Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード) 作:りー037
特異点の空は、すでに濃い夜の帳を下ろしていた。
空を覆っていた赤黒い雲の隙間から、冷たい星明かりがティエール近郊の森を微かに照らしている。
「色々とごたごたはありましたが……今日は、ここで野営にしましょう」
森の中の開けた場所で、マシュ・キリエライトが安堵の息を吐きながらそう宣言した。
前夜とは打って変わって、野営を共にするメンツは大きく異なっている。アマデウスとマリーという優雅な二人が去り、代わりに加わったのは竜殺しの大英雄ジークフリート、そしてなぜか居座っている竜の少女たち。
面々は変わったが、やることは変わらない。
『オッケー、今から物資を転送するよ! 簡易テントとレーション、それに魔力補給用の備品一式だね!』
通信機越しに響くダ・ヴィンチの陽気な声と共に、カルデアからの空間転送によって野営用の物資が次々と森の広場に出現した。
ほどなくして火が起こされ、パチパチと薪の爆ぜる音が響く。
六人は、暖かな火を囲むようにして腰を下ろし、配給された食料を手に取りながら一息ついた。
「本当に色々ありましたが……これで、戦力が無事に揃いましたね」
マシュは温かいスープを口に運びながら、頼もしい味方たちを見渡して柔らかく微笑む。
「ふん。まあ、仕方ないから最後まで手伝ってあげてもいいわよ、子犬」
エリザベートが、ツンと顔を背けながらヴァルナを指差して言った。
彼のような感情を揺らさない冷徹な男を『子犬』呼ばわりするのは、どう考えても致命的に似合っていない。どう見ても血に飢えた一匹狼か、得体の知れない怪物の方がしっくりくる。
「あぁ、感謝する」
だが、本人は一切気にした様子もなく、全く感情のこもっていない、微塵も感謝していなさそうな声で淡々と返した。他者からの評価や呼称など、彼者にとってはどうでもいいノイズでしかない。
しかし、そのやり取りを許せない者が約一名いた。
「あら。わたくしの
清姫が、扇子をパチンと閉じてエリザベートを冷ややかに睨みつけた。
「……アンタ、今とんでもない変換しなかった?」
エリザベートがドン引きした顔で顔を引きつらせる。
「大体、アタシはこんな可愛げのない男、マスターだなんて認めてないわよ。アタシはこんな安いドラゴンじゃないし! いつか、アタシにぴったりの『とっておきのマスター』に必ず出会うんだから!」
「見果てぬ夢を見るなんて。頭の中の具合は大丈夫ですか?」
「夢じゃないっての! これは確信だから!」
清姫の強烈な皮肉に対し、エリザベートは力強く立ち上がって胸を張った。
「きっとアタシ好みの、アタシを大っ好きになってくれる……そう、『小ブタ』みたいなマスターと出会えるんだってば!」
「はいはい。今日も頭の中は日本晴れですねぇ」
「ムッキー! 言わせておけばこの女!」
火を挟んでギャーギャーと再開される、竜の少女たちによる騒がしい口喧嘩。もうすっかり慣れてしまったマシュは、苦笑いしながらそれを眺めている。
「……ずいぶんと、賑やかだな」
少し離れた場所で黙々と食事をしていたジークフリートが、ぽつりと呟く。
「こういった雰囲気は苦手か」
「いや、そんなことはない」
竜殺しの英雄は、燃える炎を見つめながら、どこか懐かしむように目を細めた。
「少し、昔を思い出していただけだ。……悪くないものだな」
男二人が静かに言葉を交わし合っていた時だ。
「マスター! はい、あ〜ん」
「……ん?」
突如として、清姫が二人の間に強引に割って入り、ヴァルナの口元へスプーンに乗せたスープを突き出してきた。
「なっ……!? き、清姫さん!? いきなり何を!?」
マシュが顔を真っ赤にして慌てふためく。
「やめろ」
対するヴァルナは、文字通り「一秒のラグもない即答」で、氷のように冷たい塩対応を叩きつける。そこに照れや戸惑いは一切なく、ただ純粋な『拒絶』だけがあった。
そんなカオス極まる賑やかなやり取りが繰り広げられる中。
ジャンヌ・ダルクだけは、一人静かに火を見つめ、ひどく思い詰めたような顔で俯いていた。彼女の内で渦巻く疑念。だが、彼女がそれを口にすることはなく、夜の時間はゆっくりと過ぎていった。
*
夜も更け、見張りを交代制にして休むことになった一行。
前日と同様、ダ・ヴィンチが用意したテントは男女別で分けられている。女性陣のテントにはマシュ、ジャンヌ、エリザベート、清姫の四人が入り、男性陣のテントにはヴァルナとジークフリートの二人が身を横たえていた。
薄暗いテントの中。
ジークフリートがふと目を覚ますと、隣で寝ているはずのマスターが身を起こし、あぐらをかいたまま自身の掌を見つめていることに気がついた。
パチッ……バチィッ。
ヴァルナの掌の上で、ドス黒い呪力の塊が明滅し、黒い火花を散らしては弾けている。
「……どうかしたのか、マスター」
「……少しな」
ヴァルナは、掌の上の呪力を見つめたまま、平坦な声で答えた。
「今日の戦闘を思い返していた。あの戦闘を。……その余韻が、まだ残っているらしい」
昼間の戦場で『本物の強者』と相対した時の、あの獰猛な熱が微かに燻っている。
バチィィィンッ!!
