Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード)   作:りー037

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【三十一節】狂炎の果ての青空、非合理な恩寵と竜の契り

 

「……き、れい」

 

 肺から漏れ出たのは、声とも呼べない微かな空気の震えだった。

 ガラスのように焼け焦げ、抉り取られたクレーターの中心。仰向けに倒れ伏す清姫の網膜に、どこまでも高く、澄み切った特異点の青空が映り込んでいた。

 

 神代の狩人を焼き尽くした代償は、彼女自身の存在そのもの。

 燃え盛る業火を己の魂から引き出し続けた肉体は、すでに足先からボロボロと炭化して崩れ落ちている。肉を裂く矢の激痛と、霊基が内側から焼却されていく絶望的な苦痛。常の英霊であればとうの昔に意識を手放し、光の粒子となって霧散しているはずの損壊率。

 

 それでも彼女の胸の内を満たしていたのは、苦悶ではなく、全てを出し切ったという途方もない『爽快感』であった。

 いつ消滅してもおかしくない限界の淵で、彼女はただ己の狂気と気合のみを楔にして、この現世に自身の魂を縛り付けていた。

 

 

 ――自分を迎えに来てくれるであろう、愛しい人を待つために。 

 

 だが、限界はすでに喉元を過ぎている。

 己の想いがどれほど強靭であろうと、格上の英霊の宝具を真っ向から受け、命を燃料に燃やし尽くした事実は覆らない。彼女の霊核は砂の城のように崩壊を始めていた。

 

 確かな消滅を実感しながらも、彼女の胸の内にある不思議なほどの清々しさ。

 

 

 ――全てを出し切った。後悔などない。悔いなど、ひとつも――。

 

 そこまで考えかけ、彼女は内心で小さく首を横に振った。死を目前にした美しき嘘で、自分を誤魔化す必要などない。

 

(……本当は、お会いしたかった)

 

 消滅の予感を前にして、清姫は己の内に嘘偽りのない本音をこぼす。

 

 死の淵で、あの方の姿を目に焼き付けたかった。

 腕の中で看取っていただきたかった。

 身を粉にして尽くした自分を、ただ一言、褒めてほしかった。

 

 叶わぬ願いへの口惜しさが、炭化した胸の奥をチリチリと焦がす。

 諦めとともに彼女は静かに瞼を閉じようとして――

 

「――ずいぶんとボロボロになったな。……俺も人のことは言えないが」

 

 ――その声を聞いた。

 

 清姫が弾かれたように目を開く。

 そこに立っていたのは、狂乱の脳内が創り出した甘い幻影ではない。

 

 本物の彼が、そこにいた。

 

「安珍、さま……ッ!!」

 

 清姫の瞳が、狂おしいほどの歓喜に輝く。

 その瞬間、崩壊し始めていた彼女の霊基の消滅が、執念によってピタリと停止した。否、止まったように見えているだけだ。限界を超えた魂が、最後の一瞬だけ奇跡のように明滅を維持しているに過ぎない。

 

「清姫」

 

 彼が自身の名を呼んだ。ただそれだけで、彼女の胸は張り裂けんばかりに躍る。

 

 立ち上がらなければ。愛しい人の前で、這いつくばっているわけにはいかない。

 清姫は無理やりに腕に力を込め、身を起こそうとする。

 

 しかし、限界を迎えた身体は言うことを聞かない。

 中途半端に浮いた身体がバランスを崩し、再び硬い大地へと叩きつけられそうになる。

 

 

 ――ふっ、と。

 

 倒れ込む彼女の背中と後頭部を、彼が身を屈めて両腕でしっかりと抱き留めた。

 

「無理をするな」

 

 耳元で囁かれる、低い声。

 清姫は、自分を支える彼の『腕』の感触に、微かな違和感と、そして圧倒的な歓喜を覚える。

 

 彼女の背を抱くその腕からは、かつて彼が纏っていたものとは異なる、強大で異質な呪いの波動が放たれていたのだ。

 

(ああ……安珍様から、わたくしと同じような、愛おしい熱を感じます……)

 

 清姫は、自分を支える腕から伝わるその「竜の気配」に、魂の奥底で深いシンパシーを覚えた。

 愛する人が、どこか自分と似た存在へと近づいてくれている。彼女の狂気は、その未知の変質すらも「二人の魂の結びつき」と解釈し、至上の幸福へと変換していく。

 

「消滅の間際に……わたくしに、会いに来てくださったのですね」

「そうだな。……お前が、全て終わったら戻ってくるようにと、そう言ったんだろう」

 

 ヴァルナは、感情の読めない顔のまま、静かにそう答えた。

 彼女の妄想に付き合う気などないはずの男が、その事実だけは律儀に肯定する。口元には、微かな微笑みすら浮かんでいるように見える。

 

 その言葉だけで、清姫の魂は完全に救済された。

 だからこそ、ここで消滅しなければならない己の運命に対する、耐え難い『口惜しさ』が再燃する。

 

