ダンジョン仕草   作:埴輪庭

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第35話:地獄道

 ◆

 

 迷宮を進む一団があった。

 

 数は20か、30か。

 

 一団の中腹あたりに老人がいる。彼こそがオルセイン王国宰相ジャハム。強力な魔法のローブに身を包み、指にはいくつも指輪を嵌めている。いずれも最上級の魔法の護りがこめられたアミュレットである。

 

 追従する者達も近衛騎士団長をはじめ、猛者ばかりが揃っている。

 

 §

 

「宰相殿、斥候が戻りました。この先、複数の悪魔が。避けては通れますまい」

 

 近衛騎士団長ベルンハルトが声をひそめて言う。常人の頭二つは背が高い巨漢が腰を屈め、窮屈そうにしているのは傍から見れば少し笑いを誘う光景かもしれないが、この場においては誰も口元を緩めたりはしない。

 

 いや、出来なかった。

 

 ここはアヴァロン大迷宮の第8層だ。名はない、誰もここへ足を踏み入れた事などない……とされている。

 

 少なくとも公式には。

 

 この第8層は陳腐な言い方をしてしまえば "魔界" であった。実際の魔界がどのようなものかは分からないが、もし例えるならば、という話だ。

  

 地面は柔らかい肉のようなものに覆われ、一歩踏み出すごとに何かが足元を這うような感覚に襲われる。空気は冷たく湿っており、そうかとおもえば次の瞬間には水も蒸発するほどの熱気へと変じる。やはり肉で覆われている壁や天井からは手や脚が突き出ていたりする。

 

「悪魔共には魔術の効果が薄い。騎士団には少し気張ってもらわねばならん。だが後衛仕事は任せよ」

 

 ジャハムの言葉にベルンハルトは頷き、部下の近衛騎士たちに幾つかの指示を飛ばした。

 

 戦いはすぐに決着がついた。

 

 悪魔といっても下級の悪魔だ。歴戦の近衛騎士たちが連携を取り、後衛には魔術師団の精鋭が控えているとあっては鎧袖一触と言った所だった。

 

 戦いの後、ふと思い出した様にベルンハルトが言う。

 

「それにしても宰相殿、上級の探索者たちにも多少は期待しましたが、全く出遭いませんでしたな。我々がもし失敗すればどうなる事やら。ただ、成功しても我々は反逆者の様なものです。国のためと思えば耐えられますが……」

 

 ベルンハルトはため息をつく。

 

「仕方あるまい。"霧" が蔓延するあの場では、我々の動きは敵の掌中にあるも同然。王を追放するていで血脈を保とうとする策は悪くはなかった。探索者達に魔の討伐の触れを出したのも、あの場ではそれが最善よ。どうせ意思薄弱な者は取り込まれ、勝手に迷宮へと向かってしまうのだから。こちらが背を押してやり、迷宮最下層部の魔だか何かに我々が敵ではないと油断させる……これも上手く行っている。今の所は、だが」

 

 ジャハムの言葉にベルンハルトは頷く。

 

 ジャハムは嘘は言っていない。

 

 言葉全てが真実だ。

 

 ただ、言っていない事もある。

 

 ◆◆◆

 

 オルセイン王国宰相ジャハムは醜い。

 

 彼の肌はかつての健康的な色合いを失い、今や灰色がかった土色に変わり果てている。

 

 目は沈んで暗く、しかし鋭い眼光だけが爛と光っていっそ不気味でさえある。鼻は不均等に曲がり、長年の風雪に耐えたかのようにその形を損なっている。

 

 歯もほとんど残っておらず、残された数本も不健康な黄ばみを帯びている。

 

 率直に言って醜い。

 

 しかしその内面は萎れた外見とは対照的に、これでもかという程に狂気の筋金が入っていた。

 

 心の芯棒は狂っていればいるほど強靭だ。その点、ジャハムのそれは申し分ない。なにせ半世紀以上も前に身罷った前王妃を偲び、想い、その蘇生を祈念してありとあらゆる魔術に手を染めているのだから。

 

 ジャハムは恋をしていた。

 

 老いらくの恋だと笑う者はいない。

 

 なぜなら彼の真心を知った者は皆故人であるから。

 

 そして、ジャハムの恋の炎は数十年が経っても決して消える事は無かった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 前王妃ザビーネは哀れな女だった。前オルセイン国王に見初められ、本人の意思とは無関係に隣国ハリス小王国から連れ去られたのだ。

 