彼の心がその熱を思い出したことで、掌に集められた呪力がさらに激しく弾け飛んだ。
「……このままじゃ、眠れそうにない」
ヴァルナは呪力を握り潰して立ち上がると、隣にいるジークフリートを見下ろし、極めて真面目な顔で、とんでもない提案を口にした。
「少し、打ち合わないか。ジークフリート」
「……今からか?」
さすがの大英雄も、深夜に突然の
『ちょっとおおおおおっ!!』
その時、消していたはずの通信機が強制的に起動し、オルガマリーの怒声がテント内に響き渡る。
『ばかじゃないの!? なに深夜に特大の反応出してるのかと思えば、味方同士で殺し合おうとしてんじゃないわよ!! 明日も特異点の探索が控えてるの! さっさと寝なさい!!』
ものすごい剣幕の説教。
さらに、オルガマリーの矛先は戸惑っているジークフリートへも向けられる。
『ジークフリート! あなたもよ! 彼の馬鹿な誘いに絶対に乗らないように! いいわね!?』
「あ、あぁ……承知した」
所長の絶対的な命令に、竜殺しの英雄がタジタジになりながら頷く。
ヴァルナは心底つまらなそうにため息を吐き、ドス黒い呪力を霧散させて、大人しく横になるのだった。
*
静寂に包まれた夜の森。
テントから一人、ヴァルナ・クロスは音もなく抜け出した。
冷たい夜風が頬を撫でる。しかし、彼の体内に燻る『熱』は、外気程度で冷ませるものではなかったのだ。
(……やれやれ。少し、落ち着くか)
彼は小さく息を吐き、昂る本能を静めるため、あてもなく森の中を歩き始めた。
木々の隙間から落ちる月明かりを頼りに進んでいくと、ふと、見知った魔力反応が、少し先の開けた場所にあることを知覚する。
歩みを進めると、そこには手頃な岩にちょこんと腰を下ろし、夜空を見上げている少女の姿。
ジャンヌ・ダルクである。
「……何をやってる?」
ヴァルナが短く声をかけると、ジャンヌは肩を微かに揺らし、こちらを振り向いた。
「ヴァルナ、くん? こんばんは。……ふふっ、なんだか昨日の夜とは真逆ですね」
「そうだな」
ヴァルナは彼女から数歩離れた位置に立ち、その顔を静かに見下ろす。
「眠れないのか」
「いえ、そういうわけではありません。ただ少しだけ、夜風を浴びようと思っただけです」
「そうか」
彼女は穏やかに微笑んでみせた。
しかし、ヴァルナの「魂の輪郭を知覚する瞳」は、彼女の奥底で微かに揺らぐ、もやもやとした感情の波を一切見逃してはいない。
彼は一つ、短くため息を吐く。
「……お前は、いつも悩んでいるな」
「えっ?」
昨日の夜、自身のアイデンティティについて深く絶望していた彼女の姿を思い返しつつ、ヴァルナは平坦な声で指摘した。
その言葉に、ジャンヌは少しだけ目を丸くした後、降参したように苦笑いを浮かべる。
「……やはり、分かりますか。さすがに鋭いですね」
「お前が分かりやすいだけだ」
いつものように淡白に返しつつ、ヴァルナは一瞬の間を空けて、事の核心を突く。
「俺のことか」
「――っ」
ジャンヌの青い瞳に、初めて明確な動揺が走った。
まさか、自分が「何について悩んでいるのか」まで見透かされているとは思わなかったのだろう。
「何か悩んでいるようには見えた。それに、幾度となく俺の方へ視線が向いていたからな」
ヴァルナは腕を組み、ただ事実を羅列するように淡々と語る。
「何か聞きたいことがあるが、踏み込んでいいのか分からない。……そんな、もやもやとしたものを抱えているような、そんな感覚だ。違うか?」
「……本当に、鋭いですね」
ジャンヌは深くため息を吐いた。この、すべてを見透かすような硝子の瞳の前では、下手な誤魔化しなど無意味なのだと悟る。
「聞いても、いいですか。……あなたのことについて」
「構わない。何が知りたい」
