Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード) 作:りー037
空気が、重い。
無数の翼の羽ばたきが鼓膜を殴りつける。
鵺の背に立ち、上空から見下ろす世界は絶望的な色に染まっていた。
眼下には、特異点の空を支配する邪竜ファヴニール。そして背後を振り返れば、空の青を完全に塗り潰すほどのワイバーンの群れ。一体一体は単なる有象無象の雑魚だ。だが、数万という桁に達した暴力は、それ自体が巨大な自然災害と化している。
(……面倒なことになった)
吹き荒れる風の中、ヴァルナ・クロスは一切の表情を変えず、ただ脳内の演算速度だけを跳ね上げた。
打開策。
一つ。己の領域を展開し、必中効果を乗せた九種の式神で群れを丸ごと焼き払う。
――否、無理だ。
俺の領域の範囲を超えている。この空を埋め尽くす群れ全てを、結界内に呑み込むことは物理的に不可能。
何より、領域を解いた後に必ず訪れる「術式の焼き切れ」。それが起これば、ファヴニールを攻略するために背後で回し続けている魔虚羅の適応プロセスが完全に途切れてしまう。
目の前の脅威を一時的に排除できたとしても、本命である邪竜に手も足も出なくなる。最善どころか、最悪手。
二つ。魔虚羅を前倒しで召喚し、ファヴニールに直接ぶつける。
――それも、即座に破棄。
あの規格外のブレスは既に何度も見ている。現状の適応段階で、あれを真っ向から受け切れる保証はない。
影の底へ意識を向ける。
神代の竜を屠るため、退魔の剣の光が、極めて鋭く変質し始めているのは肌で感じ取っている。だが、まだ足りない。あの巨体を一撃で完全に消し飛ばすほどの絶対的な破壊力に至るには、まだ遠い。
思考の海から、現実の空へ意識が浮上する。
「ギュォォォォォォォォォォォォォォォォッッ!!!!」
大気そのものを物理的に震わせる、邪竜の絶大なる咆哮。
背後のワイバーン群が到達するよりも早く。眼下にいたはずのファヴニールが、異常な速度で巨体を躍らせ、すでに至近距離にまで肉薄していた。
息をする間もない。いきなり眼前に迫る、回避不能の絶対的な死の質量。
「脱兎」
ほぼ反射だった。
残された生身の左手と、影で編まれた右手の義手で即座に印を結ぶ。
足元の影から、滝のように無数の白兎が虚空へ展開された。
数千の兎が迫り来る竜の顔面へ雪崩れ込み、その視界を完全に奪う。
ドバァァンッ!!
ファヴニールの巨大な顎が空間ごと空を噛み砕き、無数の兎が血飛沫となって虚しく散っていくコンマ数秒の隙。
ヴァルナは足元の鵺を急速旋回させ、自らを丸呑みにしようとした死の牙から、間一髪で距離を取った。
だが、死地から逃れた先にあるのは、さらなる死地。
兎の群れを抜けた直後、目前に立ちはだかっていたのは、空を黒く染めるワイバーンの肉の壁であった。
致し方なし。ヴァルナは鵺の背に立ったまま姿勢を低くし、自らワイバーンの大群のど真ん中へと突っ込んでいく。
「ギィァァァァァァッ!!」
ファヴニールに刺激されたのか、異常なまでに凶暴化したワイバーンたちが、こちらへ無遠慮に襲いかかってくる。
(……クソッ、数が多いな)
鵺を変則的に動かしながら避ける。だが、全てを避けきることはできず、バードストライクの如く四方八方から巨体が衝突してくる。
「シッ!」
鋭い呼気とともに、ヴァルナの右足が跳ね上がった。
呪力を極限まで練り込み、肉体に直接流し込む。
その蹴りは、分厚い鱗を紙切れのように叩き割り、ワイバーンの頭蓋を原形をとどめないほどに粉砕した。そのまま左拳を突き出し、側面から噛みついてきた別の個体の胴体を打ち抜く。呪力が内臓を透過して爆発し、空中に血肉の雨が降る。
鵺に乗り、旋回し、群れの中心を駆け抜けながら、ヴァルナは呪力を込めた両手両足で迫り来る竜どもをひたすらに殴り、粉砕し、飛び続けた。
そして限界が訪れる。
死角からの突撃。ワイバーンの一撃を躱しきれず、その巨体の一部が鵺に衝突した。
体勢が崩れ、体が虚空へと飛ぶ。
重力に引かれる絶望的な状況。しかし、彼の瞳は一切の揺らぎを見せない。
空中で体を捻り、襲いかかってきたワイバーンの背中へと着地する。
ドグシャァァァンッ!!
