Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード)   作:りー037

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【十七節】哺乳類の定理、期待外れの爬虫類、そして迫り来るワイバーン

 

 空を焦がすような真っ赤な炎と、むせ返るような黒煙。

 

 ドクター・ロマンのナビゲートを受け、ティエールの街へ駆け込んだ四人を待っていたのは、凄惨な戦場――ではなく、常軌を逸した『騒音』であった。

 

「カーミラの前に、まずはアンタをペチャンコに潰してあげるわ!!」

「黙りなさい! わたくしの愛の炎で、その下品な角ごと消し炭にして差し上げます!!」

 

 

 ガガガガガガッ!! ズドォォォォンッ!!

 

 一人は、巨大な槍を振り回し、耳をつんざくような金切り声を上げるピンク色のフリルドレスの少女――ランサー・エリザベート・バートリー。

 

 もう一人は、燃え盛る青白い炎を操り、和装の袖を振り乱しながら恐ろしい形相で睨みつける少女――バーサーカー・清姫。

 

 

 彼女たちの周囲では、炎が建物を焼き尽くし、槍の余波で石畳が粉砕されている。本来であれば悲惨な光景のはずなのだが、当の本人たちが放つ「互いへの純粋な罵倒と殺意」が強すぎて、悲壮感など微塵も感じられない。

 

「……これは、一体」

 

 街を焼く敵の強襲か、あるいは竜の魔女の尖兵か。そんな緊張感を持って駆けつけたジャンヌ・ダルクは、目の前で繰り広げられるあまりにも低俗なキャットファイトに、完全に呆気にとられていた。

 

「何だ、この光景は……」

 

 背に大剣を負ったジークフリートも、戸惑いを隠せない。彼がこれまでの生前で相対してきた「竜」という絶対的な脅威のイメージから、あまりにもかけ離れすぎている。

 

「と、とにかく止めなくては! 街がさらに破壊されてしまいます!」

 

 ジャンヌが、炎の熱風を掻き分けて一歩前に出た。

 

「お二人とも! 剣を収めてください、どうかお話を聞いて――」

 

「あぁん? なによアンタ!」

 

「わたくし、今忙しいので後にしていただけますか!?」

 

 エリザベートと清姫から、親の仇を見るようなすさまじい剣幕で同時に凄まれた。

 

 取り付く島もない。全く言葉が通じる気配がなく、二人はジャンヌをそっちのけにして再び互いの武器と炎をぶつけ合い始めた。

 

「この襟巻きトカゲ! さっさとその醜い尾を丸めて逃げ帰りなさい!」

「誰がトカゲよ! アンダの方こそ、そのダサい着物ごと丸焼きにしてあげるわよ!!」

 

 

 ギャーギャーと響き渡る高音の罵倒。

 

 マシュは重い盾の後ろでオロオロと視線を彷徨わせ、「ま、マスター……どうしましょう」と困惑している。

 

「……うるさいな」

 

 その騒音の中心を、ヴァルナ・クロスはひどく鬱陶しそうな、温度のない瞳で見据えていた。

 彼の視座からすれば、目の前の光景はただひたすらに非効率で耳障りな現象でしかない。

 

「どうする、マスター」

「さてな。さすがに放置するわけにもいかないだろう」

 

 ヴァルナは顎に手を当て、二人のサーヴァントの霊基から漏れ出ている魔力の質を淡々と分析する。

 

「どちらも、『竜』の類に連なる因子を感じる。竜殺し、お前であれば容易に倒せる相手だろう。……どう思う?」

 

 ヴァルナの口から極めて自然に出た「倒せる相手」という物騒な言葉。

 

 ジークフリートは少しだけ目を瞬かせた後、剣の柄に静かに手をかけた。

 

「……竜の類であれば、確かに相性はいい。問題なく斬れる。君がそう命じるのであれば、俺は剣を抜くが……いいのか?」

「そうだな。言葉が通じず、こちらに敵対するのであれば、排除するしかない」

 

 ヴァルナは二人の様子を観察しながら呟く。

 

「黒い呪いのオーラや、狂化の類を付与されているようには見えない。おそらくは、無作為に召喚された『はぐれサーヴァント』の類だろうが」

 

 二人の男性陣が、極めて事務的に「いかにして目の前の少女たちを効率よく処理するか」という物騒な算段を立て始めたことに、マシュが激しく焦りを覚える。

 

