Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード)   作:りー037

42 / 51
【二十五節】訴状の矢文と、炎竜の抱擁、愛に狂い天を灼く

 

 

 空気を切り裂く甲高い風切り音が鳴り響いた直後、清姫の足元にあった大地が爆発したように抉り取られた。

 

「くっ……ぁあッ!」

 

 舞い上がる土砂と衝撃波に煽られ、清姫は大きくたたらを踏む。

 その隙を、神代の狩人は決して見逃さない。

 

 

 ――ズシュッ!  ズシュッ!!

 

「あ、ぐぅっ……!?」

 

 炎を纏わせた扇子で必死に防ぐものの、そのすべてを弾き落とすことは不可能だった。

 放たれた二本の矢が、清姫の着物ごと両肩の肉を深々と貫き、鮮血が宙に舞う。十数分にも及ぶ死闘の蓄積で、彼女の華奢な体にはすでに無数の切り傷と擦過傷が刻み込まれている。

 

「シャアァァァァァァァァッ!!」

 

 獣のような、あるいは狂乱した悪鬼のような叫び声。

 弓を構え、一切の理性を失った瞳でこちらを睨みつけるのは、緑の衣を纏ったバーサクアーチャー――アタランテ。

 かつての誇り高き狩人の面影はなく、狂化によって精神をすり減らし、ただ目の前の敵対者を穴だらけの肉塊に変えることだけを目的とした、純粋な殺戮機構と化していた。

 

 

 ドシュッ!!

 

「あ、ぁぁぁっ……!」

 

 さらに放たれた一矢が、今度は清姫の太ももを容赦なくぶち抜く。

 あまりの激痛に、ガクンと腰が折れる。着物の裾が自らの血でどす黒く染まっていく。

 

「つ、強い……流石は、神代の英霊、といったところ、でしょうか……」

 

 清姫は扇子を杖代わりにして無理やり身体を支え、荒い息を吐きながら血まみれの顔を上げた。

 

「わたくしとは……根本的に、神秘の格が、違いますわね……」

 

 バチバチと、清姫の周囲で青白い炎が明滅する。

 彼女もただ防戦一方だったわけではない。何度も距離を詰め、扇子による打撃と炎で致命傷を与えようと試みるが。

 

 近づけない。

 狂化によって弓の「精度」こそ本来より落ちているものの、アタランテの持つ獣のような瞬足と、間合いを保ちながら矢を射掛け続ける制圧力は圧倒的だった。

 

「グルルルゥゥゥ……ッ!」

 

 アタランテが低い唸り声を上げながら、ステップを踏んでさらに距離を取る。

 

「逃がし、ませんッ!」

 

 清姫の口から、竜の如き灼熱のブレスが広範囲に放射された。

 扇状に広がる炎の波がアタランテを飲み込もうとするが、狩人の直感と敏捷性がそれを凌駕する。彼女は炎の波を紙一重で跳躍して回避し、空中で身を捻りながらカウンターの一撃を放つ。

 

 

 ――ドスッ!

 

「……が、はッ!?」

 

 回避不能のタイミングで放たれた矢が、清姫の脇腹に深々と命中した。

 口から大量の血反吐を吐き出し、清姫の体が仰向けに崩れ落ちる。

 

(あ、ああ……)

 

 視界が明滅する。肺が潰れたように呼吸ができない。

 

 薄れゆく意識の中で、清姫は見た。

 着地と同時に、アタランテが狂乱の叫び声を上げながら、とどめの一矢を弓につがえる姿を。

 

 狙いは、倒れ伏した清姫の脳天。

 

(ここまで、ですか……)

 

 死を覚悟し、彼女が諦め、目を閉じようとした。

 

 

 

『――お前の死に時は、ここではない』

 

 

 

 

 暗く沈みかけた脳内に、ひどく穏やかで、聞き慣れた愛しい声が響く。

 

 ヴァルナ・クロスからの念話。

 ……などでは、もちろんない。現在の彼は、特異点最強の邪竜ファヴニールを相手に死闘を繰り広げており、他者に念話を飛ばすような余裕など一ミリたりとも存在しない。

 

 だが、清姫の脳内において、その光景は現実よりも確かな『真実』として立ち上がる。

 

 

 真っ暗な意識の底。

 彼女の前に、白髪の長身の男が、どこまでも優しく、全てを肯定するような微笑みを浮かべて立っていた。甘く、感情に満ちた表情で。

 