足元へ極大の呪力を叩き込み、足場にしたワイバーンを殺す。悲鳴を上げる間もなく落下していく肉塊を蹴り、ヴァルナは3次元的に、ワイバーンを乗り継いで殺し回る。
――十、二十、三十
ありえない速度。重力の枷を外したかのように、彼は虚空を駆け抜け、次々とワイバーンを乗り継いでは殺し続ける。一分一秒が死と隣り合わせの緊迫感。だが、その高速の立ち回りの中に、彼にしか理解し得ないリズムが宿っていた。
群れの一角を血の海に変え、ヴァルナは再び体勢を立て直した鵺の背へと着地し、飛び上がる。
群れを抜けるくらい、一気に上空へと上がる。
だが、すぐさま血の匂いに狂乱したワイバーンが、こちらへ向かって飛び去ってくる。
(……キリがないな)
両手を擦り合わせ、新たな影絵を空中に結ぶ。
『――満象』
完全顕現させれば、その重量で鵺が潰れる。故に、影の位相から象の『鼻』のみを虚空へ部分顕現させた。
虚空に出現した象の鼻から、超高圧の大量の水が噴射される。こちらへ飛びかかってくるワイバーンの群れに、水をぶちまける。まさに大瀑布。
「落とせ」
バリバリバリバリドゴォォォォォォンッッ!!
大雷撃が、天空に轟く。
しかし。
これだけしてもなお、ヴァルナの目に映るワイバーンの数は、全く減っているように見えなかった。
圧倒的な数の前では、焼け石に水に過ぎない。
そして、三度目の正直と言わんばかりに。
眼下の市街地から、特異点そのものを揺るがすほどの極大の魔力反応を感知した。
そちらを振り向く。
ファヴニールが首を持ち上げ、巨大な顎の奥で、空気を焦がす熱量が再び圧縮され始めている。
ブレスのチャージが再び開始された。
(……またかッ)
忌々しい
そんな感情が、ありありと脳裏に浮かぶ。
それを阻止すべく、ヴァルナは鵺に乗り、ファヴニールへ一直線に接近を試みた。
「ギィルルルルルルルルルッ!!」
だが、ありえないほどの奇声を上げ、ワイバーンの群れがさらに凶暴化した。
魔力に当てられたか。自らの命を投げ出すようにして、降下するヴァルナと邪竜の間に厚い肉の壁を構築していく。
「くっ、どけッ!!!」
ヴァルナの怒号が天空に響く。
だが、群れの勢いは止まらない。先に進もうとすれば、無数のワイバーンの群れがそれを阻止すべく立ち塞がる。
一匹一匹は雑魚でも、この数相手では、突破できない。
ワイバーンの群れが来る。それに邪魔されて阻むことができないという、絶望感。
眼下では、圧倒的な熱源が収束しようとしている。
(どうする……)
あれが放たれれば、ここら一帯が完全に焦土と化す。
それだけは、防がなくてはならない。
ヴァルナは、手に刻まれた最後の令呪へ目を向けた。
(ジークフリートの一撃で相殺するか?)
――いや、無理だな。
向こうの状況は不明確だが、あの女との攻防を抜けられないはずだ。
令呪で、強制的に転移させ発動させたとしても、そうなればクリームヒルトもこちらに来る。混戦状態になるのは、最悪のパターン。
それにすでにチャージを始めてる以上、ジークフリートの宝具解放も、この距離では間に合わない。
あの圧倒的な熱量を、純粋な呪力による防御のみで防ぐのは、絶対に無理だ。
故に彼が、取った選択は。
ドンッ!!
彼は、急降下する鵺の背中を蹴り、勢いを受けて虚空へと飛んだ。
それと同時に、自分を支えていた式神を完全に解除する。重力に身を委ね、自ら迫り来る極大の熱源へと落下していく。
(リスクはあるが、やるしかない)
『――領域展延』
自らの体に、膜のようなものを張る。
それは自分自身を守るためでもあり、目の前の神秘を中和するためのものでもある。
だが、展延発動中、自身の生得術式は一切使えない。
式神は呼べず、その効果も発揮されない。背中の法輪による魔虚羅の適応プロセスも、進まず、終わる。
彼は慎重に慎重を重ね、一つの選択をした。
術式の終了ではなく、中断。
魔虚羅の適応プロセスを中断する。一歩間違えば、今までの積み重ねを無にしてしまう行為。だが、彼の天性の呪術センスが、それを可能とした。
一時的に中断し、後ほど再開するため。いわばゲームのセーブポイントのようなもの。後に、そこから再開するためのアンカー。
ファヴニールのチャージが終了した。
そして放たれる。
向かい打つは、展延を纏ったヴァルナ。
生身の左腕と影の義手である右腕。両の腕を前に出し、迎え撃つ。
「ハァァァァァア!!!」
圧倒的な熱量が、今、激突する。
ドォォォォォォォォォォンッッ!!!!
