Fate/Grand Order : 冠位影法録(グランドオーダー・シャドウレコード) 作:りー037
【時刻:2004年 某月某日 ??:??】
【場所:特異点F 炎上汚染都市 冬木・廃墟ビル前広場】
赤黒い炎が、夜空を焦がすように舐め上げている。
熱気で景色が揺らめき、崩落したコンクリートの粉塵が雪のように舞い散る中、オルガマリー・アニムスフィアは自身の目を疑っていた。
彼女の足元の影から、まるで泥水から這い出るように現れた長身の男。
カルデアの管制室で、人類存亡の危機を説く彼女の前で立ったまま居眠りをしていた、あのふざけた新人、ヴァルナ・クロス。
魔術回路の気配すら感じさせないその男は、今、彼女の首を刈り取ろうとしていた三体の竜牙兵(スケルトン)を、ただの「素手」で粉砕したのだ。
カタ、カタカタカタカタ……。
仲間の異常な破壊を察知したのか、広場を埋め尽くす数十体の竜牙兵が一斉に標的をヴァルナへと変更した。
錆びついた剣、刃こぼれした槍、引き絞られた粗悪な弓。四方八方から放たれる明確な殺意の包囲網。常人であれば、その光景だけで発狂しかねない。
だが、ヴァルナはオルガマリーを背に庇ったまま、感情の全く動かない瞳で周囲を「観察」していた。
(……数は三十四。武装の比率は近接が七割、遠距離が三割。統率者はいない。ただプログラムされた防衛本能に従って動く、魔力の自動人形。……地形は平坦だが、瓦礫の配置が不均等だな)
彼の脳内で、瞬時に戦場の3Dマッピングが完了する。
呼吸を一つ、深く落とす。同時に、臍下丹田から極限まで圧縮された呪力が、動脈を這うようにして全身の筋肉、骨格、神経へと循環していく。
『呪力肉体強化』
細胞の一つ一つが鋼の硬度とゴムの弾力を得て、彼の肉体は生物の枠を超えた兵器へと変貌を遂げていた。
「ギチィィッ!!」
先陣を切って、五体の骸骨が同時多発的に襲い掛かった。
前方から三体、左右から一体ずつ。逃げ場を塞ぐような連携。
オルガマリーが「危ない!」と叫ぶよりも早く、ヴァルナの身体が「消失」した。
ドォォォォンッ!!!
空気が爆ぜる音。
次にオルガマリーの視界に映ったのは、ヴァルナが五体の中で最も後方にいた骸骨の背後に立ち、その頭部を掌底で吹き飛ばしている光景だった。残りの四体は、彼が「通り抜けた」際に放たれた目にも留まらぬ打撃によって、すでに胸骨や頸椎を粉砕され、パラパラと灰のように崩れ落ちていた。
「な、に……? 今、何を……」
魔術師であるオルガマリーの動体視力をもってしても、彼の動きは捉えきれなかった。魔力放出による加速ではない。純粋な身体能力の底上げと、物理法則の最適化。無駄な挙動を極限まで削ぎ落とした「歩法」が、縮地にも似た錯覚を生み出していたのだ。
(右後方、弓兵三体。射線の確保まで〇・五秒)
ヴァルナは振り返らない。
自身の足元に広がる影の触覚を通じて、背後の敵の配置と挙動を完全に掌握している。
彼は砕け散る骸骨の手に握られていた錆びた剣を足の甲で跳ね上げると、振り向きざまに、凄まじい呪力と共に投げ放った。
ヒュンッ!!