『清姫。自分自身では絶対に勝てないと、そう思っていないか?』

「…………ッ」

 

 図星を突かれ、清姫は脳内で押し黙る。

 勝てない。相手は神代の狩人。実力差は歴然で、自分の体はもうボロボロだ。

 

 そんな彼女に対し、イマジナリー・ヴァルナはにこやかに微笑む。

 そして、片膝をついて彼女の目線に合わせると、血と泥に塗れた彼女の頭にポン、と優しく手を置いたのだ。

 

『問題はない』

 

 たった一言。何の根拠もない、狂気に満ちた妄想の産物。

 しかし、その温もりは、清姫の折れかけた心を根底から修復し、異常なまでの熱量へと変換していった。

 

「旦那、様……」

 

 彼女は脳内で、彼の大きな手を両手で包み込み、自らの胸元へと抱え込む。

 熱が入る。力が湧き上がる。絶対に勝てないと思っていたはずの心が、たった一つの愛によって「絶対に勝たなければならない」という絶対法則へと塗り替えられる。

 

「わたくしは……勝ちます。あなたのために、必ず」

 

 力強く宣言した清姫を見て、脳内の彼は満足そうに目を細めた。

 

『流石だ。――この戦いが終わったら、結婚しよう』

 

 

 

 

 現実の風景が、爆発的な勢いで清姫の意識へと浮上してきた。

 アタランテの弓から、清姫の脳天を穿つための必殺の矢が放たれる。

 

「ハァァァァァァァ…………ファイヤァァァァァァァァァッ!!!」

 

 普段の楚々とした彼女からは到底想像もつかない、鼓膜を破るような壮絶な雄叫びが平地に轟いた。

 

 直後、清姫の全身から爆炎が間欠泉のように噴き上がる。

 彼女の脳天を貫くはずだったアタランテの矢は、目標に到達する直前、異常なまでの熱量を誇る炎の壁に触れ、空中で一瞬にして炭化し、灰となって消え去った。

 

「……!?」

 

 アタランテの動きが、驚愕にピタリと止まる。

 

 狂気の沙汰だった。

 清姫は、自らの心を燃やしているだけではない。

 物理的に、自らの「肉体」を燃やしていたのだ。

 

 燃え盛る炎の中で、彼女の体の一部が竜の鱗へと変容していく。着物が焼け焦げ、自身の皮膚が炭化し、肉が焼けるおぞましい匂いが周囲に立ち込める。

 英霊であっても発狂するほどの絶大な激痛。

 

 だが、炎の中から立ち上がった清姫の瞳には、苦悶の影など微塵もなかった。

 

「……それが、どういたしましたか」

 

 彼女は、自らの体が燃えながら崩れていくのを見下ろしながら、恍惚とした笑みすら浮かべていた。

 

「こんな痛み……へでもありません。そんなことより、わたくしは……」

 

 旦那様の、彼の期待に応えられないことの方が、ずっと怖い。

 結婚の約束を違えることの方が、魂が引き裂かれるほど恐ろしい。

 

 清姫は自らの魂を燃料として炎へ焚べた。

 異常な魔力の運用。こんな無茶を続ければ、敵を倒す前に自分自身が燃え尽きて消滅する。

 だが、愛に狂った怪異にとって、己の生存など端から優先事項ではない。

 

「結婚の約束があるのです……そこを、どきなさいッ!!」

 

 

 ドパンッ!!

 

 清姫が大地を蹴り砕いた。否、彼女の足元で圧縮された魔力が爆発し、平地の土砂が瞬時にドロドロのマグマへと変貌して吹き飛んだ。

 

 爆発的な推進力と共に、青白い炎の彗星と化した彼女が突進を開始する。

 纏う炎はもはや単なる魔力ではない。彼女の異常な執念と、自身の魂、そして肉体そのものを薪として燃え盛る「業火」。彼女が踏みしめ、通り過ぎた大地は一瞬で水分を奪われ、ガラス化してひび割れていった。

 

「シャァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 迫り来る異常な熱量と執念の塊を前に、アタランテの野生の勘がかつてない破滅の警鐘を鳴らした。

 神代の狩人は、その獣の如き敏捷性を全開にして後退する。地を蹴るというより、空を滑るような常絶なバックステップ。ただ逃げるのではない。彼女は緑色の残像を引きながら、その絶技を以て狂ったように弓を引き絞った。

 

 

 ――ギチギチギチッ!!

