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第七階梯『核炎』──本来の仕様であれば火と氷と雷の三属性を臨界融合させ、発生した余剰の膨大な力を転移によって虚数空間へと逃がす精密な術式が組み込まれている。だからこそ熟達者の放つ核炎は、周囲を無為に巻き込む衝撃波を生まずに対象の空間だけを圧殺するのだ。
だが、今の君が組もうとしているのは、その『核炎』のさらに三つ束ねた三重起動であった。
三つの極大魔術が一点で重なり合えば、発生する余剰の力を虚数空間へ退避させきれなくなる。押し出す先の空間の外側が圧を受け止めきれず壊れるのは物質にとどまらない。空間そのものが軋みを上げて割れていく。
これは机上の論理ではない。
ライカードでは現在の世界そのものが
まあ三重の核炎を正確に束ね合わせることができる者などライカードにすら存在しないため、昨今の新世代冒険者には半ば机上の空論扱いされてしまっているのだが。
例え『祈り』によって一時的に人身を超越したとはいえ、制御は困難を極める。
しかし君はそれをやる事を決断した。
君は小器用に出来ている。例えばそろそろ敵性生物と出くわすなという勘も働くし、視るだけでおおよその階梯なども分かる。周辺の地形なども何となく分かるし、自分を含む敵味方の消耗の程度も分かる。自分達に何が出来て何ができないのかを把握する事などお茶の子さいさいなのだ。
出来ると確信したことは大抵できるし、だからこそ賭けを嫌う。
が、そんな君からしても、この三重起動による被害の程度を見積もる事は困難であった。
この異空間の向こう側は大門の先のアヴァロン大迷宮であり、その直上には王都の街並みが広がっている。
横へ散らせば、迷宮の基盤ごと地上の街が消滅する。
見知らぬ他国の民とはいえ、余計な巻き添えを出すのは戒律『善』を奉じる探索者の作法に反していた。君は転移の排気角を縦の一点へと固定し、大迷宮の真上──天井を貫いて空へと抜くよう術核のベクトルを揃える。
縦へ逃がしたところで、この足場ごと吹き飛ぶ自分たちが助かる確証はない。とはいえできる限りの細工をしておくのがプロの流儀だ。
石柱のあいだに立つ大悪は凄絶な神威を前に
一番に動いたのは、ルクレツィアであった。
小便──体液で法衣の裾を濡らして石床へ崩れ落ちたまま、聖女は言葉を発することすら叶わない。ただ君を見上げる濡れた瞳が、その意志を物語っていた。
言葉の代わりに、四人の精神の回路──同調の扉が、何の躊躇もなく底の底まで開け放たれている。
自ら三本目の柱になろうと進み出た女だ。己の命を投げ打つ覚悟など、とうに呑み干している。君の精神の深淵へ、彼女の純白の魂が滑り落ちるように溶け合っていった。
次いで、隣の少女が小さく息を吸う。
キャリエルの爪先は小刻みに震えていた。明らかにビビり散らしてはいるが、そこで前へ一歩踏み出せるというのは大したタマだろう。唇を開いた彼女の声は、拍子抜けするほど軽かった。
「お兄さんの好きにやってよ」
震える四肢と投げやりな言葉が、まるきり噛み合っていない。
かつてライカードの国に行ってみたいと笑った少女の双眸が悪戯っぽく細められる。台詞の終わりと同時に同調の回路が繋がった。風のようにしなやかな知覚が、君の精神の右翼へと寄り添う。
最後に、モーブが大剣の柄を握り直した。
すぐには答えず、視線を落として黙考している。
退路の大門は消え転移による脱出も叶わない。留まり続ければいずれ大悪の肉片へと造り替えられる。まともな死に様など望むべくもなかった。
モーブは長剣の切先をゆっくりと下ろし、自嘲めいた苦笑を浮かべて言った。
「妹には悪いですが」
「この期に及んでまた妹ですの?」
ルクレツィアの軽口に、モーブはむっとした様子で「兄として妹を想う事は当然では?」と返す。
ややあって、このシスコンの男は肩の力を抜いて君をまっすぐに見据えた。
「お供します、主殿」
最後の同調が結ばれた。重厚な鋼の知覚が君の背中を支えるように嵌まり込み、四人の魂が完全に一つの円環を成す。
精神同調の秘技の一つがここで成った。
といっても大層なものではない。
