Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード) 作:りー037
特異点の中心地、オルレアン。
かつてフランスの希望を象徴したその都市は、今や黒い竜の意匠が施された要塞と化し、禍々しい魔力の雲に覆われていた。
ヴァルナを先頭に、六人の戦力が市街地を抜け、城へと続く長大な城壁を見据えて駆け抜けていく。
『気をつけて! 城壁の周囲に、高密度の魔力網が張り巡らされているわ!』
腕の通信機から、カルデア所長オルガマリーの切迫した声が飛ぶ。
『おそらく、侵入者を感知するための結界よ! 触れれば即座に、位置が筒抜けになる!』
「感知されるのは確かに面倒だが……」
ヴァルナは足を止めることなく、感情の起伏のない声で返す。
「逆に言えば、あそこに『敵の本丸』がいると宣言しているようなものだ。隠密行動をするつもりはない。……そのまま突破する」
彼は迷うことなく、結界の境界線へと飛び込んだ。
バチィッ! と空間に赤い魔力の波紋が広がり、侵入者の存在を城の深部へと伝達していく。それを気にも留めず、ヴァルナは強化を施した両足で城壁を蹴り上げ、垂直の絶壁を重力など存在しないかのように駆け登る。
「先輩に続きます!」
「遅れんじゃないわよ、ヘビ女!」
「言われなくても分かっております!」
マシュが盾を構えて跳躍し、ジャンヌが旗を翻して風を切り、サーヴァントたちも次々と城壁を乗り越えていく。
やがて彼らは、城の正門へと続く広大な『城前広場』へと着地した。
城は街を見下ろす高い位置にあり、背後には切り立った絶壁と、その眼下に広がるオルレアンの街並みが見渡せる。
だが、その景色を堪能する余裕など、彼らには一秒たりとも与えられなかった。
『上空に多数の熱源反応! 迎撃システムが起動したみたいだ! ……百体を超えている!!』
ドクター・ロマンの悲鳴じみた警告が響く。
空を覆う羽ばたきの音。
見上げれば、赤黒い雲の合間から、飢えたワイバーンの大群が文字通り「降って」こようとしていた。百を超える亜竜の群れ。それが一斉に襲い掛かれば、どれほどの猛者であっても足止めは免れない。
「マスター。ワイバーンが、こちらに気づきました」
「ああ。分かっている」
ヴァルナは足を止め、空を埋め尽くす竜の群れを静かに見上げた。
「あの数のワイバーンに群がられるのは、かなり面倒だな」
「まずは……あれを、一掃するか?」
隣に並び立ったジークフリートが、背の大剣に手をかけながら静かに問いかける。彼であれば、広範囲に魔力放出を伴う一閃を放つことで、あの群れに大穴を空けることは可能だろう。
だが、一秒のラグもなく首を横に振り、それを制した。
「駄目だ。ここで、お前に無駄な魔力消費をさせるわけにはいかない」
ヴァルナの計算は極めて冷徹かつ合理的。
「ジークフリート、お前には『ファヴニール』がいる。出し惜しみをする状況ではないが、リソースの無駄遣いも許されない。……ここは、別の手段で一掃する」
そう言うと、ヴァルナは両手の指を絡ませ、一つの影絵を作りながら、後方に控えるピンク色の少女を振り返った。
「エリザベート」
「……なによ?」
腕を組み、不機嫌そうに顔を背けているエリザベート・バートリー。
「宝具の準備をしろ。お前の『歌』で、あのワイバーンを一掃する」
「はぁ?」