「ま、待ってください先輩! ジークフリートさんも! 私が度説得を試みます!」

 

 マシュは慌てて二人の前に飛び出し、盾を構えながら大声を上げた。

 

「そこのお二人とも! どうか落ち着いてください! 私たちは敵では――」

「だから、関係ない奴は黙ってなさいよこの小鹿!!」

「無謀と勇気は違いますよ。貴女、猪武者ですか?」

 

「こ、小鹿……猪武者……」

 

 理不尽な罵倒を浴び、マシュがショックを受けたように肩をビクッと跳ねさせた。

 

 それまで後方で静観していたヴァルナが、音もなく一歩、マシュの前へと進み出る。

 

「……哺乳類の方が、格上だ。退け、爬虫類」

「……えっ? せ、先輩?」

 

 突然の、あまりにもズレた方向からの謎のマウント。

 

「は、はぁぁぁぁぁっ!?」

 

 エリザベートの顔が、怒りで真っ赤に染め上がる。

 

「誰が爬虫類よ!! アタシを誰だと思ってんの! この無礼者、串刺しにしてアタシのライブの生贄にしてあげるわ!!」

 

 

 キィィィィンッ! と。

 エリザベートが手にした巨大な槍の穂先が、ヴァルナの顔面目掛けて一直線に突き出された。

 

 

 ガギィィィィィンッ!!!!

 

 強烈な金属音が、燃え盛る広場に響き渡る。

 

 ヴァルナへと迫った槍の穂先。それを完全に防ぎ止めたのは、彼の背後に待機していたジークフリートが素早く抜き放った、両手持ちの巨大な魔剣であった。

 

「悪いが……マスターに牙を剥くのであれば、容赦はしない」 

 

 ジークフリートの瞳が、剣士としての鋭い光を放つ。

 その瞬間、エリザベートの全身の毛が総毛立った。本能が、最上級の警鐘を鳴らす。

 

(な、何よコイツ……!? この剣は!)

 

 目の前の男から発せられる、「竜殺し」という絶対的な概念。

 自身に強烈な特攻が刺さる存在を前にして、エリザベートは瞬時に自身の不利を悟った。数の上でも、相性の意味でも、このままでは圧倒的に分が悪い。

 

「ちょっとアンタ!!」

 

 エリザベートは背後にいる清姫に向かって叫んだ。

 

「喧嘩は一時休戦よ! 先にこの生意気な連中を、二人で叩き潰すわよ!!」

「……はぁ。まったく、仕方のないトカゲですね。ですが、わたくしを爬虫類呼ばわりしたあの男だけは、わたくしの炎で焼き尽くさなければ気が済みません」

 

 清姫もまた、扇子で口元を隠しながら、その瞳に昏い殺意を灯してヴァルナを睨みつける。

 ここに、最悪の相性を誇る竜の少女たちによる、一時的な同盟が結成された。

 

「あああ、お二人が手を組んでしまったではないですか!」

 

 マシュが悲鳴を上げながら盾を構え直す。

 

「特に問題はないだろう」

 

 ヴァルナは極めて冷静に、自身の拳にチリチリと呪力を這わせた。

 

「ジークフリート。やれるな」

「あぁ。問題はない」

 

 ジャンヌもまた、静かに聖なる旗を構え、戦闘態勢へと移行する。

 

「一応、殺すな。話が聞きたい」

 

 ヴァルナは、前方の二人に冷たい視線を向けたまま、背後の味方へ向けて鋭く指示を飛ばした。

 

「先ほど『カーミラ』がどうとか言っていたな。竜の魔女陣営について、何かしらの情報を持っている可能性がある」

 

 そして、彼はごく自然な口調で、とんでもない無茶振りを言い放つ。

 

「峰打ちだ」

 

 ここにいる味方の武装は、巨大な両刃の魔剣、鈍器のような重い盾、旗槍、そして呪力を纏った己の素手。

 『峰』のある武器など、誰一人として持っていないにもかかわらず。

 

「行くぞ」

 

 その容赦なき号令と共に、理不尽な制圧戦闘が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 蹂躙劇は、ものの数分で幕を下ろした。

 

「や、やられました……きゅう」

 

 瓦礫の上に大の字で倒れ伏した清姫が、目を回しながら蚊の鳴くような声を漏らす。

 

 その少し横では、自慢のドレスを煤だらけにしたエリザベートが、プルプルと震える腕で地面を突いて半ば身を起こし、涙目でこちらを睨みつけている。

 

