ダンジョン仕草   作:埴輪庭

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第49話:クリティカル

 ◆

 

 何か温かい感触が君の体に触れている。

 

 目を覚ますと、そこにはルクレツィアがいた。

 

 君にぴったりと密着し、その白磁のような頬を君の胸板に押し付けている。

 

 銀の髪が月光のように淡く輝き、君の顎先をくすぐった。

 

 薄闇の中で、君とルクレツィアの目が合った。

 

 聖女の瞳には戸惑いと何か別の感情が混じり合って揺れている。

 

 それは恐怖か、それとも別の何かか。

 

 瞳の奥で揺らめく感情の正体を君は既に察していたが。

 

 君は交代の時間かどうかを尋ねた。

 

 見張りの順番が回ってきたのかと思ったのだ。

 

 声は低く、静かに。

 

 この暗闇の中で、余計な音を立てるべきではない。

 

「い、いえ、違います……」

 

 ルクレツィアはやや慌てた様子で首を横に振る。

 

 その動きで銀の髪がさらさらと流れ、甘い香りが漂った。

 

 神聖魔術を扱う者特有の、清浄な気配。

 

 だがその奥に女としての生々しい体温が潜んでいる。

 

「今はモーブが見張りをしております。わたくしは、その……」

 

 言葉を濁す彼女に、君は寒いのかと尋ねた。

 

 確かにこの迷宮には底冷えするような寒気が漂っている。

 

 第七層ともなれば、生者を拒む死の気配が空気そのものに染み込んでいるのだ。

 

 黒死聖堂と名付けられたこの場所は、光を呑み込む闇と、それでいて奇妙に物の輪郭だけは浮かび上がる矛盾した空間。

 

 天幕の薄い布一枚では、この死の寒気を防ぐには心もとない。

 

 ルクレツィアは小さく頷いた。

 

 だがその頷きが本心からのものでないことを、君は見抜いていた。

 

 彼女の体は確かに冷えているが、それは寒さゆえではない。

 

 恐怖が彼女の体温を奪っているのだ。

 

 君はルクレツィアの細い腰を掴み、自身の方へと引き寄せた。

 

 そして再び目を瞑る。

 

 眠りに戻ろうとする君にしかし、ルクレツィアの体は別の意思を示していた。

 

 彼女の脚が君の腰に絡みつき、柔らかな体がより強く押し付けられてくる。

 

 豊かな胸が君の胸板に押し潰され、形を変える。

 

 吐息が首筋をくすぐった。

 

 熱い、湿った吐息。

 

 それは単なる呼吸ではなく、何かを求める女の息遣いだった。

 

 君はそれを無視した。

 

 ただ、咎めることもしなかった。

 

 君にはルクレツィアの意図が分かっている。

 

 こういう命が簡単に吹き消されてしまうような状況では、"盛る"こともままあるのだ。

 

 死の恐怖が、生への渇望を呼び起こす。

 

 それが時として、肉欲という最も原始的な形で現れる。

 

 ・

 ・

 ・

 

 そういえば、と君はかつての冒険を思い出した。

 

 まだ君が今より未熟だった頃の事だ。

 

 ライカードの迷宮、その名も「絶望の螺旋」と呼ばれる凶悪なダンジョンでの出来事。

 

 当時のパーティで、迷宮に踏み入って──戻れなくなった。

 

 最初は順調だった。

 

 階層を降りるごとに財宝を見つけ、経験を積み、皆が意気揚々としていた。

 

 だが第七層を過ぎたあたりから、状況は一変した。

 

 帰還の呪文が効かない。

 

 転移の巻物も無効。

 

 まるで迷宮そのものが、君たちを呑み込もうとしているかのようだった。

 

 食料は尽き、水も底を突いた。

 

 傷は癒えず、疲労は蓄積していく。

 

 そして最悪なことに、パーティの斥候が毒矢の罠に引っかかった。

 

 解毒薬はとうに使い果たしていた。

 

 毒は緩やかに、しかし確実に全員の体を蝕んでいく。

 

 もはや魔力も切れ、体力も限界。

 

 毒が総身を蝕み、皆が死を覚悟していた時、パーティの神官がいきなり脱ぎだしたのだ。

 

 彼女は美しい女だった。

 

 普段は物静かで、信仰に篤い女神官。

 

 白い法衣に身を包み、いつも穏やかな微笑みを浮かべていた。

 

「最期になるならば」

 

 そう呟きながら、彼女は震える手で法衣の紐を解いた。

 

「せめて、女として死にたい」

 

 その言葉が引き金となった。

 

