ダンジョン仕草   作:埴輪庭

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第75話:大悪②

 ◆

 

 床に落ちた粘液塗れの球体が微細な破裂音とともにひび割れる。

 

 殻を突き破り這い出してきた無数の触手を君は魔剣ローンモウアの平打ちで叩き潰した。踏み込み、刃を返して肉塊の核を石床ごと粉砕する。魔術のストックを節約し、敵の復帰速度と限界を見定めるための泥臭い作業である。

 

 這い寄る子らを蹴り散らし、君は間合いを詰めて白銀の女の膝裏を薙ぎ払う。

 

 体勢を崩した巨躯へモーブの長剣が突き刺さり、キャリエルの短剣が関節の継ぎ目を抉る。女は声を上げることなく崩れ落ち、塵となって掻き消えた。

 

 しかし、息を吸う間もなく石柱のあいだに立ち戻る。

 

 傷一つない肌で女が立ち、またも顎門を裂いて新たな球体を吐き落とす。それだけでは終わらない。女が細い両腕を左右へ広げると、二本の石柱から吸い上げられた銀の輝きが胸郭の裂け目に収束した。

 

 直後、空間を圧搾する白銀の光条が扇状に薙ぎ払われる。

 

 直撃すれば仲間達はもちろん君でさえ一瞬で塵芥となる威力だ。君は第四階梯『障壁』を二重に展開し、光条の直撃を受け止めて軌道を上方へと逸らした。奔流の余波が石床を融解させ、跳ね返った熱風が君の皮膚を灼く。

 

 それでも漏れ出た銀の奔流へ、ルクレツィアが法衣を翻して割り込んだ。

 

 掲げた祈念具から放たれた法力の盾が銀の光と激突して甲高い破砕音を鳴らす。衝撃に耐えたルクレツィアの膝が崩れ、口元から赤黒い血がひと筋こぼれ落ちた。防ぎきりはしたものの法具の水晶には細かな亀裂が走っている。

 

 女は休む間もなく、撒き散らされた肉塊から無数の棘を雨のように射出してきた。ならばと君は第三階梯『大炎』を扇状に放ち、四方を覆う棘の群れを空中で焼き尽くして相殺する。

 

 どうやら敵は再生のたびに出力を上げるらしい。そしてこちらの魔術ストックを確実に削り取ってくる。第四階梯の障壁に第三階梯の大炎。惜しむべき中級の枠が目減りしていく。

 

 要所で一度、精神の同調を深く潜らせる。

 

 言葉も合図も介さず四人の知覚が水底で溶け合うように結びついた。呼吸が重なり重心の移動が同期する。ルクレツィアの放った閃光が女の視界を奪った刹那、キャリエルが風を巻きモーブが石床を蹴り、君の刃が女の頸動脈を音もなく両断した。

 

 手応えは完璧であった。

 

 首を落とされた大悪は光の飛沫となって霧散し、二本の石柱のあいだが一瞬だけ空白となる。

 

 だが直後に立ち戻った女の姿を見て、君は舌を打った。こちら側の損耗はともかく、君の目から視(・)て相手の命がこれっぽっちも目減りしていないのだ。

 

 しかし、大悪が霧散してから再び形を結ぶまでのあいだに、わずかな間隙が生じる事にも気付いた。

 

 大悪が戻る場所は常にあの石柱のあいだだ。ならばあの不気味な柱そのものを木っ端微塵に粉砕してやれば、戻る足場を失うのではないか。そう考えた君がローンモウアの切先を石柱へ向けた瞬間であった。

 

「お待ちください、主様!」

 

 鋭い声が君の足を縫い留めた。ルクレツィアだ。

 

「あの柱を壊してはなりませんわ」

 

 双眸には確信めいた光が宿っている。

 

「柱の二人は、かつて自らの存在を触媒として封印を行使した者たちの末路です。しかし御覧の通り封印は綻び、大悪は外の世界へ影響力を行使してきている。それでもかの者をこの場へと留めおく事は出来ているのです。もし柱を破壊してしまえば大悪は外へ逃れでて──」

 

「でも!」

 

 言葉を継ぐルクレツィアに被せるように、キャリエルが叫んだ。

 

「……あそこも、ここも──ぜんぶ、全部! アイツの気配がする……」

 

 少女は虚空と床、天井のない暗闇を指し示した。

 

「まるでこの世界全てがあの化け物につながってるみたいで──ううん、この世界そのものがあいつみたいで……ねえ、私たちあんな化け物を本当に倒せるのかな……?」

 

