ダンジョン仕草   作:埴輪庭

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第44話:地獄道②

 ◆

 

 ジャハムは達はかつて見たことのないほど醜悪な肉壁に覆われた通路を進んでいた。

 

 先頭は "勇者" ベルンハルト。

 

 そしてオルセイン王国の近衛騎士たちが続いている。

 

 誰もが──雄々しきベルンハルト自身でさえも──この行軍が危険すぎると感じているが、最下層の悪魔を滅ぼさなければ国が滅びるとあっては往くしかない。

 

 そんな勇士らを見るジャハムの醜い顔には、微かな喜悦のようなものが浮かんでいた。

 

 瞳の奥には狂信にも似た光が宿り、土色の肌は粘膜めいた汗で湿っている。

 

 口元の皺がひきつり、呼吸の度にくぐもった声が零れ落ちた。

 

「……ザビーネ」

 

 その名を口にするたび、ジャハムの脳裏には骨と皮ばかりの無残な姿で息絶えた愛しき女王の面影がちらつく。

 

 ──求めよ、されば与えられん

 

 それは、ザビーネを喪った夜、ジャハムの精神を突き破るように聞こえた"神"の言葉。

 

 愛する者を奪われた悲嘆よりも深い慟哭の裏側で、彼の中に芽吹いた一筋の光。

 

 あらゆる願いを叶えるという「秘宝」。

 

 ジャハムもその存在は胡乱に過ぎると思っていたが、"声"が教えてくれた。

 

 ──捧げよ、されば与えられん

 

 と。

 

 強き魂を、血を、贄として。

 

 そうすれば、ザビーネは再びこの手に戻ってくる。

 

 ジャハムは躊躇わなかった。

 

 ◇

 

「宰相殿、この先は警戒が必要です」

 

 ベルンハルトが低く告げる。

 

 周囲の壁や天井はどこもかしこも歪んだ肉塊のように蠢き、ときおり血の混じった液体が滴り落ちている。

 

 一人の騎士が足下を探れば、そこには白濁した蛆虫が群れを成して湧きかえっていた。

 

「第八層など公式には存在しないとされてきたが……ここは地獄そのものだ」

 

 ベルンハルトの声には焦燥が滲む。

 

 だがジャハムは気にも留めない風で、小さく咳払いをした。

 

「焦るな、ベルンハルトよ。我らはただの軍勢ではない。王国に選りすぐられた猛者の集い……大義もある」

 

 その言葉には嘘はなかった。

 

 たしかにここに集う騎士や魔術師たちは、国を支える強者ばかり。

 

 だが彼らが"何の大義"を背負わされているか、本当のところは誰も知らない。

 

 不意に、部下の騎士が血相を変えて駆け寄ってきた。

 

「宰相殿、この先で複数の悪魔を確認しました! 避けては通れぬかと」

 

 ジャハムはベルンハルトと視線を交わし、薄く笑う。

 

「構わぬ、殲滅せよ」

 

 ベルンハルトは騎士たちに手短に指示を飛ばし、陣形を組み直した。

 

 ◇

 

 悪魔の群れは人型を保ったものと、禍々しい獣の混成だ。

 

 角や尾を持つ者もいれば、粘つく触手を這わせた塊もいる。

 

 この異形が群れを成して襲い来る光景は、どんな冒険者の胆力をも砕くだろう。

 

 しかし、近衛騎士たちは退かない。

 

 百戦錬磨の彼らには、鍛え抜かれた連携があるからだ。

 

「叩くぞ!」

 

 ベルンハルトの声が響き、重厚な鎧を纏った騎士たちは一斉に前進を開始。

 

 後衛の魔術師が詠唱を完了させるのと同時に、前列の盾が地を踏みしめて魔物の猛撃を受け止める。

 

 瞬時に閃光が走り、業火の壁が悪魔の一団を焼き尽くすように膨れ上がる。

 

「うおおおお!」

 

 騎士たちは焦熱の渦を突き破り、残った悪魔どもを丁寧に仕留めていった。

 

 絶叫と爆音、肉の焦げる匂い。

 

 戦場に広がる光景は、まさしく惨劇の一言に尽きる。

 

 そんな地獄絵図の只中で、ジャハムはまるで他人事のような眼差しを注いでいた。

 

「……使える者ばかり揃えて良かった」

 

 高級な法衣の裾が血と脂に汚れるのも構わず、ジャハムはひっそりとそう呟く。

 

 ◇

 

 戦闘はほどなくして決着した。

 

