Fate/Grand Order : 冠位影法録(グランドオーダー・シャドウレコード)   作:りー037

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白亜の盾と、魔眼の捕食者

【時刻:2004年 某月某日 ??:??】

 

【場所:特異点F 炎上汚染都市 冬木・雑居ビル 地下駐車場】

 

 

地下特有の淀んだ空気が、オルガマリー・アニムスフィアが展開した結界によって清浄に保たれていた。

 

炎上する地上から隔絶されたこのコンクリートの空洞は、一時的な安息の地としては十分な静寂を保っている。

 

 

 

しかし、その静寂の中で、オルガマリーは頑なに壁際に立ち、腕を組んで入り口のスロープを睨みつけていた。彼女の銀色の髪は煤で汚れ、魔術礼装も所々が破れているが、アニムスフィアの当主としてのプライドが彼女の膝を折ることを許さなかった。

 

 

「……所長。魔力残量が三割を切っていると言ったはずだ。座って休め」

 

 

床の隅であぐらをかき、静かに目を閉じていたヴァルナが、淡々とした声で促した。

 

「ふん、誰がアンタなんかの前で無防備に寝顔を晒すもんですか。それに、結界を張ったとはいえここは敵地よ。誰かが見張りをしていなければ、いつサーヴァントが……」

 

 

 

オルガマリーが言い終わるよりも早く、ヴァルナは無言のまま両手で印を結んだ。

 

ウサギの頭部を模した影絵。

 

 

 

――『脱兎』

 

 

 

「なっ……きゃあっ!?」

 

 

床に広がるヴァルナの影から、ポンッ、ポンポンッ! と、次々に白い毛玉のようなウサギたちが飛び出してきた。

 

一匹、十匹、五十匹……。あっという間に数百匹に膨れ上がった兎の群れは、地下駐車場の床を埋め尽くし、オルガマリーの足元にワラワラと群がり始めた。

 

 

「な、なによこれ! ちょっと、離れなさい! 踏むわよ!?」

 

 

「見張りなら、俺の影(こいつら)にやらせる。地上から蟻一匹入ってきても気づく」

 

 

 

ヴァルナは目を閉じたまま、平然と言い放った。

 

「それに、脱兎の毛布はそこそこ暖かい。お前のような魔力切れで体温が下がっている人間には丁度いいはずだ」

 

「兎の毛布って……ちょっと、やめっ、登ってこないでぇぇっ!」

 

 

抵抗する間もなく、オルガマリーは群がるふわふわの兎たちに押し倒されるようにして、床に座らされてしまった。無数の兎たちが彼女の膝の上、肩、背中へと密集し、文字通り生きた毛布となって彼女を包み込む。

 

 

「……っ……あったか、い……」

 

 

怒鳴り散らそうとしたオルガマリーだったが、極度の疲労と、脱兎たちが放つ微かな呪力の温もりに抗うことはできなかった。数分も経たないうちに、彼女の呼吸は規則正しくなり、兎の群れの中で深い眠りへと落ちていった。

 

 

「……本当に、マイペースな方ですね、先輩は」

 

その様子を見ていたマシュが、思わずくすりと笑みをこぼした。

 

彼女もまた壁を背にして座り、自身の身の丈ほどもある巨大な十字盾を抱え込んでいる。

 

 

「人間は休息しなければ機能が低下する。当たり前の処置だ」

 

 

ヴァルナはゆっくりと目を開け、マシュの方へと視線を向けた。

 

「お前もだ。怪我は治っているようだが、新しい肉体に慣れるには睡眠が必要だ」

 

「いえ……私は、大丈夫です。カルデアで調整を受けていますから、数日程度の徹夜は問題ありません」

 

 

マシュは少しだけ視線を伏せ、盾の表面の細かい傷をなぞった。その表情には、先ほどの戦闘で見せた凜々しさとは裏腹な、ひどく脆く、不安定な翳りが落ちていた。

 

 

「……眠れないのか」

 

 

ヴァルナは立ち上がり、足音もなくマシュの隣へと移動した。そして、彼女のすぐ隣――肩が触れ合うほどの距離に、すとんと腰を下ろした。

 

 

 

相変わらずの、バグった距離感。

 

マシュはビクッと肩を震わせたが、今回は逃げ出さず、ただ少しだけ頬を染めてヴァルナの横顔を見上げた。

 

 

「……怖いんです」

 

 

ぽつりと、マシュが本音をこぼした。

 

 

「私は、ただカルデアで観測を続けるためだけに造られた命です。外の世界を知らず、自分の寿命が長くないことも知っていました。……でも、そんな空っぽの私の中に、突然、強大で、誇り高い英霊の魂が流れ込んできた」