音を置き去りにした投擲。回転する剣は空気を切り裂き、横一列に並んでいた三体の弓兵の胴体を、まるで串刺しにするように一撃で粉砕し、背後のビルの壁に深々と突き刺さった。
「――休んでいる暇はないぞ、骸骨共。かかってこい」
淡々とした、感情の欠落した声。
それが合図となったかのように、残る二十体以上の骸骨が怒涛の如くヴァルナに殺到した。
だが、それは戦闘というよりも「解体作業」だった。
ヴァルナは一歩も引かない。オルガマリーの前に立ち塞がったまま、迫り来る刃を最小限の動きで躱し、呪力を帯びた拳、肘、膝、蹴りを的確に急所へと叩き込んでいく。
打撃のたびに、青黒い呪力の残滓が火花のように散る。彼はあえて十種影法術を用いず、徒手空拳による制圧を選択していた。なぜなら、彼自身の肉体が環境(この特異点)に馴染むための、良い「準備運動」になったからだ。
「はぁ、はぁっ……先輩!!」
広場の入り口から、巨大な盾を構えたマシュが駆け込んできた。
ヴァルナが影道潜行で先回りしてから、全力で走って追いついたのだ。彼女の息は上がっていたが、瞳には戦意が満ちている。
『マシュ! 間に合ったね! 所長は無事かい!? 新人君をサポートして、残りの敵を押し返して!』
ヴァルナの腕の端末から、ロマニの焦燥した声が響く。
「ドクター、声がでかい。……マシュ、右翼の十体を頼む。さっき教えたことを忘れるな」
ヴァルナは骸骨の頭を握り潰しながら、平然と指示を出した。
「はいっ! 盾は壁ではなく、質量兵器……!」
マシュは地を蹴り、残存する骸骨の群れへと突撃した。
デミ・サーヴァントとしての驚異的な筋力が、彼女の細い手足に宿る。彼女はただ盾を構えて突っ込むのではなく、盾の縁を刃のように斜めに傾け、自身の体重と突進力を完璧に乗せて骸骨の群れへと衝突した。
ガァァァァァンッ!!!
凄まじい金属音と共に、骸骨たちがボーリングのピンのように吹き飛んでいく。
今までの彼女にはなかった、重心を崩さないための『足捌き』。ヴァルナがほんの数分前に見せた動きを、彼女は英霊の直感と生来の学習能力で、見事に再現していた。
(……飲み込みが早い。悪くないセンスだ)
ヴァルナはマシュの動きを横目で観察し、微かに満足げな思考を巡らせた。
マシュが体勢を立て直す隙を狙って、背後から一体の骸骨が槍を突き出そうとする。しかし、その刃が彼女に届くより早く、ヴァルナが瞬時に距離を詰め、骸骨の顎を蹴り上げた。
宙に浮いた骸骨を、マシュが振り返りざまに盾の裏面で打ち据える。粉々に砕け散る骨の雨。
言葉を交わす必要すらない、完璧な連携だった。
ヴァルナが敵の死角を突き、崩れたところをマシュの圧倒的な質量が押し潰す。わずか数分の間に、残っていた骸骨たちは一体残らず魔力の塵となって消え去った。
炎の弾ける音だけが、広場に取り残された。
【時刻:同日 ??:??】
【場所:冬木市・廃墟ビル前広場】
「周辺の敵性反応、ゼロです。やりましたね、先輩!」
マシュが安堵の笑みを浮かべ、額の汗を拭った。
ヴァルナは呼吸一つ乱すことなく、「ああ」と短く応え、自身の腕の袖についた骨の灰を軽く払った。
その静寂を破ったのは、地面にへたり込んだままのオルガマリーだった。
「……な、なによ……なんなのよ、アンタはぁぁぁっ!!」
我に返った彼女は、極度の恐怖と安堵、そして自身の不甲斐なさへの怒りが混ざり合った感情を爆発させた。
「 なんであんな化け物みたいな動きができるのよ! それに、なんでこんなところにいるの! カルデアはどうなったの!? レフは!? トリスメギストスの演算はどうなってるのよ!!」
泥と煤で顔を汚し、涙目で金切り声を上げる所長。
魔術師としての誇りを打ち砕かれた彼女は、完全なパニック状態に陥っていた。
「所長、落ち着いてください! 今は……」
マシュが慌ててなだめようとするが、オルガマリーのヒステリーは止まらない。
「落ち着いていられるわけないでしょう! 私はアニムスフィアの当主よ! こんな……こんな訳の分からない廃墟で、骨屑なんかに殺されかけて……!」
