Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード) 作:りー037
天が、黒く塗り潰された。
それは比喩でも錯覚でもない。串刺し公・ヴラド三世が己の霊基を燃やし尽くして展開した絶望の領土――一キロメートル圏内の戦場全域から発生した数万の鉄杭が、空へと舞い上がり、文字通り「太陽の光」を物理的に遮断したのだ。
上空を旋回していた数十頭のワイバーンの群れすらも、その暴力的な質量に巻き込まれ、悲鳴を上げる間もなく全身を串刺しにされて肉塊と化し、ボトボトと血の雨を降らせながら墜落していく。
そして今、天を覆い尽くした数万の死の槍が、戦場にいるすべての生命を蹂躙する『地獄の雨』となって、一斉に地上へと降り注ごうとしていた。
その規格外の災害は、当然ながら敵味方の区別などしない。
「――ッ! アナタ、私たちまで巻き添えにするつもり!?」
「黙れッ!!」
カーミラの非難の声を、ヴラド三世の重厚な咆哮が完全に叩き潰した。
「これほどの戦士に出逢えたのだ! 余の全霊を以て相手をするのが、王としての礼儀!!」
その瞳には、狂化による赤い濁りと共に、どこまでも澄み切った王としての理知と決意が宿っていた。果たしてその無差別な宝具行使は、彼本来の苛烈な在り方か、それとも狂化の影響による見境のなさか。
いずれにせよ、串刺し公は周囲の被害など一切気に留めることなく、目前の強敵を仕留めるためだけに、その必殺の雨を振り下ろそうとしていた。
「チッ……狂王め!」
カーミラはいち早くジャンヌとマシュへの攻撃を停止し、自身の身を守るために戦線から大きく退避していく。
一方、その地獄の『中心点』に立つヴァルナは、空気を震わせる轟音の中で、極めて冷徹に戦況を計算していた。
彼の人間離れした脳は、一秒の間に何十もの経路を弾き出す。
(数万の杭。……多すぎるな。俺の領域で防ぎきれる範囲は、最大でも百メートル。攻撃すべてを領域に包むのは不可能だ)
自分が百メートル分の杭を飲み込んだとしても、外に残った地獄は、無慈悲にこの世界へ降り注ぐだろう。
ヴァルナは即座に行動を開始した。
「『幽影顕現(シャドウ・レイス)』」
彼は両手で素早く犬の影絵を作りながら、自身の影へ向かって呪力を流し込む。
対象は、玉犬。しかし、実体を伴う完全な状態での顕現ではない。意図的に影と溶け合った不定形・不完全な状態で顕現させる応用技術である。
「玉犬・朧」
足元の影から這い出たのは、アメーバのようにドロドロと波打つ、輪郭の曖昧な真っ黒な犬の亡霊。
完全な形で盾として展開すれば、この規模の宝具の前では破壊され、二度と召喚できなくなる。だが、影と半分溶け込んだ幽影(レイス)状態であれば、確定的な実体を持たないため、どれ程の攻撃を受けても「式神を破壊された」という判定にはならない。
「……行け」
ステータスが大幅に落ちることを承知の上で、この破壊されない不定形の玉犬を、自らの身を守るためではなく、はるか後方の区画へと走らせた。
『マシュ』
『マ、マスター!? これは一体――』
通信機越しではない、直接脳内に響く声にマシュが困惑の声を上げるが、ヴァルナにそれを宥める時間はない。
『敵の広範囲攻撃だ。大部分は俺が持っていくが、それでも足りない分はそちらに降り注ぐ』
一切の抑揚のない、しかし絶対の信頼を込めた指示。
『盾を構えろ。大きく動くな。ジャンヌと共に、防御を構築して耐えろ』
『マスター……! はいっ、了解しました!!』
右手の甲から赤い魔力の残滓が散り、消える。
彼女の力強い声を聞き届けた瞬間、ヴァルナは一方的に念話をシャットアウトした。
