「ああ、我が君! わたくしの信仰を受け取って頂けますでしょうか……?」
白金の佳人が、周囲の目も憚らずに床へ這い蹲って懇願している。
困惑した。ましてやこの女は、先日君が肉色の花を咲かせてやった賊の一人ではないか。
ギルドに呼ばれ、赴いてみればそのまま客室へ通された。そこで待っていたのがかの賊である。すわ意趣返しか、次は蘇生も叶わぬほど全身をグズグズにしてくれると君が薄ら寒い殺気を纏った、その矢先にコレであった。
落ち着いて周囲を見れば、氷の受付嬢殿とギルドマスター殿が何ともいえない表情でこちらを眺めている。
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少し前に遡る。
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アヴァロン迷宮都市探索者ギルドのマスター、豚鬼種の英雄サー・イェリコ・グロッケンは、その肥大した体を憂鬱げにぶるぶると震わせた。
「ッふゥー……。彼女が、フゥ……偽りを述べているようには、思えませんね……フゥー……」
声を出すのも億劫そうに、太いソーセージのような指で机をコツコツと叩きながら言う。
豪華な調度品の数々。金細工の施された執務机には高価な羽ペンがインク瓶に浸されて置かれ、壁には絵画やタペストリーが飾られている。まるで貴族の執務室だ。
デスクの真正面には、複雑な魔法文字を刻んだ特大剣が掛かっている。ヒト種では振り回すどころか持ち上げることすら難しいであろうその業物は、この部屋の主の愛剣『大猪牙』であった。
グロッケンは正統な貴族ではない。騎士の称号を戴く一代貴族である。卑賤の生まれであろうと王国へ多大な貢献をすれば与えられる、その勲だ。つまり彼は探索者あがりで、大猪牙は現役時代からの一品であった。彼が討ち果たした悪竜の話は今なお吟遊詩人に謡われている。
「はい、マスター・グロッケン。この件は王国へ報告されますか?」
答えたのはギルド職員のハノンである。ギルドの制服に身を包んだ金髪碧眼の女で、まだ若いが優秀だと評判が高い。問いかけに合わせ、肩の上で切りそろえられた髪がさらりと揺れた。
「ブフゥ~……勿論です。上級パーティの未帰還なども発生している以上は……仕方ありませんな。フゥ……」
グロッケンは気乗りしない様子で頷くと、机の羊皮紙を取り、羽ペンをサラサラと走らせた。最後に自らのサインを入れ、蝋封を施してハノンへ手渡す。
「……ブゥ~……フウ……では、これをお願いします」
「承知しました。確かにお預かりします。……あの、ところでですね……」
「彼女の事ですね」
「はい。彼女の言ったことが全て事実だとするならば、彼女に危険はないのでしょうか。そして危険がないとするのなら、彼はどうやって……」
「ブフゥ~……危険については……ないでしょう」
ハノンは指を自分の鼻の頭にあてた。
「嗅いだのですか?」
グロッケンは鷹揚に頷いた。
豚鬼種の種族的特性としてまず分かりやすいのは、その肉体である。彼らを肥満体だと思いこんでいる者は多いが、それは適切ではない。多すぎるように見える脂肪は、あくまで『服』だ。膨大な筋肉に脂肪の服を押し着せてあるだけである。
この服は重要だ。率直にいって彼らは燃費が悪い。膨大な筋肉を駆動させるには膨大なエネルギーが要る。外敵に襲われれば戦うなり逃げるなりせねばならず、そのとき脂肪層の蓄えは残らず筋肉の全力稼働へ注ぎ込まれる。極めて短時間ながら、出力は小型の竜種にも匹敵するとされていた。後先を考えずに稼働させれば城壁すら破りかねない。もっともそんな事をすれば彼らはたちまち身動きが取れなくなり、数分ともたずに餓死する。
ここまでは割と知られている。彼らにはもう一つ、特有の性質があった。
命を脅かす匂いを嗅ぎ分けるのだ。腐敗した食物、毒を含んだもの。それに限った話ではない。悪意、敵意、呪詛や魔術でさえ、自分の身を脅かしかねないものであれば彼らは嗅ぎ分ける。