即答するヴァルナに対し、ジャンヌは膝の上で両手をきつく握り締め、少しだけ視線を泳がせる。
「これは少し、パーソナルなことになってしまいます。もしかすると、あなたを不愉快な気分にさせてしまうかもしれない……」
「構わないと言っている。何だ?」
前置きすらもバッサリと切り捨てる彼に背中を押され、ジャンヌは意を決したように、彼を真っ直ぐに見据えて問いを投げた。
「……今日の戦闘についてです。私の中に、一つ『違和感』がありました」
「違和感?」
「はい」
彼女は少しだけ目を伏せ、昼間の凄惨な死闘を脳裏に蘇らせる。
「あの、串刺し公との戦闘についてです。……あの激戦の中で、マリーとアマデウスさんは、お亡くなりになりました」
「そうだな」
「その時、私の中に一つの疑問が浮かんだんです」
ジャンヌの言葉に、わずかな緊張が混じる。
「もし……あなたが『その気』になれば。お二人は、死なずに済んだのではないかと」
それは、一歩間違えれば彼を糾弾するような響きを持っていた。
だが、彼女の瞳に責める意図はない。ただ、己の中の「ヴァルナ・クロスという人間への理解」を確かめるために、純粋な疑問としてその問いを投げたのだ。
対するヴァルナは、眉一つ動かさず、何も感じていなさそうな平熱の声色で問い返した。
「その気になれば? それはどういうことだ。俺は全力で敵を迎え撃ったし、あの極限状況の中で、盾として使えるように式神も送り込んだ。その上で、あの時は相手の力と手数が一歩上手だった。……俺が手を抜いているように見えたか?」
「いえ、決してそんな風には見えていません」
ジャンヌは即座に首を横に振る。彼が一切の手抜きなく、死線を潜っていたことは理解している。
「ですが……あの場で、敵の宝具の『迎撃』ではなく、完全に『守り』に回っていたのなら。あなたであれば、ご自身のリソースをすべて防御に注ぎ込み、二人を救うことができたのではありませんか?」
彼女の指摘は、極めて鋭利。
「串刺し公。あのサーヴァントの宝具は強力で、マスターは即座にその対処に動きました。……その時。あなたが『一番』に考えていたことは、何でしょうか?」
夜風が、二人の間を吹き抜ける。
「私には……あなたが、『目の前の存在と戦闘がしたい』。そういった思考を最優先させていたように、見えたのです」
「……」
その問いは、ヴァルナ・クロスの行動原理という『真理』を完璧に突いていた。
実際、彼はあの時、味方を全力で守護することよりも、「目の前の強者を真正面から打ち倒すこと」を優先した。
もしあの時、彼が迎撃の『領域展開』を行わず、アマデウスとマリーの傍へ移動し、防御だけに全リソースを注ぎ込んでいれば、二人を救うことはできたかもしれない。杭の雨を二人が防ぎきれないことは、彼であれば分かっていたはずだ。
マシュに言葉をかけ、令呪を切り、玉犬を二人の盾として送り込んだ。やるべき行動はすべてとった。
だが、彼はあの時『味方の生存』よりも『自身の闘争』を優先させたのだ。
「……私は別に、あなたを責めているわけではありません」
沈黙するヴァルナに対し、ジャンヌは静かに言葉を継ぐ。
「実際に、私の力不足でお二人を守ることができなかったわけですし。自分にできなかったことを相手に求め、あなたを責めるのは、責任転嫁のお門違いですから」
彼女は一瞬、言葉を止めた。
どうやって己の内の感情を言語化すべきか、迷うように。
「あなたは確かに、仲間をないがしろにするような人間ではないのでしょう。……昨夜、私の悩みを聞いてくれた時、あなたは明確に先を示す光のように、言葉をくれました」
「……」
「マシュさんからも、テントであなたの話は伺いました。自分自身が傷を負うことも顧みずに、身を挺して人を助けているのだと」
だからこそ、と。
ジャンヌは、その青い瞳に深い『迷い』を浮かべて、ヴァルナを見つめた。
