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そう、矜持はあるのだ、とグロッケンは思う。
豚鬼族──その名のみにて唾を吐かれ、石を投げられし日々は遠くない昔のことだ。臭い、汚い、人間様の邪魔者。クソ豚。路地裏の泥水に臥し、腐りかけの果実を齧ったあの日々。だが剛腕と胆力のみを支えにし、迷宮の闇へ潛り、弱き者の盾となり、悍ましき魔の頸木を砕いてきた。
反感は次第に畏敬へと変わり、今やアヴァロンの探索者ギルドのギルドマスターだ。ついでに亜人でありながら貴族の位を戴きもしている。
今日び、サー・イェリコ・グロッケンを侮る者などアヴァロンにはいやしない。グロッケンはいまや、多くの者たちから必要とされているのだ。帰りを待つ者だっている。故郷は既に
──ここが、アヴァロンが! 儂の、俺の居場所よ。それを……
ぎちぎち、と音を立てて。
グロッケンの筋肉が、鉄肉が膨れ上がっていく。全身の剛毛が逆立ち、赤熱化し。獣の血が滾り昂ぶり肉体を書き換えていく。見る見るうちに巨躯は二倍に膨れ上がり醜怪な豚頭はさらに歪み巨大な牙が剥き出しになった。だがその双眸には昏き炎が灯っている。
「──ぶ、ふふふ……ぶぅ……!!」
清冽なる理性の統制は失われ。
獣の
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グロッケンとジャーヒル──化け物同士が肉を削り合う中、レダはある程度の治癒を終えて生き残った者たちを集めていた。せめて選ばせてやろうと思ったからだ。
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「さて、皆さんには死んでもらいます」
レダがなんてことないように言う。平時ならとんだ脅迫だが──ここは死地。聖騎士たちも探索者たちも、何をいまさらという表情でレダを見返した。
「策がありそうって
ザンクードが
「皆さんには選択肢があります。あの魔を滅ぼす糧となって死ぬか、あの魔の糧となって死ぬか。このまま戦い続ければ、私たちは遠からず彼奴のモノとなりましょう」
「俺たちじゃあ勝てねえってことか? 姉ちゃん。随分諦めが早いじゃねえか。俺ら全員で掛かれば、あの蛇野郎もぶっ殺せるんじゃあねえのか? 豚親父だって気張ってるみたいだしな」
へっ、とどこからどう見てもチンピラというような風情の男──賭博狂いの上級探索者ケージが茶々を入れるが、レダは首を横に振る。
「彼奴が尋常の
拳で語るなどという戯言があるが、これはあながち間違った言ではない。多少なり、ジャーヒルと対峙したレダだからこそ分かる事があった。
それどころか、自身の力により賦活させてしまっているという感覚すらあった。
少なくとも平押しで殺しきれる相手ではないとレダは感得している。グロッケンが奮闘しているものの……
──彼の命が使い潰されるまで、そう時間に猶予はないでしょう。
それがレダの見立てである。
「もはや私たちの命はただの薪に過ぎません。されどその薪の燃やし方一つで炎は薬にも毒にもなる。グロッケン殿が血肉を削ぎ落として稼いだこの刹那。その隙に我々が為し得る唯一にして絶対の役目。それは──」
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闘技場の空気は最早血の味で濁っていた。
グロッケンの剛剣が、ジャーヒルの頭部を砕かんと振り下ろされる。
轟音。
石畳が蜘蛛の巣状にひび割れ、土煙が舞う。
「ぶふぉぉぉぉッ!!」
咆哮と共に、二撃、三撃。
グロッケンの獣化した巨躯は、その質量だけで凶器である。剛腕から繰り出される斬撃は疾風のごとくジャーヒルを打ち付け、肉を裂き、緑色の血飛沫を地面にへばりつかせた。
圧倒的な暴力。アヴァロンのギルドマスターにふさわしき、迷宮の深淵を潛り抜けてきた歴戦の暴力。
押し切る──そう思えた刹那であった。
『カわ、イイイィ』
『ワたしのこどもた血ィイ』
ズタズタに引き裂かれたはずのジャーヒルの肉体が不気味に蠢いている──いや、違う。肉体ではない。肉体をかたちづくっている
グロッケンは無意識のうちに後退り、その際にふと足元を見た。
すると──
白い、長虫が。
蛆というには細すぎ、蛇というにはあまりにも蠢々とし過ぎたそれらが、どす黒い豚毛の間を縫って、幾千も幾万もざわめきながら張り付いているではないか。ぐちゅり、と皮膚が破れる音がした。ぶしゅり、と脂肪が食い破られる音がした。長虫の先端には嘴のような口器があり、それが容赦なく筋繊維を引き千切っては嚥下していく。
血は出なかった。傷口から溢れるのは黒い泥の様な腐汁のみ。
「──ぶ、ふ」
雄叫びが、笛の様に細く漏れた。
獣気が収まっていく。
昂ぶった血が冷え、逆立っていた剛毛が、順にしな垂れていく。
総毛立つ──そう表現するのすら生温い。恐怖というより、もっと根深い、生物としての拒絶が全身を震わせた。
長虫の群れはそれを見て悦んだ様に──さらに蠢いた。
『おいで、おイでなさい』
『母のォォォォ元へ、と』
グロッケンの耳朶に、湿り気のある囁きが響いた。