「それで、ゴシュジンに任された店を留守にしてまでやることってのはなんなんだ、蓮?」
青い目の黒猫が人語を話している。
正確には彼、モルガナが人語を解するものと認識している者だけが、彼の鳴き声を本来の意味で捉えられるのだ。
「その通り。こないだ会わせてもらったが、いい人じゃないか。心配させちゃいかん」
「そう云いつつ、頼んだ通りに調べてくれたらしいな。
コーヒーをふたつ。
茶請けはなし。
挽きたてのそれを二人は一息に飲み込む。
鼻を通る薫りが寝ぼけた頭を覚ます。
「まあな。けど、結果は期待外れだ」
眼鏡をかけた長髪の男、長谷川善吉が机の上にある書類入りファイルをトントンと指さす。
「雨宮吾郎。宮崎県内の総合病院にて産婦人科医として勤務。約16年前に行方をくらます。これぐらいが俺の調べられる限度だった」
「随分情報が少ないな」
「警察は行方不明届がないと探さないんだ。雨宮吾郎は天涯孤独の身だったらしいからな。こういうことになっちまった」
善吉は眼鏡を外して眉間をほぐす。
長年刻まれた皺は、すこし揉んだぐらいで消えることはない。
「じゃあ失踪直前までそいつが何やってたかってのは調べられなかったのか?」
雨宮蓮の隣で座っているモルガナが鳴く。
完璧に整った毛並みはカーボンのように光を反射している。
「基本仕事一筋。友人は少なかったらしい。強いて言うなら女遊びはちゃんとやっていたらしいから、もしかしたら恋愛関連のいざこざかもしれん」
「耳が痛いな、蓮」
「なんでだよ。俺は女性と付き合ったことはないぞ」
「だからだよ、この女誑し」
軽口を叩き合いながら、雨宮蓮はモルガナの毛をブラッシングする。
事前に持ってきていたブラッシング用の段ボール床の上で行う。
事前準備と無駄に動かないモルガナのおかげで店内に毛はほとんど舞っていない。
「お前がとかしてやってたんだな」
「モナだけだと甘いところがあるからな。営業時間中に毛が舞わないようにしないといけない」
櫛が背中を擦るたび、モルガナは背中を逸らして伸びをする。
背中が終われば、今度はこっちだと言わんばかりに脇腹を雨宮蓮に見せる。
体を走る感覚に悶えながら、モルガナは口を開く。
「とすると、そいつの仕事から探るのが一番なんじゃないか?ほら、前に風邪に罹った時、蓮も武見から処方箋もらってたしそういうのって医者は記録するんだろ?」
「無茶言うな。カルテってのは究極の個人情報だ。おいそれと見れるもんじゃねえ」
ブラッシングを終え、寝転んだモナは段ボールの隅で爪を研ぐ。
彼の研ぎ場所を選ぶ理性のおかげで、生活に支障の出る場所に研ぎ跡は残らない。
たまにいい感じのものをプレゼントすればそれで満足してくれるのだから、ありがたいことこの上ない。
「ケーサツってなんでも出来る訳じゃないんだな」
「警察、というか公安は国家の安全のための組織だからな。普通の人間には深く踏み込めないんだ」
「踏み込むのは世界をひっくり返しかねないやつだけと」
「そう、まさにお前たちのための組織さ」
空いた二つのカップに再びコーヒーが注がれる。
同じ種類、同じ製法。
それでいて豆の些細な違いが、その時その時でコーヒーの表情を変える。
「しかし、雨宮、ね。知り合いか?」
「縁戚だ。昔世話になった」
「なるほどな、公安の監視が解けたから漸くってところか」
「ああ。苦節6年。なかなか長かった。やっと本格的に探しに行ける」
棚からパックを取り出し、雨宮蓮は中身を3人に配膳する。
名物・満月団子。
近所のスーパーで売っている品。
安価な割に美味く、この辺りの名物として名を馳せている。
「あー、双葉に頼むってのはどうだ。フリーランスでやってるんなら依頼すればいけんじゃないか?」
「ホワイトハッカーをブラックにする訳にはいかない。俺が足で探るのが一番いい」
「全国マスコミの一斉ジャック既遂犯が今じゃホワイトハッカーとして大活躍とは、世の中分からんねえな」
「今も昔も双葉は、俺たちは己の正義に準じて動いている。そうだろ」
善吉はフッと笑い、団子を口に運ぶ。
もちもちの食感と素朴な甘さが、コーヒーに不思議と合っている。
「で、今回は探偵として調べに行くわけだな、怪盗?」