突然の指示に、彼女はあからさまに不満げな顔を作った。
「冗談じゃないわよ! アタシだって、あの女との決着があるの! 本命とやり合う前に、 こんな雑魚相手に消耗したくないんだけど!?」
彼女の主張はもっともだ。しかし、こちらの陣営で「対空の超広範囲殲滅」を行える手札は限られている。ジークフリートを使えない以上、彼女の音波攻撃に頼るのが最適だろう。
「なんだ、俺たちに最高の歌声を響かせると言っていただろう。あれは口だけだったのか?」
「なっ……! そんなわけないでしょ! アタシの歌はいつでも超・最高なんだから!」
彼女のアイドル魂に、カチリと小さな火がついた。
「これは、本命とやり合う前の『準備運動』のようなものだ。歌を歌う前には、発声が必要だろう。ワイバーンというのは少し物足りないかもしれないが、お前のライブの『前座』としてはちょうどいいはずだ」
「……」
エリザベートが、むむっ、と眉間に皺を寄せる。
確かに、彼の言う言葉にも一理ある。何より「ライブの前座」という甘美な響きが、彼女の承認欲求を激しく揺さぶっていた。
「……でもぉ」
否定の言葉を口にしつつも、彼女の尻尾はパタパタと落ち着きなく揺れている。
どうやら、もう一押しが必要らしい。彼は、己の感情回路を通さず、事象の解決のみを目的として次のカードを切る準備をする。
「キシャァァァァァァッ!!」
先陣を切った数体のワイバーンが、急降下して襲い掛かってきた。
「させませんっ!!」
「はぁぁっ!!」
マシュとジャンヌが前へ飛び出し、盾と旗槍でワイバーンの顎を容赦なく弾き飛ばす。
「シッ――」
結んでいた影絵を完成させ、自身の影から巨大な怪鳥『鵺』を顕現させた。
「マシュ、ジャンヌ。下がれ」
鵺が翼を広げ、バチィィィンッ! と高圧の電撃を上空へ放ち、後続のワイバーンの群れを一時的に牽制する。ジークフリートと清姫も、迎撃の構えを取りながら警戒を最大まで引き上げていた。
ヴァルナは鵺を影へしまい込むと、再びエリザベートへと向き直る。
「それに、お前のその歌を、ここら一帯すべてに響かせるために……こちらも『全力でサポート』するつもりだ」
「え……?」
ヴァルナは歩みを進めながら、軽く振り向き、自身の右手甲を彼女の眼前へと掲げてみせた。
そこには、真紅の令呪が二画、残されている。
「残り二画の令呪。その一つを切るつもりだ。……これを、お前に託そう」
極めて真剣な光を帯びてエリザベートを見つめる。
それは演技ではない。「効率よく盤面を制圧するために彼女の宝具が必要である」という、純粋な真実。
「子犬……アンタ! まさか!」
エリザベートはハッと息を呑み、両手で口元を覆って驚愕の表情を浮かべた。
「つまり! アタシの『マネージャー』になりたいってこと!?」
「違う」
今は彼女を乗せて宝具を撃たせなければならない場面だ。だが、この得体の知れない「マネージャー」という面倒な設定を放置しておくと、後々取り返しのつかない
「えっ? 違うの?」
「あぁ、違う」
ヴァルナは咳払いを一つし、再び真剣な、真っ直ぐな瞳で彼女を見据えた。
「頼む。……いまは、お前しかいない」
――ドクンッ!!
その一言が、エリザベート・バートリーのアイドル魂に、完全な、制御不能な爆炎を灯した。
(アタシしかいない……アタシの歌が、どうしても必要だっていうのね!)
