紛い物シェリーの現代来訪   作:三日月ノア

6 / 7
羞恥心


その3 借りものアーティスト

 

眠れなかった。

理由は多すぎた。

体が違う。場所が違う。世界が違う。それなのに、一番しんどいのは、たぶん最後だった。

目を開けた時から、俺はこの体だった。

銀色の長い髪。白でなく銀みたいだ。絵具でもこぼしたかのような毛先のカラー。細く小さい手。軽い肩。喉に触れると、聞いたことのある高さで声が出た。鏡を見なくても分かった。見たら終わる気がして、最初は見られなかった。

それでも見た。

見たら、ちゃんと終わった。

城ヶ崎ノアがいた。

正確には、城ヶ崎ノアに見える何か。そこに俺が入っている。

意味がわからない。混乱して、叫びたかった。けど部屋の持ち主に聞かれるのが怖くて、口を押さえた。叫び声まで女になっていたら、たぶん本当に耐えられなかった。

そこまでは、まだ悪夢で済んだ。

本当にまずかったのは、そのあとだ。

部屋を見回した時、棚に『まのさば』のパッケージがあった。ポスターも、アクスタも、攻略本も、配信者の切り抜きもあった。

この世界には、『魔法少女ノ魔女裁判』がある。

ゲームとして。作品として。俺が知っている、あのままの形で。

その事実が、何よりきつかった。

つまりここは元の世界に似たどこかじゃない。少なくとも、俺にとってはそうじゃない。

俺はこの部屋の女に見つかって、あっさり城ヶ崎ノアだと認識された。つまり外へ出れば終わる。映れば終わる。喋ればもっと終わる。

じゃあどうする。

答えは一つしかなかった。

城ヶ崎ノアとして振る舞う。

それしかない。

……ないんだけど。

「無理だろ」

小声で言って、自分の声にぞっとした。

ノアの喋り方は、真似しやすいタイプじゃない。論理で寄せればいいわけじゃないし、口調だけ撫でてもすぐ嘘になる。あの子は、考え方そのものが少しずれている。善悪より先に、綺麗とか、怖いとか、不思議とか、そういうところに目が行く。世界の受け取り方が、まず感覚から入る。

それを真似るのは、まのさばのほかのキャラで挙げると… 例えば橘シェリーみたいに「名探偵っぽく喋る」より、ずっと難しい。口が出る前に、見え方を変えなきゃいけない。

俺は配信も考察も見ていた。でも全部じゃない。細かい好みや反応まで完璧に把握しているわけじゃない。

半端だ。

半端な知識で、有名キャラの顔を借りている。

最低だと思った。

けど、じゃあ「俺です」と言ってどうなる。信じてもらえるわけがない。信じられたとしても、もっとひどいことになるかもしれない。研究対象だ。炎上だ。晒しものだ。そういう想像ばかり、やけにはっきり浮かんだ。

だから借りるしかない。

借りものの顔で、生き延びる。

喉が詰まった。

床で眠っていたはずなのに、気づけば指先に水がまとわりついていた。昨夜こぼしたらしい麦茶のしずくが、フローリングの上から細く伸びて、俺の爪に巻きついている。

本当に気持ち悪い。

でも、綺麗だった。

その感想が一番嫌だった。

こういうのを綺麗と思う感性が、俺のもとからあったのか、それともこの体から来ているのか、区別できなかった。区別できないことが、もっと嫌だった。

俺は慌てて手を振る。しずくはほどけて、床に落ちた。

「……お絵描き、みたいなもの」

昨夜、自分が言った言葉を思い出す。勝手に出た。考えて言ったんじゃない。なのに妙にしっくりきた。

ノアなら、そう言う気がした。

いや、違う。そんなの俺が勝手に思ってるだけだ。もっと違うかもしれない。もっと本物は複雑で、もっと痛くて――

そこまで考えて、やめた。

今は掘るな。そこはたぶん底じゃない。

女は、奥のベッドでほとんど眠れなかったらしい。何度も寝返りの音がしていた。俺が物音を立てるたびに呼吸が浅くなるのも分かった。

当然だ。俺だって逆なら怖い。

それなのに、一晩だけ置いてくれた。通報もできたのに、しなかった。

甘いのか、現実感がないのか。たぶん両方だ。

その甘さに、少しだけ縋りたくなっている自分がいた。

最悪だ。

朝の薄い光がカーテンの隙間から差し込む。部屋の輪郭がぼんやり明るくなるにつれて、壁際の棚も見えてくる。

ノアのスタンド。ノアの缶バッジ。ノアの切り抜き。

見ないようにしていたのに、目が行く。

誰かに好きだと思われている顔。誰かが金を払って集めた顔。その中心に今、自分がいる。

中身はまるで別物なのに。

笑えなかった。

「……どうかなぁ」

試しに、そう言ってみる。

だめだった。薄っぺらい。自分でもわかる。

もう一度。

「不思議だね」

もっとだめだ。

言葉だけ似せても、その前後の呼吸が違う。考えて喋ると、ノアじゃなくなる。ノアの言葉は、考えてから出てくるんじゃない。感じたものが、フィルターを通らずにそのまま口から出る。その順番が、俺には逆だ。

俺が言葉を選んでいる間、ノアならもう次のものを見ている。

どうしたら、その遅れを埋められるのか。埋まるのか、そもそも埋めていいのか。埋めるほど、こっちが何かを失う気がした。

その時、ベッドのきしむ音がした。

俺は反射で振り向いた。女が起き上がりかけている。

目が合う。

二人とも、少し止まった。

寝起きでぼんやりした顔のまま、彼女が言う。

「……今、喋ってた?」

「ん」

喉がひりついた。ここで間違えるな、と頭のどこかが言う。

彼女は警戒したまま、髪をかき上げた。

「何て」

一瞬だけ迷って、俺は答えた。

「おはよう、かなぁって」

言ってから、内心で歯を食いしばる。

薄い。それでも彼女は少しだけ目を細めた。完全に信じた顔ではない。でも昨夜みたいに、即座に否定する顔でもなかった。

「……顔、洗う」

それだけ言ってベッドを降りる。

洗面所へ向かう背中を見ながら、俺は息を吐いた。

たぶん、もう戻れないところまで来ている。

この部屋にいる限り。この顔でいる限り。

俺は城ヶ崎ノアとして扱われる。そしてたぶん、生き延びるには、それに乗るしかない。

借りものの顔で。借りものの声で。たぶん、そのうち借りものの感情まで使って。

最低だと思った。それでも、もう遅い。

洗面所から水の音がした。

指先が勝手にそちらへ向く。

するり、と。コップの底に残っていた透明な水が、細い線になって浮いた。

俺はそれを見つめたまま、静かに呟く。

「……しばらく、ノアでいよう」

水の線は、ゆっくり頷くみたいに揺れた。







今後はしばらく本編の方にもどりたい
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。