君は完璧で究極の式神 作:水際
「私が一般企業で働き、気づいたことは、労働はクソと言うことです」
「え、そーなの?」
都内某所のちょっと
窓際の席で、灰色のスーツ姿の男性がコーヒーを飲みつつ持論を語っていた。
向かい側では、白いパーカーを着た長髪の少女――星野アイがストローでメロンソーダを吸っている。
休日の昼下がり。店内は家族連れの喧騒で満ちていた。
「しかし、あなたが普通の高校生活に興味を持ち、人間社会へ歩み寄ろうとしていることを、私は好ましく感じています」
男性――七海建人は、ほんの少しだけ、柔らかい表情を見せながらそう言った。
時をさかのぼって。
2018年9月。神奈川県川崎市。
降り続いた雨のせいで、街全体が湿っぽい匂いを纏っていた。
映画館が入った雑居ビルから人を遠ざけるように、黄色い規制線が張られていた。
シアターの座席で、座ったままの変死体を前にして、虎杖悠仁は眉をひそめる。
死体は酷く損壊していた。
頭部が捻じ曲がり、皮膚の一部は内側から破裂したように裂けている。
まるで人間を粘土みたいにこねくり回したような死に方だった。
隣ではスーツ姿の男性が静かに手帳を閉じる。
「状況から見て、呪霊による被害でほぼ確定でしょう」
淡々とした声に、虎杖は改めて彼――七海建斗の姿を見る。
高身長。整った七三分け。ブランド物らしいスーツ。
そして腰には――
「……七海さん」
「なんですか」
「……意外とかわいいもの好きですか?」
「違います」
七海は若干食い気味に即答した。
彼の腰には、小さな黒兎のぬいぐるみ付キーホルダーがぶら下がっていた。
丸っこくて黒い身体。長い耳。つぶらな目。
とてもかわいらしい。
しかも歩くたび「ぷぅ」と小さく鳴いている。
「これは私の趣味ではありません。貰い物です」
七海は無表情のまま続ける。
「正確には、押し付けられました」
「押し付けるって。あれなんか、覚えがある流れだな……」
虎杖は顎に手を当てて、首を傾げる。
七海は少しだけ遠い目をした。
――黒兎は不思議そうに「ぷぅ?」と鳴いている。
七海はため息をつく。
虎杖が興味深そうに黒兎を覗き込むと、黒兎は、じっと虎杖を見つめ返したあと、なぜか威嚇するように耳をぴんと立てた。
「なんか嫌われてません?俺」
「この子は誰にでもそんな感じです。気にしなくていいでしょう」
七海は素っ気なく答えた。
「なんか、俺の白いやつに似てますよね」
七海の視線がわずかに動き、虎杖の腰の白兎を見る。
「……ああ。おそらくは系列品です」
「系列品とかあるんだ……メーカーはいったいどこに……?」
虎杖がぶつぶつと呟いていたその時。
白兎――『ハッピー』が「キュ!!」と元気に鳴いた。
黒兎――『タリス』が「ぷぅ」と小さく鳴いた。
七海の目線が厳しくなる。
「行きますよ、虎杖君」
「え?」
「気配があります。残穢をたどりましょう。――できますね?」
残穢をたどり、調査は映画館の外へ移った。
路地裏に差し掛かったところで、七海は背筋に悪寒を覚える。
視線を向けると、路地裏の影の暗闇に、呪霊らしき怪物がうずくまっていた。
身体が歪んでおり、腕が異様に長い。
顔面は粘土で作ったような不自然な馬面。
そして背後からはもう一体、大柄な白い怪物がこちらを見ていた。
「正面は私が片づけます。虎杖君はそちらのもう一体を」
――虎杖が駆け出し、七海は懐から、包帯で刀身を包んだ鉈を取り出した。
――――――――――
怪物が腕を振り下ろした。
虎杖はそれを躱し、拳を叩き込む。
内部で何かが砕ける感触があった。
しかし怪物は止まらない。
「うおっ!?」
伸びた腕が虎杖へ巻き付こうとする。
見かねた七海が前へ出た。
「十劃呪法」
術式で弱点を強制的に作り出し、包帯を巻いた鉈が振るわれる。
七海の斬撃が命中し、怪物の両腕が切り落とされる。
すかさず虎杖は接近し、持ち前のパワーと、遅れてくる呪力の2段攻撃で、怪物の胴体を貫いた。
