Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード) 作:りー037
遂にバーが染まった!やったね
「カ、ハッ…………!」
おびただしい量の鮮血が、竜の魔女の口から撒き散らされる。
冷たい石畳に倒れ伏すジャンヌ・オルタ。強固な漆黒の鎧の胸部は大きく陥没し、内部の肋骨が砕け散る致命的な音が彼女自身の耳にも響いていた。
上空から重力と意志を乗せて放たれた、マシュ・キリエライトの渾身のシールドバッシュ。
その強烈すぎる一撃は、彼女の霊基の核を正確に捉え、自らの命すら薪として放った極大の炎を、強制的にキャンセルさせた。
「こんな、ことが…………」
激痛に顔を歪めながら、オルタは呻き声を漏らす。
だが、彼女の脳を支配していたのは、胸の激痛だけではなかった。
腹部の奥底から、ドクン、と。あり得ないはずの『幻痛』が走る。
――数日前。
カルデアのマスターである、あの白髪の男から与えられた傷。
理不尽で、圧倒的で、一切の慈悲も感情も乗っていない、純粋な暴力。
竜の魔女として君臨している自分が、ただの人間にすぎないあの男の打撃を前に、赤子のように蹂躙されたあの日の記憶。絶望の象徴とも言えるあの男の冷たい眼差しが、今、確かな恐怖と共にオルタの脳裏に鮮明に蘇った。
(今、あいつはいない……あいつは、いないのにッ!)
オルタは血反吐を吐きながら、ギリッと歯を食いしばった。
あの規格外の化け物は、外でファヴニールを相手にしている。ここにいるのは、出来損ないの防衛兵器と、憎き白の偽善者の女二人だけだ。
だというのに、彼女たちは今、あの白髪の男が与えてきたのと同じような『抗いようのない絶望』を、この自分に突きつけてきている。
「このまま、終わりだなんて……絶対に、あり得ない。あり得て、いいはずが、ないッ!!」
オルタは砕けた胸を押さえ、血塗れの旗槍を杖代わりにして、執念だけで立ち上がった。
変質した復讐者としての霊基が、傷ついた肉体を強引に叩き起こす。魂の奥底で、憎悪がどす黒く燃え上がっていく。
聖杯を持つ自分が、竜を統べる自分が、負けるわけがない。
自身の虚構性を暴かれた焦りも、あの男への恐怖も、すべてを怒りの炎で塗り潰す。
『おお、ジャンヌ……! 大丈夫ですか、ジャンヌ!』
その時、脳内に念話が響いた。
キャスター、ジル・ド・レェだ。城の最奥で起きた宝具の激突と、オルタの魔力反応の急激な低下を察知し、悲痛な声を上げている。
「……ええ、ええ。私は大丈夫よ、ジル」
その声を聞き、オルタの瞳に再び昏い闘志が滾る。
そうだ、自分にはまだジルがいる。無敵の邪竜ファヴニールだって、外で暴れ回っている。
そして何より、この城の地下には『アレ』がいるではないか。
(負けてなんていない。最後に勝つのは、私……!)
オルタが顔を上げると、土煙の向こうで、マシュが疲労困憊で片膝をついているのが見えた。
宝具の炎を真っ向からかき分けて突っ込んできた代償は大きく、彼女の華奢な体には無数の火傷が刻まれ、息も絶え絶えになっている。
「立てますか、マシュさん」
「はい……問題、ありません」
マシュはジャンヌに支えられながら、再び立ち上がり、その巨大な盾を構え直した。
満身創痍。だというのに、二人から向けられる瞳には、一切の陰りがない。まだやれる、絶対に退かないという、あの白髪の男から伝染したかのような強靭な意志。
(……どこまでも、どこまでも目障りなッ!)
