「かもな」
「素直じゃないわね。まあいいわ。無理やりにでもアンタに私を認めさせてやるから」
「演技とはなにか、アンタに教えてあげる」
有馬かなが演じるのは「
元々は歌うために芸能界に入ったものの引っ込み思案で売れない。
兼業で始めたモデルで小遣いを稼ぎながら、今日も付き人として下積みの日々を送る。
高巻杏が演じるのは「
不愛想な売れっ子女優だが、後輩の面倒見はよく、食事を奢ることもある。
星野ルビーが演じるのは「
黒澤主演の映画でヒットし、若手監督として現在頭角を現そうとしている。
今日もまた
「先輩。私、この業界でやってけるんでしょうか」
朝比奈はカーブを切りながら、助手席の黒澤に話しかける。
ちらりと脇を見ると、いつも通りの仏頂面の黒澤が、いつも通りスマホを片手にいじっている。
画面を走る指先は止まっていた。
「......質問の意味は?」
顔の向きはそのままに、視線のみを朝比奈に向ける。
切れ長の目から覗く水色の瞳は朝比奈の胸の内を見透かしているようで、おもわずたじろぐ。
黒澤はいつもこうだ。
甘えを許さず、なにを欲しているか端的に伝えることを要求する。
ただ、それが自分になくて、そして欲している部分であると朝比奈は思った。
「いつまでも影に隠れていたくないんです。けど、光の浴び方が分からない」
工事中。
排水管の点検らしい。
工事のおじさんが申し訳なさそうに手信号を送る。
ちゃんと仕事をこなしているのに、なぜそんな顔をするのか。
朝比奈は会釈し、代わりのルートを脳内で探すが直ぐには思いつかない。
本革巻きのハンドルを握る手に汗がにじみ出る。
先輩の車なのに、汚すわけにはいかない。
そう思うたびに汗腺が開く。
「これ」
ふと気が付くと黒澤がスマホの画面を朝比奈に見せる。
代わりのルートだ。
「お手数おかけして申し訳ありません」
「謝罪は自分を慰めるだけ。感謝を伝えなさい」
「......ありがとうございます」
進路を変え、再び目的地に向かう。
なんとか予定通りに着きそうだ。
「それで、さっきの続きなんですけど......」
朝比奈は、自分の汗で濡れたハンドルを一瞥する。
本革にしみこんだ汗はもう拭き取りきれないだろう。
「気にしなくていい。本題に入って」
「すみ、いや、ええと...その」
朝比奈の視界がぼやける。
もう目的地はすぐそこだ。
さっさと言わなければならない。
「その......私、付き人やめたくて。先輩の、黒澤さんの後ろにいるだけじゃなにも変わらないかもしれないって......!」
ああ、言ってしまった。
「そう」
「ご、誤解しないでくださいね?私、ほんとに先輩のことは尊敬してて、でもそれだけじゃやっぱり嫌で」
「分かった。明日から来なくていいわ。今までありがとう」
「先輩の横に立ちた......え?」
いつの間にか二人は撮影現場に着いていた。
呆ける朝比奈を置いて黒澤は車を出る。
「今までありがとうと言ったの。来なさい、最後の仕事よ。やり遂げなくちゃ」
日が昇りかけている。
一日がまた始まる。
◇ ◇ ◇
真っ白な頭のまま撮影現場を歩く。
日々の業務はそれでも、いっそ面白いほど滞りなく進む。
朝比奈は黒澤を控え室に送り届け、彼女が要望した烏龍茶を買いに行く。
「あ、朝比奈さん。お疲れ。買い出し中?」
気がつけば、朝比奈の目の前には月森がいた。
「お疲れさまです、監督。黒澤先輩に頼まれまして。では急いでるので失礼します」
「おお、そうですか。いってらっしゃい」
会釈し朝比奈はその場を立ち去った。
「顔色悪っ。そんな揉めたの?黒澤さんとの打ち合わせ怖いんだけど......」
◇ ◇ ◇
買い出しを終え、控え室に戻る。
部屋に入ろうとドアノブに手を伸ばすが、その手は空を切った。
何が起こったか理解する前に顔面に衝撃が走る。
「フギャッ!」
鼻頭を抑える。
手につたう生暖かい感覚。
鼻血だ。
「あ、ゴメン!大丈夫?」
「大丈夫です。気にしないでください」