 

 

彼女はぎゅっと、自分の胸のあたりを握り締めた。

 

 

「私に力を与えてくれた英霊が、誰なのか分かりません。真名すら教えてもらえなかった。……こんな名もなき『入れ物』の私が、先輩の隣で戦って、人類の未来を背負うなんて……本当に、いいんでしょうか」

 

 

静かな地下室に、彼女の震える声が溶けていく。

 

ヴァルナは口を挟まず、彼女の言葉が完全に終わるのを待った。かつて聖堂教会の代行者として数多の死線と絶望を見てきた彼にとって、マシュの抱える恐怖は、人間の魂が通るごくありふれたプロセスに過ぎない。

 

 

しかし、同時に、彼女の持つ『芯の強さ』を、彼は正確に観察していた。

 

ヴァルナはゆっくりと首を巡らせ、マシュの顔を至近距離で覗き込んだ。

 

 

「……先輩?」

 

「お前は、自分のことを空っぽだと言ったな」

 

 

ヴァルナの硝子のような瞳が、マシュの紫の瞳をまっすぐに射抜く。

 

 

「だが、お前はあの火の海で、逃げずに俺を護ろうとした。英霊の力を持っていたとしても、心が空っぽな人間に、あの盾の重さは支えられない」

 

 

ヴァルナは長い指を伸ばし、マシュが抱える巨大な十字盾の冷たい金属の縁をコツン、と叩いた。

 

 

「……名前なんて、後から勝手についてくるものだ。俺だって、『ヴァルナ・クロス』という名前は聖堂教会から与えられた符丁にすぎない。本名なんて覚えてもいないし、必要だとも思わない」

 

「え……? 先輩、聖堂教会に……?」

 

「昔の話だ。とにかく、今重要なのは、お前が誰の力を使っているかじゃない」

 

 

 

ヴァルナの指先から、微弱な呪力が青い光を帯びて盾へと伝わり、波紋のように広がっていく。

 

「お前が『マシュ・キリエライト』として、この盾をどう振るうかだ。……俺は前衛としての力を高く評価している。お前は俺の盾だ。それで十分じゃないか」

 

 

 

それは、甘い慰めの言葉ではない。

 

圧倒的な強者から下された、戦士としての明確な承認(レコグニション)。

 

ヴァルナの言葉は、感情の起伏こそないが、真実しか口にしない冷徹な誠実さに満ちていた。マシュの瞳からスッと迷いの霧が晴れ、代わりに強い光が宿る。

 

 

「……はい。そう、ですね」

 

 

マシュは盾を強く抱き直し、ヴァルナに向かって凜とした笑顔を見せた。

 

「私はマシュ・キリエライト。人類最後のマスターである貴方の、ただ一つの盾です。……ありがとうございます、先輩」

 

「別に礼を言われることじゃ……」

 

 

 

ヴァルナが首を傾げた、その瞬間。

 

 

 

 

ピクッ。

 

 

 

床を埋め尽くしていた数百匹の『脱兎』たちが、一斉に耳をピンと立て、同じ方向――地上の入り口へと顔を向けた。

 

同時に、ヴァルナの右腕の端末から、ロマニの切羽詰まった声が爆音で鳴り響いた。

 

 

『新人君、マシュ!! 休んでいるところ悪いが、緊急事態だ!!』

 

「……分かっている。脱兎の反応が途絶えた。地上に配置していた三十匹が、一瞬で『消滅』させられた」

 

 

ヴァルナはすでに立ち上がり、臨戦態勢へと移行していた。極めて冷静な、しかし明確な殺意を帯びた呪力が、彼の肉体を軋ませるように駆け巡る。

 

 

『凄いスピードでそっちに向かっている! 魔力反応、Aランク! 間違いなくサーヴァントだ! クラスは――ライダー!』

 

「起きろ、所長。化け物が来る」

 

 

ヴァルナはオルガマリーの襟首を無造作に掴み、兎の群れの中から文字通り引きずり起こした。

 

 

「ひゃあっ!? な、なによいきなり!!」

 

 

「マシュ、陣形はさっきと同じだ。所長を後ろに、お前が前。俺は遊撃に回る」

 

 

「了解です、マスター!」

 

 

ヴァルナが足を踏み鳴らすと、床を埋め尽くしていた脱兎たちが、一斉に影の中へと溶け込むように収納されていく。

 

三人は結界を解除し、暗い地下駐車場のスロープを駆け上がり、再び赤黒い炎が支配する地上へと飛び出した。

 

 

 

