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聖騎士の死体が動いた。
最初に蛇へと引きずり込まれた者の一人――鎧ごと圧し潰されたはずの若い聖騎士が蠢く蛇群の只中から、ゆらりと身を起こしたのである。
鎧が歪んでいる。体躯が一回り膨れている。金属の継ぎ目からは赤黒い筋繊維が覗き、両腕は人の理を逸脱して長く垂れていた。兜の奥に金色の瞳が濡れた光を放つ。――蛇の瞳だ。
ケイセルカットの声が裂けた。
「死体が――動いてる!」
ジャーヒルの精神体、その一部が死者の肉へと潜り込み、内から練り変え、おのが新たな器と成す。倒した敵が敵となって還ってくる。殺せば殺すほど、敵は殖えていく。
君ならば鼻で笑っただろう。かような手管、ライカードでは使い古された下策に過ぎぬ、と。――だが君はここにいない。
寄生された死体がかつての僚友へと剣を振り下ろす。歪んだ腕の繰り出す一撃は人間の限界を遥かに超え、受け止めた聖騎士の盾は飴のようにひしゃげ、腕ごと吹き飛ばされた。
一人の男が聖光の槍を編み上げ、異形と化した死体の胸を貫く。聖光が内側から灼き、赤黒い筋繊維は炭と化して崩れ落ちた。――浄化。それを経ぬかぎり、死体は幾度でも起き上がる。
だが浄化は常の聖騎士の手に余る御業である。剣で斬り伏せたところで蛇の筋繊維が傷口を埋めてしまう。殺しても死なぬ。そして味方が死ねば敵となる。陣中に恐慌の兆しが忍び寄っていた。
「隊列を保て! 恐れるな!」
グロッケンが吼える。だが聖騎士たちの顔は蒼白であった。昨日まで肩を並べた者が異形に変じ、牙を剥いて襲い来る。いかなる鍛錬もこの恐怖への備えとはなり得ない。
そしてジャーヒル自身もまた、止まってはいなかった。巨躯が聖騎士団の陣形を横切るたび、爪が鎧を裂き、踏みつけが骨を砕く。蛇と、歌と、爪。三重の死が聖騎士たちを確実に削り取っていく。
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十分が過ぎた。百二十名を数えた聖騎士は既に八十を切っている。
倒れた者の三割が寄生されて立ち上がり、味方に牙を剥いた。アーク・ロードたちが浄化に奔走するもわずか三名では到底追いつかない。ジャーヒル本体の突進を捌くにも神聖力を割かねばならず、常の聖騎士が死体に群がられて斃れ、その死体がまた立ち上がる――負の連鎖はもはや堰き止めようもなかった。
レダが走った。
蛇の奔流を踏み越え、跳躍し、粘膜の床を蹴って加速する。法力が膂力を倍加し、倍加された膂力が更なる加速を生む。
効率が狂っている。
人間の法力で人間の肉体をここまで引き上げた術者は歴代の法皇にも存在しない。聖光で敵を灼く技を持たず、結界を紡ぐ器用さもない。だがその代わり、レダの肉体は法力の一滴すら無駄にしなかった。受け取った力の全てが余さず速度と質量へと変わる。まさしく、歩く砲弾であった。
そのレダへ、五本、十本と蛇が群がる。進路を塞がんと殺到する――が鎧袖一触。レダは走りながら拳を振るい、蛇群を薙ぎ払った。拳の触れた箇所から蛇の胴が弾け、肉片が壁を成して飛散する。
そうして、ついにジャーヒルの眼前へ躍り出た。
十メートルの巨躯が見下ろしている。三つの眼が射殺さんばかりにレダを睨め付けている。蛇の瞳孔が彼女の動きを追い、六本指の爪が振り下ろされた。
レダはそれを躱す。法衣を引き裂くほどの風圧を伴って爪が通過し、石の床を抉り、観客席の一段を丸ごと粉砕した。だがその刹那、レダは既にジャーヒルの腕の内側にいる。巨躯に密着してしまえば爪は届かない。
法皇の足が粘膜の床を踏み抜いた。
右拳が振りかぶられる。腰の回転が肩へ伝わり、肩の回転が拳へと凝縮される。全法力が右腕へ収束した刹那――レダの拳がジャーヒルの右腕に叩き込まれた。
筋繊維が裂ける。その下の層もまた裂ける。拳は腕の内部を貫通し、裏側の皮膚を破って突き抜けた。
ジャーヒルが初めて声を上げた。歌ではない。三つの眼が見開かれ、額の第三の眼が痙攣めいて明滅する。裂け目の口から迸った悲鳴が闘技場の肉壁を震わせた。
だが――拳を引き抜く暇がなかった。
ジャーヒルの左手がレダの体を薙ぎ払う。六本の指が法皇の腰を掠め、レダは粘膜の床を三十メートルも滑り、壁面に叩きつけられた。血を吐く。それでも立つ。立ち上がったレダの口元には笑みさえ浮かんでいた。
「――効くのですね」
効く。この拳は効く。ジャーヒルの右腕には穴が穿たれている。分厚い筋繊維を貫いた風穴だ。そして塞がらない。あれほどの肉が消し飛べば再生の源とてありはしない。
問題は――
数だ。蛇だ。
凄まじい勢いで蛇が殺到する。三十。五十。百。闘技場の全方位から、蛇がレダ一人へと収束してくる。その一匹一匹が人を死に至らしめる猛毒の矢に等しい。レダを最大の脅威と見做した猛悪は数をもって彼女を圧し殺そうとしていた。
――前に進めないッ……
蛇の数にも底はあろう。だが恐らくは法力の尽きる方が早い。レダの肉体強化は恐るべき効率を誇るがその効率にもまた限界はある。走り、砕き、跳び、砕き、叩き砕く――その一撃一撃が確実に法力を削っているのだ。噴き出す汗が法衣を濡らし、レダの呼吸は次第に荒くなり始めていた。