一つの魔術の精度と威力を高めるといった、極々スタンダードなものだ。消耗も少なく、効果もシンプル。使いやすいが、最後の最後で選択されるような奥の手というわけでもない。
しかし君が今求めているのはそのシンプルさであった。
より高い精度を。
そして、より高い威力を。
床に突き立てていた魔剣ローンモウアの柄を雑に引き抜き、君は両の掌を天へと掲げる。
本来ならば『炎嵐』『大凍』『天雷』で構成されるべき三つの座に、君はそれぞれ『核炎』の術式を注ぎ込んでいく。
──ハーイラー・ザンメルツ・ウォルアール・イェーラー。
天を統べ地を砕く真なる言葉が、神人となった君の喉から同時に三重の響きとなって空間を震わせた。
三つの極大術式が、頭上の一点において完全に重なり合う。
正式な手順を踏んだ核炎には、耳を聾する轟音も吹き飛ばす暴風もない。
ただ、絶対の白があった。
純白の光芒が球状に膨らみ、空間の継ぎ目を音もなく脱色していく。
石柱のあいだに立つ白銀の女が、叫びを上げる間もなく光の奔流へと呑まれ、輪郭を失って蒸発した。
二本の石柱に浮き彫りにされた男女の魂もまた、苦痛の表情を剥ぎ取られ、白一色の光の中に溶けて消え去る。
床面と闇の境界が融解し、閉鎖された世界の殻が外側へ向けて破裂していった。
同調した四つの知覚が、君の瞳を通して、すべてが消え失せていく静謐な白を見つめている。
そうして音のない光条が虚空の天井を突き破り、上方へと垂直に立ち昇った。
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王城の騎士詰所、その窓の外を閉ざしていた濃密な霧が白く透けた。
長卓の地図を囲んでいたケイセルカットは、弾かれたように顔を上げた。ヒュレイアたちはすでに窓の外を凝視している。
城壁の欄干へ駆け上がると既に先客がいる。オーム、ハノンといった者たちだ。
灰色一色であった王都の空を、真下から両断するようにして、一条の巨大な光条が天を衝いていた。
石門の広場の方角だ。
「あれは、一体──」
誰かが呟くが、誰もその疑問に答える言葉を持たない。
そうして見ていると次第に光条が細まり、天球の彼方へと吸い込まれるようにして消えた。
数呼吸遅れて、足下の石畳が重く鳴動する。地響きが城壁を震わせ、大気が低く唸りを上げた。
次いで、崩壊が訪れる。
広場の中央がすり鉢状に沈降を始めていた。
ケイセルカットが命からがら抜け出してきたあの巨大な石門が、平衡を失って傾ぎ、土煙と瓦礫の渦の中へと呑み込まれていく。
第一層から第三層。かつて駆け抜けた石の道が深層から引きずり込まれるように圧し潰されていく。周囲の廃屋や石畳が縁から巨大な裂け目の底へと滑落していった。
立ち昇る土煙が収まるよりも早く、街を覆っていた悪夢のような霧が風もないのに薄らいでいく。
鼻をついていたあの不快な死肉の腐臭が、急速に抜けていった。
見上げれば、失われていたはずの灰青色の空がぽっかりと街の上に広がっている。
「霧が晴れたということは……」
欄干に手をかけたヒュレイアが、細めた目で穴を見据えた。
「あの大迷宮の最深部にいた元凶が斃れたということかしら?」
確証はない。ないが──アヴァロンのどこにいても感じていたうっすらとした邪気がすっかりと消え失せている。
「あの黒いローブの魔術師……イカレトンチキの仕業かしらね」
断定はしない。だが、その推量に異を唱える者もいなかった。
「仮にそうだとして、はあ、この後始末をしなければならないのか……」
オームの呟きには誰も答えない。巻き込まれたくないからだ。オルセイン王国は宰相やら近衛騎士団長やら、諸々の重臣やら、多くの人材を喪っている。そして王都は半壊し、そこら中にもう二度とは動かないであろう死体がころがっている。こんなものの処理に関わりたいと思う者などいないだろう。
ともあれ霧が晴れたことで、街を塞いでいた呪法の檻は消滅したはずであった。
ヒュレイアの手のひらから、一羽の火の蝶が静かに放たれる。
結界が解けた今ならば蝶を街の外へ飛ばして本国へ伝令を送ることもできる。だがヒュレイアは蝶を外へは向けず、沈降した広場の巨大な穴、立ち込める土煙の底へと滑空させた。
探す相手は決まっている。
微かな赤い燐光が、暗い大穴の深みへとゆっくりと降りていった。