「き、き、きょ、今日のところは……これくらいにしておいてあげるわよっ……!」

 

 絵に描いたような三下の捨て台詞。

 

 この結果は、火を見るよりも明らかだった。特異点の異常を単騎で制圧しかねないヴァルナに加え、特攻を有する竜殺しのジークフリート、そして鉄壁のマシュとジャンヌ。この四人を相手にして、いかに反英霊の竜属性持ちとはいえ、連携の欠片もないはぐれサーヴァント二騎が太刀打ちできるはずがない。

 

 戦闘の終盤、エリザベートが形勢逆転を狙い、その宝具『鮮血魔嬢(バートリ・エルジェーベト)』を展開しようと口を大きく開くも。

 

 

 その喉が震えるよりも早く。

 音もなく超高速で懐に潜り込んだヴァルナが、彼女の顔面に容赦のない右ストレートを叩き込んだ。

 

 手加減をしたとはいえ、呪力強化の乗った男の拳。

 相手が女性であろうと、年端もいかない少女の姿をしていようと、ヴァルナという男の戦闘回路に『手加減の理由』としては一切機能しない。彼にとっては「最も効率よく、最も耳障りな騒音を未然に防ぐための動き」でしかなかった。呪術師の辞書に、騎士道という言葉はない。

 

「終わったな」

 

 拳の呪力を解きながら、ヴァルナが淡々と呟く。

 

「お話を聞きたいのですが、よろしいですか?」

 

 マシュが重い盾を背にしまい、土埃にまみれた二人の元へ歩み寄る。先ほどまで「小鹿」と馬鹿にされていたにもかかわらず、優しく目線を合わせるように屈み込む。

 

「な、何ですか……わたくしたちに、追い討ちですか?」

 

 清姫が弱々しく、恨みがましい目でマシュを見上げた。

 

「いえ、一応の確認なのですが……黒いジャンヌさん、竜の魔女の仲間ではありませんよね?」

 

 マシュの問いかけに対し、ヴァルナは腕を組み、いまだ警戒を解かずに二人を観察していた。

 

(可能性は低いと思うが……もし敵の陣営であるなら、情報だけ引きずり出してここで処理しなくてはならない)

 

 彼女たちが竜に連なるサーヴァントであることは、彼の眼がはっきりと見抜いている。場合によっては再び拳を振るう準備を整えながら、ヴァルナは冷徹に答えを待つ。

 

「ハァ!? あんな頭がおかしくなったサーヴァントたちと一緒にしないでよ!」

 

 エリザベートが、痛む頬を押さえながら噛み付いた。

 

「こいつみたいに話が通じない連中なんて、こっちから願い下げよ!」

「ちょっと! 一緒にしないでいただけますか!?」

 

 エリザベートに指差され、清姫がカッとなって身を起こす。

 

「わたくしは言語をきちんと理解できる、極めて理知的なバーサーカーです! ああいう見境のない狂化などされていません!!」

 

(……やっぱりバーサーカーなのか。間違いなく、一番話が通じなさそうな雰囲気は感じるが)

 

 ヴァルナは内心で、極めて失礼かつ事実に基づいた身も蓋もない評価を下す。人間の感情の機微には疎いが、こういう「面倒くさい同族」を見抜く嗅覚だけは無駄に優れている。

 

「また喧嘩ですか……ボロボロになりながら、よくやるものですね」

 

 ジャンヌが呆れたようにため息をつき、その場をまとめるように口を開く。

 

「つまり、お二人は竜の魔女の仲間ではない。ただの『はぐれサーヴァント』なのですね?」

「……フンッ、そうよ」

 

 エリザベートがそっぽを向く。

 これで敵ではないことは確定した。もともとこの街に立ち寄った目的は、味方となるサーヴァントを探し出し、マリーとアマデウスを失った戦力の穴を埋めるためである。

 

「マスター。どうする?」

 

 ジークフリートが、難しい顔をして黙り込んでいるヴァルナへと問いかけた。

 

「彼女たちに、我々の陣営へ加わるよう打診するのか?」

「いやな……」

 

 彼は倒れ伏す二人の竜の少女を、品定めするように見下ろす。

 

「もっと『使える英霊』を期待していたんだが。……ハズレだな」

 