世界が白く飛び、鼓膜を物理的に破砕するほどの絶大な轟音が響き渡る。
展延により、ファヴニールのブレスを中和しつつ、呪力を最大の出力をもって迎え撃つ。
もはやそれは防御ではない。領域で中和しつつ、中和しきれない熱量を、己の肉体から放つ呪いをぶつけて強引に相殺していく。
彼の内側から圧倒的な呪いが湧き上がる。
(絞り出せ、もっと……! まだ足りない!)
本来であれば一瞬で蒸発していてもおかしくはない。それが現代の人間であればなおさらだろう。
彼の呪力の量は膨大ではあれど、無限ではない。
だが、彼の極限まで高められた圧倒的な出力が、展延込みとはいえ、一時的にファヴニールのブレスの出力と完全に拮抗していた。
「ぐぅぅ、ッ」
無意識のうちに、食いしばった牙の隙間から声が漏れる。
この圧倒的な出力。中和してなお持て余す威力。熱が皮膚を焦がし、肺の中の空気が沸騰する。
(……長くは、もたない)
狂気を孕むほど冷静な思考が、自身の限界を弾き出す。
向こうの魔力は圧倒的だ。それに大気の魔力すら吸収して放っている。強い弱いの次元ではなく、存在そのものが現象に近い。
このままでは、確実にジリ貧。この拮抗状態も長くはもたない。よくて数分が限界だ。
そして何より。
展延を纏っている間は、生得術式が完全に封じられる。つまり、背後の法輪の機能も一時的に停止している状態だ。
強固な鎧でいくら竜の暴力と拮抗していようと、適応のプロセスが進まなければ意味がない。
――咄嗟に展延を選択したのは、最悪ではない……だが最善でもない
自身の現在を冷徹に見つめ、それが明確なミスであったと静かに悟る。
あの極限の瞬間に選ぶべき真の最適は、展延ではなく『式神との融合』による肉体そのものの変質だった。
だが、すでに下した選択に感情を揺らし、思考のリソースを割くのは無駄でしかない。終わったことは仕方がないと、彼は一瞬で未練を切り捨てる。
このままでは、先がない。
あの化け物を一撃で消滅させるために、さらに法輪を回さなくては。
(……守りに入っても仕方ない)
火球の中心。己の命が秒刻みで削り取られていく中、ヴァルナは一つの結論を下した。
(賭けに出るしかない――攻める)
神代の熱量と真っ向から拮抗する、その中心で、ヴァルナ・クロスは己の身を護る不可視の防壁――『領域展延』を、自らの意志で解除した。
――ジュッ。
特異点の空に、水滴が焼け焦げた鉄板に落ちたような、ひどく間の抜けた音が響いた。
それは中和というフィルターを失った黄金のブレスが、一切の減衰を許されぬまま、絶対的な死の質量となってヴァルナの肉体を直撃した音。
まず初めに崩壊したのは、影を用いて構築されていた『右腕』。
物理的な質量を獲得し、神経と接続され、実体として機能していたはずのどす黒い影の義手。それが、迫り来る魔力の奔流に触れた瞬間、抵抗する間すら与えられず、一瞬にして蒸発した。炭化すらしない。影という概念そのものが、圧倒的な光と熱の暴力によって空間から完全に掻き消されたのだ。
「ガ、ァァァァァァァァァァッッ!!」
右肩の切断面から、脳髄を直接焼き切られるような痛みが爆発する。
だが、怯む間など与えられない。
ヴァルナは即座に残された生身の左腕を突き出し、肉体の底から練り上げた莫大な呪力をそこへ流し込んだ。
(耐えろ……! 合わせろ……!)
