君は完璧で究極の式神   作:スギ花粉ナイトメア

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愛と呪霊操術

 

 

 未登録の特級との突発的な戦闘から数時間後。

 窓の外では、雨がまだ静かに降り続いている。

 

 虎杖と七海は、高専が所有するセーフハウスにて状況を整理しつつ、今後の方針を話し合っていた。

 先ほど家入硝子から報告があり、二人が最初に倒した二体の怪物が呪霊ではなく、呪術で体の形を変えられた人間であると発覚した。

 虎杖悠仁はショックを受けつつも気持ちを整理し、応接用のソファに深く腰掛けてぐったりと天井を見上げている。

 

 しばしの静寂の後、虎杖がポツリと呟いた。 

 

「……七海先生。あの領域展開ってやつさ、あんなのどうしたらいいのかな」

 

 向かい側では、七海建人がコーヒーを片手に書類へ目を通していた。

 

「……対応策は術師によります」

 

 淡々とした声。

 七海自身はスーツこそ着替えたものの、表情から虎杖同様に疲労が色濃く見えた。

 

 黒兎のぬいぐるみ――『タリス』は、心配そうに七海の肩に乗り、ペタペタと叩いている。

 虎杖はその姿を見ながら、今日の光景を思い出す。

 

 夕焼けの農村。

 

 押し寄せる濁流。

 

 逃げ場のない死。

 

 今思い返しても、背筋が寒くなる。

 

「なんつーか……理不尽すぎだろ。あれは……」

 

「理不尽ですよ」

 

 七海は即答した。

 

「領域展開とは、術師の『得意』を相手に押し付けるための空間です。領域内では術式効果が必ず当たる。――正確には領域に踏み入った時点で()()()()()()

 

 虎杖は神妙な顔で頷く。

 七海はコーヒーを一口飲んだ。

 

「特に今回のような『当たれば必殺』のタイプは厄介です。対策できなければ、一級術師でも生還は難しいでしょう」

 

 虎杖は自分の掌を見る。

 あの濁流に飲み込まれた瞬間、自分は死を覚悟していた。

 だが、七海の影がそれを防いだ。

 虎杖の視線が黒兎へ向く。

 

「……七海先生、あの影は何だったんだ? 最初の攻撃は気づいたら当たってて、俺は流れに飲み込まれてた。でも先生の影の上では波を避けれてたよな?」

 

 黒兎はぷぅ、と鳴いた。

 どこか誇らしげである。

 七海は眼鏡の位置をくいっと直しながら解説する。

 

「一級以上の術師は、何かしら領域対策を講じていることがあります」

 

 そう前置きしてから、静かに続けた。

 

「もっとも、私は恥ずかしながら結界術が苦手でして」

 

「え、そうなんだ?」

 

「ええ。領域への理解も専門の方には遠く及びません。私は近接戦闘に特化した術師と言えるでしょう」

 

 七海はそこで、腰のタリスへ視線を落とした。

 

「それを心配したのか……知人――あなたもご存じの『彼女』が寄こしてきたのが、このタリスです。この子には所有者の影を操作して簡易領域を展開する能力があります。正直、タリスがいなかったら二人とも死んでいましたね」

 

 虎杖は言葉を失う。あの影は必中の濁流を防ぎ、なおかつ呪霊の領域内での移動を可能とした。

 あれがなければおそらく、あの未登録の特級には近づくことすらできなかった。

 

「ウサギちゃん、マジで何者なんだ……」

 

 虎杖が呟いたその時だった。

 七海のスマートフォンが震える。

 

 画面を見た七海が眉を上げた。

 

「……虎杖君。おそらく業務連絡なのでスピーカーにします」

 

 そして「失礼します」と言って、七海は通話ボタンをタップする。

 

「もしもし」

 

『やっほー、ナナミン生きてる?』

 

 スピーカー越しに、聞き慣れた少女の声が響いた。

 同時に、ゴウッ、という激しい風切り音が音声に混じっている。

 七海が眉を寄せる。

 

「……今どこですか」

 

『移動中。風が強くてさ』

 

 声が妙に楽しそうだった。

 

「……はぁ、生きてます。お陰様で命拾いしました。私も虎杖君もかすり傷ですよ。この埋め合わせはいずれ必ず」

 

『ふふっ、いいよいいよ。相変わらず真面目だなぁ。でも元気そうでよかったよ』

 

 電話越しに、ふっと安堵したような息遣いが聞こえた。

――しかし、その背後では依然として激しい風切り音と、時折雷鳴が響いている。

 

 