 

 

【時刻:同日 ??:??】

 

【場所:冬木市・炎上する交差点】

 

 

地下から這い出た彼らを待ち受けていたのは、異常なまでの静寂だった。

 

燃え盛るビルの崩落音さえもが、何者かの放つ重圧(プレッシャー)によって押し潰されているかのようだ。

 

 

 

交差点の中央。

 

 

 

熱で揺らめく空気の向こうに、その『影』は立っていた。

 

黒を基調とした、肌に密着する妖艶な装束。

 

足首まで届くほどの長い紫色の髪が、熱風に煽られて生き物のようにうねっている。

 

両手には、先端に短剣(ダガー)が取り付けられた長い鎖。

 

そして最も異様なのは、彼女の両目を覆い隠すように取り付けられた、目隠しのような禍々しいバイザーだった。

 

 

「……あれが、サーヴァント。なんて淀んだ魔力……」

 

 

 

オルガマリーが息を呑み、後ずさる。

 

彼女の言う通り、その女英霊――『ライダー』からは、英雄としての気高さは微塵も感じられない。あるのは、すべてを石に変えて砕くという、純粋な破壊衝動のみ。

 

 

『気をつけて! 彼女は理性を失ったシャドウサーヴァントだ! クラス・ライダーは機動力が……!』

 

 

ロマニの警告が終わるよりも早く。

 

 

ライダーの姿が、掻き消えた。

 

 

 

「――上です!!」

 

 

マシュの英霊としての直感が警告を発する。

 

交差点の頭上、炎上するビルの壁面を垂直に蹴り降りてくる黒い影。ライダーの振るう短剣付きの鎖が、重力と遠心力を乗せて、マシュの頭上へと隕石のように降り注いだ。

 

 

 

ガギィィィィンッ!!!!

 

 

 

マシュが真上に掲げた十字盾と、ライダーの短剣が激突し、凄まじい衝撃波が交差点を吹き飛ばした。

 

 

「くぅ……っ!! 重い……!!」

 

マシュの足元のコンクリートが蜘蛛の巣状に陥没する。竜牙兵の攻撃とは次元が違う。これが、神話の英霊の一撃。

 

しかし、ライダーが追撃の鎖を振るおうとしたその瞬間。

 

 

 

「よそ見をしている余裕があるのか」

 

 

 

ライダーの真横。空中。

 

いつの間にか跳躍していたヴァルナが、ライダーの側頭部へ向けて、呪力で真っ黒に染め上げられた回し蹴りを放っていた。

 

 

『呪力肉体強化』による、速度と質量の極致。

 

 

ライダーは咄嗟にもう一本の鎖でその蹴りをガードしたが、凄まじい破壊力に耐えきれず、弾き飛ばされるようにしてアスファルトへと着地した。ズザザザッと靴底を鳴らし、十メートルほど距離を取る。

 

 

 

(……硬いな。それに、ただの魔力塊じゃない。物理法則を無視した『概念』の殻を被っているような感触だ)

 

 

ヴァルナは着地し、自身の右足首を軽く回した。骨に異常はないが、蹴り込んだ際の手応えが、人間のそれとは全く異なっていた。

 

 

 

「シャァァァッ!!」

 

 

 

ライダーが、蛇のような威嚇音を発した。

 

次の瞬間、彼女は顔を覆っていた禍々しいバイザーに手をかけ、それを強引に外した。

 

 

 

『まずい!! 目を合わせるな、二人とも!! それは――』

 

 

 

ロマニの絶叫。

 

バイザーの下から露わになったのは、四角い瞳孔を持つ、魔性の瞳。

 

 

 

 

最高位の魔眼、『石化の魔眼キュベレイ』

 

 

 

視線を合わせたものを問答無用で石化させる、呪いという概念の結晶。

 

紫色の妖光が、交差点全体をフラッシュのように包み込んだ。

 

 

「きゃあっ!?」

 

 

マシュは咄嗟に盾の裏に隠れ、オルガマリーは目を覆って地面に伏せた。

 

 

 

しかし、ヴァルナは。

 

 

 

「……眩しいな」

 

 

彼は、真っ向からライダーの魔眼の光を浴びながら、微塵も動揺することなくそこに立っていた。

 

肌の一片、髪の一本たりとも石化していない。

 

 

「な、なんで……!?」

 

 

伏せていたオルガマリーが、信じられないものを見るように叫んだ。

 

 

『あ、あり得ない! 一定の魔力を持つ者は無条件で石化するはずの魔眼だぞ! 彼の魔力抵抗力は一体どうなっているんだ!?』

 

 

 