 死を前にした人間の本能が、堰を切ったように溢れ出した。

 

 パーティの戦士が彼女を抱きしめた。

 

 魔術師が唇を重ねた。

 

 そして君も──

 

 結果、君も含めてその場の生き残りたちで散々と乱れた。

 

 死の淵で交わされる情交は、狂気じみていた。

 

 誰が誰と繋がっているのかも分からない。

 

 ただ肉と肉がぶつかり合い、体液が飛び散り、獣のような声が響く。

 

 生への執着が、最も原始的な形で爆発したのだ。

 

 そのあと全員、毒が回って死んだ。

 

 最期の瞬間、女神官は満足そうに微笑んでいた。

 

 少なくとも、ただ怯えて死ぬよりはマシだったのかもしれない。

 

 運よく、ギルドの死体回収係に回収してもらったが。

 

 死体回収係は慣れた様子で君たちの遺体を担架に乗せていった。

 

「また馬鹿な真似をしたもんだ」

 

 そんな呟きが聞こえたような気がしたが、死んでいる君には関係なかった。

 

 あの時は若かった、と君は内心で苦笑する。

 

 今ならもう少し、冷静に対処できただろう。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ルクレツィアの手が、君の胸板を這い始めた。

 

 細い指先が探るように動く。

 

 その動きは不慣れでどこか必死さを感じさせた。

 

 処女である彼女にとって、こんな真似をすること自体が大きな決断だったのだろう。

 

「主様……」

 

 掠れた声で彼女が呼ぶ。

 

 その声は震えていた。

 

 恐怖と、羞恥と、そして渇望が入り混じった複雑な響き。

 

 君は薄く目を開け、ルクレツィアを見下ろした。

 

 彼女の顔は上気し、額にはうっすらと汗が浮いている。

 

 月光にも似た銀の髪が乱れ、いつもの清楚な雰囲気は影も形もない。

 

「わたくしは……わたくしは……」

 

 言葉を探すように、彼女は唇を震わせた。

 

 だが結局、何も言えずに君の胸に顔を埋める。

 

 その肩が小刻みに震えていた。

 

 君には分かっていた。

 

 彼女が何を恐れ、何を求めているのか。

 

 転送罠。

 

 それは単なる移動装置ではない。

 

 失敗すれば、存在そのものが消滅する恐怖の罠。

 

 壁の中に埋め込まれ、生きているとも死んでいるとも言えない状態になる。

 

 蘇生すら不可能な、完全な消滅。

 

 その恐怖が彼女を狂わせているのだ。

 

 ルクレツィアの脚が、より強く君に絡みついた。

 

 まるで溺れる者が藁をも掴むように。

 

 彼女の体温が君に伝わってくる。

 

 聖女とは思えないほど熱く、生々しい体温。

 

 とはいえ、ここでルクレツィアとおっぱじめるわけにもいかない。

 

 それは単に倫理的な問題ではなかった。

 

 聖女の力を失ってもらっては困るからだ。

 

 処女性は神聖魔術の重要な要素の一つ。

 

 肉体的な純潔は、神との繋がりを保つための鍵でもある。

 

 それを失えば、彼女の治癒能力は確実に低下する。

 

 どの程度低下するかは個人差があるが、少なくとも今の半分以下にはなるだろう。

 

 このパーティにおいて、ルクレツィアの治癒魔術は生命線だ。

 

 君の"完治"は強力だが、使用回数に限りがある。

 

 彼女の治癒があってこそ、このパーティは機能している。

 

 それを一時の感情で失うわけにはいかない。

 

 君は慈悲の心を込めて、ルクレツィアの首筋に手刀を構えた。

 

 正確に急所を狙う。

 

 手刀が振り下ろされた。

 

 もちろん首を飛ばさないよう、慎重に。

 

「うっ……」

 

 短い呻きの後、ルクレツィアは君の胸の上で気を失った。

 

 緊張が解け、絡みついていた脚もだらりと力を失う。

 

 君は彼女の体をそっと横にずらし、携帯用の毛布を掛けてやった。

 

 銀の髪を整え、乱れた衣服も直す。

 

 彼女が目覚めた時に恥ずかしい思いをしないように。

 

 天幕の外ではモーブが黙々と見張りを続けているはずだ。

 

 彼もまた、明日の転送罠に不安を感じているかもしれない。

 

 だが彼は決して、それを表には出さないだろう。

 

 それが彼の生き方だから。

 

 君は再び横になり目を閉じた。

 

 今は束の間の休息を取るべき時だと君は思う。

 

 ルクレツィアの寝息が静かに響く。

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