Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード) 作:りー037
「――」
そのひと言と共に、不平等の果てに立つ呪術師の全身から立ち上るエネルギーの質が、劇的に変質した。
(極ノ番――)
それは、領域展開と並び称される呪術の奥義。
彼の生得術式である十種影法術における極ノ番の能力は『融合』。式神同士を掛け合わせるか、あるいは『自身と式神』を掛け合わせるか。
式神を完全に外部へ顕現させず、情報単位にまで分解し、自身の細胞・肉体そのものへと再構築する至高のプロセス。
(――いくぞ)
底知れないほど濃密な呪いが、ヴァルナの肉体に渦を巻き、黒く収束していく。
最初に選んだのは『貫牛と大蛇』。
彼の肉体が異様に黒ずみ、貫牛の特性を反映した鋼のような筋肉が肥大化する。側頭部からは捻れた白い角が生え揃い、尾骶骨のあたりからは、まるで太い尻尾のように『大蛇』の首が蠢きながら顕現した。
二体の式神の能力を、己の肉体という器に直接引き下ろした異形の姿。
その禍々しい変貌に、オルタは思わず息を呑んだ。
ヴァルナはクラウチングスタートのような極端な前傾姿勢を取り、足の裏へ爆発的な呪力を限界まで圧縮させる。
「……避けろよ」
極めて冷徹に、事実だけを告げるような声。
次の瞬間、足裏の呪力が起爆し、城の床がクレーター状に陥没した。
(――なッ!?)
竜の魔女の魂の奥底で、かつてない強烈なアラートが鳴り響く。
直線上の急加速。だが、その速度と、迫り来る拳に乗せられた『助走を確保するほど威力が増す』理不尽な圧力が、先ほどまでの比ではない。
(何よこの馬鹿げた速度……ッ! これを、まともに受けたら……)
――死ぬッ!
迎撃の思考を即座に放棄し、足元で規格外の魔力を爆発させ、真横へと強引に跳躍した。
先ほどまで自分の顔面があった空間を、黒い暴風が突き抜けていく。激しい風圧だけで頬の皮膚が裂けた。
彼女は冷や汗を流しながら、通過した方向へと鋭く視線を向ける。
そこには、床を削りながら急停止し、すでに『第二撃』の動作を完了させている男の姿があった。
(……躱したか)
ヴァルナは、完璧な回避を見せた彼女の動きを、冷徹な思考の裏側で密かに賞賛する。
間違いない。初めて
(見事だ。……だが、止まるつもりはない)
ヴァルナは即座に選択を切り替える。
「――解除」
貫牛の式神だけを肉体からキャンセルし、肥大化した筋肉と角を消し去り、急停止の反動を殺して機動力を引き戻す。
そして振り向きざま、回避直後で体勢の浮いている彼女の顔面へ向けて、呪力を乗せた裏拳をフルスイングで叩き込んだ。
「ガ、ハッ……!」
まともに命中した。だが、頭蓋を砕くには至らない。オルタは咄嗟に顔面へ魔力を集中させ、強引にダメージを相殺したのだ。
しかし、防御には成功しても体勢は完全に崩れている。
ヴァルナの肉体には、まだ『大蛇』の融合が残されていた。
彼が視線を送るのと同時に、尾のように生えていた巨大な白蛇が、空中に浮いた彼女の胴体へ向けて牙を剥き出しにして突進する。
「ぐ、ぅぅッ!」
オルタの身体が大蛇に深く噛み付かれ、そのまま城の分厚い壁をぶち抜き、隣の部屋へと弾き飛ばされていく。
瓦礫に埋もれる寸前、彼女は怒りの咆哮と共に特大の怨炎を爆発させ、大蛇の牙を強引に弾き飛ばした。
「次だ。――『×鵺』」
壁の穴の向こう側から、無機質な声が響く。
ヴァルナの背中から翼が生え揃い、白い髪が血のように赤く染まる。顔の半分に骸骨の仮面を張り付かせた彼は、帯電した空気を引き裂きながら、隣の部屋へと吹き飛んだジャンヌへ猛接近した。
(休ませてくれる気はないってわけね……上等よッ!)
大蛇を退け、床を蹴って立ち上がったジャンヌの眼前に、二足歩行の怪鳥と化した男が雷を纏って迫る。
「燃え尽きなさいッ!」
彼女は呪いの旗槍に限界まで炎を圧縮させ、渾身の刺突を放つ。
ヴァルナもまた、飛行の加速をすべて乗せた雷撃の拳を真っ向から突き出す。
炎と雷の激突。
鼓膜を劈くような轟音と共に、強烈なエネルギーの奔流が空間全体を支配した。
互いに一歩も引かない、圧倒的な火力のぶつかり合い。だが、その規格外のエネルギーの応酬に耐えられなかったのは、二人の肉体ではなく『城の構造』の方。
足元の石積みの床に巨大な亀裂が走り、次の瞬間、床そのものが広範囲にわたって完全に崩落する。
(――ッ!?)