 

 弦が悲鳴を上げ、アタランテの指先から血が滲むほどの連射。一秒間に十数本という物理法則を無視した矢の暴風が、清姫というただ一つの的へ向けて放たれる。

 

 狙いは大雑把な乱れ撃ちではない。

 両目、喉笛、心臓、そして突進の要となる両膝の関節とアキレス腱。狂化してなお肉体に刻み込まれた狩人の業が、確実に獲物の命と機動力を削ぐため、音速の矢に乗せて穿ちに行く。

 

 

 ヒュンヒュンヒュンヒュンッ!!  ズシュッ!!

 

 だが、清姫はそれを避けることすらしなかった。

 眼球を狙った矢は、彼女が振るう扇子の熱風と、全身から噴き上がる青白い炎の壁に触れた瞬間、先端から発火して炭化し、到達する前に無害な灰へと変わる。

 

 それでも、全ては防ぎきれない。

 炎の隙間を縫って飛来した数本の矢が、清姫の両肩を、太ももを、そして脇腹を深々と貫いた。

 

 ブシャァッ!  と鮮血が舞う。

 

「あはっ……ふふっ」

 

 しかし、清姫の歩みは一ミリたりとも、ほんの一瞬たりとも減速しない。

 激痛に叫び声を上げて転倒するほどの致命傷。だが彼女は、自らの肉体に突き立った矢を抜こうともせず、ただ炎の熱量で矢の柄ごと己の血肉を焼き焦がしながら、真っ直ぐに距離を詰めていく。

 その顔面には、自身の肉体が炭化し崩れ落ちていくおぞましい光景とは完全に不釣り合いな、恍惚とした「甘い笑み」が張り付いている。

 

(……!?)

 

 アタランテは戦慄した。

 狂化して理性を失っているはずの彼女の奥底で、生物としての本能が「異常事態」を叫んでいる。

 当たっている。確実に急所を穿っている。肉を裂き、骨を砕いているはずだ。なのに、なぜ止まらない。なぜ痛がらない。なぜ、笑っている。

 

「ギルルルルゥゥゥゥッ!!」

 

 アタランテは直線的な後退を捨てた。

 超高速で左右へジグザグに跳躍し、清姫の視界から消えるほどの機動力で死角へ回り込む。背後から、横から、上空から。一切の容赦なく、持てる矢の全てを清姫の背骨と延髄へ叩き込む。

 

 

 ガガガガッ!!

 

 だが、それは半竜化し、鱗に覆われ始めた清姫の背中で硬質な音を立てて弾かれた。

 弾かれなかった矢は肉に突き刺さるが、清姫が振り返る動作のねじれだけで、ボキィッ!  と無造作にへし折られる。彼女にとって、己の体に刺さる矢など、花嫁衣裳に付いたホコリ程度の認識でしかない。

 

「逃がしませんよ……泥棒猫ッ!!」

 

 

 ゴォォォォォォォォッ!!

 

 清姫の口から、広範囲を薙ぎ払う竜の息吹が放たれた。

 アタランテは間一髪で身を沈め、燃え盛る炎の波をくぐり抜けるが、その圧倒的な「輻射熱」が狩人の肉体を確実に蝕んでいく。

 熱で戦場の酸素が奪われ、呼吸をするたびに肺が焼け焦げるように痛む。彼女の美しい緑の髪の毛先がチリチリと燃え、獣の毛皮が焦げる異臭が鼻腔を突いた。

 

 熱い。苦しい。そして何より、恐ろしい。

 

「シャァァァァァ……ッ、ハァ、ハァ……ッ!」

 

 アタランテの喉の奥から、言葉にならない焦燥と悲鳴が漏れ始めた。

 

 弓を握る手が、微かに震えている。

 距離が、開かない。どれだけ自分が神速で逃げ回り、どれほど致命傷を与えても、あの「炎の怪異」は狂気に満ちた笑みを浮かべたまま、一歩、また一歩と確実に間合いを削ってくる。

 

 

 ――ズドンッ!!

 

 アタランテの放った渾身の一撃が、ついに清姫の左胸、心臓のすぐ傍を完全に貫通した。

 背中へ向けて大量の血が吹き出し、清姫の体がガクン、と大きく揺れる。

 

 やった。

 野生の勘がそう告げた直後――清姫は口から大量の血を吐き出しながら、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……ますたぁが、まって、いるのです」

 

 血まみれの口元が、三日月のように吊り上がる。

 彼女は、心臓の横に風穴が空いた状態のまま、一切の躊躇なく再び大地を蹴った。

 

 ドゴォォォンッ!!  と凄まじい爆発音と共に、先ほどよりもさらに巨大な炎を纏って突っ込んでくる。

 

 

 ――来るな。来るなッッ!

