ダンジョン仕草   作:埴輪庭

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第29話:囁く者、ジャーヒル(前)

 ◆

 

 悪臭漂う沼地の探索は、体力と精神力を大きく損なう。特にルクレツィアとモーブには思う所が大であろう。

 

 しかし君を除くキャリエルら3名は、自分達が何か大いなる存在……そう、例えば神……などではなく、魔神か何かの加護を受けている様に感じられた。

 

 かつて魔神ハイアー・フィー・クー、それも現世に投影された虚像のハイアー・フィー・クーではなく、真なる魔神としてのハイアー・フィー・クーと死闘を演じて、これを縊り殺した君ならば魔神呼ばわりされるのも無理はないのだが。

 

 それにしても、と君は意識を張り巡らす。

 

 君は何者かの視線を感じた。

 

 その視線には強い敵意と殺意、害意が込められている。

 

 君は、仲間たちに何か感じないかと尋ねた。しかしキャリエル、ルクレツィア、モーブ、誰一人として何かを感じると言う様な事はなかった。

 

 勘の良いキャリエルでさえ、だ。

 

 君はこの事実を以て、殺意が自分だけに向けられているという確信に至った。

 

 仕掛けてくるのなら、と君は精神を研ぎ澄ませる。

 

 前から来るのか、後ろから来るのか、側面奇襲か。

 

 君の灰の瞳に、何人もの勇士を貫いてきた魔剣の重く鈍い光が宿り……、弾けた。

 

 下か、と君は口元に薄い笑みを浮かべた。

 

 突如、大きな緑色の肌をした手が沼地の底から静かに伸び、君の足首に食い込んだ。

 

 その手には鋭い爪がギラついている。

 

 手の主は強く握り込んで君の足首を爪で貫こうとする。

 

 しかし君のアーマークラスはDO(-10)とXL(-100)の凡そ半ばであり、生半可な攻撃は意味を為さない。これは後世で『戦車』と呼ばれる兵器の硬さの約5倍強に相当する。ちなみにDO(-10)で『戦車』と同程度だ。

 

 これほどの防御を抜くことは至難だが、爪は君の足首に僅かに食い込み、なんと君に傷を負わせる事に成功した。軽傷ではあるが、傷は傷である。

 

 そして君は床を抜けて落ちていった。床は大きくくぼみ、巨大な落とし穴の様なモノを形作っていた。穴の底から伸びるのは嫌悪感を誘起させる醜悪な緑路の腕である。筋肉が隆と逞しく盛り上がり、そしてとにかく長く大きい。

 

 君はそんな腕に掴まれ、地の底へと落下していった。

 

 まあ君だけではある。キャリエルもルクレツィアも、モーブは無事だ。

 

『浮遊』の魔法は唱えた際の接地面から僅かに浮くだけの魔法だ。穴があろうと高度を保って浮遊していられるものの、下から強く引っ張られれば落ちてしまう。

 

「あ、主様ァッ!!!!」

 

 ルクレツィアが絶叫し、君を追おうとするがしかし、君が掛けた『浮遊』の魔法が解除されない為、穴へと飛び込めない。

 

 ◆

 

 行く先は冥界か、地の極か。

 

 君が下方に冷たい視線を向ける。

 

 視線の先に居たモノは、下卑た嗤いを浮かべる一匹の巨大な悪魔……のようなモノだ。

 

 ──『蠢く者 ジャーヒル』

 

 随分と様変わりしたじゃないか、と君は鼻で笑うが、踏ん張りが効かない空中ではジャーヒルのホールドを外す事は出来ない。

 

 そして、暗中の落下行は長くは続かなかった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 君は落下の末、不気味な広間にたどり着いた。落下中、君は意図的に圧縮した意識の中でこの広間全体の様子を見てとる。

 

 この空間はまるで肉塊で覆われているかのようだった。

 

 床も壁も天井も、すべてが柔らかそうで、不規則に脈打っている。まるで無数の犠牲者が壁と一体化してしまったかのようにも見える。

 

 空気は重く、生臭い臭気が鼻を突く。

 

 それは鮮血と腐敗の混じったような、胸が悪くなるような臭いだった。床には所々に白骨が転がっており、その多くは人間のものと思われる。

 

 一部はまだ肉が残っており、まるで食べ滓の様だった。白骨の山々からは悲鳴と苦悶の呪詛が響いてくるかのようだ。

 