 当然隣国も抗議はしたが、当時のオルセイン王国の国力は強く、小さなハリス小王国の抵抗など軽くあしらわれた。そしてこの時、カナン神聖国もハリスに歩調を合わせた。

 

 カナン神聖国は人類圏の守護者を標榜しており、周辺国から神聖魔術の素養のある者を「神に選定された」という名目でかき集めている。その過程で、ハリスからそれなりの数の聖職者が生まれていたという事情があった。

 

 しかしいくらカナン神聖国と言えども当時の武断的なオルセイン王国を余り刺激したいとは考えておらず、ゆえに抗議はやや形式的なものに留まった。

 

 しかし結果として、その様な弱腰ではオルセイン王国の蛮行を思いとどまらせることはできなかった。

 

 ザビーネは美しく、聡明で、そんな彼女に先のオルセイン国王は恋の沼に胸まではまり込んだ。毎日毎晩、ほぼ強姦といってもいい暴虐を彼女に振るい続けた。

 

 そんな彼女の心身を慰撫していたのは当時宮廷魔術師長であったジャハムである。

 

 古今東西のあらゆる治癒、賦活の秘術がザビーネに施され、彼女は先王の暴虐の渦中にあったにもかかわらず、心と体を完全に壊されずに済んだ。

 

 しかしそれが彼女にとって幸せであったかどうかは分からない。

 

『なぜ、死なせてくれないのです』

 

 裸体のまま寝台に横たわるザビーネ。その体には大小様々な傷が刻まれていた。蛮王に攫われ、心と体を凌辱され、ザビーネは生きる気力を喪いつつあった。

 

『王命なれば』

 

 ジャハムは答える。皺だらけの顔に申し訳程度についている双眼からは如何なる感情も読み取れない。老爺にも見えるが、これでいて50を少し過ぎた所だ。

 

 数多くの魔術を学ぶ過程で "こう" なってしまった。

 

『馬鹿にしないでください。貴方の忠誠があの男へ向いていない事くらい分かります。そして、私に固執するあの男が何故貴方に私の身を任せるのか、それも分かります』

 

『私が醜いからでしょう』

 

『そうです。女性ならば貴方を嫌悪するでしょうね。いいえ、女性でなくとも貴方を嫌悪するでしょう。外見などと言う不安定なものを判断材料にする愚に私は失笑を禁じ得ません。貴方がそうなってしまったのは、魔術の深奥を追い求めての事でしょう?』

 

 ザビーネは魔術の素養もある。幼少時から誰にも何も教わっていないのに、小さい火を生み出したりする程度の事は出来た。並大抵の才ではない。

 

 そして力を得ればそれについて調べたくなるのが人情というもので、彼女もまた魔道に続く門扉を叩いた事もある。そして階梯を昇る内に知った事は、深奥に至る道の険しさであった。結局彼女はその険しさに臆し、階梯を昇る事を諦めてしまった。

 

『……魔術の深奥などと軽々しく申しますな』

 

 普段は感情を窺わせないジャハムがどこか苦々しい様子でいう。魔術の深奥を誰よりも求めているジャハムだからこそ、ザビーネの軽い言い様には不快感を抱いてしまう。

 

 そこからだった、二人の交流が始まったのは。

 

 ジャハムは魔導の真髄を極める事にしか興味がない男だが、ザビーネはそんな彼の琴線に触れた形となる。

 

 まあザビーネに下心が無かったとは言わない。

 

 ジャハムの魔術師としての能力はずば抜けており、そのジャハムを完全に味方につける事が出来たならば今の状況も変わるのではないかという思いもあった。

 

 ◆◆◆

 

『ジャハム、今日も魔術のお話をしてくださいますか?』

 

 王の無体によるザビーネの傷を癒した後、ジャハムとザビーネとの会話が始まる。

 

 それに対してジャハムはやや顔を顰め、「魔術は話すものではなく、学ぶもので……」などと言い、結局ザビーネの押しに負けてつらつらと話し出すのだ。

 

 ザビーネはジャハムの話に真剣に耳を傾け、彼が話す魔術の理論や実践についての話に興味津々だった。彼女の知識欲は底なしで、ジャハムがいくら難解な話をしても彼女は飽きることなく質問を重ねた。

 

 興が乗れば魔術の話だけに留まらず、横道にもそれていく。

 

『アヴァロン大迷宮、その最深部にはあらゆる願いを叶える秘宝が眠ると聞きます。それは本当なのですか?』

 