 

 限界だった。

 自分の持てる全ての技量、速度、そして物理的なダメージを与えても、この「愛に狂った獣」の歩みは絶対に止められない。生物としての理屈が全く通じない、死の概念すらも愛の燃料にしてしまうような怪物。

 それを直視した瞬間、アタランテの中で張り詰めていた「狩人としての闘争本能」が、完全に圧し折られた。

 

 このままでは、確実に焼き殺される。

 理性を失った獣は、極限の恐怖とパニックに駆られ、ついにその手に持つ弓の『真価』を解放する決断を下した。もはや一対一の精密射撃など無意味。全てを無差別に破壊する、圧倒的な神の暴力にすがるしかない。

 

「アァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 狂乱と絶望の入り混じった絶叫と共に、限界まで引き絞られた二本の矢が、雲より高い天へと向けて撃ち放たれた。

 

 太陽神アポロンと月女神アルテミスへの加護を訴え、敵対者へ無慈悲な矢の豪雨を降らせる対軍宝具。

 

 

 ――『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』。

 

 

 天が、緑色の不吉な魔力光で覆い尽くされた。

 

 空から降り注ごうとする、視界を埋め尽くすほどの数千の光の矢。

 清姫の直感が、絶望を告げる。この広範囲かつ高密度の攻撃を、今のボロボロの体で防ぎ切ることは不可能だ。

 

(ああ……やはり)

 

 アタランテとの距離は確実に詰まっている。あと少し踏み込めば、自らの炎が届く間合い。

 だが、本能が警鐘を鳴らす。数秒先の未来、無数の光の矢に全身を貫かれ、血飛沫を上げて串刺しにされる己の無惨な姿が脳裏をよぎり、炎を纏った体が一瞬だけすくんでしまったのだ。

 

(わたくしは……旦那様を残して……!)

 

 絶望が視界を黒く塗りつぶしていく。

 

 

 そして。

 

『――やぁ、清姫! 大丈夫かい?』

 

 パッと、暗闇に光が差したように、彼女の脳内に「彼」が現れた。

 

 

 ヴァルナ・イマジナリーだ。

 

 清姫の『狂化』が生み出した脳内の彼は、現実の彼が絶対に見せないような甘く優しい微笑みを浮かべ、王子様のように彼女を見つめている。その絶妙な「偽物感」こそが、清姫という英霊の狂気と愛の深さを如実に物語っていた。

 

「はっ……ますたぁ!!!」

 

 死の淵に立たされているというのに、清姫の顔がパァァッと明るく輝く。嬉しそうに彼へ顔を向ける。

 

『よしよし、よく頑張っているね』

 

 幻覚の彼は彼女を労うと、即座に本題へと入った。

 

『今、君の目の前には、あのアーチャーの宝具が迫ってきている』

「……はい」

 

 清姫は頷き、顔を曇らせる。

 自分ではあの広範囲攻撃を耐えることも、避けることもできない。ここで敗北してしまうのではないかという不安が押し寄せる。

 

 その不安をかき消すように、脳内の彼は「何も問題はない」と断言した。

 

『普段の正常な状態であれば難しかったかもしれないが、今の彼女は狂化されている。それがどういうことか、わかるか?』

「正常な判断が……できなくなっているということ、でしょうか」

『それもある。彼女は確かに、正真正銘の神代の弓兵だ。隔絶した技量を持っている』

 

 彼は言葉を区切り、猫耳の弓兵を指差した。

 何故か、脳内にアタランテも存在している。

 

『だが、今現在、狂乱の呪いによって、あの宝具自体も、本来の精度から大きく劣化している。それに、見る限り……あの宝具は攻撃範囲に優れているものの、彼女自身が君を直接狙い撃っているわけではなく、ただ無差別に矢を降らせているだけだ。正気ではない彼女の大雑把な狙いがそこに重なっているのだとしたら、つまり……』

 

 そこまで聞いて、清姫の頭の中でパズルのピースが完璧に噛み合った。

 愛する人からの「存在しない指南」が、狂化した彼女の思考に冷徹な『戦術的真理』をもたらす。

 

「狂化も相まって……威力や正確さが、著しく欠けている。それに広範囲だからこそ、一対一の戦闘には、向かない……!?」

 

 

 パチンッ!