「戦いの後……結婚するというお約束。果たせず、申し訳ありません……」

「……うん、あぁ」

 

 こいつは、何を言っているんだ。

 内心で極めて冷徹に疑問符を浮かべながらも、ヴァルナはバーサーカーの論理を深く思考することを早々に放棄し、適当な相槌を打つ。

 

「マスター! 最後に、キスをしていただけませんか」

「……なぜ」

「わたくしのスキルに、『焔色の接吻』というものがありまして。していただけるのでしたら、あらゆる呪い、障害を撥ね退け、『スーパー清姫ちゃん』になることも吝かではありません! 気合で復活できるかもしれませんし!」

 

 おどけたような、明るい声。

 だが、ヴァルナの「魂を観測する眼」は、そのふざけた提案の裏にある、彼女の痛々しいほどの献身を見抜いていた。

 

 彼女は、異物を取り込んで呪いに蝕まれているヴァルナの痛みを、キスという行為を通じて自らが引き受け、少しでも彼の重荷を軽くしようとしていたのだ。

 

 なにか、私情のようなものも見えるが。

 

「まあ、代償としてマスターの将来が、お婿さん確定になりますが!」

「そうか。――断る」

 

 ヴァルナは、一秒のラグもなく、氷のように冷たく即答した。

 己が負った呪いは、己の選択の結果だ。他者に肩代わりさせるなど、彼が許すはずもない。

 

「……そうですか。残念です」

 

 清姫は、寂しげに、けれど彼のその一切揺るがない在り方に安堵したように、ふわりと笑った。

 

「……ありがとうございます、マスター」

 

 唐突な礼の言葉。

 ヴァルナは訝しげに眉を寄せる。キスを拒絶したというのに、何に対する感謝なのか。心当たりがいくつか脳裏を過るが、彼の思考の先を行くように、清姫は静かに答えを口にする。

 

「ここに来てくれたこと。……こうして、わたくしのために、時間を使ってくれていること」

 

 彼女は、血に濡れた美しい顔で彼を見上げる。

 狂気に呑まれているはずの彼女の瞳は、今この瞬間だけは、誰よりも鮮明に「ヴァルナ・クロス」という男の本質を捉えていた。

 

「本当は、今すぐにでも戦場へ行きたい。……先へと進みたいと、そう思っているのでしょう?」

「……」

 

 ヴァルナの瞳が、微かに見開かれる。

 

「マスターが、マシュさんに対して……他の方々以上の感情を向けていることは、わかっていました」

 

 彼女の言う通りだ。

 彼にとって、マシュ・キリエライトという少女は自身の美意識と快楽の交差点にいる「特別な存在」である。彼女を案じているのならば、本来は一秒でも早く城へ駆けつけるべきだろう。

 

 にもかかわらず。

 彼は、自らが「ハズレ」と評価し、用済みとなったはずのバーサーカーの最期を看取るために、足を止めた。

 

 彼にとって、極めて非合理的な時間の浪費。

 だが、その『無駄』な行動こそが、彼が清姫という一人の英霊の戦いに対して払った、最高純度の敬意であり、純粋な感謝の現れに他ならない。

 

 彼が自分に向けてくれた、理屈ではない不器用な優しさ。

 それに気づいた清姫の胸の奥から、彼への愛おしさが津波のように溢れ出しそうになる。

 

 

 だが、そんな大好きな彼だからこそ。

 彼女は、この溢れる想いに、そっと優しく蓋をした。

 

「あまり時間をかけさせても、申し訳ありませんので。……最後に」

 

 彼女の身体を構成していたエーテルが、光の粒子となって凄まじい勢いで空へ溶け出す。

 

 もう、限界の砂時計は落ちきった。

 清姫は、最後の一瞬まで彼に満面の笑みを向けたまま、高らかに宣言する。

 

「またの機会に、お会いしましょう!! わたくしとあなたは、絶対に巡り合う運命なのですから!」

 

 彼女の純粋すぎる愛は、死という概念すらもただの通過点へと塗り替える。

 

「楽しみにしております! あなた様に巡り会う、その日まで!!」

 

 言い終えた瞬間、清姫の身体は弾けるように無数の光の粒子となり、澄み渡る特異点の青空へと吸い込まれて消滅した。

 後には、主を失った焼け焦げた扇子と、乾いた風だけが残される。

 

「……不穏な呪いを残して消えたな」

 

 空になった両腕を見下ろし、ヴァルナは極めて淡々とした声で独りごちた。

 

 だが、その声色に嫌悪感はない。

 

「それも、良いか」

 

 天に昇っていくその金色の光を、数秒だけ静かに眺める。

 

 そして彼は、己の内側にある不要な感傷を綺麗に切り捨てると、踵を返し、最後の決戦が待つオルレアン城へと向けて、爆発的な脚力で駆け出した。

 




 今日は二話投稿しました!
 純愛系はここでお仕舞い。次の話から最終戦へ続きます!!
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