儀である。
「……貴様の名を聞いておこう」
ただの殺戮対象から、明確な『好敵手』へと認識を改めた、王からの問いかけ。
「ヴァルナ・クロスだ」
それに対し、男は一切の感情を交えることなく、ただ淡々と、事実だけを述べるように名乗り上げた。
その瞳には、勝ち誇る色も、敵を見下す色もない。ただ、「本物の強者」と相対したときにのみ訪れる、孤高の呪術師としての極めて静かな熱だけが、微かに宿っていた。
「いい名だ」
ヴラドは、満足げに薄く笑った。
「ヴァルナ・クロス。……ここで巡り逢えた好機、決して逃すまい。我が誇りにかけて、貴様をここで討ち果たす」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
ヴラド三世の肉体から、これまでとは次元の違う、絶望的なまでの魔力の奔流が天に向かって噴き上がる。
それは、彼自身の霊基そのものを燃料として燃やし尽くすような、文字通りの『全力』の解放。
狂気と執念、そして王としての誇りが混ざり合った赤黒い魔力が、戦場の空を分厚く覆い尽くしていく。
「ここからが全力だ。受けるがいい! 余のすべてを!!」
ヴラドが長槍を天高く掲げ、そして、大地に深々と突き立てる。
そして、彼の宝具『極刑王(カズィクル・ベイ)』による領土の範囲が、爆発的な勢いで拡大を始めた。
「……まずいな」
ヴァルナは、足元から広がる異常な魔力の波紋を感じ取り、小さく呟く。
半径十メートル、五十メートル、百メートル――否。
その領域は、ゆうに『一キロメートル』を超えて戦場全体を飲み込んだ。
完全に対人の規模ではない。
右の区画で交戦していたマリー・アントワネットとアマデウス、そして処刑人サンソン。
左の区画で刃を交えていたジャンヌ・ダルクとマシュ、そして女吸血鬼カーミラ。
それら別の戦場で戦っていた者たちすべてが、強制的に串刺し公の『領土』のただ中へと引きずり込まれる。
「な、なんですか、このおぞましい魔力は……!」
「マスターのいる方角から……これは、防ぎきれる規模ではありません!」
マシュとジャンヌが、周囲の空間が一変したことに気づき、戦慄の声を上げる。
「ここからが本気だと言ったはずだ……! 大地よ!!」
ヴラド三世の咆哮と共に。
戦場の一キロメートル圏内、そのありとあらゆる大地、瓦礫の山、崩れかけた建造物から、数千、数万という規格外の鉄杭が、爆発音と共に一斉に産声を上げた。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォォッ!!!
それはもはや、個別の攻撃ではない。地形そのものの変動。
発生した無数の巨大な杭は、地上に留まることなく、引力を無視して空へと舞い上がり始めた。
「ギャアアアアアッ!?」
その圧倒的な質量の奔流は、上空を旋回していた味方であるはずのワイバーンの群れすらも容赦なく巻き込み、その巨体を何重にも貫きながら、天へと昇っていく。
空が、無数の黒い杭によって完全に覆い尽くされ、文字通り「太陽の光」が遮断された。
夕闇の空に浮かぶ、数万の死の槍。
その途方もない光景を見上げながら、ヴァルナは一切の表情を変えることなく、ただ純粋な評価を口にする。
「豪快だな」
それは、彼なりの最大の賛辞。
自身の生命を削ってでも、目の前の敵を仕留めようとする王の執念。出し惜しみの一切ない、強者の放つ極限の暴力。
ならば、こちらもそれに応えなければならない。
「天よ!!」
ヴラドが、高らかに絶叫した。
その声を合図に。
空を完全に埋め尽くしていた数万の杭が、切っ先を一斉に地上へと向け。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!!!
天から地へ。
戦場にいるすべての生命を串刺しにする『災厄の雨』となって、絶望的な音を立てながら一斉に降り注ぎ始めた。
二十メートル
つーか、これが限界
戦闘シーン少し長くなりました。読みにくいかも。
次の話で、戦闘事態は一段落。