鵺と融合し、滞空手段を持っているヴァルナと違い、ジャンヌには空を飛ぶ手段がない。
ヴァルナは即座に雷撃の出力を切り替え、背後へと素早く退避しながら、空中で身動きの取れない彼女へ向けて、広範囲に拡散する雷撃の網を形成した。
(避けられない……!)
空中で体勢を崩したオルタには、回避する手段が残されていない。雷撃を無防備に受けるしかない絶望的な状況。
だが、竜の魔女は諦めなかった。
(回避も防御もできないなら……攻めるまでよッ!)
雷撃が直撃し、全身の神経が焼き切れるような激痛で体が硬直するその刹那。
彼女は叫び声を上げながら、持っていた旗槍にありったけの魔力を込め、ヴァルナへ向けて思い切り投擲した。
「――チッ!」
ヴァルナは咄嗟に体を傾けて躱そうとしたが、雷撃と引き換えに放たれた神速の槍は、彼の肩口の肉と骨を無残に貫通する。
激痛に顔をしかめるヴァルナ。その眼下では、雷に焼かれたオルタが瓦礫と共に暗闇へと落ちていく。
(……ッ)
彼は肩に突き刺さった旗を乱暴に引き抜きながら、自身の状態を冷静に分析する。
ダメージの蓄積。複数式神のスイッチと極ノ番による莫大な呪力消費。そして、鵺の雷撃を体内から生成し纏う代償として、彼の皮膚もほんの少しずつ熱で焼け焦げ始めていた。
(そろそろ、決めなくては)
まずは肩の傷を塞ぐため、『円鹿』を融合させようと影絵を結びかけた、その時。
真下の暗闇から、鼓膜を破るような魔力の爆発音が轟く。
(――さらに速いッ!)
落ちていったはずのジャンヌ・オルタが、彼自身の最高速度すら上回る異常なスピードで、一直線に肉薄してきたのだ。
それはただの突進ではない。空間そのものを削り取るような、魔力放出による一点集中の超加速――まるで『縮地』のようなぶれない動き。
「ハァァァァッ!!」
狂気的な笑みを浮かべた彼女が、魔力を限界まで圧縮した渾身の拳を振り被る。
ヴァルナは両腕を顔の前で交差し、紫雷を限界までエンチャントし防御を固めた。
だが、彼女の狙いは拳の一撃だけではない。
ジャンヌはヴァルナの雷の鎧をものともせず、空中で彼の防御を強引にこじ開け、先ほど彼が引き抜いて手に持っていた『自身の旗槍』を乱暴に奪い返したのだ。
「落ちなさいッ!!」
そして旗を奪い返した勢いそのままに空中で身体を回転させ、ヴァルナの胴体へ向けて、悪魔のような回し蹴りを深々と叩き込んだ。
「ぐ、ぁ……!」
雷の防御ごと蹴り飛ばされ、ヴァルナの肉体が彗星のように城の奥深くへと撃ち落とされていく。
泥臭く、どこまでも凄惨な殺し合い。互いの命を削り合う狂気の舞踏は、いよいよ
*
雷の防御ごと蹴り飛ばされ、ヴァルナの肉体が城の奥深くへと撃ち落とされていく。
(……厄介極まりないな)
宙を舞いながら、彼は冷静に自身のダメージを算段する。
ジャンヌの渾身の一撃によって、骨の何本かが軋みを上げている。空中で姿勢を立て直しながら、融合していた大蛇の術式を解除し、即座に『円鹿』へとスイッチした。
鵺と円鹿。
翼で滞空を維持しながら、肉体の再生を最優先させる。
だが、竜の魔女がそんな猶予を大人しく与えてくれるはずがない。
旗槍を取り戻したジャンヌは、眼下の床に着地するや否や、膨大な魔力を一点に収束させ始めた。周囲の空気が、彼女の放つ怨炎によってジリジリと歪み始める。
(……また、あの宝具が来るか)
ヴァルナは再生を終える前に円鹿をキャンセルし、素早く影絵を結ぶ。
「――『×満象』」
彼の内側に、巨大な象の式神が展開・融合される。
ヴァルナは大きく息を吸い込み、莫大な量の呪いを腹に集めた。満象の放つ大瀑布のような水を、面で制圧するための攻撃としてではなく、極限まで一点に圧縮し、弾丸として吐き出す。
大気を切り裂き、超高速の『水球』が撃ち出された。
(なッ――!?)
宝具の詠唱に入ろうとしていたジャンヌの視界を、自身の体の半分ほどの巨大な水の塊が埋め尽くす。
回避する間もなく、超圧縮された水球が彼女の胴体にクリーンヒットした。
「ガァァァァァッ!?」
中途半端な威力だが、今はこれでいい。
圧倒的な質量による暴力的なノックバック。オルタは口から血を吐き散らしながら、後方へと凄まじい勢いで吹き飛んでいく。
彼女の宝具発動を完全にキャンセルしたのを確認し、即座に満象を解除した。
そして、両手のひらを合わせ、前に突き出す。
(かなり消耗している。……落ちている出力で仕留めるには……)
鵺の雷を、合わせた両手のひらの間に圧縮させる。
空気が焼け焦げるような異音が鳴り響き、彼の掌の中で致死量の熱量が生み出されていく。麻痺目的の拡散する雷ではない。一点に収束させた、確実に殺すための一撃。
「――『
合わせられた手のひらから、爆発的な雷のレーザーが放出された。
直進する光の奔流が城の壁を次々と貫通し、一帯を完全に吹き飛ばす大爆発を引き起こす。
瓦礫が雨のように降り注ぎ、濃密な土煙が視界を覆った。
(……やったか?)