『そういう噂もあるにはあります。しかしそれを確かめた者はおりませぬ。かの大迷宮は深く、昏い。かつてオルセインは欲に任せて大迷宮へ多くの兵を送り込みましたが、そのほとんどは迷宮の闇に呑まれて消えました。生き残った者達も悲惨な姿となって戻ってきたのです。今の国王陛下は幼少時、その惨状を見ていた筈です。故にかの愚王……失礼、国王陛下でも迷宮へちょっかいをかけようとは考えないのでしょうな』

 

『しかしあらゆる願いを叶える秘宝ですか……。そんなものがあったなら……』

 

 ザビーネはそこで言葉を切り、ジャハムを見て「貴方なら何を願いますか?」などと尋ねた。

 

 ジャハムは「なにも」と答える。

 

『我が願いは魔術の深奥を垣間見る事。そこに至る道はいずれも険しく、易きものは一つも御座いませぬ。願いが一つである以上、その秘宝とやらを得たとしても私には願う事などないのです』

 

 ・

 ・

 ・

 

 言葉と時間を重ねる毎に、二人の間にある種の絆が築き上げられていく。そしてこれまで二人の関係はどちらかと言えば教師と生徒だったが、いつからかその関係が微妙に変化した。

 

 ザビーネの肉体はどこもかしこも痣や切り傷だらけだったりするのだが、それらを癒す際、ザビーネは当然裸体とならねばならない。当初ザビーネはこれに対して羞恥の感情を持たなかったが、ある日から顔を紅潮させ、恥じる様子を見せるようになったのだ。

 

 ジャハムはその変化に気づきつつも、あえて何も言わなかった。彼にとってザビーネの身体を癒すことは、単なる職務の一環でしかなかったからだ。

 

 しかし彼の心の奥底では、ザビーネへの感情が少しずつ変わり始めていたのかもしれない。

 

 ザビーネとの会話を楽しいと思う自分がいる、その事実にほかならぬジャハムが困惑した。

 

 ある日、『ジャハム、私は……』とザビーネが躊躇いがちに話し始めると、ジャハムは彼女の言葉を静かに待った。

 

『貴方と話していると、この城での生活が少し楽になります。光……といってしまうと少し大げさかもしれませんが、ジャハム、私にとって貴方は暗黒の荒野を照らす光の様な存在、なのかもしれません』

 

 そう告げられたジャハムは、内心で大きく動揺した。彼は自分が誰かの光になれるなどこれまで考えたこともなかった。

 

 それでも彼は感情を抑え、淡々とした態度を崩さない。しかし彼の目は徐々に温かみを帯びていき、ザビーネに向ける視線には僅かながらやさしさが滲む様になった。

 

 ちなみに二人の子供、オームとレダは王宮ではなく離宮で暮らしている。ジャハムの手配だ。このまま王宮においていては、という危機感がジャハムにもあった。王は子供たちに関心を示す事なく、これを幸いといっていいのかは分からないがザビーネを嬲り続けた。

 

 王がザビーネを嬲るたびに、その夜はジャハムが呼ばれて彼女を癒す。そして両者の距離がまた一歩と縮まっていく。

 

 ◆◆◆

 

『ああ、ジャハム。私は怖い。王の様子がおかしいのです。以前から粗暴なお方でしたが、ここ最近は特に酷く……』

 

 ある時、ザビーネがジャハムにその様な事を打ち明けた。ザビーネの肉体は所々損傷していた。強く嚙みつかれた痕もある。ただの噛みつきではない、それこそ食い千切らんと顎に力を込めねばこうはならないだろうという痕だ。

 

『王は、私の血を啜るのです……』

 

 狂ったか、とジャハムも思う。ここ最近の王の狂乱ぶりは目に余るものがあった。しかし、王への諫言はジャハムにも出来なかった。

 

 罰を恐れてではない。

 

 ここしばらく王が人前に姿を見せなかったからだ。

 

 ずっと私室に閉じこもっているのだ。

 

『助けて、ジャハム……』

 

 ザビーネにそういわれた時、ジャハムは腹を括った。

 

 国を捨て、逃げようと覚悟したのだ。

 

 だがその覚悟は空振りに終わる。

 

 ◆◆◆

 

 翌日の事だ。

 

『迷宮じゃ! アヴァロン大迷宮に征け! 悪魔が蘇る、その前に! ふたたび封印を施すのだ!』

 

 王が突然そんな事を言い出した。それからというもの、元々不安定だった精神の天秤が急速に狂気へと傾いていく。

 

 ザビーネを閨に呼ぶこともなく、私室に閉じこもり外へ出なかった。

 

 悪魔とは何なのか。

 

 封印とは何なのか? 

 

 ふたたびというからには、かつて一度は封印された存在なのだろうか? 