 

 脳内のヴァルナが、小気味良い音を立てて指を鳴らした。

 

『ビクトリー』

 

 彼は最高の賛辞を送るように破顔し、清姫の肩に手を置いた。

 

『流石だ。――迷わず進め。怯む必要はない。勝利は目の前だ』

 

 グッ、と。力強く背中を押される感触(錯覚)。

 

 そのたった一つの希望、たった一つの愛情を前に、清姫の瞳から一切の恐怖と絶望が消え失せた。

 

 

 

 現実の時間が動き出す。

 

 天が落ちてきたかのような轟音と共に、緑色の光の矢が驟雨となって平地へ降り注いだ。

 大地が抉られ、土煙が舞い上がり、世界が光の暴力によって埋め尽くされる。

 

「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 その絶望の雨を正面から引き裂き、炎の尾を引いて突進してくる一つの影があった。

 

 彼の言う通りだ。狂化の影響により、矢の雨はまばらで精度が低く、直撃を避けることは十分に可能だ。

 とはいえ、無傷で済むはずもない。

 

 

 ズシュッ!  ドスッ!!

 

 光の矢が、清姫の肩を、脇腹を、太ももを容赦なく貫いていく。

 さらに、彼女自身の「魂を燃やす」という無茶な魔力運用のせいで、彼女の肉体は炎に包まれ、着物ごと皮膚が炭化してポロポロと崩れ落ちている。

 矢に貫かれる激痛と、自らの身を焼く業火の苦しみ。常人ならとっくにショック死している絶大な苦痛のパレード。

 

 しかし、彼女の口元には、恍惚とした笑みすら浮ぶ。

 

(痛くなどありません……!  この痛みは、苦しみはすべて……旦那様の元へと歩くための、バージンロードの祝福なのですからッ!)

 

 痛覚すらも「愛の証明」という快楽へ変換する、極限の狂化。

 肉を焦がし、血を撒き散らしながら、一切の減速なく迫り来る半竜の女。

 その異常な執念と死すら厭わない狂気を前に、宝具を撃ち終えたアタランテの野生の勘が、完全な『死』を幻視した。

 

「ギ……、キィィィィィィャァァァァァァァァァッ!!」

 

 神代の狩人が、恐怖に顔を引き攣らせ、後退しようと一歩下がる。

 

 

 ――遅い。

 

「そこをどきなさいと言ったはずです!!」

 

 清姫は、アタランテの目の前へと肉薄した。

 彼女の全身を包んでいた炎が、限界まで圧縮され、一気に爆発的な質量へと膨れ上がる。

 炭化し崩れかけた彼女の肉体が、巨大な炎の竜の幻影と完全に重なり合った。

 

「――『転身火生三昧』ッ!!」

 

 怨念と狂愛を極限まで煮詰めた、青白く燃え盛る竜の息吹。

 それは単なる炎ではない。清姫という存在の執念そのものを熱量に変換した、対象を塵一つ残さず焼き尽くす絶対の火葬。

 

「ア……、アァァァァァァァァァァッ!?」

 

 アタランテの絶叫は、一瞬にして超高熱の奔流に飲み込まれた。

 神代の弓兵の肉体が、超高熱の奔流に完全に飲み込まれ、灰へと変えられる――そう確信する絶対的な破壊の光景。

 

 だが、神代を駆け抜けた狩人の「執念」もまた、常軌を逸していた。

 

 自身の緑色の衣が燃え上がり、誇り高き獣の四肢が焼かれようとも、彼女は止まらない。極限の熱量の中で、獣の本能が生存と反撃の糸口を強制的にこじ開ける。

 アタランテは全身を焦がされながらも、業火の軌道から強引に身体を捩り、決死の跳躍でサイドへと抜け出した。

 

「ギ……シャァァァァァッ!!」

 

 皮膚が焼け爛れる激痛に狂乱の悲鳴を上げながらも、彼女は空中で身を捻る。

 手には、しっかりと弓が握り締められていた。

 カウンターの絶技。自らを焼いた炎の怪異を確実に仕留めるべく、残された全魔力を込めて矢を番え、引き絞る。狙うは、清姫の脳天。

 

 宝具の解放と自らの肉体を燃やす無茶な魔力運用の代償で、清姫の視界はひどくぼやけ、明滅していた。

 そのような状態であっても、彼女は執念の直感でそれに気付く。

 