『あ、それとね。わたしまだ悠仁くんに名乗ってないからさ。しばらく“ウサギちゃん”って呼んでね』

 

「は?」

 

『正体不明のかわいい先輩キャラでいこうと思うんだよね』

 

「……」

 

 七海は眉間を抑えながら無言でコーヒーを飲んだ。

 

『ま、それはさておき』

 

 アイの声音が少し落ち着き、わずかに空気が変わる。

 

『ナナミンはわたしよりずーーと賢いからさ。たぶんもうわかってると思うけど。今回の件は流石におかしいよね?』

 

 虎杖が表情を引き締めた。

 

『強い呪霊が出て来過ぎだよ。しかも、わたしと悠仁くんたちのとこばっかり。《なにがなんでも死んで欲しい》みたいな感じ』

 

 七海も静かに目を細める。

 

『だから気をつけて。たぶん、まだ終わってないよ』

 

「……ウサギちゃん。黒幕がいるってことですか」

 

 虎杖がたまらず口をはさむ。

 

『お、悠仁くんもいたんだね。そうだなぁ、結構悪趣味なタイプじゃないかなー?』

 

 アイはさらりと言った。

 

『だから応援向かってるよ。あと少しでそっち――』

 

 その瞬間だった。

 

 電話越しに、ゴオッ!! という轟音が響く。

 

『うわっ』

 

「!?」

 

 虎杖が思わず立ち上がる。

 電話越しにバチバチと雷音が鳴り、何か巨大なものが風を裂く音がする。

 そして。

 

『なんかサメいるんだけど』

 

 アイは軽く言う。

 

「は?」

 

『空飛ぶサメ。まぁまぁ強そう』

 

「なんで空にサメがいるんすか!?」

 

『なんでだろうね――』

 

 直後にガギィンッ!! と金属が激突したような轟音がして、通信が大きく乱れる。

 その向こうで、アイの声が聞こえた。

 

『あ、これ落ち――』

 

 ブツッ。

 通話が切れた。

 

 沈黙。

 

 二人は石になったように動かない。

 一拍の後、七海は静かにスマートフォンをポケットにしまった。

 

「……おそらく大丈夫でしょう」

 

「いやいやいや! あれたぶん空から落ちたんじゃないか!? 空にいたのも意味わかんないけど!」

 

「……ウサギさんですから。そういうことも」

 

「理由になってない!!」

 

 虎杖が叫ぶ。

 だが七海の表情は、意外にもそこまで深刻ではなかった。

 

「確かに危険な状況ではあるでしょう」

 

 そう言いながら、七海は淡々と続ける。

 

「ですが、彼女は――少々規格外です」

 

「規格外……」

 

「強力な相伝術式。莫大な呪力。反転術式。そして類まれなる呪術と結界術のセンス」

 

 七海は静かに言う。

 

「私がこれまで見てきた術師の中で、最も五条悟に近い人間です」

 

 虎杖は目を瞬かせた。

 五条悟。現代最強の呪術師。

 その名前と並べて語られる時点で普通じゃない。

 七海の言葉には、冗談の色が一切なかった。

 

 

 遠くの空で、雷鳴が轟いた。

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 

 2018年9月。川崎市郊外、多摩川沿いの緑地にて。

 

 

 雨雲に覆われた空の下で、星野アイは正直、うんざりしていた。

 七海と虎杖の救援のため、式神『鵺』の背に乗って現地に向かっていた所、またしても呪霊の襲撃を受けた。

 

「……特級ってそんなにほいほい出てきていいもの?」

 

 上空から巨大なサメの呪霊がアイを目掛けて突っ込んでくる。

 灰色の皮膚に鋸のような歯。

 空を泳ぐように飛翔している。

 

 サメが勢いよく噛みつくと、アイは真っ二つに噛み千切られて――影のように消えた。

 

――しかし、サメが通り過ぎた後にはどういうわけか、無傷のアイが立っていた。 

 

 何事もなかったように、アイは周囲を見渡す。 

 四本腕の熊のような呪霊。

 一本足で跳ねる唐傘お化けの呪霊。

 そして最後に――。

 

 植物を纏った人型の呪霊。

 

 片腕を樹木のように変質させ、こちらを観察している。

 いずれもアイの見立てでは特級相当の呪霊だった。

 

 「(呪力量とこの立ち位置……、()()()()がリーダーっぽいかな?)」

 

 それにしても、とアイは思う。四体の特級呪霊が連携して誰かを襲う――そんなことは通常では考えられない。

 彼女の経験上、思い浮かぶ例外はたった一つだけ。

 