純粋な呪力の壁と、世界を灰燼に帰す竜の息吹。
中和による軽減が一切ない、剥き出しの呪力と魔力のぶつかり合い。
ヴァルナの左腕を覆う呪力の膜が、圧倒的な熱量によってゴリゴリと削り取られていく。相殺しきれず溢れ出した超高熱が、生身の左腕へ直接到達した。
皮膚が一瞬にしてめくれ上がる。
真皮が沸騰し、筋肉の繊維が黒く炭化し、悪臭を放ちながらボロボロと崩れ落ちていく。沸騰した血液が噴き出すよりも早く蒸発し、炭化した肉の奥から無惨にも白い骨が露出した。
全身の細胞が、神経が、断裂と死の悲鳴を上げる。
「くっ、ふ……ハはっ!」
痛みで赤く染まった視界の中、ヴァルナの血まみれの口角が、歪に吊り上がる。
展延を解けば死ぬ。そんなことは最初から分かっていた。
それでも自らこの釜の蓋を開けたのだ。自分の手で、この盤面を終わらせるために。その目的の遂行のためならば、この程度の血肉の削り合いなど、ただの必要な経費に過ぎない。
生命の危機を知らせる激痛すらも置き去りにするほどの、最高純度の高揚。
――ガコンッ。
彼の背中。そこへ顕現させていた黄金の『法輪』が、重々しい音を立てて回る。
展延を解き、神代の現象を直接その身に受けたことで、停止していた魔虚羅の適応プロセスが再開したのだ。
(そうだ。これでいい……もっと喰らえ、喰らい尽くせ……!)
一方、眼下のオルレアン市街地。
上空での極大の激突による余波は、戦場から完全に分断されていた「閉鎖空間」すらも破壊していた。
復讐鬼クリームヒルトが展開した結界宝具『血染めの婚宴』。その呪わしい空間は衝撃に耐えきれず四散し、二人のサーヴァントは強制的に現実の市街地へと引きずり戻される。
「くっ……!」
大剣バルムンクを地に突き立てて姿勢を制御したジークフリートは、即座に周囲の状況を確認した。
血の匂いが消え、代わりに鼻腔を突いたのは、肉と大気が焦げる強烈な匂い。
彼の視線の先。空を黒く覆い尽くすワイバーンの大群の向こう側で、ファヴニールが極大のブレスを撃ち放ち続けている光景が目に飛び込んでくる。
そして、その灼熱の奔流の真正面。
ただ一人、生身の肉体でその熱量と拮抗し、焼かれ続けているマスターの姿を、竜殺しの英雄は見逃さなかった。
(マスター!?あの渦中にいるのか……!?)
ジークフリートの胸中に、激しい焦燥が奔る。
あれは人間が受けていい熱量ではない。いかに彼であろうと、あのまま拮抗を続ければ遠からず消し炭となるのは火を見るより明らかだった。
サーヴァントとして、マスターを見殺しにするわけにはいかない。
彼は妻との死闘を傍らに置き、ファヴニールの側面へと視線を向け、大剣バルムンクの柄を両手で強く握り直す。
「マスター! 今そちらを相殺する!! 」
喉が裂けんばかりの、必死な叫び。
真名解放による極光の斬撃を側面から叩き込み、竜の体勢を崩してブレスそのものを中断させる。
彼が剣に魔力を集め、まさに横槍を入れようと踏み込もうとした。
『――やめろ』
ジークフリートの脳内に、ノイズ一つない、氷のように冷徹な念話が直接響いた。
それは、死に瀕している人間の声ではない。焦りも、悲壮感も、助けを求める響きも一切ない。
極めて淡々とした、平坦な事実の宣告。
「マスター……!? しかし、このまま続ければ――」
『邪魔をするなら、殺すぞ』
ゾクリ、と。
ジークフリートの背筋を、かつて感じたことのない異質な悪寒が駆け抜けた。
怒りではない。「俺の獲物だ」という自尊心でもない。
それは、己が組み上げた盤面、己が定めたルールに、外から一石でも投げ込まれることへの純粋な拒絶。もしここでジークフリートが宝具を放ち、ファヴニールの出力がブレたりすれば、ヴァルナが命を削って進めているプロセスが完全に崩壊してしまう。
英雄としての善意による援護すらも、あの男にとっては「不快な雑音」でしかない。
ジークフリートは悟った。
あの炎の中で、マスターは自ら望んであの死地に立っている。誰の介入も許さず、自分の中だけで全てを終わらせようとしている。
バルムンクに集まりかけていた魔力が、ふっと霧散する。
彼は、上空の炎へ向けかけていた視線を完全に切った。
「……また」
地獄の底から響くような、おぞましい声。
ジークフリートが視線を前に戻すと、そこには、虚無に等しい絶望を瞳に宿したクリームヒルトが立っていた。