「よっしゃ!」
「まだです。集中を解かないでください」
七海は冷静に言う。
もう一体の馬面の怪物が虎杖へ飛びかかる。
虎杖は拳を握りしめ、真正面から迎え撃った。
重い打撃音が立て続けに響き、怪物は一瞬怯んだ。
だが怪物は痛覚が曖昧なのか、異常な執念で食らいついてくる。
「くそっ……!」
決定打を与えることができず、虎杖が押し込まれる。
――その時だった。
七海が怪物に急接近すると同時に、黒兎のぬいぐるみー――『タリス』が、ぷぅぷぅと鳴く。
すると七海の足元の影が広がった。
半径にして約3メートル。
影に足を捕られ、怪物の動きが、一瞬鈍る。
「今です」
「っ!」
虎杖が踏み込み、拳へ呪力を込める。
そして必殺の攻撃を繰り出す。
「逕庭拳!!」
轟音が響き、怪物の首が不自然な方向へ捻じ曲がり、地面へ転がった。
しばらく痙攣したあと、動かなくなる。
虎杖は肩で息をしていた。
「……おかしいですね」
違和感を覚えた七海は、倒れた怪物へ歩み寄る。
――死体が消えない。
完全に活動を停止しているか確認しようと、七海が鉈を構え――
――その瞬間だった。
「ぷぅうううううッ!!」
タリスが今までにないほど激しく鳴いた。
七海の表情が
「虎杖君。逃げてください」
「え?」
次の瞬間。底知れない悪意が二人を襲う。
――『領域展開』――
雨が降りしきる曇り空が、夕焼けで上書きされていく。
周囲の景色が音もなく変質していく。
アスファルトは泥に。
ビル群は古びた農村へ。
そして川の濁流が木々をなぎ倒すような音が、あたりに響く。
「……なんだよ、これ」
七海は前方へ視線を向けている。
そこには、《黒雲に覆われた呪霊》が浮かんでいた。
毛深い犬のような顔。
鋭い爪を伸ばした腕。
異様に長い赤い舌。
特級仮想怨霊――『赤舌』。
それが低空に浮かびながら、二人を見下ろしていた。
刹那。
何の前触れもなく、濁流が二人を飲み込んで沈めていた。
赤黒い水が、農村を丸ごと破壊する勢いで押し寄せている。
呪力そのものが液状化したような、おぞましい水流。
なすすべもない状況と、押し寄せる死の気配に虎杖は息を呑んだ。
その時。暗闇の中で力強い手のひらが虎杖の腕を掴み――
――黒兎『タリス』が鳴く。
いつの間にか虎杖の真下には黒い影が広がっていた。
「虎杖君!」
虎杖を濁流から引き揚げながら、七海の鋭い声が飛ぶ。
「領域を展開されました! 私から離れないでください!」
七海の足元から黒い影が円形に膨張し、半径数メートルの簡易領域『
再び濁流が二人へと押し寄せる。
しかし、影の領域へ触れた瞬間、濁流の勢いが鈍り、水しぶきが当たる程度に抑えられていた。
必中効果が妨害されている。
領域そのものは残っているものの、“逃れられない”という理不尽さは削ぎ落とされていた。
七海の影が触手を伸ばすように鉈に巻き付くと、彼は一歩踏み込んで濁流の流れを真正面から切り裂く。
するとさながら海を割ったモーセのように、濁流が左右に切り裂かれ、道ができる。
「走ってください!」
「おうっ!」
二人は水の流れの隙間を縫うように駆け出した。
しかし空中の赤舌が、大きく口を開く。
ぬらりと、異様に長い赤い舌が、槍のような速度で伸びた。
「っ!」
虎杖が咄嗟に身を捻る。
赤い舌が頬を掠め、背後の民家を貫通した。
藁葺き屋根が吹き飛び、木材が弾け飛ぶ。
「止まるな!!」
一瞬怯んだ虎杖に叫びながら、七海が鉈で舌を弾く。
だが舌は生き物のようにうねり、再び襲い掛かってくる。
右。左。上。
まるで巨大な蛇のようだった。
二人は肉体を呪力で強化し、どうにかそれを捌き切る。
しかし接近できない。
濁流と伸びる舌による制圧範囲が広すぎる。
赤舌本体は、黒雲の奥で悠々と低空に浮かんでいた。
――七海は呪霊の術式については概ね見当がついていた。
第一に、対象に濁流を浴びせて水中に沈める。