彼が純粋なファンであるかと言われれば絶対に違うが、それでも、一人のマスターがここまで自分を必要としてくれている。ならば、全力で応えるしかない。
「……ふふっ、いいわ。やってやるわよ!」
エリザベートは槍をくるりと回し、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「アタシの美声で綺麗に掃除してあげる!」
完全にやる気モードへ突入した。交渉成立である。
「マスター! ワイバーンの第二陣、第三陣が押し寄せてきます! 早くしなくては……!」
前衛で凌いでいたジャンヌが、切羽詰まった声で叫ぶ。
「ああ、やるか」
ヴァルナは右手を高く掲げ、絶対の命令を下した。
「――令呪を以て命ずる。エリザベート・バートリー」
真紅の光が弾け、圧倒的な魔力バフがエリザベートの霊基へと注ぎ込まれる。
「天に、その歌声を響かせろ」
「任せなさい!」
魔力のリミッターを外されたエリザベートは、広場の最前線へと踊り出た。
彼女は空を埋め尽くす竜の群れを睨み上げ、大きく、限界まで息を吸い込む。令呪による強化が乗った彼女の内部魔力は、今や一つの戦術核に等しいほどに膨張していた。
「全員、爆音に備えろ!!」
「とっておきのナンバーで、イかせてあげる!!」
エリザベートが、天に向かってマイクを突き出す。
彼女の背後に、巨大な血塗られた城の幻影が浮かび上がった。
「派手に行くわ! ラストナンバーよ! 盛大に見せてあげる! 『鮮血魔嬢(バートリ・エルジェーベト)』!!」
――そして。
「Laaaaaa~~~~~~~~~~~~!!!!!」
それは、歌と呼ぶにはあまりにも破壊的な、空間そのものを引き裂く『大絶唱』だった。
ゴアァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!!
空間が物理的に歪み、大地震が起きたかのような圧倒的な音波の波動が、円錐状に空へと向かって放たれる。
広場の石畳がめくれ上がり、城壁がビリビリと震動し、空に立ち込めていた暗雲が一瞬にして吹き飛んだ。
「ギ、ギャアァァァァッ!?」
「キィィィィィィッ!!」
目、耳、口から血を噴き出し、脳を揺らされた亜竜たちが、次々とバランスを崩して落下していく。ボトボトと、まるで巨大な雨粒のように、百を超えるワイバーンが地に叩きつけられ、光の粒子となって消滅していく。
『ガガッ……ピィィィィッ!!? こっちの通信機が……ッ、鼓膜がぁぁぁ!』
カルデアからの通信は完全にバグり散らかし、ロマンの悲鳴だけが途切れ途切れに聞こえてくる。
「っ……!」
「うぅぅ……ッ!」
空に向かって放たれているはずなのに、その余波だけで背後の味方すら壊滅しかけていた。マシュは盾の後ろで両耳を塞ぎ、ジャンヌも顔をしかめてしゃがみ込む。
ヴァルナは即座に呪力を耳の鼓膜へ集中させ、分厚い呪力の膜で物理的な音波をシャットアウトしていた。
(……なんとなく想像はできていたが、これは……)
彼は無表情のまま、ボロボロ落ちてくる竜の雨を眺める。
「セン……! ココ……マ……ソウゼツ……ウタ……ハジメ……!!」
隣でマシュが、必死に口をパクパクさせて何かを叫んでいるが、轟音にかき消されて全く聞こえない。その顔の引きつり具合から、なんとなく察しはつくが。
(……まさに、地獄だ)
音楽的な才能という点においては、間違いなく絶望的。
だが、だからこそ意味がある。この圧倒的な広域制圧能力によって、厄介なワイバーンの群れは文字通り一掃され、空には数体のヘロヘロになった個体が残るのみとなっていた。
やがて、絶唱が終わる。
不気味なほどの静寂が、広場に訪れた。
「ふぅ……! どうだったかしら!?」
エリザベートはくるりと振り返り、槍を握ったまま、キラキラと輝くドヤ顔でアピールしてきた。ファンの熱狂と称賛を待ちわびる、完璧なアイドルのポーズ。
「……」
「……」