 もちろん悪意は、一ミリもない。

 憎しみも、見下す意図もない。ただ、特異点の修復という大事業において、彼女たちの連携力や戦闘力が「自身の求める水準、快楽と実用のライン」に達していなかった。だから、事実として「ハズレ」と評価した。それだけのことである。彼にとっては、天気が悪いと呟くのと同じ程度の、純粋な感想に過ぎない。

 

 

 しかし、言われた側からすればたまったものではない。

 

「はぁ!? ちょっ、何よハズレって!! アタシのこと言ってんの!?」

 

 真っ赤にして再び武器を手に取ろうとした、その時。

 

『すまないみんな、話の途中だが! ワイバーンの群れだ!』

 

 ヴァルナの手首の通信機から、ドクター・ロマンの切迫した声が響き渡った。

 

『多数の敵性個体を検知した! 統率を失っているように見えるから、おそらく先ほどの生き残りだろう。空からそっちへ向かっている!』

「……そうか」

 

 ヴァルナが空を見上げる。夕闇が迫る空の彼方から、巨大な翼竜の群れがこちらへ向かって飛来してくるのが視認できた。

 

『とりあえず考えるのは後にしよう、迎撃だ! 急いでくれ!』

「この場から離れつつ迎撃するぞ。街の外れとはいえ、ここで暴れれば街の被害が拡大しかねない」

 

 即座に指示を飛ばす。

 

「竜の魔女が追加の刺客を送ってきた可能性も完全には否定できないからな。……それに、この街に来た目的である『サーヴァントの確認』もすでに済んだ」

 

 ヴァルナは、足元で唖然としている二人の少女を一瞥した。

 

「この二人が必要か否かは分からないが、目的は達した。移動する」

「はい、先輩!」

「承知した、マスター。俺が前衛を引き受けよう」

 

 ジークフリートが剣を構え、ジャンヌとマシュがそれに続く。

 

 ヴァルナは振り返ることなく、ワイバーンの群れが向かってくる方向――街の被害が最小限に抑えられる平野部へと向かって、爆発的な脚力で駆け出した。

 

「……は?」

 

「え……?」

 

 残されたのは、ボロボロにされた二人の竜の少女。

 いきなり現れて、爬虫類呼ばわりして、理不尽な暴力でボコボコにして、挙げ句の果てに「ハズレ」と評価を下し、勝手に納得して去っていく。

 

 嵐のような傍若無人ぶりに、エリザベートと清姫は数秒間、完全に思考が停止していた。

 

「ちょ……ちょっとお待ちください!!」

「アンタたち! アタシたちをボコボコにしておいて、そのまま放置していく気!?」

 

 背後から、二人のやかましい抗議の叫びが響き渡る。

 だが、彼らはすでにワイバーンの群れとの戦闘に意識を切り替えており、その声に振り返ることは一度もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を覆うほどの翼竜の群れが、血の匂いと本能に突き動かされるようにティエールの街外れへと殺到してくる。

 

 だが、彼らを迎え撃つカルデア陣営の迎撃は、ただの「暴風」と化していた。街の被害を最小限に抑えるため、森の方角へと後退しながらの機動戦。その最前線で、二つの異常な火力がワイバーンの群れを容赦なく粉砕していく。

 

「ハァッ!!」

 

 鋭い裂帛の気合いと共に、ジークフリートの両手剣が煌めく弧を描いた。

 

 『竜殺し』の概念をその身に宿す大英雄。彼にとって、ワイバーンという竜の亜種はあまりにも相性が良すぎた。一閃するたびに分厚い鱗が紙切れのように断たれ、竜の血が赤黒い雨となって降り注ぐ。一騎当千。その言葉を体現するような、無駄のない、しかし圧倒的な質量を伴う剣技。

 

 

 そして、その竜殺しの暴風に全く遅れをとることなく、もう一つの特異点が戦場を蹂躙する。

 

「シッ――!」

 

 短い呼気。ヴァルナは、上空から急降下してきた巨大なワイバーンの顎を、紙一重のステップで躱した。

 直後、彼の全身の筋肉が爆発的に躍動する。肉体の隅々にまで濃密な『呪力』を直接流し込み、身体能力のすべてを限界の先まで底上げする超高度な強化。

 

 踏み込んだ足が大地をクレーターのように叩き割り、その反発力を乗せた右の拳が、ワイバーンの強靭な胸骨へと深々と突き刺さる。

 

 

 ドゴォォォォォォォォンッ!!

