君は完璧で究極の式神 作:水際
愛と呪いのプロローグ
2018年7月。都心から遠く離れた山道にて。
「なんか最近よく襲われるなぁ。華がありすぎて目立っちゃうのかな?」
高熱に晒されたアスファルトが、じわじわと赤く染まっていく。
並の術師なら、近づいただけで肺が燃えるような熱気。
その只中に、制服姿の少女が立っていた。
少女の肩から滑り落ちるように流れる長い髪は、光を受けて艶めく。
前髪の隙間から覗く瞳は光を放つように美しく、見る者にどこか近寄りがたい印象を与える。
そして何より、その端正な顔立ちは、まるで精巧な人形を思わせるほど均整が取れていた。
相対するのは、熱の発生源の特級呪霊――
その火山のような頭部から噴き出す火炎が、周囲の風景を蜃気楼のように歪める。
「んー。……流石にちょっと暑いね」
少女は軽い口調で言う。焦りはみられない。
ただ眼前の火山頭の呪霊を観察しながら、これまでの経緯に思いを馳せる。
◇
彼女の名前は星野アイ。母親が窃盗で逮捕されたため、養護施設で育った。
しかし、施設の男の子は皆アイが好きになって――施設の女の子は皆アイが嫌いになった。
そんな暮らしに嫌気がさして、東京にやってきた。
アイは自分の容姿には自信があったし、常に寄り添ってくれている
当てのない逃避行だったが、『予想外の業界』からのスカウトを受けて、今は女子高生をやっている。
今日は学長の依頼で“簡単なおつかい”を済ませ、
「世の中、結局お金だなぁ」などと運転手に愚痴をこぼしながら、車で報告へ向かっていた。
だが山道の半ばで、突如として“火山頭に単眼の呪霊”の奇襲を受けた。
前触れもなくモコモコと隆起した地面から噴き出した炎の柱を、式神の力を応用した水流で相殺し、怯える運転手を『鵺』で逃がして、今に至る。
◇
「(明日も早いし、はやく帰りたい)」
そんなことを考えながら、アイは緊張感のない様子で、欠伸を噛み殺していた。
すると次の瞬間、漏瑚の掌から火山弾が発射され、アイに直撃した。周囲が炎に覆われる。
舞い散る瓦礫と吹き上がる炎はまるで地獄のようで、人間などは骨も残らないような熱量だった。
しかし煙が晴れると、そこには立体的に地面から飛び出した黒い壁があった。
それは、アイの生得術式《
澄ました顔で無傷のアイが、黒い壁の裏から、ひょいと顔を覗かせる。
「あぶないなぁ。制服が焦げちゃう所だったよ」
そう呟くと、影から巨大な象が這い出るように現れる。それは式神――『
象が鼻を高く掲げると、噴き出す水流が周囲の熱を一気に冷却し、ジュウ、と空気が鳴る。
温度差で発生した霧で視界が霞む中、アイはすでに――
――次の『
「
鈴の鳴るような声に一拍遅れて、轟音と共に空を裂く電撃。
上空に展開された、ドクロの仮面をつけた巨大な鳥の式神『鵺』が、広範囲に雷を落とす。
それを迎え撃つように、漏瑚が「ふんっ!」と鼻をならすと、地面が隆起し空に向かって火柱が上がった。
迎撃の炎と雷が衝突し、爆音を鳴らしながら爆ぜる。
激しい衝撃の中で、漏瑚は笑った。
「小賢しい小娘め……だが、『
漏瑚の周囲に無数の小さな人面虫が召喚され、アイにむかってミサイルのように飛来する。
霧が晴れつつある中、アイは足先から影の中にトプンッと沈み込み、虫を躱す。
標的を見失った漏瑚が警戒しながら周囲を見渡すと、どういうわけか全周囲から声が響く。
「「そのまま動かないでね。あんまり時間かけたくないんだぁ」」
すると、漏瑚の影の中から顔を出した蛙の式神『
漏瑚の発する熱は凄まじく、拘束は長く持たないように思われた。
しかし、役割としてはそれで充分だった。
「「
畳みかけるように、黒と白の影が漏瑚を挟み込み、同時に喉元へ噛み付く。それは二頭一対の犬の式神だった。
呪力による防御を荒々しい牙が削り取る。
しかし漏瑚は、即座に全身から爆ぜるように炎を噴き上げ、振り払う。
「この程度で――」
漏瑚は苛立ちを露わにする。
だが、すでに死角から新たな式神が迫っていた。
それは、短期決戦を狙うアイが早くも投入した、“ 決定的一撃”を持つ式神だった。
――その名は、式神『
黒い牡牛が戦いの場に一直線に突っ込んでくる。
加速し続けた巨体に、アイが注ぎ込む呪力が寸分違わず重なる。
次の瞬間――黒い稲妻が炸裂した。
加速距離自体は短かったが、それで充分だった。
直線上にいた漏瑚の横っ腹に貫牛の鋭い角が食い込み、猛烈な勢いで弾き飛ばす。
漏瑚は轟音を立てて山道のガードレールを突き破り、夜の森の奥へと落下していった。
「……これで終わりなら楽なんだけどな」
アイは影の中で肩をすくめながら呟く。
そして、鋭い嗅覚で探知を続ける玉犬たちを撫でた。
数度の瞬きの後、倒れた木々の合間から濃密な呪力の炎の柱が噴き出し、上空の鵺が紙一重でひらりと躱す。
アイの予想通り、黒閃をもってしても、人が大地を畏怖する感情から生まれた、特級呪霊を祓うには至らない。
漏瑚は爆炎を噴き上げながら森を飛び越え、離れた岩場へ着地した。
「……認めよう。貴様は強い」
地面が溶ける。火山頭から三方向へと火柱が噴き出す。