ドアノブを掴みドアを開けたのは月森監督だった。
自分のしでかしたことに青ざめている。
鼻血が指の隙間から漏れ、朝比奈の白いワイシャツにポタポタ落ちる。
これではまるで誰かに切り付けられたみたいだ。
いっそそれでも面白いかもしれない、と朝比奈は思った。
「大丈夫なわけないでしょ。見せて」
続いて控え室から黒澤が出てくる。
「本当に大丈夫ですから。先輩は準備しててください」
「黙りなさい!」
普段物静かな黒澤の大声に周囲の時間が止まる。
朝比奈も例外でなく、呆然とするなか黒澤に腕を引かれて控え室に戻った。
「前に屈んで。鼻をしっかりつまむの」
椅子に座らされた朝比奈は黒澤の介抱のもと止血に努める。
「......ありがとうございます」
「どういたしまして。でも今は止血に集中なさい」
黒澤は朝比奈の背中をさする。
その温かみに、朝比奈は鼻だけでなく目の前まで熱い感覚を覚えた。
黒澤は何も言わずに、自身のハンカチで朝比奈の目尻を拭う。
「どうして先輩はこんなに面倒を見てくれるんですか......?付き人じゃなくなる私をケアしてもなにも」
「あなたは自分が与える側じゃないと安心できないかもしれないけど」
俯く朝比奈の肩を黒澤は両手で掴む。
思わず顔を上げた朝比奈と同じ目線で目を合わせる。
「私はあなたを応援したいからこうするの。だから応援したいあなたでいて。過度な卑下はダメ」
「さあ、お仕事の時間よ。立ちなさい」
朝比奈の血が止まり、動けるようになると黒澤はついてくるよう促す。
「え、でも今日は明日以降のスケジュール管理をしようと」
「いいから、来なさい」
予想だにしない言葉にまた立ち尽くす朝比奈の手を掴み、黒澤は歩き出す。
「そんな血だらけの服じゃ歩けないでしょ?お着替えの時間よ」
朝比奈が連れてこられたのは衣装室。
それも今日のドラマ用のものだった。
「なんでここなんですか?先輩」
「これに着替えて」
黒澤が手渡したのはディープネイビーのロングのイブニングドレス。
そして少しラメの入った白い長手袋。
ドラマの時代背景に即している。
「あの、ホントにどういうことですか?」
「あっ、朝比奈さん。さっきはゴメンね」
朝比奈の存在に気づき月森が再び話しかける。
「気にしないでください。それよりこれは......」
「これはって、今日の
言い終わると月森は足早に現場へと向かう。
再び頭が真っ白になった朝比奈を置き去りにして。
「今日のドラマ。キャバレーのシーンがあるの。そこのシンガーをあなたは演じる」
「待ってください、私何も」
「言ったら断ったでしょう?」
朝比奈は何も言えなかった。
そもそも黒澤の付き人になったのだって志願したからじゃない。
どこにも属せていなかった朝比奈を見かねて黒澤が引き取ったのだった。
「それでも私は!」
「自分で取れたかもしれないわね」
黒澤は朝比奈の着付けをしながら言葉を紡ぐ。
落ち着いた大人っぽいドレスは、童顔な朝比奈との魅力的なギャップを演出している。
「でも私はそれを待たない。私は私のしたいように動く」
ドロップ型のクリスタルイヤリングにパールのネックレス。
ハーフアップに髪を整える。
「私があなたを拾ったのは同情なんかじゃないことを忘れないで」
アイラインは長め、リップはボルドー系。
締まった化粧が朝比奈の隠れた魅力を引き出している。
「これが、私......?」
鏡を見て朝比奈は思わずポーズをとる。
彼女もモデルの端くれ。
自身がどのように振舞えば映えるのかをよくわかっている。
「いいわね。やっぱりあなたは衣装を
仕上げ、朝比奈の全身をその目でみる黒澤は呟く。
「あの、先輩。ありがとうございます。けど、私どうすれば」
「今日のあなたは歌うだけ。元々歌手志望だったでしょう?」
その通り。
朝比奈は元々歌手志望。
しかし売れずにモデルの真似事をしているうちに、いつのまにかそちらが本業になっていたのだ。
「ここがあなたの晴れ舞台。芸能人なら踊りきってみなさい」
◇ ◇ ◇