 

 鈍器で岩山を砕くような、おぞましい破砕音。

 呪力による防御貫通にも似た衝撃波がワイバーンの肉体の内側で弾け飛び、巨大な竜は悲鳴を上げる間もなく、背中から臓物と鱗を撒き散らして絶命した。

 

(……すさまじい技量だ)

 

 血の雨を浴びながら次弾を切り伏せたジークフリートは、横目で自身のマスターの近接戦闘能力を目の当たりにし、舌を巻く。

 

 身体能力の異常さもさることながら、ワイバーンの急所を的確にぶち抜き、次の標的へと向かう速度、そして最小限の動きで命を刈り取る効率性。どれをとっても、長年極限の計算を積み重ねた果てに至るものだった。

 

 己の手にも自然と力がこもる。マスターに遅れを取るわけにはいかない。ジークフリートは魔剣を強く握り直し、さらなる剣速で竜の群れへと飛び込んでいく。

 

 

 一方のヴァルナもまた、ワイバーンの頭蓋を蹴り砕きながら、前衛で躍動するジークフリートの剣技を静かに観察していた。

 

(見事だ。無駄がなく、重く、速い。これが竜殺し)

 

 微かな熱が灯る。

 唇の端が僅かに吊り上がり、獰猛で、どこか純粋な『戦闘狂(ケダモノ)』としての笑みが浮かび上がる。

 

(……あぁ。立場が違えば、あの男と殺し合ってみたかった)

 

 彼はわずか一瞬でその獰猛な笑みを消し去り、自身の役割――マスターとしての責務へと意識を切り替える。己の内に湧き上がった底知れない闘争本能のすべてを、拳に纏うドス黒い呪力へと変換し、眼前のワイバーンたちへと容赦なくぶちまけた。

 

「ふっ、やぁっ!」

「隙あり、です!」

 

 後方では、ジャンヌ・ダルクがその優れた膂力で旗槍を振るい、マシュ・キリエライトが鉄壁の盾で味方の死角を完全にカバーしている。四人の連携は、急造のチームとは思えないほど見事に噛み合っていた。

 

 激しい移動戦の末、彼らはティエール近郊の深い森の入り口へと到達する。

 

「終わらせるぞ、ジークフリート」

「承知した!」

 

 ジークフリートが大きく踏み込み、魔力放出を伴う広範囲の一閃で、前方のワイバーン五体をまとめて薙ぎ払う。

 

 空いた空間を縫うように、ヴァルナが地を蹴って跳躍。呪力を極限まで圧縮した拳を虚空へと突き出し、残る数体のワイバーンの頭部を、衝撃波のみでまとめて消し飛ばす。

 

『敵性反応ゼロ! 殲滅を確認したよ!』

 

 ドクター・ロマンの安堵した声が通信機から響く。

 

「戦闘終了です。……終わりましたね、マスター」

 

 マシュが盾を下ろし、ホッと息を吐いて振り返った。

 

「まったく、もう最悪よ! なんでアタシが、こんな雑魚掃除に付き合わされなきゃならないのよ!!」

 

 森の木陰から、ドレスを煤だらけにしたエリザベートが、不満たらたらの大声で文句を垂れながら姿を現した。その後ろには、扇子で口元を隠し、ツンとすました様子の清姫も続いている。

 

「えっ……? エリザベートさんに、清姫さん?」

 

 マシュが目を丸くする。

 

「お二人とも、なぜこちらにいらっしゃるのですか?」

 

 彼女たちは明らかに、ヴァルナたちの後をこっそりついてきて、群れから漏れたワイバーンの処理を背後で手伝っていたのだ。

 

「別にいいじゃない! あのトカゲに手こずってるみたいだったから、仕方なーく手伝ってあげたのよ!」

「わたくしたちがいて、何か不満でもありまして?」

「いえ、それは大変ありがたいことですが……」

 

 マシュは疑問符を浮かべたまま、ジャンヌと顔を見合わせた。ボコボコにして置いてけぼりにしたのに、なぜわざわざついてきて手伝ってくれるのか、全く意味が分からない。

 

 

 そんな騒がしい後衛のやり取りを他所に、少し離れた場所では、ヴァルナとジークフリートが互いの武を称え合っていた。

 

「お前の実力はこれまでの伝承や魔力からある程度察してはいたが……なかなかのものだった」

「……マスターこそ、素晴らしい腕だ」

 

 ジークフリートもまた、深々と頭を下げる。

 

「あの近接戦闘の冴え。長年、あらゆる戦場での計算を積み重ねた果て、その『極地』に至る者の動きだった。共に戦えることを誇りに思う」

 