その真っ直ぐな在り方に、オルタは底知れない苛立ちを覚え、ついに決断した。
「……ジル。牢獄を開けなさい」
『なっ!? しかしジャンヌ、アレはまだ完全に制御が……!』
「構わない! アレを解き放ち、この二人にぶつけて蹂躙する!」
狂犬。
召喚してからこの方、狂化の呪いをかけ続けてもなお、完全に支配し切ることができなかった危険すぎる切り札。
だが、ここでぶつければ確実にこの二人の女を八つ裂きにしてくれる。外の英霊たちはファヴニールが焼き尽くし、ここで聖女たちを狂犬が食い殺す。
(これでゲームセット……我々の、完全な勝利よ!)
残虐な勝利の絵図を思い描き、オルタが狂気を含んだ笑みを浮かべた、次の瞬間。
突如、城全体が傾くほどの『大激震』が巻き起こった。
先ほどのファヴニールのブレスの余波などとは比べ物にならない。城の足元、地下の深くから、巨大な活断層がズレたような強烈な揺れが全員の足元を襲う。
「な、何事ですか!?」
ジャンヌが咄嗟にマシュの肩を抱き寄せ、姿勢を低くする。
それは、敵であるオルタにとっても完全に予想外の事態だった。
「なによ、一体何が起きて……ッ!?」
ドッッッゴォォォォォォォォォォンッッ!!!!
直後。玉座の間の分厚い白亜の外壁が、凄まじい衝撃によって紙のように吹き飛んだ。
圧倒的、かつ凶悪な魔力の奔流。
牢獄の扉を開けさせた瞬間、抑え込まれていた『狂気』が完全に暴発した。
「キャアッ!?」
爆発と共に、巨大な石の瓦礫が雨のように玉座の間へ降り注ぐ。
ジャンヌは咄嗟に自身の身体を覆い被せるようにして、疲労したマシュを瓦礫の雨から庇った。
『警告! 警告! 城の地下から、規格外の魔力反応が急激に出現……いや、違う、飛び出した!?』
ロマンのパニックに陥った通信が響き渡る。
土煙が晴れた視界の先。崩落した壁の向こう側を、マシュたちは愕然と見つめた。
地下から弾け飛んだその「強大な魔力反応」は、命令に従う素振りなど一切見せず、マシュたちに目もくれなかった。
ただ一直線に。
文字通り、城の壁という壁を物理的にぶち抜きながら、遥か遠く、街の方角、下層市街地へ向かって、砲弾のような速度で飛んで行ったのだ。
「は……?」
オルタは、ポカンと口を開けたまま、街の方角を見つめる。
自分を守るための防衛戦力として解き放ったはずの切り札が、完全にコントロールを離れ、彼方へと消えていった。
『ジャ、ジャンヌ!』
脳内で、ジルのひどく狼狽した念話が響く。
『申し訳ありません、あのサーヴァントは完全に命令を無視し、暴走状態で街へと飛び出して行きました! おそらく……あの男の気配を察知したのでしょう!』
「……嘘、でしょ」
オルタの顔から、一気に血の気が引いた。
予測不能の暴走。こちらの想定を完全に超えた、面倒極まりない事態。
切り札は消え、目の前には闘志を失わない二人の女。そして外の戦場には、予想外の『狂った愛憎』が突撃していく。
完璧だったはずの復讐の盤面が、音を立てて崩壊し始めていた。
*
特異点の空を焦がすような邪竜ファヴニールの咆哮と共に、圧倒的な熱量を持った蒼い炎が扇状に放たれた。
石造りの家屋が飴細工のようにドロドロに溶け落ち、大気が燃焼して視界が赤く歪む。呼吸すら喉を焼くほどの地獄の熱量。
だが、その破滅的な炎の津波を前にしても、二つの影は一歩も退くことなく前へ踏み込む。
「――ハァァァァァッ!!」
先陣を切ったのは、大剣を構えたジークフリート。
竜殺しの概念をその身に宿す彼は、迫り来る蒼い炎の壁に真正面から突っ込み、バルムンクを下段から豪快に振り上げた。
ズッッッバァァァン!!