 ベルンハルトは汗一つかかぬ様子で、鎧に僅かな汚れだけを残している。

 

 ジャハムの汚れた指先が、不意にベルンハルトの肩を叩いた。

 

「行くぞ。最下層はもうすぐだ。"魔"を封じねばならぬ」

 

 ベルンハルトは一瞬目を伏せ、無言で頷いた。

 

 本当に自分達だけでやれるのだろうか──そんな不安を抑え込みながら。

 

 ・

 ・

 ・

 

 それから更に奥へ進むと、大きな空洞状の広間へ出た。

 

 壁と床は脈打つ肉のように蠢き、その中央部には黒ずんだ"祭壇"がぽつんと鎮座している。

 

 嫌な気配が、血の臭いとともに漂っていた。

 

 ここまで何度も遭遇してきた悪魔や不死者の姿は見当たらない。

 

「警戒を怠るな」

 

 ベルンハルトが小声で命じ、騎士たちが円陣を組むように展開する。

 

 そこへ、ジャハムはすたすたと独り先へ進んでいった。

 

「宰相殿!」

 

 ベルンハルトが声をかけるも、ジャハムは無視する。

 

 祭壇の前に立ったジャハムは、その上に両手をかざすような動作をとった。

 

「ここか……この場所で、捧げるのだな」

 

 狂気を孕んだ声が広間に響く。

 

 ベルンハルトはその声にゾクリとする。

 

「宰相殿、何を……」

 

「ベルンハルトよ、貴様はここで正体を知る事になるだろう。"神"は我らの祈りに応え、ザビーネを……」

 

 ジャハムが紡ぎだそうとする言葉を、ベルンハルトの怒声が断ち切った。

 

「ザビーネ……まさか、亡き王妃の……宰相殿、貴方はいったい何をしようとしている!」

 

 その問いにジャハムはわずかに笑みを浮かべる。

 

 まるで問いを待っていたかのように。

 

「何、単純な事だ。ザビーネを甦らせるのだよ。──"神"の力を借りてな」

 

 その瞬間、ジャハムの背後の空間がぐにゃりと歪んだ。

 

 祭壇の上にある漆黒の紋様が脈打ち、何か巨大なモノの影がちらつく。

 

 ベルンハルトは剣を抜き放ち、騎士たちは一斉に身構える。

 

 不気味な圧力が空間を満たし、呼吸すら苦しくなった。

 

「貴様……裏切るつもりか!」

 

 ベルンハルトが声を荒げると、ジャハムは目を細めて答えた。

 

「何を言うか。最初から貴様らは、捧げられる運命だったのだ。強い魂を、深い信念を、"神"へ献上するために」

 

 ジャハムの指輪が一斉に怪しい光を放ち始める。

 

 見れば、その光は広間の空気を変質させ、騎士たちの肌を爛(ただ)れさせるほどの圧を生み出していた。

 

「捧げられるだと……ならば、俺はまず貴様の首を捧げてやる!」

 

 ベルンハルトの巨躯が弾けるように動いた。

 

 神聖術による祝福が剣を包み、目に見えぬ光の奔流がジャハムへと襲いかかる。

 

 その一撃は、王国最強たる"勇者"ベルンハルトの怒りを帯びた絶技である。

 

 正面から受ければ老体などひとたまりもないはずだった。

 

 ──しかし。

 

 ジャハムは恐怖を感じていないようだった。

 

 さらに言えば、彼は後ろに控えている魔術師団へ命じるでもなく、むしろ自ら進み出るように杖を突き出す。

 

「来い、ベルンハルトよ。その強き心根が、"神"を喜ばせる」

 

 ベルンハルトの斬撃がジャハムを捉えようとする刹那、広間に冷たい風が吹いた。

 

 一瞬にして剣筋が狂わされ、ベルンハルトの巨大な身体がよろめく。

 

 剣の軌道は大きく逸れ、ジャハムから外れた床を深く抉り取った。

 

「な……何だ、この風は……」

 

 空気が凍りついたかのような冷気が、肌を刺している。

 

 祭壇の漆黒がうねり、影がにじみ出し──。

 

 人ならざる形を為すそれが、嗤うように口を開く。

 

 ──『うふふ、うふふふふ……』

 

「神よ……」

 

 ベルンハルトは思わず呟いた。

 

 ジャハムに "神" がいるならば、自身にも居て良いだろうという想いから出た言葉だ。

 

 しかし、結局のところ──そんな神が居たとしても、ベルンハルト達には微笑まなかった。

 

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