盤面の整理は、これで終了だ。
「……」
ヴァルナは、空から自らを見下ろすヴラド三世を真っ直ぐに見つめ返し――。
爆発的な呪力を脚に込め、天へ向かって凄まじい跳躍を見せた。
「なにッ!?」
ヴラドが驚愕に目を見開く。
自ら死の雨に飛び込んでくるような蛮行。だが、ヴァルナの狙いは明確だった。
出来るだけ多くの空の杭を飲み込むため。出来るだけ多くのワイバーンを巻き込むため。そして何より、この災厄の『核』である串刺し公を確実に捕らえるため。
上空へ飛び上がったヴァルナは、空中で掌印を組んだ。
両手の指を緩やかに絡め合わせ、カバラの生命の樹における「イエソド」の経路を指の形で表現した、独自の結印。
その動作は極めて小さく、そして静か。
「領域展開」
世界から、あらゆる音が消失したかのような錯覚。
「『万影伏界庭(ウンブラ・オムニス・ドミナトゥス)』」
印が完成した瞬間、空中に浮かぶヴァルナを中心とした半径百メートルの空間が、巨大な『黒い球体』へと変貌した。
ドーム状に展開された影の領域。それは、範囲内に存在していた何千という杭を、ワイバーンを、そしてヴラド三世自身の巨体をも、一瞬にしてすっぽりと飲み込んだ。
*
――影の玉座。
領域の内部は、上も下もない、すべてがドス黒い影で構成された異空間だった。
領域の綱引きは、圧倒的にヴァルナの勝利。
彼の『万影伏界庭』が展開されたことで、ヴラド三世の領土は、完全に塗り替えられた。
「……ほう。余の領土を上書きしたか」
領域の中空に浮かぶヴラド三世は、周囲の異様な景色に一瞬だけ目を見開いたものの、その手から長槍を下ろすことはなかった。
「だが、それがどうした!!」
王の闘志は、微塵も衰えていない。
(あとは、領域に取り込んだこの杭をどうにかするだけだ)
外の状態は気になるが、確認する術はない。マシュたちを信じるしかない。
それに。
今のヴァルナの胸の奥には、特異な熱が渦巻いている。
(……あぁ)
今、本物の王から、魂を削った全力の一撃を向けられている。この心地の良い闘争に、もう少しだけ身をやつしていたいという、生々しい欲求。
綱引きで完全に勝利を収めた現在、ヴァルナの術式の『必中効果』は完全に機能している。
敵が目の前にいなくとも、盤面の上にある限り、影を経由した式神の攻撃は絶対に回避不可能な必殺となる。
ゆえに、この降り注ぐ杭を前にして、ヴァルナは自らの影に深く沈んで完全に逃げ切り、安全圏から杭を無視して式神の攻撃を必中させ、ヴラドを一方的に仕留めることも可能だった。
だが、それは『雑魚の思考』だ。
その効率的な選択を無意識に選ぶような男であるのなら、彼はここまで強くなってはいない。ここまで、生き残ってなどいない。
彼は、あえてそれをしなかった。
試したくなった。勝負してみたくなった。
この、王の全霊を懸けた地獄を、真正面から受け止め、凌駕してみたいという、内側で生まれた『強者ゆえの非効率』。
あらゆる強者を観察し、凌駕し、その力を我が物として啜ってきた過去。
それらの研鑽、経験のすべてを、今、この場に収束させる。
「お前の杭……」
ヴァルナの硝子のような瞳が、迫り来る死の雨を真っ直ぐに射抜く。
「すべて処理した後。……その命を、頂こう」
外部の防衛に『玉犬』を展開しているため、この領域内での式神の運用には、システム上の特殊な制限(バグ)が発生していた。
だが、問題はない。
圧縮されたコンマ数秒の思考の中で。
ヴァルナ・クロスは、己の術式の深淵に触れる『最適解』を導き出した。
*