「また、私から目を逸らしたわね。私に向き合うと言った舌の根も乾かぬうちに……また他所を向いたわね!!」
彼女の全身から、どす黒い魔力の泥が溢れ出す。
他者の危機を見過ごせなかった、ジークフリートのその根源的な善性こそが、彼女を最も深く傷つける猛毒。
「……すまない、クリームヒルト。そうだ、俺の……」
「謝罪なんていらない!!欲しいのはアナタ! …… その絶望の顔だけよ!!」
絶叫と共に激突した刃。その瞬間、ジークフリートは目の前の光景に息を呑んだ。
彼女の全身から溢れていた怨念と怒りの泥が、一瞬にして姿を変えたのだ。
黒泥のような粘着質な魔力が、まるで純化された焔のように、高く、美しく、おぞましく巻き上がっていく。
それは彼女の胸の奥底で、どれほど憎もうとも決して消し去ることができなかったもの。復讐という暗闇の底で、ずっと静かに熱を帯び続けていた、ただ一つの感情。
ジークフリートへの、歪で純粋な愛。
「どれほど裏切られようと、どれほど離れていこうとも……私は、絶対に終わらない!!」
漆黒の魔剣が、空間を歪めるほどの極大の光を帯びる。
決戦宝具の展開。彼女の全存在、その悲痛な愛のすべてを賭けた一撃が、まさに放たれようとしていた。
「私のすべてで、アナタを絶望させてあげる……!! ――
宝具の真名を紡ぐ悲痛な叫びが、地上の闇を切り裂く。
漆黒の魔剣と黄昏の大剣が真っ向から激突し、火花が夜のように暗い空を照らし出す。
もう、振り返らない。戦場の空を灼き尽くす竜のブレスの輝きを背景に、竜殺しの英雄と復讐鬼の妻による死闘が、真の決着へ向けて再び燃え上がった。
一方、上空。
炎の渦中にあるヴァルナ・クロスは、限界を超えて肉体を焼かれ続けていた。
(まだだ、耐えろ、最後の一雫まで……振り絞れ……!)
全身全霊で呪いを回し続け、そして放つ。
生身の左腕の骨すらも熱で軋み、ついに肩の根元から完全に消し飛ぶ。
両腕の完全消失。
顔の皮膚が焼け焦げ、胸部にもおびただしい火傷が広がる。足先から感覚が消え、全身が黒く炭化していく。
落下する重力の中で、視界が急速に狭まっていく。
それでも、彼の心は折れない。
――この程度の苦難、恐るるに足らん
今まで、命を懸けた修羅場などいくらでもある。
己が選んだ道の果てで、この程度で音を上げる男ではない。
――ガコンッ。
背中で、最も重く、深い回転音が鳴り響いた。
(きた――)
確信。
法輪が完全に回り切った。ファヴニールという神代の竜の存在そのものを両断するための、タスクの完了。
条件は、すべて満たした。
ヴァルナは、残されていたわずかな呪力の防御すら、自ら緩める。
肉体がさらに深く焼け焦げ、彼の生命活動が「致命傷の域」を完全に突破する。
心臓の鼓動が不規則になり、意識の糸がプツリと途切れかける。
絶体絶命。完全なる死の淵。
――それこそが、彼が自らに仕込んでいた最後の砦。
呪詞はなく。手掌もなく。
召喚のためのすべての正規プロセスを省略して、それは『顕現』した。
オルレアンの空が、縦に真っ二つに裂けた。
「……!? ガ、ア……!?」
ファヴニールの悲鳴が、空中で途切れる。
落下していくヴァルナの背後。彼の影の奥底から、異様な式神が、無言のまま実体を持って競り上がってくる。
――八握剣異戒神将・魔虚羅
頭上で黄金の法輪が狂ったように光を放つ。
術者の意思すら介さず、ただ主の死線を感知して顕現した式神の右腕にくくりつけられた『退魔の剣』は、すでにファヴニールという存在そのものを討滅するための理不尽な光を宿していた。
「―――」
声なき一手。
魔虚羅が右腕を振り下ろすと同時に、特異点の空を灼いていたブレスが、海が割れるかのように左右へと真っ二つに叩き割られた。
一撃。
ただの一閃。
極限まで圧縮され、適応の果てに辿り着いたその剣は、ファヴニールの巨大な下顎から脳天、そして上半身を一瞬にして削り取り、肉片すら遺さず光の中へ消し飛ばした。
竜の巨体が崩れ落ち、吹き飛ぶ暗雲の隙間から、眩い陽光が焦土と化した市街地へと差し込む。
晴れ渡った青空の下。
両腕を失い黒焦げとなったヴァルナは、静かに地上へと落下しながら、血の味のする呼気を吐き出す。
(……ふっ)
意識が深い闇へと沈んでいく中、彼の歪んだ口元には、確かな満足の笑みが残されていた。