君たちは大迷宮の第三層へと足を踏み入れた。
光が差すのは入口のみ。背を向ければ、そこから先はまるで坑道である。通路の各所に頼りない松明が掲げられていた。
第一層と似た造りではあるが、あちらは明らかに人の手が入っている。こちらは自然のそれに見えた。
松明の周りで時折揺らめく影には、どことなく魔性が宿っている様にも見える。
「この坑道では影にご注意下さいませ。魔物が化けている場合があり、以前わたくし達はこの坑道で少々被害を出しました」
ルクレツィアの忠告に君は頷いた。
キャリエルは表情が強張っているが、怖じ気づいている様子ではない。例の危機感知はまだ危機を告げていないようだ。
この坑道の厄介な所は、ルクレツィアの言った通り影に化けた魔物である。襲われる直前まで気配を隠滅させるあたりが非常にいやらしい。救いといえば、一撃で死に至らしめてくるような攻撃手段を持たない事だろうか。
君はまあよいとばかりに、特に警戒する様子も見せずどんどん先へ進んでいった。
そして横から影が伸びてくると、ルクレツィア達が警告するまでもなく裏拳の一撃で霧散させた。
君の備える会敵の予感は、あらゆる敵対的遭遇を予知する。感知された後にひっそりちんたら奇襲を試みようと、それはもはや奇襲足りえない。
ただしこれは絶対の感覚ではなく、敵手の階梯によっては感覚の網をすり抜ける事もある。だが仮に先制を許した所で、君のアーマークラスを抜く事は中々難しいだろう。
「お兄さんって魔術師じゃなかったの……?」
キャリエルが目をまんまるくして問いかけてくるので、君は頷いた。
君の本分は魔術師で間違いない。だが戦士職と僧侶職もまた、マスタークラスどころではない階梯まで練り上げている。他の職業ですら軽く齧っているのだ。まあそちらは手慰みに過ぎないが。
こういった万能ぶりは何も君に限った話ではない。ライカード魔導部隊所属の散兵達は大体似た様なものである。君に出来ない事は召喚魔法と錬金魔法くらいな物だろうか。
結局、君たちは何度かの襲撃を全てワンパンチで退けた。
手応えが無さ過ぎると内心退屈し始めている君だが、そもそもが適正階梯を大幅にオーバーしているのだから当然の結果である。
とはいえ、と君は思う。
まだまだ大迷宮は序盤も序盤。魔が牙を剥くには些か早すぎる。
次か、あるいは次の次の階層で何かしらを仕掛けてくるかもな、と君は独りごちた。
◇
探索者ギルドのマスターであるサー・イェリコ・グロッケンは、窓から鼻を突き出し、しきりに何かの匂いを嗅いでいた。
傍目にはふざけているようにしか見えないが、本人は大真面目である。
「どうされましたかマスター・グロッケン……?」
受付嬢兼秘書のハノンが心配そうに問う。彼女には、グロッケンがふざけているわけではないと分かっていた。
この男の種族的特性を知っていれば、その様子に不安を覚えるのは致し方ないといえよう。彼の鼻は、死の匂いを嗅ぎ分ける。
グロッケンはハノンへ向き直ると、太い猪首を振った。
「ぶフゥ~……分かりません……しかし……腐臭……食物のそれではない……嫌な匂いが街から漂ってきています……まだ薄い……とはいえ……グゥゥ」
嫌な予感、嫌な予感、嫌な予感である。
グロッケンは牙をぺろりと舐め、ギロリと空を見上げた。
「王宮は何をしているのでしょうね……私の鼻が異変を感じ取れる程に不穏であるならば……フゥ~……あちらも何かを掴んでいる筈ですが……むゥ……ハノンさん、猟犬を出します。内容は街に何か異変が無いかを調査。そして……王宮周りも洗うように、と」
猟犬。
それはギルド専属の上級斥候からなる調査部隊だ。斥候と名づけられてはいるが、その本質は暗殺者に近しい。ライカード式に言えば忍者部隊といった所か。
ごくりとハノンが生唾を飲みこんだ。事態が彼女の思うより遥かに剣呑だと知ったからだ。
(彼と少し話がしたい所です。今は迷宮探索中でしょうか)
ハノンの脳裏に浮かぶのは君であった。
得体の知れない男。暫く前に探索者登録をした魔術師。ちょっかいを掛ければ火傷では済まない危険な男。事実として、彼を前に剣を抜いた探索者はもうこの世に居ない。
優れた探索者とは強くなければならない。強いという事は危険であるという事だ。
そしてハノンの知る限り、君ほどに危険な気配を醸し出す探索者は他に居ない。