第二に、何らかの条件を満たした相手に、致命的デメリット効果を与える。
そんな所だろう。
デメリット効果発動の条件は水を飲むか、それとも時間制限か、いずれにせよこれ以上水に触れることはリスクだ。
そして本命のデメリット効果は問答無用で溺死させられるか、それともあの舌で運ばれて食われるのか――まず間違いなく命はないだろう。
それらを踏まえて、七海は動きながらも、冷静に周囲を観察する。
民家。水路。高低差。――そして虎杖。
「虎杖君」
「はい!」
「あなた、バレーボールは得意ですか」
「はい!?」
虎杖が目を瞬かせる。だが七海は真顔だった。
「得意かと聞いていますが」
「まぁ、そこそこ……?」
「結構」
七海は近くの民家へ飛び乗る。
「屋根へ!」
虎杖も即座に追った。
藁葺き屋根の上。
濁流が足元を洗い流そうと暴れ狂う。
赤舌がこちらを見下ろし、再び舌を構えた。
七海は躱しながら端的に説明する。
「あなたを足場にして飛びます。私を打ち上げてください」
「……は?」
「あなたの身体能力なら可能でしょう」
次の瞬間。赤い舌が迫る。
虎杖は反射的に躱しつつ、決断する。
「うおおおっ!!わ、かった!やってやる!」
全身へ呪力を込めて、両腕でレシーブの体制をとる。
そこへ七海は即座に跳び、虎杖の腕を足場にする。
虎杖の驚異的な脚力と腕力。呪力強化。
その全てが合わさった。
轟ッ!!
七海の身体が砲弾のように空へ射出される。
――さらに、虎杖の影から無数の
『ナナミン貸し一つだからねー』
羽ウサギから少女の声が響く。
「助かります。食事くらいなら奢ります」
赤舌の
赤舌の対応が明らかに遅れている。
七海は空中で鉈を構えた。
「十劃呪法」
眼鏡の奥の視線が、呪霊を正確に捉える。
術式を用いて、弱点を強制生成。
――斬撃。
虎杖の筋力と羽ウサギの推力によって、加速した七海健斗の鉈による一撃が、黒雲から顔を出していた赤舌の頭部へ直撃した。
黒雲ごと断ち割るような衝撃。
赤舌の巨体に亀裂が走り、徐々に全身に広がる。
次の瞬間。
赤い空が七対三の比率に沿って割れる。
濁流が止まり、農村が霧のように消えていく。
――そして。現実の薄暗い雨模様が戻る。
七海は地面へ着地し、スーツを整える。
虎杖は呆然とその姿を見る。
「……すげぇよ七海先生!」
七海は鉈を下ろす。
「あなたがいたから成立した戦術です」
そう言ってから、少しだけ疲れたように息を吐いた。
すると腰のタリスが「ぷぅ」と心配するように鳴く。
七海は黒兎を一瞥し、軽く指先で頭を撫でたあと、小さく呟く。
「……貸し一つでしたか。実際助かりましたよ。星野さん」
二人は危機を乗り越え、改めて事件の犯人を追い始めた。
――あと、私は教職じゃないので先生はやめてください。
――じゃあナナミン!
――ひっぱたきますよ。
ちなみに大人な七海がお礼の食事にファミレスを選んだのは、あまり格式ばった食事をアイが好まないからです。(ジャンクフード大好き)
以下設定
きまぐれうさぎちゃんシリーズ2号
『タリス』
・夜蛾正道、星野アイの合作。(9割夜蛾)
・背中にキーチェーンがついた小さな黒兎のぬいぐるみ。(腰やバックにつけるとかわいい)
・所有者に危機が迫ると、ぷぅぷぅと鳴いてアイに知らせる。
・アイの気まぐれで生まれ、七海建人に日ごろのお礼として贈られた。
・所有権は所有者の意思では
・甘えん坊で寝てる間に顔に張り付くので、所有者を困らせる。
≪能力1≫
・所有者の影を所有者を中心に半径3メートル程に拡大して、簡易領域にする。
≪能力2≫
・所有者の影とアイの影をリンクさせ、小さな道を作る。通過できるのは脱兎系のみ。
≪補足≫
・うさぎちゃんシリーズの核は『アイの他者への感情』『脱兎の分霊』『莫大な呪力』で構成される。
・タリスはアイの『庇護欲』を司る。
・3体のうさぎちゃんシリーズはどれだけ離れていても互いの魂を観測し、補完する。