豚鬼種でも異例の騎士爵を叙されたグロッケンは、技能ではなく特性を磨いた傑物であり、『利き鼻』の異名を持つ。その彼が嗅いで問題ないと判じたのなら、少なくとも彼女の言う『大悪に身を蝕まれ、その内部を作りかえられていった』ことによる危険はないのだろう。
ハノンはほっと息をついた。だが、それなら一層わからない。
神聖国の神託機関の予知は、予知されたということ自体が嘘でないのなら、内容に疑いはない。それだけの実績を積んでいる。ではその神聖国がそこまで危険視するモノが彼女の内に巣食っていたとして、彼はどうやってそれを排したのか。
「フウゥ~……詳しいことは彼をよんで聞いてみましょう……。彼女も交えて。使いを出してもらえますか?」
「かしこまりました、マスター・グロッケン」
命を受けたハノンの気配が遠ざかる。グロッケンは鼻を蠢かせながら思案した。
(彼、か。よく分からない男だ。何度か話してみたが、決して話の分からぬ者ではない。しかし、どこか浮世離れしていて底が知れぬ)
◆
そして現在に至る。
説明を求めて、君はギルドマスターへ視線を向けた。グロッケンはつらつらと語り出す。賊の女は氷の受付嬢殿に宥められ、長椅子へ座らされていた。
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ギルドマスターの話、そして賊の女の話を聞き終えて、君は安堵した。分かりやすくて助かる、というのが率直なところである。
その様子をいぶかしむ二人へ、君は自らの見解を披露してやった。ついでに賊の女にも。
君にとって、政治の絡まないトラブルというのは非常にありがたい。明確な悪役がいて、叩くべき箇所が最初から明示されている。
大迷宮に良くないモノがいる。
最近不穏なのは多分こいつのせい。
だから始末したい。
結構なことである。
しかしこれが、実は迷宮の奥にはどこぞの貴種がいて、その貴種はよからぬ呪法に手を染めていて、まあ色々と事情もあって王国の貴種もいくつかコレに噛んでいて……などという話になると事情が変わってくる。敵を皆殺しにすればよいというわけにいかないぶん、君としては非常に面倒くさい。
これは君に限った話ではない。ライカード魔導部隊、いやライカードで戦を生業とする者は皆、話すより殺すほうが性に合うのだ。
そういったあれこれを笑顔で説明すると、ギルドマスターも受付嬢も物凄く引いた目で君を見るのだった。
だが例外もいる。
賊の女だ。
ちらりと目をやれば、彼女は目をカッと見開き、両の手を組み、膝を床につけてギラギラする瞳をこちらへ向けていた。
「我が君、その勇壮な在り様にわたくしは感動いたしました! 仰る通りでございます。おぞましき魔なれば、もはや剣を取り是を滅する以外にありますまい! ああ、我が君、我が主……! かの大悪にわたくしは敗れ、この賎しき魂と魄には魔性の呪縛が絡みつき、その解呪は如何なる儀をもってしても叶いませんでした。しかし我が君の破魔の一撃が大悪の……」
静かに、と君が制すると、女はぴたりと口を閉じた。
グロッケンはしばし思案に暮れ、ややあって口を開いた。
「ブフゥ~……つまり君としてはその、迷宮の底へと向かう意思があると? そしてその為には情報が必要だとのことですね……。特に、邪悪な呪いなどについての専門的な情報が。その為に神聖国へ彼女を送り届ける任を受け、かの地で体系的な対策を学びたいと。……そういうことでしたら、まあいいでしょう。紹介状を書きましょう」
ルクレツィアの話を聞いた君は、やはり迷宮の最下層へ向かうべきだという思いを更に固くしていた。
論理あっての思いつきではない。より過酷な道にこそ自らの求めるものがある。君はそれを経験として知っている。
とはいえ無策で挑むのは愚かというものだ。君は出来るだけの準備をしようと決めた。