ヴァルナは一瞬だけそう思考し、だが即座にその可能性を自ら否定する。
土煙が晴れた先。先ほどまで彼女が吹き飛ばされて立っていた位置の床には、地下深くへと続く大穴が開いていたのだ。
(直撃を避けるために、咄嗟に床を抜いたか)
ならば、どこから来る。
彼女が素直にあの穴から出てくる様子はない。次に現れるとしたら――。
――背後ッ
ヴァルナは振り向きざま、頭と体勢を真横へ大きく傾けた。
その直後。彼が先ほどまでいた背後の空間――割れた窓ガラスの方向から、完全に死角を突いて飛び込んできたジャンヌが、必殺の槍を突き出していた。別の部屋を経由して背後に回り込んだ、執念の奇襲。
(――躱されたッ!?)
ジャンヌが内心で激しく舌打ちをする。
体を傾かせ、相手の渾身の奇襲を躱したこの瞬間こそが、絶好の好機。
ヴァルナは左腕を下から上へ、相手の顎を粉砕すべく、思い切り呪いを込めてカチ上げた。
――決まる。
そう確信した、その時。
(――ッ!?)
ヴァルナの肉体に、言葉にならないほどの激痛が走った。
中途半端な勢いのまま、カチ上げた拳がジャンヌの腹に浅く突き刺さる。
「ガ、ハッ……!」
不完全な状態であったとはいえ、カウンターで急所に叩き込まれた一撃は彼女に十分なダメージを与えた。オルタは血反吐を吐きながら、自身が侵入してきた窓から外の空へ向けて、仰向けの状態で吹き飛ばされていく。
だが、吹き飛ばしたヴァルナの肉体もまた、異常事態に陥っていた。
ミシミシと、肉体が内側からひび割れるような悲鳴を上げる。異形化が強制的に解除され、彼の姿が元の人間へと引き戻されていく。
(なんだ、これ、は……ッ!)
筋肉が断裂するような痛みではない。魂そのものを内側から捻り潰されるような、強烈な拒絶反応。
呪力が切れたからではない。おそらく、別の理由。活動が強制キャンセルされるほどの負荷が、彼の肉体を容赦なく襲う。
膝から崩れ落ちそうになるのを、ヴァルナは尋常ではない精神力で必死に押さえ込む。
(止まるな。……ここからが……)
――仕上げだッ。
彼は激痛に歯を食いしばりながら、彼女が吹き飛ばされた窓へと向けて駆け出した。
外の大空。仰向けの状態で宙を舞い、空中でなんとか体勢を立て直そうとしているジャンヌ・オルタの姿を視界に捉えた。
ヴァルナは走りながら影絵を結び、通常の『鵺』を窓の外へ召喚する。
空へ飛び出した鵺の足に右腕でぶら下がり、落下していく彼女を冷徹に見下ろし――。
――互いの視線が交錯した。
バチバチと、鵺の翼が発光し、殺意を帯びた雷のチャージを始める。
ジャンヌには空を飛ぶ手段はない。近くに足場となるワイバーンもいない。空中でその雷撃を躱すことは、物理的に不可能。
――空中なら、躱せない。
――って思ってるんでしょ?
その絶体絶命の状況下で、落下していくジャンヌ・オルタの顔に、獰猛な笑みが浮かぶ。
彼女は一瞬の交差の中で、現状を極めて正確に理解していた。
空中で雷撃は躱せない。だが、彼女は怪鳥の雷撃をすでに何度も身をもって体験している。
(アレの能力は、雷の直接的な放出。無作為に放電しているだけの、ただのエネルギーの塊)
式神と融合していた時は、手の中に圧縮したり、鎧のように纏ったりと精密な制御を行っていた。だが今は違う。何故かは分からないが、男の変身はすでに解けている。
つまり、今あの怪鳥から放たれるのは、直線的な放電のみ。変則的な動きはない。
(なら、放出されるタイミングに合わせて炎をぶつけて相殺する! そしてその反動で旗を投擲して、鳥ごとアンタの頭を潰してやるわッ!)
打って来なさい。
今の私なら、あの程度の雷撃はどうとでも対処できる。
――勝てる。
その確信が、竜の魔女の顔に会心の笑みを作らせた。
だが。
そんな顔を彼に見せてしまったこと。それこそが、彼女の最大の敗因であった。
ヴァルナ・クロスは、空中で笑う彼女を見下ろしながら、極めて冷静にその思考の裏側を分析する。
(何か考えているな……?)
彼は痛む肉体を押して、静かに、致命の手印を結んだ。
(――あまり、関係はないが)
一切の感情を交えず。
ただ事実のみを世界へ宣告した。
「――領域展開」
こうして、竜の魔女は終わりを迎える。