領域という絶対的な玉座を構築したヴァルナ・クロスは、全方位から殺到してくる数百の鉄杭を前にして、静かに口角を上げる。
彼は現在、領域の外部――離れた場所への防衛のために、不完全顕現である『玉犬』を展開し続けている。
本来、この『万影伏界庭』の内部において、術者は九種すべての式神を同時に、かつ複数体召喚することが可能である。しかし現在、外部で『玉犬』という一つの枠を占有し続けているがゆえに、領域内のルールと領域外のルールが互いの足を引っ張り合うという、極めて特殊なシステムの矛盾(バグ)が発生していた。
端的に言えば、今のヴァルナは領域の内部において『一種類の式神』しか展開できない。
だが、その制約は彼にとって足枷にはならなかった。
「多重展開」
一種類しか出せないのであれば、その一種類を限界まで増やせばいい。
「『蛇王・八岐(ダオウ・ヤマタ)』」
ヴァルナが片手で蛇の影絵を結んだ瞬間。
領域を構成するドス黒い影の海から、巨大な八つの首が凄まじい咆哮と共にせり出してくる。
それは本来、純白の鱗を持つはずの『大蛇』である。だが、領域の影と完全に同一化したことで、その巨体は底なしの闇のように漆黒に染まり上がっている。
「蹂躙しろ」
八つの首を持つ黒き大蛇。まさに神話の怪物を思わせるその威容が、ヴァルナへ向かって飛来する数百の杭を喰らい尽くすべく、四方八方へとその長大な首を伸ばす。
ズガガガガガガガガガガッ!!!
領域空間で、黒き大蛇と鉄杭の激絶な正面衝突が始まった。
大蛇の巨大な顎が杭を噛み砕き、強靭な胴体が杭を弾き飛ばす。変幻自在の動きで迫る杭を飲み込み、蹴散らしていく。
当然、無傷では済まない。極刑王(カズィクル・ベイ)によって生み出された杭は、大蛇の鱗を貫き、肉を抉り、いくつもの首が弾け飛ぶ。
だが、止まらない。
この場所において、式神は領域を構成する影そのものに溶け込んでいる。実体を持たない彼らにとって、肉体が弾けようが千切れようが、それは『破壊』を意味しない。
傷ついた端から影が蠢き、瞬時に肉体が再構成されていく。消滅の概念を失った不死身の怪物は、悠然と杭の雨を蹴散らして進む。
「……化け物め!」
空中に浮かぶヴラド三世の顔に、明確な緊張が走った。
破壊しても即座に蘇る黒い大蛇。その理不尽な光景を見せつけられ、串刺し公は瞬時に戦術を切り替えた。
(防御は、捨てるしかあるまい!)
ヴラドは、自身を護るために周囲へ浮かせていた杭すらもすべて攻撃へと転じさせた。
狙うは、不死身の蛇ではない。その蛇を使役する『本体』のみ。
ヴラドは指揮者のように両腕を振るい、数百の杭の軌道を強引に捻じ曲げ、大蛇の隙間を縫うようにしてヴァルナ・クロスの一点へと殺到させる。
「ルゥゥォォォォォォォォォッ!!」
この場において、守りなど甘えでしかない。勝つか、死ぬか。
ヴラドは狂乱の雄叫びを上げ、崩壊寸前の霊基をさらに燃やし尽くし、最後の一滴まで魔力を杭へと注ぎ込んだ。すべてを、ぶつけるために。
その王の気概に応え、ヴァルナもまた、常軌を逸した行動に出る。
(……最短最速で、勝負を決めに行く)
彼は、ただでさえ規格外の出力を誇る『八岐』をさらに底上げするため、自身に極めて重い『縛り』を科した。
(大蛇顕現中……『この場から一切動かない』)
回避という最大の防御手段を完全に捨てる制約。
その重い対価を支払うことで、八つの首を持つ大蛇の術式効果とステータスが、強制的に一段階引き上げられる。
ヴァルナは足の裏を領域の影に固定し、呪力のすべてを八岐の強化と操作へ全振りした。
二つの首を自身の防御に。残る六つの首を、ヴラド三世への攻撃に。
シュガァァァァァァッ!!