理由は単純である。

 

ヴァルナの体内に循環しているのは『魔力』ではなく、極限まで圧縮された『呪力』。人間の負の感情をベースとしたエネルギーだ。

 

メドゥーサの魔眼は「対象の魔力を石化の概念に書き換える」ものだが、ヴァルナの強大すぎる呪力の奔流は、外部からの魔術的干渉を完全に弾き返し、石化のプロセスそのものを無効化していたのである。さらに、元代行者としての「洗礼詠唱(浄化)」の抗体が、彼の肉体の本能として微弱に機能していた。

 

 

「お前の『眼』は、俺には通じない」

 

 

ヴァルナは無造作に歩みを進めながら、両手で新たな影絵を作った。

 

両手を組み、親指だけを立てる。

 

 

 

――『蝦蟇』

 

 

 

ヴァルナの背後の影から、軽自動車ほどの大きさを持つ巨大な蟇蛙が実体化した。

 

 

 

「ゲコォッ!!」

 

 

 

蝦蟇が大きく口を開け、ゴム鞠のように伸縮する長大な舌を猛スピードで射出する。

 

石化が通じなかったことに僅かに動揺を見せていたライダーは、飛来する舌を鎖で迎撃しようとした。しかし、蝦蟇の舌は空中で鞭のようにしなり、鎖そのものではなく、ライダーの「足元の電柱」に巻き付いた。

 

 

 

「引っ張れ」

 

 

 

ヴァルナの命令と同時に、蝦蟇が怪力で舌を引き戻す。

 

メキメキッ! と音を立てて電柱が根元からへし折れ、ライダーの頭上へと倒れ込んできた。

 

 

「シャッ!?」

 

 

ライダーは驚異的な敏捷性で後ろへ跳躍し、電柱の下敷きになるのを回避する。

 

しかし、それこそがヴァルナの狙いだった。彼女の着地点、そこの『影』は、すでにヴァルナの領域(テリトリー)だ。

 

 

 

片手で蛇の影絵。

 

 

その瞬間ライダーの足元の影がヴァルナの影絵に照応する。

 

 

 

――『大蛇』。

 

 

 

「――っ!?」

 

着地した瞬間、ライダーの足元の影が爆発するように割れ、巨大な白蛇が顎を開いて飛び出した。

 

大蛇の鋭い牙が、ライダーの右脚に深く食い込む。

 

そのまま大蛇は彼女の身体に巻き付き、凄まじい締め付けの力で骨を軋ませた。

 

 

「今だ、マシュ!!」

 

 

ヴァルナの声が戦場に響く。

 

 

「はいっ!!」

 

 

マシュは盾を構え、重戦車のような踏み込みで一気に距離を詰めた。

 

大蛇に拘束され、動きを封じられたライダーの無防備な胴体。そこに、マシュの全体重と英霊の筋力を乗せたシールド・バッシュが突き刺さる。

 

 

 

ドゴォォォォンッ!!!!

 

 

 

 

完璧なタイミングでの一撃。

 

 

ライダーは苦悶の声を上げ、大蛇の拘束を強引に引き千切りながら、数十メートル後方の廃ビルの壁面へと叩きつけられた。壁が大きく陥没し、土煙が舞い上がる。

 

 

「や、やった……!?」

 

 

オルガマリーが身を乗り出す。

 

だが、ヴァルナの表情は一切緩んでいなかった。

 

彼は大蛇を影に収納し、自身の右の拳に、より一層濃密な呪力を集中させ始めた。ギリギリと空間が悲鳴を上げるような密度。

 

 

 

「……いや。今の当たりで消滅しないなら、これからが本番だ」

 

 

 

土煙の奥。

 

陥没した壁の中から、ライダーがゆっくりと立ち上がってくる。

 

彼女の装束は破れ、肩で息をしているが、その四角い瞳孔からは、先ほどまでの本能的な殺意とは違う、はっきりとした『英霊としての怒り』と『魔力の暴走』が立ち上っていた。

 

周囲のアスファルトが、彼女から放たれる魔力の余波だけで溶解していく。

 

 

 

「マシュ、所長を連れて下がれ。ここからは、盾だけじゃ防ぎきれない」

 

 

 

ヴァルナは一歩前へ出た。

 

 

唇の端が、ほんのわずかに、しかし確かに釣り上がっている。

 

 

「ようやく、この世界(環境)に身体が馴染んできた。……少し、本気で叩いてみるか」

 

 

 

炎上する交差点で、孤独な呪術師と神話の魔獣が、互いのすべてを喰らい尽くさんとする殺意の波動を交差させていた。

 

 

 

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