「え、あ、はい。ちょっと」
「どんな所が?」
「作家さんの、他の展示されている作品に比べて、なんというか弱いというか、けどそれが狙いのような、よく分からないんですよね」
「ほう、それは興味深い。よろしければ所感を私に教えてはくれないか。食事代はなんとか出させてもらおう」
「ナンパですか?」
「断じて違う」
ルビーがファーストステージ以来、たびたび暗い顔をするようになった。
それとなく事情を聞こうとしてもやんわりと断られる。
今まで見たことのなかったアイツの姿に、俺はどうにも接し方を掴めずにいた。
「それで私に相談したと?」
「年頃の女子の思考回路なんて俺は分からないからな。持っている人間に聞くのが一番だ」
「なんかバカにされてる気がするわね」
現在連載中の人気マンガ、東京ブレイド。
その舞台化に際して、鏑木監督の要請で俺たちの父親の情報を得るために参加することになった。
今は本番に向けた稽古中。
ペアになった有馬と昼食を摂りながら、稽古について話す中、コーヒーブレイクとして最近の悩みを吐露していた。
今日の食事はミヤコさんが持たせてくれたお弁当。
タコさんウィンナーだの卵焼きだのが盛りだくさんで、この若い体によく効く。
物欲しげに手元を見つめる有馬に卵焼きを分けてやり、話を続ける。
「とは言ってもJIFは初ライブとしては十分すぎるほどの完成度があったと思うし、ルビーが手応えを感じていた筆頭だったのだから、あんまり落ち込む要素はなかったはずだし」
有馬の弁当はコンビニ弁当。
比較的ヘルシーな鶏肉を使った彼女らしいチョイスだったが、食べ盛りには足りなかったらしい。
美味そうに卵焼きを頬張り、飲み込んでから口を開く。
「完成度が足りなかったってすぐに反省するほど殊勝なタマじゃないでしょ、アイツ」
あんまりな言い様だが、この10数年ルビーを見てきた俺には反論する言葉を脳内から取り出すことはできなかった。
支給されたペットボトルのお茶で咀嚼した弁当を流し込む。
ぬるいそれは、むしろ柔らかい喉越しで心地がいい。
「となると直接聞くしかないが」
「アンタだってそういうタマじゃないでしょう?」
見透かしたような、茶化すような笑み。
座りが悪くて弁当を掻き込む作業に戻る。
「まあいいわ。私がそれとなく探ってあげる。仲間思いの有馬さんに感謝なさい」
腹が立つほど鼻歌を上手に歌いながら、俺の譲った卵焼きを彼女は頬張る。
なんにせよ有馬が調べてくれるなら助かる。
あまりに近すぎると話しづらいこともあるだろうから、その点知り合った期間は長く、しかし仲良くなったのは最近の彼女は適任である。
プライベートの心配が一つ片づき、目の前の芝居に専念できることに俺は少々安心していた。
原作者の鮫島アビ子先生が稽古場に登場し、脚本の作り直しを要求するまでは。
◇ ◇ ◇
これまでの稽古がおじゃんになり、あわや舞台の破綻目前といったところ。
今の舞台の環境を知らない俺は黒川に連れていかれた劇場でGOAが手がけた現代の芝居を鑑賞し、不覚にも感動してしまった。
その駄賃がてら鮫島アビ子にGOA脚本の芝居を見せることにした。
漫画とはまるで違う、時代に合わせて進化してきた舞台を体感させ脚本に関する譲歩を引き出すのが目的だ。
そのために彼女の尊敬する吉祥寺頼子経路でチケットを渡すつもりだった。
だったのだが。
「不評だったのに最終回で跳ねたメディア化が逆に話題になってスピンオフをかくことになりまして。会いに行くのも厳しいんです」
「そうですか。なら無理強いはできませんね」
通話をしながら思わず足を揺らす。
唯一の経路が消えた。
それに多少俺も関わっているのが、少し嬉しく、しかし腹立たしい。
「そういえば、星野さんって高巻さんともお知り合いなんですよね」
口元に手をあてて次の手を考える俺の耳に、予想だにしない人名が飛び込んできた。
「え、ええ。一緒に撮影をさせてもらったりしましたが、それがなにか」
「なら良かった!実はアビ子先生の友達に高巻さんと交友のある人がいるんです。
思いがけない道筋が浮かび上がり、思わず腰も浮いてしまう。
「その方のお名前を伺っても?」
「もちろん」
高巻さんへのショートメッセージを書きながら、その人物の名前を問う。
「芸術家の喜多川祐介さん。今回の舞台化に際してキービジュアルも担当なさっているらしいから、舞台をより良くするためなら協力してくれると思います」
◇ ◇ ◇
「それで、俺に会いに来たという訳だな、星野
「アクアでいいです」
口に出して言いたくない名前ランキング堂々の1位たる我が名に頭を痛めつつ、隣に座る男に視線を向ける。
「君の出演していたドラマと恋愛リアリティーショー。そして杏が出たショートドラマ。どれも観させてもらった。興味深かったよ」
「それはどうも。かの喜多川先生にご覧いただくなんて恐れ多いです」
青みがかった艶のある黒髪が光を放つようで、同性であっても目が引かれてしまう。
「ところで、待ち合わせをこんな場所にする必要はあったんですか?」
「裸の付き合いと言うだろう?日本に古くから伝わる生のコミュニケーションだ」