 

 ――逃がしはしない。絶対に。

 清姫は、血を吐きながらも、アタランテが退避した方角へ向けて、無理やり宝具の炎の軌道をねじ曲げたのだ。

 

 しかし。

 

 弓の弦が限界まで引き絞られる微かな音が、清姫の耳に届く。

 

(……ッ)

 

 本能が、冷酷な現実を告げていた。

 炎の軌道修正が完了し、アタランテを完全に焼き尽くすよりも、あの神代の狩人の指先から必殺の矢が放たれる方が、コンマ数秒、間違いなく早い。

 

 

 一歩。

 あと一手だけ、足りなかった。

 ギリギリの死闘。どちらが勝ってもおかしくはない。少なくとも清姫は、格上の英霊を相手に、相打ち近くの領域にまで状況を引っ張り込んだ。

 

 それでも、現実は残酷に訪れる。

 空中のアタランテと、地上の清姫。

 互いの死に物狂いの瞳が交差した。

 

 弦が弾け、矢が放たれようとしたとき。

 

 

 ――ズドォォォォォォォォォォンッッ!!!!

 

 突如、運命の悪戯としか言いようのない、理不尽な「異常現象」が戦場を蹂躙した。

 オルレアン城の方角から、分厚い白亜の外壁をぶち破って飛び出してきた『何か』が、凄まじい衝撃波を撒き散らしながら彼女たちの背後の空間を通り過ぎていったのだ。

 

 この場にいる二人には、何が起きたのか知る由もない。

 

「……!?」

 

 空間そのものを揺るがす暴風と、鼓膜を破るような轟音。

 その信じられない横槍によって、空中にいたアタランテの体勢が致命的にブレる。

 放たれた必殺の矢の軌道が、ほんの数センチ、狂う。

 

 

 シュガッ!!

 

 清姫の脳を正確に撃ち抜くはずだったその矢は、無情にも彼女の肩の肉を掠め、後方の地面へと突き刺さった。

 

 何が起きたのか。

 予想外の事態に、アタランテの思考が、そして清姫の思考が一瞬だけ完全に空白となる。

 

 だが、清姫の「愛」は、その空白を無視して燃え上がる。

 千載一遇の好機。奇跡のように転がり込んできた生存の事実。

 

 彼女はためらうことなく、残された全てを懸けて、炎ごとアタランテの懐へと突っ込んだ。

 

「シャアアアアアアアア!!!」

 

 軌道を修正された青白い竜の息吹が、空中で硬直したアタランテを今度こそ完全に飲み込む。

 

「ア……、アァァァァァァァァァァッ!?」

 

 神代の弓兵の肉体が、超高熱の奔流に包まれ、緑色の衣も、誇り高き獣の四肢も、すべてが平等に灰へと変えられていく。

 

 諦めずに挑んだ、極限の死闘。

 最終的な勝敗を分けたのは、偶然通りすがった他者の余波という「運」だったのかもしれない。

 

 だが、確実に言えることがある。

 その運を掴み取ったのは、他でもない清姫の実力と執念。自らの魂を燃やし、肉体を焦がしながらも決して諦めずに突き進んだ彼女の愛が、勝利の女神を強引に引き寄せたのだ。

 

 

 火柱が天を突き破り、降り注いでいた光の雨すらも蒸発させる。

 やがて炎が収まると、そこには大地がガラス化するほど焼け焦げたクレーターと、完全に霊基を消滅させたアタランテの微かな魔力の残滓だけが漂っていた。

 

「はぁ……はぁ、はぁ……っ」

 

 焦土と化した大地の中央。

 清姫は、ズタボロになった体でなんとか立ち続けていた。

 肩からは血が流れ、着物は焼け焦げ、肉体のあちこちが痛々しく炭化している。霊基の消耗も激しく、いつ消滅してもおかしくない状態。

 

 

 それでも。

 

 彼女はパタンと扇子を閉じると、「愛しい彼」へ向けて、世界で一番美しい微笑みを向けた。

 

「勝ちましたよ、旦那様……。さあ、約束通り……わたくしを、お迎えにきてくださいな……」

 

 血塗れの恋情と、存在しない声に導かれた一途な竜。

 狂愛の炎は、神代の狩人を見事に打倒せしめた。

 




一方


エリザベート「……誰かに負けるのはいい。でも、自分にだけは負けられない……!! 」
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。