呪術戦の極致。領域展開の兆候だった。
追撃のために影を
「お、わかっちゃった? 私めちゃくちゃ強くてかわいいからね」
その声音には、依然として余裕がある。
「あなたもとても強いみたい。でもそろそろ終わりにしようかな」
アイは右腕に左拳を当てながら、まるでアイドルのような美しい声で、静かに祓詞を唱え始める。
「……ふるべゆらゆら」
空気が変わる。
大気そのものが重くなるようなプレッシャーが周囲に放たれ、漏瑚は金縛りにあったように動きを止めてしまう。
2匹の玉犬の遠吠えが夜闇に響き、白い繭がアイの背後に現れた。
そして繭から羽化するように、羽が開き、口が裂ける。
現れるのは、破壊の化身、最強にして最凶の式神。
「やつかのつるぎ、いかいしんしょう。……『まこら』」
ーーーーーーー
漏瑚の目が見開かれる。
「……何だ、それは」
なんとか言葉を吐き出したが、答えはない。
アイの身長の3倍ほどの、筋骨隆々の白い人型『魔虚羅』が一歩踏み出す。
その瞬間、漏瑚は反射的に最大火力を叩き込んでいた。
火山噴火の如き爆炎が絶え間なくアイを襲う。
だが、アイは一歩も動かないし、そもそも動く必要もなかった。
彼女の『完璧で究極の式神』にそんなものは通用しない。
動き始めた魔虚羅はもう止まらない。
アイの前方で庇うように仁王立ちした白い影が、炎を浴びるように受け止める。
そして頭上の法陣が回る。
――ガコン
単純な炎や高温への適応はその式神にとってあまりに容易だった。
魔虚羅は炎の中を平然と進む。
「――は?」
理解が追いつかない漏瑚に、魔虚羅の右手首から伸びる白い剣が、神速で振り下ろされる。
それは退魔の剣といった。
甲高い音をたてて空気を切り裂くその白刃を、漏瑚は間一髪で避けた。
しかし、漏瑚の肉体が剣の軌跡に沿って崩壊する。どういうわけか再生も、抵抗も許されない。
原因は、漏瑚が見誤っていた『剣の周囲を拡張するように覆う正の呪力』だった。
掠っただけでも呪霊にとっては致命的な毒が、その剣には宿っていたのだ。
特級呪霊としての存在そのものが、削り取られていく。
「馬鹿な……! こんなところで! こんなまがい物にぃぃ――!!」
さながら最後の抵抗のごとく、漏瑚は両手を高く掲げ、真っ赤に焼けた巨岩を作り出すと、振り下ろすようにして、魔虚羅の頭上から叩きつける。
だが、すでにその行動は意味を持たない。
――ガコン
法陣が回り、魔虚羅は漏瑚を見下すようにニタァと口元を歪めると、左手の人差し指を岩に軽く添えて、容易く破壊する。
漏瑚は愕然とする。
――侮られている。軽んじられている。
そんな直感が脳裏をよぎり、憤怒のあまり思考が停止した。
嘘偽りの無い負の感情から生まれた呪いこそが、『真に純粋な本物の“人間”である』という思想を掲げ、計画遂行の障害になりうる小娘を排除するために、襲撃をかけた。
慢心はなかった。
現存する5人の特級術師の一人、星野アイは呪術界御三家・禪院家相伝の生得術式を持つ、強力な術師であると、確かに認識していた。
そのうえで、自分には及ばないと考えていたのだ。
思わず後ずさるように距離をとった漏瑚は、引き延ばされた時間の中で、白い式神が嘲笑いながら迫ってくるのを認識していた。
――そして、小娘がもはや、漏瑚の方を向いてすらおらず、……手元の
声にならないほど激昂する漏瑚。
しかし退魔の剣は呪霊に対してあまりにも強力で、もはやなす術はなかった。
程なくして、白いつるぎが幕を下ろし、漏瑚は消滅した。
◇
夜の静けさの中、魔虚羅はゆっくりとアイのほうへ振り向く。
巨体を見上げながら、アイは口元に手を添えて言う。
「はぁ。今日はここまでだね。……もう眠いんだよねぇ。明日も授業あるのにさぁ」
その声に応じるように、影が揺れる。
完全な調伏を経た魔虚羅は、ただ静かに影へと沈む。
あたかも最初から、従順な存在であったかのように。
そして、焼け焦げた木々の合間に立つアイは、軽く伸びをして、服の埃を払う。
「……ん、こんな感じかな。どうやって帰ろう? ここ電話通じるかなぁ」
結果として、その戦いは圧倒だった。
だが本人にとっては、大した意味を持たない。
そもそも、星野アイは『漏瑚を強いだなんて微塵も思っていなかった』
彼女にとって、呪霊との会話に意味はない。
――全てはその場の雰囲気に合わせた、嘘だった。
◇
後にこの一戦を知った五条悟は、ニヤニヤしながらこう言った。
「報告をめんどくさがって、1級程度の呪霊に襲われたなんて嘘を平気でつくんだから。まったく、怖いよね」
自分と他人との間に一線を引く五条にとって、生徒たちの存在は花のようだった。
成長を喜ばしく思うものの、うっかり踏みつけてしまわないように、細心の注意を払ってきた。
しかし、五条はこの手のかかる嘘吐きの少女が、段々と花ではない別の何かに変貌しつつあるように感じていた。
最強の自分にはまだ、及ばない。
だが、確実に――その領域へ届きつつある何かに。
スギ花粉への怒りで呪力が湧いてきたので勢いで書きました。物を投げないでください。