 キャリエルの言葉を受け、ルクレツィアがはっとしたような表情を浮かべる。

 

「飛躍した考えになりますが……あの大悪は外から力を得ているのではないでしょうか」

 

 ルクレツィアは苦痛に歪む石柱の男女を見据えた。

 

「地上に満ちる悪意や呪詛、死せる者たちの怨嗟。この世界中から集まる穢れが絶え間なく流れ込み大悪の糧となっている。だからこそ斬り裂いても尽きることなく立ち戻るのですわ──そして、あっ!?」

 

 宙空を引き裂くかのように迫った伸腕の硬化先端を、君は爪先で蹴り上げて弾いた。魔剣の切先で肉片を払いつつ、ルクレツィアへ顎をしゃくって先を促す。推測でも憶測でもなんでもいいから情報が欲しかった。

 

「……カナンには言い伝えがあります。大悪は世界の裏(・)に潜む、と。ゆえに完全に滅ぼすことはできず封印するしかないのだと。しかし裏とは何なのか、学者たちの間でも議論が交わされてきました」

 

 外から力を得ている。世界中から汲み上げられている。そして裏に潜む──君は軽く息を吐いた。ライカードの、殴ればくたばる連中が恋しかった。

 

「裏とは、この世界が落とす影(・)のことなのではないか、という説があります」

 

 ルクレツィアは苦痛に歪む石柱を見据えたまま言葉を紡ぐ。

 

「影は誰の目にも見えますが、その中へ入ることは叶いません。本当にそんな世界が存在するのかどうかすら、誰にも解らないのです。ですが……もしこの閉鎖空間こそがその影の中なのだとしたら」

 

 聖女の冷たい双眸が虚空の暗黒を射抜く。

 

「表の世界に生きる者が魔を恐れ光を求めれば求めるほど、より濃い影がこの底へと落ちる。あの二本の柱はその影が大悪を連れて表へ侵食せぬよう繋ぎ止める楔にすぎません。世界に光が在り人々が影を落とし続けるかぎり、大悪の命は無限に立ち戻るのですわ」

 

「もしあの柱を壊し大悪を外の世界へ解き放ってしまえば……」

 

 ルクレツィアの双眸に冷たい怖気が宿っていた。

 

「影が光を呑み干すでしょう。地上に生きるすべての魂が剥ぎ取られ、大地も空もあの化け物の肉へと造り替えられてしまう。世界そのものが蠢く大悪の胎内へと成り果てる──とわたくしは見ていますわ。なんとしても彼奴はこの場で滅ぼさねばならないのです!」

 

 世界の影。光が存在するかぎり決して消し去ることのできない、世界の裏の輪郭だ。

 

 柱を砕けば大悪を縛る唯一の楔が外れ、世界そのものが影に呑まれて滅亡を迎える──というのがルクレツィアの予想であった。逆にこの檻に留めたままでは、無限の再生にこちらの魔術ストックが尽きてすり潰される。

 

 ここで斃すにせよ、このままではじり貧であることは明白であった。

 

 そう考えれば、この迷宮そのものがある種の隠れ蓑であったかもしれない、と君は思う。

 

 世界の影に潜み、ほぼほぼ無限に等しい力を振るえる存在がなぜ人間ごときに封印されたのか。なぜ今すぐ迷宮から出て、より多くの命を貪らないのか。

 

 君は大悪もまた恐れるモノがいるのだ、と推測する。

 

 例えばあ(・)の(・)気(・)配(・)だ。

 

 恐らくは何らかの神が降臨したであろうあの気配──そういうモノから、大悪も逃げている、隠れているのではないだろうか。

 

 まあすべては推測・憶測である。

 

 それに今この場に役立つ考えでもない。

 

 ならばどうする。

 

 一旦引き返して態勢を立て直すか──出来るならばそれがいいだろう。

 

 しかし振り返った背後に元来た大門の姿はすでにない。床面と闇の境界がただ無限に広がっているだけで、どうやらこの異空間そのものに完全に閉じ込められたようであった。

 

 空間を跳躍する高位の転移魔術でこの場を脱出するか。

 

 その思考も瞬時に打ち消された。座標の定義できぬ閉鎖空間における無謀な跳躍が、いかなる破滅を招くか。壁や岩塊の内部へ肉体を塗り込められもがき苦しみ全滅する──あの「いしのなかにいる(*おおっと*)」よりも酷い結末を招く予感──いや、霊感を覚え、即座に却下した。