「だからこそ……分からないのです。あなたのことが」
単純に見えて、極めて複雑。
冷酷に見えて、どこか温かい。
ヴァルナ・クロスという人間の『在り方』に対する、強烈な疑念と矛盾。
「今日の、戦闘での行動。聖女マルタとの戦闘。串刺し公との戦闘。周囲への気遣いと、ご自身の戦闘の優先……そして」
ジャンヌの脳裏に、マリー・アントワネットが消滅する直前、彼女の手を握ったヴァルナの姿が蘇る。
「マリーに対して向けた、あの目線と、言葉」
気遣うような言葉。
だが、その瞳には『悲しみ』という感情は一切含まれていない。ただ、極上の芸術作品――美しいものを見るような、そんな純粋な慈しみが滲んでいた。
「今日の出来事を踏まえて……私は、ますます分からなくなりました。あなたという人間の在り方が」
ジャンヌは、己の内に浮かんだ感覚を、一つ一つ丁寧に言語化していく。それは、目の前の男の『矛盾』を解き明かすための作業。
「人間を、ひどく矮小な存在だと思っているような。高い地点から、見下ろしているような……。なのに、誰よりも『人間になろう』としているように、正しいことをしようとしているようにも見えます」
「……」
「人間に価値を見出していないようでいて、特別な何かを見出しているような。……人間をすべて平等に見ているように見えて、マシュさんという一人の人間にだけは、深く肩入れしているような」
相反する要素が、彼の内側で混沌としている。
だが、それが決して破綻しておらず、不思議と『矛盾なく一つにまとまっている』ように見えるのだ。
「人間の心は複雑だと聞きますが……あなたは、とりわけ難しい。何に重きを置いて生きているのかが、分からない」
ジャンヌの言葉に、熱がこもる。
「他人のことよりも、己の欲を優先しているような……それが悪いとは言いません。ですが、それでもあなたは時に、ご自分の身よりも他人を優先するきらいもある。……たくさんの矛盾を、抱えているように見えるのです」
すべてを吐き出した彼女は、小さく息を肩でし、ヴァルナの返答を待った。
しばしの沈黙。
ヴァルナは、怒るわけでも、悲しむわけでも、責められたことに弁明するわけでもなく。
ただ、いつも通り彼女を真っ直ぐに見つめ返した。
「……俺が、どのような人間か分からないか」
夜風が、彼の白髪を揺らす。
「俺が、人間に見えないか?」
その問いかけは、どこか奇妙な響きを持っていた。
彼自身が「自分がどう見えているか」を確認するような、純粋な問い。
「それは……俺自身も、よく分からないな」
ヴァルナは夜空を見上げ、まるで他人の事でも話すかのように、平坦な声で語り出した。
「俺の育ってきた環境のせいかもしれない。少し……いや、かなり特殊な環境で育ったからな」
「特殊な、環境……」
「お前が納得するかは分からないが。少し、過去の話でもしよう」
ヴァルナはジャンヌへと視線を戻し、静かに告げる。
「俺自身、自分が『こういう人間だ』と、正確に語ることはできない。……であれば、俺の過去を聞き、お前自身で判断するといいだろう」
彼は選択を委ねるように、問いかける。
「どうする?」
「……分かりました。嫌でなければ、お願いします」
ジャンヌは居住まいを正し、彼という人間の『ルーツ』を知るため、真っ直ぐに頷いた。
「俺は、俺自身が人間であるのかどうか分からない。……そう悩んだことも、過去にはある」
ヴァルナは岩に背を預け、遠くを見るような目をした。
「すでに通り過ぎた悩みだけどな。おそらく……俺が今の俺に至ったのは、先天的な体質や、術式の影響。長く身を置いていた異常な環境。そして、俺自身が『その環境を苦に思わない精神性』だったからだろう」
孤高の呪術師は、自らの内に眠る血塗られた記憶の蓋を、静かに開け放った。