マシュとジャンヌは、耳鳴りに耐えながら引きつった苦笑いを浮かべるしかない。
ジークフリートですら、大剣を杖代わりにして、何とも言えない微妙な顔で目を逸らしている。
「とてつもない『雑音』でしたわね。耳が腐るかと思いました」
清姫に至っては、一切の気遣いなく、苛立ちを隠そうともせずに毒を吐く。
「なによ! アタシの美声が理解できないなんて、ヘビ女は耳まで爬虫類なの!?」
「なんですって、このトカゲ女!」
すぐに始まる口論。
だが、ヴァルナだけは、その宝具の効果に対して、心底「満足」していた。
歌唱といった美的センスは彼には分からない。どうでもいい。だが、この圧倒的な破壊規模と殲滅効率は、彼の要求を完璧に満たすものだった。
「ギャァァッ……」
「シッ」
ヴァルナが呪力を込めた手刀を一閃し、ジークフリートが剣の柄で殴り飛ばす。もはや陣形を組むまでもない、ただの雑魚処理。
そして、ヴァルナは竜の残骸を踏み越え、エリザベートへと言葉をかけた。
「エリザベート。助かった」
「え?」
それは、打算でもおだてでもない。盤面をひっくり返してくれたことへの、純粋で率直な感謝の言葉。
「お前のおかげで、これ以上の消耗を避けることができた。これで俺たちは前に進める」
「えっ? ほ、ほんと?」
エリザベートの顔がパッと明るくなり、そして、ほんの少しだけ不安そうに上目遣いで問いかける。
「アタシの歌……良かった?」
「ああ、上出来だ。予想以上の成果を見せてくれた」
淡々と頷く。そして、彼は孤高の呪術師であるがゆえに、自身の内にある事実をそのまま出力してしまうデリカシーの無さを発揮する。
「最初は、何の役にも立たないうるさいだけの存在だと思っていたが。……悪かったな、見直した」
「……ちょっと」
エリザベートの笑顔が、ピキリと凍りついた。
「最後の、どういうことよ。何の役にも立たないと思ってたって、どういうことよ!!」
「前座は散った。攻めるぞ」
「無視するなぁぁっ!!」
抗議するエリザベートを完全にスルーし、ヴァルナは城の入り口へと視線を向けた。
――その時
ズズン……、ズズズン……ッ!!
オルレアン城の背後から、太陽の光を遮るように巨大な影がせり上がってくる。
空気を震わせる重低音は、その怪物が羽ばたくたびに生じる風圧の音。赤黒い魔力の雲を切り裂き、広場の上空へと舞い上がったそれは、人類史に深く刻まれた恐怖の象徴。
邪竜、ファヴニール。
「……ッ」
マシュ・キリエライトが、その圧倒的な存在感に息を呑み、巨大な盾を構え直す。
ただそこに在るだけで、大気中の魔力が悲鳴を上げている。先ほど一掃したワイバーンの群れなど、この竜の落とす鱗一枚にも満たない、絶対的な『格』の違い。
そして、ファヴニールの飛来とほぼ同時。
『ヴァルナ!! 城の入り口から、英霊の反応を確認したわ! 二体よ!!』
通信機越しに、オルガマリーの切迫した警告が飛ぶ。
ギギギギギ……ッ!!
重々しい金属音を立てて、城の巨大な正門が内側から開かれた。
暗い城内から姿を現したのは、二騎のサーヴァント。
一人は、豪奢なドレスを血のような赤で染め上げ、残虐な笑みを浮かべる吸血鬼。アサシン、カーミラ。
もう一人は、緑の衣を纏い、獣の耳と尻尾を生やした野性味溢れる女弓兵。アーチャー。
「やはり、来たか」
戦場を見渡し、極めて冷静に盤面の状況を処理していく。
「フフフ……来たのね」
カーミラの血に飢えた視線が、一直線にエリザベートを射抜く。
「ここが貴方たちの墓標よ。無様にもがき、血を流しなさい」
対するエリザベートは、いつもの騒がしさを完全に消し去り、殺意すら滲む冷たい瞳で『自分』を睨み返していた。
――そして。
獣の耳を持つアーチャー、アタランテが、一切の予備動作なしに愛弓を引き絞った。
ヒュンッ!!
弦が弾ける音よりも早く、超音速で放たれた一矢が、直線の軌道を描いて『敵の核』であるヴァルナの眉間を的確に穿とうとする。魔力が込められた必殺の狙撃。
ガキィィィィィィンッ!!!!