 

 手は無いのだろうか。

 

 君が自問すると即座に『ある』という自答が返ってきた。

 

 賭けの類が大嫌いな君から見て糞のような手だが、それでも手は手だ。

 

 だが事ここに至っては仕方あるまい、と嫌々ながら覚悟を決めたところで── 

 

「封じ直すしかありません」

 

 ルクレツィアが一歩前へ進み出た。

 

「わたくしが、三本目の柱となりましょう。聖女としての法力とこの身を触媒と成せば、再び大悪をこの檻の中へ留め置くことができるはずです。ただ、それもわずかな時間を稼ぐ事が──」

 

 悲壮な決意を滲ませるルクレツィアの肩を、君は無造作に押しのけた。雑に扱われたルクレツィアが少し悲しそうな目をするが、愚策も愚策であったためこの扱いも仕方がない。

 

 ルクレツィアの愚昧なる知能から導き出された愚策は無論却下である。そもそもわずかな時間を稼いでこの場を脱することが叶ったとして、再びここを訪れる事ができるのか。また、そもそも論その2だが、大悪を倒す手段はどう用意するのか。

 

 それだったら自身の手(・)ほうがまだマシであった。

 

 これまで君がこの手を使わなかった理由は極めて単純だ。ライカードにおいて死は可逆的だが、失われた存在の階梯だけはどれほど金を積んでも戻らない。階梯を一段失うことは、君にとって死ぬことよりも嫌な屈辱であった。

 

 しかし、君だけでなくすべてのライカードの冒険者にとって、それよりも遥かに忌まわしく耐え難い事態が存在する。

 

 仲間の消滅(ロスト)だ。

 

 肉体も魂も霧散し、酒場の名簿から永遠に名前が消え去る絶対の虚無。仲間をそんな二度と戻らぬモノにしてしまうなど、冒険者の矜持が断じて許容し得ない最悪の汚点であった。

 

 それに何より、今ここで使う理由は極めて明快だ。

 

 君は目の前の三人を気に入っている。そして仲間のために自らの身を削って犠牲を払うことこそが、戒律『善』を奉じる探索者の至高の極致であるからだ。

 

 君は魔剣を床へ突き立て、両の手のひらを天へと掲げた。

 

 ──オル・マハール・アムン・ゼファー

 

 ──『祈り』

 

 正規の手順を踏み、最も原初的な真語の連なりを紡ぎ上げる。

 

 君の内側で永い時間をかけて積み上げてきた存在の階梯が一段、音を立てて砕け散った。凡百の人間が何十回何百回と人生を繰り返しても到達できない濃密な命の薪が一瞬にして炉へと注ぎ込まれる。

 

 爆発的な霊威が君の全身から噴流となって立ち昇った。

 

 人間という器の境界が融解し、神のごとき絶対的な威容がその場を圧する。

 

「あ……っ、あ、嗚呼──ッ!」

 

 背後で短い悲鳴が上がった。

 

 君から放たれた余りにも純粋かつ過剰な神気に直撃され、ルクレツィアが腰を砕いて石床へと崩れ落ちる。白目を剥き、快楽と恐怖の境界を失った痙攣とともに法衣の裾から温かい水たまりが広がっていた。失禁の生々しい水音が冷えた石床を濡らす。

 

 この状態の君ならば、可能だ。

 

 通常の君には許されぬ禁忌──第七階梯『核炎』の三重起動。

 

 かつて祖国で守護竜レイ・ブ・ケルスが真顔で「戦争で核炎を合成したら大地が吹き飛ぶから絶対にやめろ」と釘を刺したため、ライカード軍部でも封印された戦略兵器だ。空間ごと世界そのものを灼き尽くすその劫火ならば、大悪を世界もろとも確実に殺し尽くせる。

 

 ただしこの異空間そのものが吹き飛べば、全員が死ぬ。

 

 全滅は探索者にとって最悪の結末だ。だが敵と相打ってのそれならば決して悪くはない。一方的にすり潰される無為な敗北とは違う。大悪の息の根を止め世界ごと道連れにする果てであるなら、冒険者の散り際として申し分ない。無論、可能な限り生き延びられるように手は尽くすが中々難しいだろう。

 

 君は崩れ落ちたルクレツィア、震えるキャリエル、剣を握り直すモーブを順に見据える。

 

 そして、静かに問いかけた。

 

「共に死んでくれるか」

 

 と。

 




エルミナージュにおける「極魔源」の設定とは何の関係もありません
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