「だからってスーパー銭湯でやることはないでしょう」
光を放っているのは嘘ではない。
湯気で濡れた髪が、太陽光を反射しているのだ。
露天風呂にて、隣で足を伸ばしている彼の姿は慣れ親しんだ間柄のように感じるが、普通に今日が初対面である。
「いつもは個人的に描きたいと思ったモデルに声をかけて裸婦画を描かせてもらうのだが、それだけでは幅が広がらない。だから、今日は様々な裸体を見に来たのだ」
「......なるほど」
嗚呼、どうしてスピンオフなんてものが飛び込んできたのか。
なぜ吉祥寺先生に頼めなかったのか。
俺はこの変人を説き伏せなければならないのか。
天を仰ぎ見る。
湯につかりながら浴びる陽の光は、腹が立つほど心地良かった。
「どうだろう、今度モデルになって」
「遠慮します」
露天風呂を楽しみ、サウナで耐え、水風呂につかり、外気浴で整う。
サウナでテレビではなく周囲を見渡す喜多川の隣にいるのは、どうにも精神をすり減らした。
フルコースを共に堪能させられ、疲労から不覚にも眠ってしまい、振り回してきた張本人に起こされるのは屈辱の極みだった。
「なるほど、つまり漫画と舞台の違いを見せつけることが目的なわけか」
「そうです。そのために、先生にチケットを渡して欲しいんです」
風呂から上がり、漫画コーナーで俺達は向かい合う。
空になったコーヒー牛乳の瓶が乗った机には、「東京ブレイド」が山積みになっている。
水も滴っていた彼が漫画を読む様は、彼自身がモデルになればいいのではと思うほど絵になっている。
そしてそれに魅せられてちらちらとこちらを見る女性を、彼は一切合切無視していた。
「頼みは引き受ける。俺も友人の作品が台無しになるのを黙って見ているつもりはない」
快諾に胸をなで下ろしつつ、懐からチケットを取り出したところで、喜多川が手で遮る。
「君の関わる作品から見いだせる像は、ライトだ」
今日一番真剣な顔に、俺の腕が止まる。
「周囲を引き立たせるため装置に徹する。これは非難されることではない。しかし、君自身も輝けるはずだ」
チケットをかざして、彼は言う。
「君の光が見られることを楽しみにしている」
◇ ◇ ◇
薄暗い部屋。
モニターが唯一の光源。
隈を目元に、ペンタブを握り続ける私。
アシスタントがいないため、ゴミ袋を捨てるのも億劫で、部屋が少し匂う。
それでも作業を終えることはできない。
この後は舞台のための脚本を書かなくてはならないのだ。
私は頼子先生みたいに投げっぱなしにはしない。
大切な物語が陵辱されるのを再び黙認するなどあり得ない。
山積みのエナジードリンクにまた手を伸ばしたところでチャイムが鳴る。
ため息をあくびとともにかみ殺しつつ、空気を読めない来客を追い返すためドアを開けた。
「あの、今私忙しい「承知の上だ。ひとまず上げてくれ」
そこに居たのは、昔彼の展示を目の前で批評したことで私に興味を持った芸術家、喜多川祐介。
手に持った紙袋からは茶道具や漫画など色々なものが雑多に突っ込まれている。
「ま、待ってください。とてもじゃないけど人を上げられるような状態じゃ」
「分かっているとも。創作者とは常々そうなるものだ」
押しとどめる手を払いのけもせず、ズンズンと突き進む。
華奢なくせに力強いその動きに寝不足と出不精の体では抗いきれない。
「ふむ。予想通りだ」
「......うう」
仄かに異臭さえする部屋の中。
顔色も変えずに彼はアシスタント用の机に座る。
「何のつもりですか」
「手助けにきた」
喜多川さんは手早く紙袋の中から道具を並べる。
取り出されたそれは妙に汚れている。
「漫画ナメてますか?あなたは画家でしょう」
「キービジュアル作成のために『東京ブレイド』を全巻10周模写した。背景なら描ける」
「なぜ」
「友を助けるのに理由が必要か?」
彼のまっすぐな視線に貫かれて、私は机に向かい直す。
「ミスったら承知しませんからね」
彼はニヤリと笑う。
「望むところだ!」
宣言通り、彼は背景を粛々と、私より少し遅いぐらいのスピードで描き上げる。
作業の合間に彼が淹れてくれたコーヒーは、涙が出るほどからだに沁みた。
デスマーチを終え、陽光の差す室内で横たわる。
喜多川さんはすでに帰宅しており、手に持ったチケットに彼の体温が残るのみ。
「星野アクア、か」
喜多川さんにこのチケットを託した人物について思い返す。
『今日あま』のドラマを凡作に引き上げた張本人。
そして刀鬼を演じる役者。
彼の提案ならば、もしかしたら『東京ブレイド』でさえステージを押し上げるかもしれない。
彼の熱意に応えて、このチケットを使うのも吝かではない。
予定を確認しながら、そこで私は初めて異性を自宅に上げたことに気づいた。
「まあ、ないか。喜多川さんだし」
スマホの予定表に観劇の予定を入れた直後、意識は闇に落ちた。
「それでそのまま帰ったってのか?」
「当然だ。一仕事終えた者の休息を妨げるなどあってはならない」
「そりゃそうだけどよ、けど、何かあんだろフツー」
「そんなだから浮ついた話がないのだ」
「言ったなコノヤロー!お前だって同じだろーが!」
「......これ以上騒ぐなら料金倍だからな」