神気を帯びた刃が、極大の炎をモーセの海割りのごとく綺麗に二手へと両断する。
そして、その両断された炎の「隙間」から、一切の躊躇なく飛び出した影があった。
ヴァルナ・クロス。
炎を抜け、ファヴニールの巨大な下顎の真下へと潜り込んだヴァルナは、自身の肉体へ莫大な呪力を流し込む。
呪力による強化。暴力的な身体能力の底上げ。
彼は足元の石畳を粉砕するほどの踏み込みと共に、竜の下顎をかち上げるようにして、極限まで呪力を込めた右アッパーを突き上げた。
ドゴォォォォォォォォォォンッ!!
強烈な打撃と呪力の爆発が、ファヴニールの巨体をわずかに浮かせ、その巨大な顎を強引に跳ね上げる。
空気が弾け、衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばした。
その直後。右の拳を通して自身の骨にまでビリビリと跳ね返ってきた絶望的な反発力を感じ取る。
(――硬い)
呪力強化によるフルスイングの打撃であっても、竜の強固な鱗と骨格を完全に粉砕するには至らない。分厚い鋼鉄の塊を素手で殴りつけたような手応え。
「ガアァァァァァァァァッ!!」
顎を打ち上げられたファヴニールが、怒り狂った咆哮を上げる。
視界の端でうごめく虫ケラをすり潰さんと、家屋を薙ぎ倒すほどの質量を持った巨大な前脚の爪が、横薙ぎに振り抜かれた。
「……」
視界を覆い尽くすほどの死の質量が迫っても、ヴァルナの感情は全く揺れない。ただ視線を向け、瞬時に両手で影絵を結ぶ。
直後、影から這い出るように飛び出した『鵺』の太い足爪を両手で掴み、竜の爪が到達するコンマ数秒前に、上空へと一気に飛び上がった。
空へ逃げたヴァルナへと、ファヴニールの意識と視線が釣られる。
その、ほんの僅かな「竜の死角」。百戦錬磨の英雄が見逃すはずがない。
「もらった……!」
ジークフリートが地を這うような神速の踏み込みを見せる。
竜の側面に肉薄した彼は、渾身の力を込めてバルムンクを真横に一閃した。
ギャァァァァァンッ!!
という金属の削れるような甲高い音と共に、硬い鱗が弾け飛び、ファヴニールの側腹部に深い裂傷が刻まれる。
空中で鵺の足にぶら下がりながら、ヴァルナは帯電した鵺の雷撃を竜の頭部へと見舞い、そのまま眼下の戦況を高い視点から俯瞰していた。
(……最初の一撃より、明らかに動きが鈍くなっている。やはり「竜殺し」という概念が染み付いた剣の一撃は、ステータス以上の効果を発揮するようだな)
ジークフリートの剣と竜の爪が、激しい火花を散らして打ち合っている。
彼は思考する。自分の呪力を込めた打撃でもダメージは通るが、決定打としては効率が悪い。
――ならば
(メイン火力は、ジークフリートで事足りる。……なら、俺は足を引っ張る方に回ろうか)
彼は上空で鵺を影へと還元し、重力に身を任せて、竜の巨大な背中へと向かって真っ逆さまにダイブした。
狙うは、空の支配権を持つファヴニールの『翼』。機動力を削ぐための部位破壊。
落下しながら、影絵を結ぶ。
式神そのものを実体化させるのではなく、式神の持つ『特性』のみを抽出し、自身の肉体へ纏わせる技術。
彼の右腕から肘にかけて、黒い影がドロリと絡みつき、『玉犬』の鋭く強靭な爪がヴァルナの腕と一体化するように顕現した。
(――落とす)
落下エネルギー、肉体を覆う規格外の呪力強化、そして玉犬の鋭い爪。
ヴァルナはファヴニールの背中に着地した瞬間の勢いを利用し、巨大な被膜の付け根、関節の要所へとその右腕を深々と突き立て、そのまま全力で引き裂いた。
ブチブチブチィッ!!