「……させません!」
ヴァルナの目の前に、巨大な盾が立ち塞がる。
マシュ・キリエライトである。彼女は矢が放たれる瞬間の筋肉の微細な動きを捉え、ヴァルナの死角を完璧にカバーする位置へ滑り込み、その一撃を弾き飛ばす。
彼女の瞳には、先ほどの野営地で見せたような「自分自身の感情への戸惑い」は微塵もない。白紙の少女は、戦場において自分が成すべきこと、マスターを守るという使命に、一点の曇りなく集中していた。
「…………」
自身の狙撃が防がれたアタランテが、獣の耳をピクリと動かし、弓を構え直す。
「このままでは混戦になるな」
空からの邪竜のブレス、地上からの超高速の狙撃、そして吸血鬼の絡め手。これらが同時に襲い掛かれば、どれほど個の力があろうと陣形は容易に崩壊する。
「まずは『分断』する」
ヴァルナは一歩前に出ると、一切の迷いなく指揮を下す。
「ジャンヌ、マシュ! お前たちはこのまま城の内部へ向かい、『竜の魔女』を目指せ!」
「はいっ!!」
「了解しました、マスター!」
二人の気合いの入った返事が響く。
「エリザベート、清姫。お前たちは城へ入らせるため、あの二体の英霊を足止めしろ」
「言われなくても、そのつもりよ!」
エリザベートは槍を構え、自身の罪の象徴であるカーミラだけを視界に収めて飛び出していく。
「承知いたしました、マスター」
清姫もまた、静かに扇子を開いた。彼女の蛇のような瞳が、緑の衣のアーチャを明確な『敵』として定める。
「……ジークフリート」
「あぁ、分かっている」
ジークフリートは短く応えると、背に負った大剣の柄を強く握り締め、自身の内に眠る膨大な魔力を刃へと注ぎ込み始めた。
ゴオォォォォォッ!!
竜殺しの魔剣から放たれる、黄昏色の濃厚なエーテル。それは、竜という種族にとって絶対的な『死』の匂いを放つ猛毒に等しい。
「グオォォォォォォォッ!!!!」
ファヴニールが、その魔力にいち早く反応する。
邪竜は決して理性のない獣ではない。極めて高い知性を持つ幻獣である。あの黄昏の剣の攻撃範囲内に留まることがどれほど危険か、本能と理性の両方が理解していた。
バサァァァァァァッ!!
ファヴニールは巨大な翼を力強く打ち据え、ジークフリートの魔剣の間合いから逃れるように、一気に高度を上げる。
城の尖塔よりもさらに高く、雲を切り裂くような遥か上空へ。そこから広範囲のブレスで一方的に焼き尽くそうという、極めて理にかなった戦術。
「……やはり、知性が高いな」
空を見上げ、ヴァルナは微かに口角を上げる。
だが、それは彼の『計算通り』の動きでもあった。竜が空へ逃げる。それは即ち、戦場を強引に『上』と『下』に分断する最高の機会。
「問題はない」
――ドンッ!!!!
爆音。
石畳が、クレーター状に粉砕された。
次の瞬間、ヴァルナの姿は地上から掻き消える。
「なっ……!?」
彼に狙いを定めていたアタランテが、その異常な軌道に目を剥く。
足に莫大な『呪力』を極限まで収束させ、それを一気に解放した爆発的な跳躍。呪力強化という身体能力の暴力を以て、ヴァルナは一瞬にして重力の鎖を千切り飛ばし、空高く舞い上がったファヴニールの『さらに上』へと到達した。
(何をする気……!?)