回避を捨てたヴァルナへ向けて、ヴラドの操作する杭が嵐のように殺到する。
防御に回した二体の大蛇が、自らの身を盾にしてヴァルナを庇い、次々と杭を噛み砕く。
だが、量が多すぎる。大蛇の守りをすり抜けた何本もの鉄杭が、直立不動のヴァルナの肉体を容赦なく貫いた。
ザシュッ! ブチャッ!
右肩を、左脚の太腿を、そして右の脇腹を。
鋭利な杭が肉を裂き、骨を軋ませ、ドス黒い血が領域の影へと滴り落ちる。
(……脳と心臓は守った。急所ではない)
微かな呻き声すら上げず、彼は冷徹に致命傷のみを避け、大蛇の操作の手を緩めない。
「ウ、オォォォォォォォォォッ!!」
一方、ヴラド三世の元へは、凶悪に強化された六つの大蛇の首が迫っていた。
変幻自在でトリッキーな軌道を描き、死角から、正面から、同時に噛み砕かんと殺到する。
ヴラドは、迫る大蛇の首を次々と薙ぎ払うが、蛇は止まらない。破壊された次の一瞬には肉体が再構成され、再び牙を剥いて迫ってくる。
不死身の怪物が、確実に自身の命を削りに来る恐怖。
しかし、王はその恐怖すらも薪にして、闘志を燃え上がらせる。
(……回避を完全に捨てた状態でなお、仕留めきれんとは……)
ヴラドは、血を吐きながらも笑っている。
これが最後の足掻き。彼は残存するすべての魔力を一点に集め、空中に残っていた最後の杭のすべてを、ヴァルナの心臓目掛けて一直線に射出した。
「沈めェェェェェェッ!!!」
音速を超える鉄の暴風。
それに対し、ヴァルナは攻撃に回していた六つの大蛇を瞬時に呼び戻す。
八つの黒き大蛇が、互いの長大な身体を複雑に絡み合わせ、ヴァルナを包み込むようにして巨大な『肉の盾』を形成する。
ズドドドドドドドドドドドドドッ!!!!!
大蛇の肉が抉れ、影が四散し、凄まじい衝撃波が領域を揺らす。
しかし。
大蛇の盾が完全に崩壊した直後、そこに立っていたのは、血まみれになりながらも、ただ静かに佇む男の姿。
ヴラド三世が宝具によって生み出したすべての杭が、この瞬間に失われた。
「……ここまでだ」
ヴァルナは、領域内に展開していた八つの大蛇を瞬時に解除する。
それと同時に、『この場から動かない』という縛りも終わりを迎えた。
「……見事」
ダンッ!!
次の瞬間、領域の影を爆発的に蹴り飛ばす。
肩に、脚に、脇腹に杭が刺さったままの状態でありながら、その速度は一切衰えていない。呪力強化による極限の身体能力が、彼を砲弾のように上空のヴラドへと肉薄させる。
自身を見下ろしていた串刺し公の懐へ、超高速で飛び込む。
ヴラドに残されているのは、もはや手にした長槍一本のみ。
ヴァルナの右腕には、禍々しい黒の呪力が限界まで圧縮され、チリチリと火花を散らしている。
(これで、終わりだ)
必殺の右拳と。
全霊を乗せた長槍の突きが。
互いの命を刈り取るための最後の一撃として、空中で激突する。
『――あぁ。楽しかった』
それは、孤高の呪術師として生きてきた青年の独白だったのか。
それとも、死の直前に最高の好敵手と出逢えた王の歓喜だったのか。
黒い火花が弾け飛ぶ。
二人の強者の魂が極限で共鳴し合ったその瞬間、勝負の幕は、静かに下りた。
術式の開示、大蛇展開中の足場の固定縛り、黒閃バフ、領域バフ+αを駆使して、暴走するサーヴァントの宝具を封殺しました、とさ。
なぜ、領域の中で必中効果を発動させなかったのか?
カッシーならそうした!!
あと、いつの間にかお気に入りや、UA増えてて嬉しかったです!読んでいただきありがとうございます!
評価、感想も感謝です!!