「ちゃんと届出は出したぞ」
「おう、ちゃんと受け取ったらしいぜ。こいつが証拠だ」
脇に置いてある鞄から書類を取り出し、善吉はそれを机に置く。
「生活安全課から貰ってきた。これで晴れて開業できるぜ」
差し出されたのは探偵業届出証明書。
名前欄には雨宮蓮と記されている。
「俺はテレビで見たぐらいだが、件の高校生探偵のアレか?」
「そんなところだ」
モルガナは隣の彼をジッと見つめる。
雨宮は瑠璃色の視線から目を逸らして、コーヒーをまた飲み込む。
明日は宮崎。
今日のうちに荷物をまとめないといけないと考えながら、雨宮は佐倉双葉に留守番を頼むメッセージを書いていた。
◇ ◇ ◇
山中。
病院から宿への帰り道。
モルガナには悪いが、重いので鞄から出てもらい、一緒に歩く。
「たまにはこういうのも悪くないな、ジョーカー」
モルガナの言葉に俺は頷き、周囲に目をやる。
夕暮れが森を照らしている。
人工物にまみれた東京に居続けていると、青々しい緑が目に痛いほど。
快適な気温だった東京に比べ少し南部に寄っているため、着ているTシャツに汗が滲む。
「しかし、やはりと言うべきか、収穫はほぼ無しだな。そもそも10数年前の話だ。職員がほぼ入れ替わるには十分過ぎるほどの時間が経ってる。残ってた人も、流石にそんな前のことを詳細には覚えていないようだったし」
「収穫はあるさ」
「そのゴローって人がアイドルオタクだったことだろう?」
「ああ、これはデカい」
「と言うと?」
二人とも立ち止まり、俺はスマートフォンの画面をモナに見せる。
そこにはゴローさんが推していたアイドル、「アイ」に関するニュースサイトが表示されていた。
「ふむ、この子がアイか」
「モナはこの頃まだ生まれていなかったからな。知らないのもしょうがない。重要なのはここだ」
ニュースサイトをスクロールし、刺殺という単語を指差す。
「殺人事件と行方不明、違う時期とはいえ無関係と断じるには血の匂いが強過ぎる」
「それは考えすぎってやつじゃないか?アイドルの追っかけが失踪したなんてとてつもなく珍しい話でもないだろう。その対象がたまたま殺されただけって筋がよほどあり得そうだ」
「追っかけで失踪と言ったら金を突っ込みすぎてってのがありそうだが、独り身の医者の収入で身持を崩すってのは想像しづらい。それに......」
「それに?」
空を見上げる。
薄明の空には一等星が密やかに輝いている。
「俺はあの人と約束したんだ。彼らしくあれと。だから、今も生きているならどこかで医師として働いているはずだ。だから、多分彼はもうこの世に居ないのだろう」
モナはただ俺の体を登って頬擦りするだけ。
その暖かさは、初夏であっても鬱陶しくないものだった。
「......ん?あれは、誰だ?」
俺たちの目の前に青く発光したカラスが止まる。
ちょうどモナの瞳と同じ色のカラスだ。
「ラヴェンツァではないよな」
「だと思うが......」
カア、と鳴きそのカラスは飛び立つ。
普通のカラスと比較して格段に遅いその動きは、俺たちをどこかに誘導しているようにしか見えなかった。
「どうする、ジョーカー」
「言わずもがなだ」
空を飛ぶカラスを、俺たちは小走りで追いかける。
走り続けること20分ほど、唐突にカラスが道を逸れて森に向かう。
もうじき日が沈む頃合いだ。
柔らかな夕日は森の中では表情を変え、木々の影が恐ろしげに辺りを覆う。
森を抜け、俺たちは薄暗い洞窟に辿り着く。
いつの間にか青いカラスは消えていた。
「ここに案内してくれたんだよな」
「そうだろうな」
「なあジョーカー、嫌な予感がするんだが」
「じゃあ帰るか?」
「まさか」
二人で洞窟に入る。
光の遮断された中をスマホのライトで照らして奥に進む。
数歩歩き、最奥に
「これって」
「ああ、死体だ」
そこにあったのはレンズの割れた眼鏡をかけ、ボロボロの白衣をまとった白骨死体。
白衣からはキーホルダーがこぼれている。
俺はそのキーホルダーに照明を当て、思わずため息が出てしまった。
「ゴローさん。あんたは一体何に巻き込まれたんだ」
そのキーホルダーには「アイ無限恒久永遠推し!!!」の文言と、アイの写真がプリントされていた。