強靭な竜の被膜が、式神の爪の形へと整えられた呪力によって無惨に切り裂かれる。
「ギ、ギャアアアアアアアアアアッ!?」
背中と翼に走った激痛に、ファヴニールが身をよじって絶叫した。
狂乱し、暴れ回る巨体。
ヴァルナはあえてそれにしがみつくことはせず、振り落とされるままに空を舞う。
空中に放り出されたヴァルナ。
痛みに狂うファヴニールは、自身の翼を裂いた憎き白髪の男を視認すると、空中にいる彼に向けて、家屋の柱よりも太い巨大な尻尾を大上段から薙ぎ払うように振り抜く。
足場のない空中。逃げ場のない、圧倒的質量による死の迫り。
「マスターッ!!」
ジークフリートが血相を変えて叫ぶ。
(……図体に見合わず、速い)
彼は空中で落下しながら、静かに影絵を結ぶ。
ボフンッ!!
ファヴニールの尻尾がヴァルナの身体に直撃する直前。
彼の周囲の空間を埋め尽くすように、数百匹の小型の兎――『脱兎』が一瞬で顕現した。
それは攻撃のためではない。視界を塞ぐ煙幕としての運用。
巨大な尻尾が兎の群れをミンチにして吹き飛ばすが、その一瞬の目眩しの間に、一匹の兎を懐に抱え、ヴァルナは群れの中に紛れた。軌道から完全に外れて地上へと無傷で着地する。
ズゥゥゥンッ! という地響きと共に、空振りした竜の尻尾が地面を叩き割った。
「……ふむ」
かなりの攻防を繰り広げ、翼の機動力も削いだ。だが、やはり竜は恐ろしくタフ。時間の経過と共に、その内包する魔力は減るどころか、際限なく高まり続けている。
しかし、決して勝てない存在ではない。ジークフリートという完璧な矛があり、自分が盤面をコントロールすれば、確実に削り切れる。
このまま立ち回れば、問題なく対処できる。
そう判断し、ヴァルナがジークフリートへ次の連携の指示を出そうと口を開きかけた時。
――ドォォォォォォォォォンッッ!!!!
遥か遠く。マシュとジャンヌが戦っているはずのオルレアン城の『根本』から、分厚い白亜の外壁が内側から吹き飛ぶような大爆発が起きた。
(……新手か?)
ヴァルナの視線が、一瞬だけ城の方角へと向く。
追加のサーヴァントがこちらへ送り込まれたのだろうか。
だが、その冷静な思考すらも一瞬で塗り潰されるほどの『異常事態』が、彼らの眼前に迫っていた。
ヒュゴォォォォォォォォッ!!
土煙を上げて城の壁から飛び出した、禍々しくも強大な魔力の光。
それはヴァルナやファヴニールに目もくれず、ただ一直線に、異常なまでの超高速で地を這うように、特定の個人の元へと飛来する。
「な、なんだ……!?」
ジークフリートが大剣を構え、飛来する魔力の光に警戒を強める。
その光の中心から、鼓膜を劈くような、怒りと絶望と、そして果てしない愛憎の入り混じった女性の絶叫が響き渡った。
「ジーク、フリーィィィィィィィィィトォォォォォォォォォッ!!!!」
「――!!」
その声を聞いた瞬間、百戦錬磨の英雄であるジークフリートの顔が、信じられないものを見るように硬直した。
刹那。
二人の距離は「ゼロ」になる。
ガガァァァァァァァンッッ!!!!
竜の咆哮すら掻き消すような、凄絶な金属音。
飛来した狂化の魔剣と、それを反射的に受け止めたジークフリートのバルムンクが激突し、市街地の石畳がクレーターのように吹き飛ぶ。
とてつもなく重く、昏い愛憎が、特異点の戦場を蹂躙するように舞い降りた。