 君は一個の巨大な生物の内部にいるような錯覚を覚えたが、さて、考察は終わりだ。

 

 地面に着地したジャーヒルは腕に凶力を込め、思い切り振りかぶる。

 

 勿論君の足首を掴んだままで。

 

 そして、地面へと叩きつけた。

 

 君は両手を突き出し、丁度逆立ちのような姿勢のままに地面に手を向けた。

 

 衝撃と轟音。

 

 ジャーヒルはニタリを邪悪な笑みを浮かべるが、次の瞬間、その笑みが凍砕する。

 

 風を切るような凄まじい勢いで振り下ろされたにも関わらず、君は両の腕で地面を掴み、叩きつけを回避したのだ。

 

 今度は君が嗤う番だった。

 

 君は瞬時に両腕をクロスさせ、地面を握る手に万力を込める。そして、クロスさせた腕をほどく様に体を回転させ、その勢いでジャーヒルのホールドを力尽くで振りほどいた。

 

 ばきりと乾いた音を立てて、ジャーヒルの鋭く長い爪が何本か砕け散り、指の骨も圧し折れる。

 

 絶叫。

 

 怒りと憎悪が多分に混じった、耳を(つんざ)く様な絶叫だ。常人なら耳にしただけで精神がひび割れるだろう。

 

 しかし君はそれを大いなる隙と見做す。

 君は自身の足首に負った傷を見て、精神に烈気を漲らせた。

 

 両の手に魔力を込める。

 

 ──FA(ファーアー)RI(ルーイ)TA(ターンメイ)

 

 ボウ、と燃え盛る君の両手は赤から黄色へ、黄色から白へ、そして白から青へと変じていく。

 

 もっとも低級の火の呪文 "小炎" だが、ジャーヒルが目を見開き、君の魔法の危険性を瞬時に察知する。

 

 そう、君の魔法は危険なのだ。

 

 確かに"小炎"は最も低級だが、強大な力を持つ術者が真なる言葉によって紡いだそれは、低級なれど恐ろしい。

 

 ジャーヒルは賢明にも距離を取ろうとするが、その所作でさえも君の前では大いなる隙であった。

 

 地面を縮めたかのような勢いで君が肉薄し、

 

 両の手よりそれぞれ二撃、計四撃の正拳がジャーヒルの正中線上に叩きつけられ、吹き飛ばされる。

 

 苦痛の悲鳴すらあげぬジャーヒルだが、

 

 燃えたか? 

 

 はたまた爆散したか? 

 

 いいや、蒸発した。

 

 鉄を蒸発させてなお飽き足らない超々高温を宿した四連撃は、それぞれの着弾点を蒸発させてしまったのだ。

 

 両手の青炎はすぐに消えるが、ジャーヒルが負った傷は消えやしない。

 

 瞬間で閾値を超過したことにより追いついていなかった感覚が、ようやく追いついた。

 

 立ち上がったジャーヒルは喉、胸、腹部、股間部に四つの拳大の穴を空け、やがて喉が潰れ消えているにもかかわらず無理やりに絶叫を上げた。

 

 今度は先にあげた怒りと憎悪の絶叫ではない。

 

 苦痛と恐怖の絶叫だ。

 

 だが絶叫は長くは続かない。

 

 君の蹴り上げが、ジャーヒルの顔面に打ち付けられたからだ。

 

 重く巨大な悪魔の肉体が宙に打ち上げられて再び地へと落ちた。

 

 弱っている敵には追撃をするのがライカード仕草である。

 

 しかし君は戦闘体勢を崩さない。というのも、大きなダメージを与えはしたが、それでもなお相手には余力があると見ていたからである。

 

 果たしてジャーヒルは再び立ち上がり、今度は君を見下したり、小生意気にも手向かいするタイプの餌としてではなく、"敵"を見る目で君をにらみつけた。

 

 それを認めた君は苦笑する。

 

 何か裏切られたような気がして、君の鋼鉄の心が僅かに傷ついたのだ。

 

 それは例えるならば、友人と遊んでいる時に相手が内心気を入れてくれていない事に気付いてしまった時の心境であった。

 

 だが、まあいいさと君は構える。

 

 ジャーヒルの両眼がまるで血の様に赤く輝いた。

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