 戦士と戦士。純粋な強者同士の、静かで熱い交流。

 だが、その張り詰めた美しい空気を、ひんやりとした熱を帯びた声が断ち切った。

 

「――あの。そこの、マスター」

 

 

 スッ、と。

 

 いつの間にか、清姫がヴァルナの目の前まで歩み寄っていた。

 

 扇子を下ろした彼女の瞳は、獲物を狙う蛇のように、あるいは運命の相手を見つけた乙女のように、異様なまでに鋭く、細められている。

 

「なんだ?」

「お名前を、教えていただけないでしょうか?」

「……ヴァルナだ」

「ヴァルナ、様……」

 

 清姫は、その名前を舌の上でゆっくりと転がすように呟き、そして――目を閉じた。

 

 

 

 ピシュンッ。

 

 突如として、清姫の脳内に『存在しない記憶』が溢れ出した。

 

 

 ――それは、どこかの東洋の美しい屋敷。

 

 春のうららかな陽射しが差し込む縁側で、和装に身を包んだヴァルナと清姫が、並んで腰を下ろしている。

 

 

 庭では、桜の花びらが風に舞い散る。

 

 二人は幼なじみのように庭を駆け回り、互いの名を楽しげに呼び合う。

 

 やがて時は巡り。縁側で、清姫が手作りの料理を箸でつまみ、「あーん」とヴァルナの口元へと運ぶ。ヴァルナは、どこまでも優しく、慈愛に満ちた笑顔でそれを頬張り、微笑み返す。

 

 互いに見つめ合い、永遠の愛を誓い合うような、暖かで、幸福に満ちた、完璧な日常の光景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたが……あなたが、安珍様なのですね!!」

「……いや、違うが」

 

 一秒のラグもなく、ヴァルナが即答した。

 

 目の前の女が一体何を言い出したのか、彼には本当に欠片も理解できなかったからだ。

 

「いえ、間違いありません!!」

 

 清姫は両手を胸の前で組み、熱を帯びた息を吐きながら一歩距離を詰める。

 

「先ほどの、ワイバーンと戦っていたお姿を見て確信いたしました。嘘のない誠実な人柄。まっすぐな精神。そして、誰よりも凛々しく、高潔なお姿……! まさしく、わたくしの愛しい安珍様なのです!!」

 

「…………」

 

 ヴァルナの思考が、高速で回転し、そして――完全に停止する。

 

 彼自身の計算、論理、事実確認。そのすべてを完全に無視し、自分の中の妄想(ストーリー)だけで完結している眼前の生物。

 

(……こいつは、ダメだ)

 

 ヴァルナは一瞬で結論を出した。

 何か一つを盲目的に信じ込み、周囲の人間が何を言おうと一切耳を貸さず、自身のあり方だけを絶対の真理として貫き通すタイプの『狂人』。

 

 この手のタイプには、論理も、事実も、説得も、何一つ通じない。自分の見たいものしか見ないのだ。

 

 何を言っても無駄である。そう判断した瞬間、完全に言葉を紡ぐのをやめた。

 

「先輩……? お知り合い、ですか?」

 

 異様な空気を察知し、マシュが恐る恐る尋ねてくる。

 

「全く知らないな。会ったことも聞いたこともない」

「もぉっ! そんな安珍様ったら、ひどいです!!」

 

 初対面で「知らない」と否定されたにもかかわらず、清姫は『照れ隠しでからかわれている』と勝手に脳内で変換したのか、ニコニコと頬を染めながらヴァルナの腕にすり寄ってきた。

 

「……」

 

 顔が、目に見えて歪む。

 

 普段、どんな絶望的な戦況でも感情を揺らさない男が、明確に、心底『嫌そうな顔』を浮かべていた。

 

(……狂戦士(バーサーカー)クラスらしいが)

 

 

 腕に絡みつく蛇のような執着を感じながら、ヴァルナは内心で深い溜息をついた。

 

(狂化って、こういうものじゃないだろう……。こういうのもありなのか)

 

 ドン引きしているヴァルナをよそに、清姫は上目遣いで、とろけるような甘い声を出した。

 

「マスター……どうか、わたくしと『契約』していただけませんか?」

 

 血生臭い激戦の跡地は、一転して全く別の意味で頭の痛い、混沌とした空間へと変貌しつつあった。

 




地元じゃ負け知らず……か
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