君は完璧で究極の式神 作:スギ花粉ナイトメア
愛と呪いのプロローグ
2018年7月。都心から遠く離れた山道にて。
「なんか最近よく襲われるなぁ。華がありすぎて目立っちゃうのかな?」
焼けたアスファルトが、じわじわと赤く染まっていく。
並の術師なら、近づいただけで肺が燃えるような熱気。
その只中に、制服姿の整った顔立ちの少女が立っていた。
少女の肩から滑り落ちるように流れる長い髪は、光を受けて艶めく。
前髪の隙間から覗く瞳は光を放つように美しく、見る者にどこか近寄りがたい印象を与える。
相対するのは、熱の発生源にいる特級呪霊――
その火山のような頭部から噴き出す火炎が、周囲の風景を蜃気楼のように歪める。
「んー。……流石にちょっと暑いね」
少女は軽い口調で言う。焦りはみられない。
ただ眼前の火山頭の呪霊を観察しながら、これまでの経緯に思いを馳せる。
彼女の名前は星野アイ。母親が窃盗で逮捕されたため、施設で育った。
しかし、施設の男の子は皆アイが好きになって――
――施設の女の子は皆アイが嫌いになった。
そんな暮らしに嫌気がさして、東京にやってきた。
アイは自分の容姿には自信があったし――いざとなれば
そう考えた。
当てのない逃避行だったが、『予想外の業界』からのスカウトを受けて、今は女子高生をやっていた。
今日は学長の依頼で『簡単なおつかい』をこなし、「世の中、結局お金だなぁ」なんて、運転手に愚痴りながら、車で報告に向かっていた。
すると山道の半ばで、突如この火山頭の呪霊の奇襲を受けたのだ。
前触れもなくモコモコと隆起した地面から噴き出した炎の柱を、式神の力を応用した水流で相殺し、怯える運転手を『鵺』で逃がして、今に至る。
「(明日も早いし、はやく帰りたい)」
そんなことを考えながら、アイは結構のんきにあくびを堪えていた。
すると次の瞬間、漏瑚の掌から火山弾が発射され、アイに直撃した。周囲が炎に覆われる。
舞い散る瓦礫と吹き上がる炎はまるで地獄のようで、人間などは骨も残らないような熱量だった。
しかし煙が晴れると、そこには立体的に地面から飛び出した黒い壁があった。
それは、アイの術式によって展開された大きな大きな『影』だった。
澄ました顔で無傷のアイが、壁の裏からヒョコっと顔を出す。
「あぶないなぁ。制服が焦げちゃう所だったよ」
そう呟くと、影から巨大な象が這い出るように現れる。それは式神――『
象が鼻を高く掲げると、噴き出す水流が周囲の熱を一気に冷却し、ジュウ、と空気が鳴る。
温度差で発生した霧で視界が霞む中、アイはすでに次の手を――
――次の『手影絵』を組んでいる。手指を組み合わせ、表現するのは鳥の翼。
「
鈴の鳴るような声に一拍遅れて、轟音と共に空を裂く電撃。
上空に展開された、ドクロの仮面をつけた巨大な鳥の式神『鵺』が、広範囲に雷を落とす。
迎撃の炎と雷が衝突し、爆音を鳴らしながら爆ぜる。
激しい衝撃の中で、漏瑚は笑った。
「小賢しい小娘め……だが、『
漏瑚の周囲に無数の小さな人面虫が召喚され、アイにむかってミサイルのように飛来する。
霧が晴れつつある中、アイは足先から影の中にトプンッと沈み込み、虫を躱す。
漏瑚が警戒しながら周囲を見渡すと、どういうわけか全周囲から声が響く。
「「動かないでね。あんまり時間かけたくないんだぁ」」
すると、漏瑚自身の影の中から顔を出した蛙の式神『
漏瑚の発する熱は凄まじく、拘束は長く持たないように思われた。
しかし、役割としてはそれで充分だった。
「「
畳みかけるように、黒と白の影が、同時に漏瑚の喉元へ噛み付く。それは二頭一対の犬の式神だった。
呪力による防御を荒々しい牙が削り取る。
だが、漏瑚は即座に全身から爆ぜるように炎を噴き上げ、振り払う。
「その程度で――」
目線を上げたところで、言葉を失う。
いつの間にか周囲には、見渡す限りの数の白い兎が迫っていた。
式神『
視界を埋め尽くすほどの物量が、一斉に跳ねまわる。
それは攻撃ではなく撹乱だった。
五感の全てと呪力による感知に無数のノイズが混じる。
「鬱陶しい……!」
漏瑚は苛立ちを露わにする。
だが、すでに死角から新たな式神が迫っていた。
それは、早く帰るために速攻をしかけるアイが早々に切った、決定的な攻撃力を誇る手札のひとつである。
――その名は、式神『
黒い牡牛が戦いの場に一直線に突っ込んでくる。
加速し続けた質量が、呪力を纏い、さらに――黒い稲妻が走る。
加速距離自体は短かったが、それで充分だった。
直線上にいた漏瑚の横っ腹に貫牛の鋭い角が食い込み、通常時の2.5乗の威力を持って弾き飛ばす。
漏瑚は猛烈な勢いで山道のガードレールを突き破り、夜の森の奥へと落下していく。
「……これで終わりなら楽なんだけどな」
アイは影の中で肩をすくめながら呟く。
そして、鋭い嗅覚で探知を続ける玉犬たちを撫でた。
数度の瞬きの後、倒れた木々の合間から濃密な呪力の炎の柱が噴き出し、上空の鵺が紙一重でひらりと躱す。
アイの予想通り、黒閃をもってしても、人が大地を畏怖する感情から生まれた、特級呪霊を祓うには至らない。