 

 大事な事を一つも言い遺さないまま、王は身罷った。

 

 ぶくぶくと腹を膨れ上がらせ、破裂したのだ。

 

 常軌を逸した死に様である。

 

 ◆◆◆

 

 悪王は死んだ。

 

 ここまでなら良いのだが、そうは行かなかった。

 

 ほどなくして、ザビーネが病に倒れた。

 

 どんどん衰弱していくというシンプルな病。

 

 正体不明の奇病だ。

 

 宮廷医師たちも原因を突き止める事ができない。

 

 神官による神聖魔法もその時だけ僅かに体力を回復させるだけだった。

 

 ジャハムも当然手を尽くしたがしかし、ザビーネの衰弱を止める事ができない。

 

『何故だ! 傷はない、毒の痕跡もない! 呪いか? いや、違う! では何だ!』

 

 常のジャハムらしくもなく、焦燥に駆られる日々。

 

 ジャハムはあらゆる古典を読み漁り、禁断の魔術をも学んだ。

 

 しかし彼が得たのは徒労のみ。

 

 そんな最中、ザビーネの娘であるレダが弟のオームを連れて離宮からやってきたという報告があった。

 

『レダ姫が? ……そうか』

 

 子供たちは母親であるザビーネに会いにきたのだという事はジャハムにも分かった。

 

 しかし、会わせるべきかどうか。

 

 ザビーネは既に骨と皮だけの様な姿である。

 

 そんな母の姿を子供たちに見せてしまってもいいのかどうか。

 

 だが結局は『良いのです、ジャハム』というザビーネの意思が尊重される形となった。

 

 ・

 ・

 ・

 

『お母さまは魂の器が欠けております』

 

 ザビーネを一目見て、レダがそんな事を言う。

 

 オームの方は何かに怯えている様子で落ち着きがない。

 

 ジャハムが先を促すと、レダが続けた。

 

『わたくしには見えるのです。その人の魂の形が。肉でもなく、心でもない。人の根源らしきものが見えるのです。お母さまはそれが酷く傷つけられている。自然にこうはなりません』

 

 その時ジャハムは不意にザビーネが言っていたことを思い出した。

 

 ──私の血を啜るのです

 

 まさか、と思うジャハムだが、その時ザビーネが掠れた声で言った。

 

『陛下は、怯えていました。自分が自分じゃなくなるのだと。そしてわたしの、血肉を喰らえば自分で、いられるのだ、と』

 

『人喰いの薬法というものもあるにはあります、が……』

 

 言い淀むジャハムだが、すぐにレダの方を見て『その魂の器を修復するためにはどうすればいいのでしょう』と尋ねる。

 

 ジャハムが求めていたのは原因ではなく解決法なのだ。だが原因が分かれば解決法も自然と知れるという事はままある。

 

 しかしレダから返ってきた答えにジャハムは失望を禁じ得なかった。

 

『方法は、わかりません……』

 

 俯いてしまうレダに怒りをぶつけても仕方がないのだが、それでもジャハムの胸中にはやるせない怒りが渦巻く。

 

 その時、精神世界の暗雲をか細い一条の光が切り裂いた。

 

 ──あらゆる願いを叶える秘宝

 

 そんなものが本当にあるのならば。

 

 ジャハムはかつて、ザビーネに「願いはない」と言った。しかし今は違う。

 

 ふたたび意識を失ったザビーネに視線を投げ、ジャハムはその場を立ち去る。

 

 ──準備だ、準備が必要だ。かの大迷宮に挑むのならば。失敗は許されない。儂一人で為せることでもないだろう。迷宮に挑む準備をしなければ。まず、王宮の兵、それも強者たちを動かすに足る大義名分を……

 

 そうしてジャハムは「ザビーネの病を癒す為、大迷宮の最下層にあるという秘宝を手に入れる」という大義名分をぶちあげ、浸透させ、強者たちを募って迷宮へと挑んだ。

 

 だが結局、帰ってきたのはジャハム一人だけで、後の者達は全滅。そしてジャハムが何より気に掛けていたザビーネも、彼が不在の内に病没していた。

 

 ◆

 

 ──あれからどれ程の年月が経っただろうか

 

 ジャハムはそんな事を思い、周囲を見渡す。

 

 そして自身が連れてきた猛者たちを見て満足げに頷いた。

 

 あの時、脳裏に響く "捧げよ" という声を聞いた時、ジャハムは己が何をすべきかを完璧に理解した。

 

 大迷宮の最下層にある秘宝がどの様なものかも。

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