ドラマ『紫煙の向こう』。
ヒロインの黒澤がボーイとして働く高級キャバレー。
そのシンガーを朝比奈は演じる。
セリフはない。
ただ歌うだけ。
それでも朝比奈は震えていた。
体だけでなく声さえか細い。
ここで花開かなければ、もう二度と黒澤の隣には立てない。
その予感が体を打ち付けていた。
「朝比奈さん、落ち着いて」
月森が衣装が崩れない程度に背中をたたく。
「初めては誰もがそうなるもの。黒澤だって同じだった」
「先輩も、そうだったんですか?」
「そうだとも」
月森は腕を組み、瞼を閉じる。
「僕たちは駆け出しのころからの同期でね。あいつと僕は一緒に大きくなってきたのさ」
尊敬する黒澤の過去に朝比奈は聞き入る。
「特に、黒澤がウケたあの映画。あの時は初めての主演だってもんで酷くソワソワしてたよ」
「想像さえできないです。先輩のそんな姿」
いつも冷静沈着で、物事を自分の視線で見つめている黒澤。
そんな彼女が未熟だった時の姿など朝比奈には想像もできないし、したくなかった。
「あるもんさ、誰にでも。とはいえ最近まではすっかりベテラン然として落ち着いてたけど、この頃昔のあいつがぶり返してたよ」
月森は朝比奈に向き直る。
「可愛い後輩ができた。どうにか彼女の力になりたいなんて泣きつくもんだからさ、ついOK出しちゃったんだよね」
朝比奈の心臓が跳ねる。
「それって」
「まあ、そういうこと。ところで一つアドバイス。黒澤の受け売りなんだけどね」
月森は朝比奈の背中を押す。
「『役者は演じてはいけない。生きるのだ』だってさ」
ドラマセットに朝比奈は足を踏み入れる。
共演者であろう人たちの視線が彼女に突き刺さる。
それでも朝比奈の歩みは揺るがずに一人一人に丁寧に挨拶し、持ち場に着く。
朝比奈は高級キャバレーで歌う、1960年代に生きた自分を思い描く。
どう生きてきたのだろうか。
どう歌う道を選んだのだろうか。
この場所で歌う理由はなんなのだろうか、と。
「本番10秒前!」
ふと、黒澤と目が合う。
いつもの彼女と違う。
猫背に開ききっていない瞼、そして乱れた襟。
うだつの上がらない従業員の仕草。
キャストの側にいないのが不思議なビジュアルを、その雰囲気だけで濁しきっている。
それでも、彼女の朝比奈を見つめるその瞳だけはいつも通りで。
「本番──3、2、1」
かちんこが鳴る。
もう、どう
朝比奈の、歌声が響く。
「おいおい、ありゃあ......」
現場にいる誰もが理解した。
黒澤は身内びいきで推した訳でなかったことを。
彼女の声はセットの隅々まで届く。
歌うことへの喜びと、場の雰囲気に合わせた艶っぽい歌い方が調和し、キャバレーを支配してしまうほどの存在感を放つ。
歌声だけではない。
朝比奈の表情もまた、カメラを釘付けにした。
童顔な彼女の可愛らしさと、シンガーらしい着こなしが背徳的な魅力を生み出す。
朝比奈は完全にドラマを食らいつくしていた。
◇ ◇ ◇
歌うことだけ考えていた朝比奈。
いつの間にか撮影は終わり、気づけば帰りの支度まで終わらせていた。
歩くたびに共演者から褒められる。
彼女は今まで体験したことのない出来事に恐縮しつつ現場を出る。
夢見心地の中見上げる空は、出ようとしている朝日によってすこし明るくなっていた。
キッ、という音に目を移すと、目の前には今日運転してきた車がある。
窓が下り、運転席にいる黒澤が助手席を顎でしゃくる。
「先輩」
乗り込んだ朝比奈は黒澤に話しかける。
「焼肉奢ってください」
「生意気なヤツ」
朝比奈は顔を上げる。
上りかけの朝日が顔を射す。
車のモニターは午前四時五十分を示していた。
「やっぱりかなちゃん、その衣装すっごい似合う!ねえ、今度一緒にモデルやらない?ていうかやろ!!」
「いや、私アイドルで、いやそもそも役者だけど!いきなりモデルってのは」
「いいからいいから!マネージャーに連絡しちゃうから、よろしくね!」
「......はい」
「断れないのは芝居の中だけにしろよ」