漏瑚は一度森を越えて高く飛び上がり、岩場に着地する。
「……認めよう。貴様は強い」
地面が溶ける。火山頭から三方向へと火柱が噴き出す。
呪術戦の極致。領域展開の兆候だった。
追撃のために影を
「お、わかっちゃった? 私めちゃくちゃ強くてかわいいからね」
その声音には、依然として余裕がある。
「あなたもとても強いみたい。でもそろそろ終わりにしようかな」
アイは右腕に左拳を当てながら、まるでアイドルのような美しい声で、静かに祓詞を唱え始める。
「……ふるべゆらゆら」
空気が変わる。
まるで大気そのものが重くなるようなプレッシャーが、周囲に放たれる。
2匹の玉犬の遠吠えが夜闇に響き、白い繭がアイの背後に現れた。
そして繭から羽化するように、羽が開き、口が裂ける。
現れるのは、破壊の化身、最強にして最凶の式神。
「やつかのつるぎ、いかいしんしょう。……『まこら』」
ーーーーーーー
漏瑚の目が見開かれる。
「……何だ、それは」
なんとか言葉を吐き出したが、答えはない。
アイの身長の3倍ほどの、筋骨隆々の白い人型『魔虚羅』が一歩踏み出す。
その瞬間、漏瑚は反射的に最大火力を叩き込んでいた。
火山噴火の如き爆炎が絶え間なくアイを襲う。
だが、アイは一歩も動かないし、そもそも動く必要もなかった。
彼女の『完璧で究極の式神』にそんなものは通用しない。
動き始めた魔虚羅はもう止まらない。
アイの前方で庇うように仁王立ちした白い影が、炎を浴びるように受け止める。
そして頭上の法陣が回る。
――ガコン
単純な炎や高温への適応はその式神にとってあまりに容易だった。
魔虚羅は炎の中を平然と進む。
「――は?」
理解が追いつかない漏瑚に、魔虚羅の右手首から伸びる白い剣が、神速で振り下ろされる。
それは退魔の剣といった。
甲高い音をたてて空気を切り裂くその白刃を、漏瑚は間一髪で避けた。
しかし、漏瑚の肉体が剣の軌跡に沿って崩壊する。どういうわけか再生も、抵抗も許されない。
原因は、漏瑚が見誤っていた『剣の周囲を拡張するように覆う正の呪力』だった。
掠っただけでも呪霊にとっては致命的な毒が、その剣には宿っていたのだ。
特級呪霊としての存在そのものが、削り取られていく。
「馬鹿な……! こんなところで! こんなまがい物にぃぃ――!!」
さながら最後の抵抗のごとく、漏瑚は両手を高く掲げ、真っ赤に焼けた巨岩を作り出すと、振り下ろすようにして、魔虚羅の頭上から叩きつける。
だが、すでにその行動は意味を持たない。
――ガコン
法陣が回り、魔虚羅は漏瑚を見下すようにニタァと口元を歪めると、左手の人差し指を岩に軽く添えて、容易く破壊する。
漏瑚は愕然とする。
――侮られている。軽んじられている。
そんな直感が脳裏をよぎり、憤怒のあまり思考が停止した。
嘘偽りの無い負の感情から生まれた呪いこそが、『真に純粋な本物の“人間”である』という思想を掲げ、計画遂行の障害になりうる小娘を排除するために、襲撃をかけた。
慢心はなかった。
現存する5人の特級術師の一人、星野アイは呪術界御三家・禪院家相伝の生得術式を持つ、強力な術師であると、確かに認識していた。
そのうえで、自分には及ばないと考えていたのだ。
思わず後ずさるように距離をとった漏瑚は、引き延ばされた時間の中で、小娘の式神が嘲笑いながら迫ってくるのを認識していた。
――そして、小娘がもはや、漏瑚の方を向いてすらおらず、……手元の
声にならないほど激昂する漏瑚。
しかし退魔の剣は呪霊に対してあまりにも強力で、もはやなす術はなかった。
程なくして、白いつるぎが幕を下ろし、漏瑚は消滅した。
夜の静けさの中、魔虚羅はゆっくりとアイのほうへ振り向く。
巨体を見上げながら、アイは口元に手を添えて言う。
「はぁ。今日はここまでだね。……もう眠いんだよねぇ。明日も授業あるのにさぁ」
その声に応じるように、影が揺れる。
完全な調伏を経た魔虚羅は、ただ静かに影へと沈む。
あたかも最初から、従順な存在であったかのように。
そして、焼け焦げた木々の合間に立つアイは、軽く伸びをして、服の埃を払う。
「……うん、こんな感じかな。どうやって帰ろう。ここ電話通じるかなぁ」
結果として、その戦いは圧倒だった。
だが本人にとっては、大した意味を持たない。
そもそも、星野アイは『漏瑚を強いだなんて微塵も思っていなかった』
呪霊との会話に意味なんてない。
――全てはその場の雰囲気に合わせた、嘘だった。
後にこの一戦を知った五条悟は、ニヤニヤしながらこう言った。
「報告をめんどくさがって、1級程度の呪霊に襲われたなんて嘘を平気でつくんだから。まったく、怖いよね」
自分と他人との間に一線を引く五条にとって、生徒たちの存在は花のようだった。
成長を喜ばしく思うものの、うっかり踏みつけてしまわないように、細心の注意を払ってきた。
しかし、五条はこの手のかかる嘘吐きの少女が、段々と花ではない別の何かに変貌しつつあるように感じていた。
最強の自分にはまだ、及ばない。
だが、確実に――その領域へ届きつつある何かに。
スギ花粉への怒りで呪力が湧いてきたので勢いで書きました。物を投げないでください。