すっ、と。
ヴァルナがオルガマリーの目の前にしゃがみ込んだ。
「え……?」
距離、十センチ。
お互いの吐息が混ざり合うほどの超至近距離。
オルガマリーは突然の事に息を呑み、言葉を失った。目の前には、感情の読み取れない硝子のようなヴァルナの瞳がある。炎の照り返しを受ける彼の白い肌と、端正な顔立ちが、異常なほどの圧迫感を持って迫ってくる。
ヴァルナは彼女の瞳孔の開き具合、呼吸の乱れ、そして体内に残存する魔力の微細な波長を、極めて真剣に『観察』していた。
他意は一切ない。彼にとって、泣き喚く人間の状態を把握するための最短にして最善の手段が、この「顔を近づける」という行為だったのだ。
「……魔力の残量は三割以下。心拍数、百四十。精神の恐慌状態。……うるさいわけだ」
ヴァルナは淡々と事実を口にする。
「な、ななななっ! ち、近っ! 近いわよアンタ! 何考えてるのよ!!」
オルガマリーは顔を真っ赤にして後ずさり、尻餅をついたままバタバタと足を動かした。恐怖よりも、羞恥心と混乱が完全に上回っていた。
「せ、先輩! 近すぎます! 所長がパニックを起こしてしまいます!」
マシュも顔を赤らめながら、慌ててヴァルナの肩を引いて引き剥がした。
「……そうか。だが、静かになっただろう」
ヴァルナは不思議そうに首を傾げる。彼には、なぜ二人がこんなに慌てているのかが全く理解できていなかった。これが彼の「距離感を知らない孤高の観察者」たる所以である。
『……あー、コホン。とりあえず所長が無事で何よりだよ。新人君のデリカシーのなさは後で説教するとして、今はそこから移動してくれ。ここは開けすぎているし、火の粉も飛んでくる。安全に話ができる拠点を探そう』
ロマニが通信機越しに、呆れを含んだ声で助け舟を出した。
「……ドクターの言う通りだ。ここはうるさいし、臭い。移動するぞ」
ヴァルナは立ち上がり、オルガマリーに無造作に手を差し出した。
オルガマリーはその手を少しの間睨みつけた後、「……触らないで! 自分で立てるわよ!」とぷいと顔を背け、自力で立ち上がった。しかし、その足は微かに震えていた。
【時刻:同日 ??:??】
【場所:冬木市・炎上する街路〜廃ビル群】
三人は炎上する冬木の街を無言で進んでいた。
ヴァルナが先頭を歩き、マシュがオルガマリーを後方から護衛する陣形だ。
ヴァルナは歩きながら、自身の足元の影を薄く広げ、背後や周囲の路地に漂う微小な気配を感知・遮断していた。『影位相展開』の応用による、簡易的な気配遮断である。これにより、新たな竜牙兵に発見される確率を大幅に下げていた。
『さて、移動しながらで悪いんだけど、現状の説明をするよ』
ロマニの声が端末から響く。
『カルデアの中央管制室は何者かの手によって爆破された。生存者は数名。マスター候補生は……君を除いて、全員が意識不明の重体か、絶望的だ』
その言葉に、オルガマリーがハッと息を呑む。
『そして、カルデアスが真っ赤に染まった。これは「人類の未来が焼却された」ことを意味する。君たちが今いるのは2004年の冬木市……歴史の異常である「特異点F」。人類滅亡の原因は、間違いなくそこにある』
「人類滅亡、ね……」
ヴァルナは炎を避けて歩きながら、まるで他人の夕食の献立でも聞くかのようなトーンで呟いた。
「俺がやるべきことは?」
『原因の究明と、その排除だ。おそらく、この街の異常を引き起こしている「聖杯」と呼ばれる魔力結晶が存在する。それを破壊するか、回収して歴史を正常に戻す。それが、人類最後のマスターとなった君の使命だよ』
「なるほど。原因を壊せばいいんだな。シンプルでいい」
ヴァルナの超然とした態度に、オルガマリーは苛立ちを隠せない。
「シンプルですって……!? 相手がどれほどの化け物か分かってるの!? 英霊よ! 人類の史実に刻まれた英雄たちが、理性を失って殺し合いをしているのよ!」
「化け物なら、今までにも殺してきた。それに、俺にはこいつがいる」
ヴァルナは背後のマシュを一瞥した。