地上で戦端を開こうとしていた皆が、はるか上空の凶行に目を奪われる。
風が吹き荒れる高高度。
ヴァルナは、見下ろすファヴニールの巨大な背中へ向けて落下しながら、空中で両手の指を絡ませ、一つの手印を結ぶ。
彼の目的は、この邪竜を他のサーヴァントたちから完全に引き剥がし、隔離すること。
現在、彼らがいるのは『
つまり。
この上空から、ファヴニールを城前広場ではなく、遥か下方の『街』まで叩き落とせば、地形的な高低差によって分断は完璧に成立する。
だが、相手は規格外の竜種。ただの物理的な打撃でその巨体を弾き飛ばすことなど不可能。
であれば、あの規格外の巨体を吹き飛ばすために必要なものは何か。
答えは単純にして明快。
圧倒的な『質量』である。
「シッ――」
空中で、象を模した影絵が完成する。
十種影法術、最大の質量を誇る式神。
「『満象』」
巨大な象の式神が顕現しようとする。
だが、彼はそれを完全に実体化させて外へ放つことはしない。
彼は、顕現の途中の満象に莫大な『呪力強化』を施し、本来の重量をさらに数倍に跳ね上げさせると……その超重量の象を、そのまま自身の『影』の中へと収納したのだ。
十種影法術の基本機能。
影の中に物体を収納できるが、その収納物の重量は、影を背負う『術者自身』が引き受けることになる。
――即ち。
「……ッ!!」
ヴァルナの身体が、一瞬にして超高密度の質量兵器へと変貌する。
以前、聖女マルタすらも一撃で地に沈めた、悪夢のようなコンボ。
空中で質量が激増したヴァルナは、重力加速度に引かれ、隕石のような速度で急降下を始めた。
狙うは、眼下で翼を広げるファヴニールの背中。
「グォォ……!?」
上空からの異常な殺気と質量に気づいたファヴニールが、首を捻って迎撃のブレスを吐こうとする。
だが、遅い。
「落ちろ」
超質量と重力、そしてヴァルナ自身の呪力強化による最大出力の蹴りが、ファヴニールの強固な背面の鱗へと、脳天から真っ直ぐに突き刺さった。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッッ!!!!!!
空中で、雷鳴のような轟音が炸裂する。
激突の瞬間、大気が吹き飛び、白い衝撃波がオルレアンの空を切り裂く。
「ギャァァァァァァァァッ!?」
いかに幻獣種の頂点たる竜種であっても、物理法則を無視した数十トンの超質量が、極小の一点に収束して叩き込まれれば、その運動エネルギーを殺し切ることは不可能。
ファヴニールは迎撃はおろか、空中に留まることすらできず、ヴァルナの蹴りに押されるがまま、無様な悲鳴を上げて一直線に落下していく。
落下していく先は。
城壁の外側、絶壁の下に広がる、遥か下方の『オルレアンの街』だ。
*
ズッッッ、ドゴォォォォォォォォン!!!!
数十秒後。
城前広場にいるジャンヌたちの足元を、大地震のような強烈な揺れが襲った。
城壁の下、オルレアンの街の区画が一つ、完全に更地となるほどの致命的な激突。もうもうと立ち昇る巨大な土煙が、城前広場からでもはっきりと視認できた。
「……信じられない。あの邪竜を、物理的な力だけで叩き落としたというの……!?」
カーミラが、呆然と土煙を見下ろして呟く。
「……分断は、完了した」
ジークフリートが、土煙の上がる下層の街へ向かって、城壁の縁から静かに飛び降りる体勢をとった。
マスターが文字通り命懸けで作り出した状況。ここからは、己の魔剣を振るう時間だ。
「始めるか。ジャンヌ、マシュ、ここは頼む!」
ジークフリートは短く言い残し、バルムンクを構えたまま、竜が落ちた街へと向かって絶壁を駆け下りていった。
残された城前広場。
城内へ向かうジャンヌとマシュ。それを阻むカーミラとアタランテ。そして、その英霊に立ちはだかるエリザベートと清姫。
上層の広場と、下層の街。
空から地上へと引きずり降ろされた邪竜の断末魔を合図とするように、二つの特異点における極限の殺し合いが、同時に火蓋を切った。