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巨大な扉を押し開き、君は躊躇することなくその内側へと足を踏み入れた。
ただ無機質な床面がどこまでも平坦に伸びている。
天井は見えない。左右の壁も見当たらない。光の源はないにもかかわらず、足元だけが奇妙に白く浮かび上がる。切り離された異界の胃袋へ直接迷い込んだような隔絶感があった。
君に続いて三人が滑り込んでくる。ルクレツィアもキャリエルもモーブも呼吸の乱れはない。
奥へ視線を向けると、二本の石柱が闇の底から生えるように立っていた。
近づくにつれ石柱の異様が露わになる。荒削りの表面から苦悶に顔を歪めた男女の上半身が半ば浮き出るように刻まれていた。皮膚の引き攣りも見開かれた眼窩の奥の虚無も、生々しい肉の痛みをそのまま石へ転写した佇まいである。
君はその二つの像から漂う気配を敏感に感じ取った。
先ほど砕け散った老人の魂から悪の戒律を嗅ぎ取ったのと同様の感覚だ。柱に縛り付けられた魂の残滓は激しい苦痛に喘いでいる。しかし、そこに邪の濁りはない。
この空間、あるいは大悪とやらに囚われている哀れな犠牲者であろうと目星をつけた君は、戦闘中、余裕があれば木っ端微塵にでも吹き飛ばしてやろうという慈悲の心を抱いた。
その刹那。
虚空から声が落ちてくる。
百万の人間が同時に発声しているような、あるいは空間そのものが軋んで鳴っているかのような、酷く耳障りな響きだ。
気づけば、二本の石柱のあいだに白銀色の肌の女が立っていた。
背丈は人間の倍近い。豊かに張った胸元と、関節の存在を感じさせず骨のない肉のように滑らかに撓む四肢を具えている。君の全身を蟻走感が埋め尽くす。神聖な気品を装いながらも、その実体は純度百パーセントの邪であると看破したのだ。
門をくぐる直前に大きく息を吸い込んで鎮めたはずの昂りが君の内側で瞬時に跳ね上がった。
邪に対する、狂おしいまでの加害本能!
それを君はもう抑えようとはしない。
会敵と同時に、君は『核炎』を撃ち放った。
まあライカードの者にとっては挨拶だ。君だけではなく、核炎を扱える者なら大体初撃はこのようなものである。
君が指先で火と氷と雷の三属性を同時に励起させる間、石柱のあいだの女が大きく顎門を開いた。人間の可動域を完全に無視して裂けた口腔の奥から、ぬらぬらと粘液に塗れた巨大な球体が吐き出される。
球体の殻に微細な亀裂が走り、中から緑色の肉塊が這い出してきた。目も鼻も口もない不定形の塊から、無数の細い触手が蠢き伸びる。
見れば、君が先だってぶちのめしてやったアレに似ていなくもない。アレの幼体だと言う事だろうか? となればちょうどいいとばかりに──
──『核炎』
極大の破壊が解き放たれる。
今回は速度重視という事で真なる言葉による行使ではなかったが、それでも産み落とされた化け物もろとも、白銀の巨躯が閃光の渦へと呑み込まれる。叫び声すら上がらない。物質としての限界を迎えた肉体が分子レベルで分解され、光の収束とともに影も形もなく蒸発した。
冷たい風が吹き抜け、石床の上に静寂が戻る。
が──。
「……お兄さん、だめ」
キャリエルが掠れた声で呟いた。両耳を手で塞ぎ、喉を小刻みに震わせている。
「まだ、そこにいる」
二本の石柱のあいだが音もなく揺らいだ。
何もない虚空から白銀の肌が湧き上がり、肉の形を結んでいく。
撓む四肢と豊かな胸、滑らかな銀の皮膚。傷一つない姿で大悪が最初と寸分違わぬ位置に佇んでいる。どこから戻ってきたのか、いかなる理屈で再生したのかは分からない。ただそこに立ち戻っていた。
女の腕が鞭のようにしなり、空間を薙ぎ払う。
突風が巻き起こった。鋭利な刃の群れとなった烈風が隊列を激しく打ち据え、石床を削りながら四人を呑み込もうとする。
だが前衛の足並みは乱れない。ルクレツィアの展開した障壁が風の切先を逸らし、モーブが低く身構えて衝撃を逃がす。キャリエルは身を翻して風の裂け目をすり抜けていた。では君は──?
君は守らない。
苛烈なる攻めこそが重厚なる防御に等しいとばかりに、全身を烈風でズタズタにされながらも君は地を蹴っていた。そも、裂傷程度ならば問題はない。放っておけば
核炎の次は剣だ。ライカードの散兵にとって、遠隔の術と白兵の刃は等しく手足の延長にすぎない。
間合いを一瞬でゼロに潰し、腰の魔剣ローンモウアを一閃させる。
青白い刃筋が白銀の胴を横一文字に薙ぎ払った。確かな切断の手応え。骨のない肉が両断され、女の上半身と下半身が泣き別れとなって宙に浮く。切り口からは血の代わりに鈍い燐光の飛沫が撒き散らされた。
崩れ落ちる巨躯。
しかし、床へ激突するよりも早く、切断された肉塊は塵となって掻き消えた。
そして次の瞬間には、石柱のあいだに無傷の女が立っている。
何事もなかったかのように、ただ静かに君を見下ろしている。
ちっ、と君は内心で唾棄した。増える奴と治る奴はライカードでは毛嫌いされているのだ。面倒くさいから。対策は一つ──すなわち、押さば押せ、ひたすら押せ、である。
問題はストックだ。
どれほど絶大な威力を誇る魔術であれ、回数が尽きればただの記憶の残滓に成り下がる。倒しても斃してもピンシャンと復帰してくる相手に対し、残された手札をいかに配分して手詰まりを防ぐか。
精神を同調させて攻め立てる手もある。しかしあれは消耗も激しい。高度な連携を何度も行えば、君とて膝が笑ってしまうほどだ。ほかの三人はどうなるかは明白であった。要所要所で切るべき手だろう。
ならば削りか。
まずは肉体の暴力で平押しして、相手の限界を見定めるという手もある。君の好みではないが、長期戦をするつもりなら有効な手かもしれない。
石柱のあいだで、白銀の女が再び顎門を裂いた。
ぬらりと光る粘液とともに、新たな球体が口腔から床へと吐き出される。さきほど核炎で吹き飛ばした分がチャラになった計算だ。君は唾棄を通り越し、いっそ嘔吐というレベルでうんざりした。