――これが可能なのは()()()()だけだ。

 

 黒幕はもう、正体を隠すつもりもないようにアイには思えた。

 

 「夏油傑……。きっと悠仁くんとナナミンにわたしを近づけたくないんだよね?」

 

 しかしアイは口角を上げてニヤッと笑う。

 

 「でも残念。わたしは性格が悪い子なので――無駄だよ!」

 

 

――魔虚羅調伏後、アイの十種影法術は変質していた。

 影を操る際にアイが感じていた『重さ』のようなものがなくなったのだ。

 不思議に思ったアイはちょっとした仮説を立てていた。

 

「(多分昔の術師が『魔虚羅を調伏しないと術式の真価を発揮できない』みたいな縛りを結んで、それで魔虚羅を強化したんじゃないかな?)」

 

 実質的に実行不可能な縛りを、あえて結ぶことで魔虚羅の能力を引き上げた。

 今となっては憶測の息を出ない。しかし仮にそうだった場合。

 

――アイは縛りでブーストされた魔虚羅と完全な十種影法術の両方を手に入れたことになる。

 

 

 唐傘お化けの一つ目が赤熱し、呪力が収束する。

 次の瞬間、極太の熱光線が、一直線にアイへ放たれた。

 

 「『満象』」

 

 そう言うと、アイの周囲に大量の水が出現した。

 アイは満象の能力だけを呼び出していた。

 

 まるで滝壺のような巨大な水の壁が熱線の前へ展開される。

 それらは衝突し、水蒸気が爆発的に広がった。

 

 白い蒸気が周囲を覆う。

 その中でアイは静かに指を振って水を集めると、手のひらの中で圧縮する。

 極限まで、極限まで。

 

「ちょっと真似してみたかったんだよね。『百斂(びゃくれん)』からの……名前どうしよう? 

――まぁいいや。えいっ」

 

 アイが圧縮した水の玉を両手で挟む。

 直後、超高速の水刃が空を走り、蒸気ごと唐傘お化けの胴体に線を刻んだ。

 一拍の後、胴体の切断面がずれていき、唐傘お化けは二つに分かれて崩れ落ちた。

 

――アイは呪力操作の天才である。仕組みさえわかれば模倣は容易い。

 今のは加茂家相伝の術式『赤血操術』からヒントを得て試した技術だった。

 

 だが休む暇はない。

 空からサメが突っ込んでくる。

 大口を開け、アイを丸呑みにしようと迫る。

 アイは焦らず、手影絵を結ぶ。表現するのは鳥の翼。

 

「鵺」

 

 巨大な黒い翼が空へ広がり、雷鳴が轟く。

 青白い電撃が空間を貫き、サメの呪霊は瞬く間に黒焦げになって地面へ墜落した。

 

 さらに、熊の呪霊が落雷を避けながらアイに向かって突進する。

 木の根がそれを援護するように、無数に地中から現れ、蛇の群れのように同時にアイへ襲いかかる。

 

「さっき言ったよね。無駄だってば」

 

 アイの影が地面を侵食するように広がり、黒い液体のような影が、熊の足元を飲み込んだ。

 同時に、影から飛び出した黒い触手が木の根を一本残らず影に沈める。

 

「ばいばい」

 

 熊の呪霊が咆哮する中、巨体が、ずぶりと影へ沈む。

 四本腕で地面を掴もうとするが、するりとすり抜けてしまう。

 全身が影に取り込まれたところで、アイは影に圧力をかける。

 

 すると、ごきり、と骨が砕けるような音がした。

 直後、血飛沫のような呪力が地面から噴き出す。

 

――残るは雑草が一本。

 

 呟きながらアイが視線をむけると、樹木の呪霊は木々と同化するようにして地面に潜ろうとしていた。

 

 「……あれ? そっちから仕掛けて来たんでしょ?――魔虚羅」

 

 アイの影から飛び出した白い腕が、手首から伸ばした剣で斬撃を繰り出す。白い軌跡が奔り、目に見えぬ刃が樹木に直撃し、大半を消し飛ばした。

 

 

 雨音が響く中、アイはしばらく地面を見下ろしていたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「逃げ足が速いなぁ」

 

 軽い口調に反して、その瞳は笑っていない。

 アイは呪霊が嫌いだ。

 連日の襲撃に、飄々(ひょうひょう)とした仮面の裏で怒りが募っていた。

 

「どうせまた会うかな。たぶん本命はむこうだよね。――急がなきゃ」

 

 

 アイは影に潜って消えた。

 

 

 

 

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