「……はい! 私は先輩のサーヴァントです。先輩の指示があれば、どんな敵の攻撃も防いでみせます」
マシュは盾を強く握り締め、力強く頷いた。
「見つけた。ここなら少しはマシだろう」
ヴァルナが足を止めたのは、崩落を免れた中規模の雑居ビルの入り口だった。
地下へと続く階段が、ぽっかりと暗い口を開けている。炎の熱も届かず、魔力の気配も薄い。
【時刻:同日 ??:??】
【場所:冬木市・雑居ビル 地下駐車場】
地下駐車場は静まり返っていた。
コンクリートのひんやりとした空気が、火照った身体を冷ましていく。
ヴァルナは周囲を一瞥し、安全を確認すると、床の隅に腰を下ろした。
「所長、結界をお願いできるか。ドクターとの通信を安定させるためにも、周囲の魔力を遮断したい」
ヴァルナが淡々と要求する。
「……言われなくてもやるわよ。私を誰だと思ってるの」
オルガマリーはプライドを立て直すように鼻を鳴らすと、地下空間の四隅に歩み寄り、自身の指先を噛み切った。滲み出た血を用いて、床に素早くルーン文字を刻み込んでいく。
『アニムスフィアの魔術刻印、起動。四方の守護、気配の遮断を固定(セット)』
淡い光が走り、地下室全体を透明なドーム状の結界が覆った。
ヴァルナはその手つきを、じっと観察していた。
(……呪力とは似て非なる法則。血を触媒とし、言葉(詠唱)で世界に命令を下す技術。脆弱だが、汎用性は高いな。……面白い)
「終わったわ。これで、最低限のサーヴァントの索敵からは逃れられるはずよ」
オルガマリーは少し自慢げに振り返ったが、ヴァルナはすでに興味を失ったように目を閉じ、壁に寄りかかっていた。
「ちょっと! 人が苦労して結界を張ったのにその態度はなによ!」
「ご苦労だった。十分休め。ドクター、通信のノイズは消えたか?」
ヴァルナは目を閉じたまま、腕の端末に話しかける。
『ああ、クリアに聞こえるよ。さすがは所長だ。さて、本格的に作戦会議をしよう』
ロマニの声が、少しだけ真剣なトーンに変わった。
『君たちが今いるのは2004年の冬木市……特異点Fだ。カルデアのデータベースによれば、本来の歴史なら、ここでは七人の魔術師と七騎の英霊が殺し合う『聖杯戦争』という儀式が行われているはずだった』
「聖杯戦争……七騎の英霊……」
マシュがゴクリと息を呑む。
『だけど、観測データは異常だらけだ。街はご覧の通り壊滅状態で、本来争っているはずの英霊たちの魔力反応もひどく歪んでいる。何らかの致命的なイレギュラーが起きて、儀式が破綻しているとしか推測できないんだ』
「……なるほど。要するに、その『聖杯』とやらがこの火事の原因というわけか」
ヴァルナは静かに目を開いた。その瞳には、相変わらず恐怖はない。
「原因を叩き潰してそれを回収すれば、この任務は終わりだな」
『……理屈の上ではね。ただ、そのイレギュラーのせいで、英霊たちが今どういう状態にあるのかまったく分からないんだ。さっきの骨の化け物たちのように、無差別に襲いかかってくる可能性も高い。くれぐれも警戒してくれ』
「あぁ、わかった。なら、まずは情報収集を主軸に動こう」
ヴァルナはマシュを一瞥した。
「……アンタたち、本気なの?」
オルガマリーが信じられないという顔で二人を交互に見た。
「人類最後のマスターなんて大層な肩書きがついたからって只の魔術師に、なりたてのデミ・サーヴァントよ!? 生き残れるわけがないわ!」
「生き残るさ」
ヴァルナは一切の感情を交えずに、事実だけを告げた。
「俺が死ぬことはないし、マシュも死なせない。あんたもだ、所長。俺の後ろにいる限り、骨一本折らせない」
それは、虚勢でも傲慢でもない。
十種影法術を極め、己の肉体を兵器と化し、強者故の孤独を歩んできた男の、純粋な『絶対の自信』だった。
オルガマリーはその言葉の重みに気圧され、何も言い返せなくなってしまった。マシュはヴァルナの横顔を見つめ、自身の胸の奥が熱くなるのを感じていた。
(……この人は、本当に……)
地下の静寂の中、ヴァルナの足元の影だけが、主の意思に呼応するように、微かに、深く揺らめいていた。