君は完璧で究極の式神 作:スギ花粉ナイトメア
「僕が人を殺すことで、あの魂が汚れてしまうなら。……僕に人は殺せない」
そう言ってベッドに横たわった少年、吉野順平を尻目に、
ピョコピョコと白いウサギのぬいぐるみが「知ったことか」と勝手に部屋から出て行く。
ウサギは少年のそんなセンチメンタルな内心には関心がなかった。
そのウサギの体は『暖かい男』が作り、そのウサギの魂は『星の女』が作った。
――そしてそのウサギに刻まれた使命は、厄を退け、幸福を運ぶこと。
そして夜が明ける。
同居する母親――吉野凪は清々しく目覚めた。
――――――――――
アイとの電話の後、七海と虎杖は二手に分かれて調査を行うことを決定。
虎杖は事件現場の映画館で目撃された少年、『吉野順平』の調査を担当することになった。
吉野は自身を虐めた者への復讐の為に、呪霊に接触していたが、裏表のない虎杖の人格に触れて親密な仲になる。
――そしてその出会いを通して、自身の家族――吉野凪に向き合った吉野は、復讐を辞めようと決心した。
その際に虎杖は、「自分はもう十分助けてもらったから」と吉野に白兎『ハッピー』を託したのだった。
一方で、事件の実行犯の呪霊を追っていた七海は、潜伏場所を絞り込み、地下水道に赴く。
地下水道は、湿った腐臭に満ちていた。
天井からは濁った水滴が滴り続け、薄暗い通路の奥では、何かが蠢く音が反響している。
七海建人は鉈を構えたまま、静かに呼吸を整えていた。
――その足元には、七海に切り裂かれて息絶えた、人間の成れの果てが崩れ落ちている。
また、目の前には、機嫌よさげな人型の呪霊が立っていた。
継ぎ接ぎだらけの身体に、子供のような無邪気な笑み。
だが、そのまなざしの奥にあるのは、人間への純粋な悪意だった。
それは、人が人を憎み、恐れた腹から生まれた呪霊――真人。
「いやぁ、すごいねぇ。流石は一級術師。俺の改造人間、結構いい出来だと思ったんだけど。これじゃ相手にならないか」
真人は楽しげに続ける。
「でも丁度よかったよ。五条悟や星野アイに来られても困るけど、あんまり弱いと実験にならないからさ」
七海は答えない。得体のしれない
加えて、彼は自分の今回の役割は――
動かない七海に、真人は首を傾ける。
「ねぇ。君さっきから、ずいぶん慎重だね? どうしてかな?」
次の瞬間。真人の腕が伸びた。
粘土のように変形した腕が、鞭のような速度で七海へ襲いかかる。
七海は最小限の動きで回避し、下がるのではなくあえて踏み込む。
「十劃呪法」
術式によって対象を線分し、強制的に生み出された弱点へ鉈が叩き込まれた。
斬撃をもろに食らい、真人の胴体が深く裂ける。
――だが。
「あはっ」
裂けた肉が蠢いた。
そしてまるで粘土細工を捏ね直すように、瞬く間に元へ戻っていく。
七海の目が細まる。
「(効いていない。肉体を破壊している感触はある。当たっていないわけでもない。しかし奴は避ける素振りすら見せなかった。)」
――なにか種がある。
真人はけらけら笑った。
「痛くないんだよねぇ。君の攻撃――おえっ!」
話しながら真人は改造人間を手のひらに吐き出す。
そしてそれらを無数の触手に変化させ、七海を襲わせた。
七海は後退しながら鉈を振るい、次々と切断する。
しかし、数が多い。
さらに、つかず離れず手を伸ばしてくる真人への危険信号が、七海の神経を削っていき、じりじりと後退させられる。
七海が地下水道の壁へ追い込まれた、その時。
――足元の影に波紋が広がった。
そこから、小さな白いウサギが三羽飛び出す。
頭上には、それぞれ法陣が浮かんでいた。
「ん?」
唐突な事態に真人が目を丸くする。
ウサギたちは一直線に真人へ飛びかかった。
しかし。
「かわいーねー」
真人は無造作に腕を振るった。
肉塊のように変形した腕がウサギを掴み、流れるように破裂させる。
一羽。二羽。三羽。
白い毛が宙を舞い、法陣が砕け散った。
意図が読めない攻撃に、真人は首を傾げて七海を見る。
「なんだったの? 今の――」
その瞬間。
――ガコン
地下水道のどこかで、重厚な金属音が響いた。
警戒した真人の動きが、ぴたりと止まる。
「……?」
七海は無言のまま視線だけを足元に下げる。
真人が違和感を覚えた時には自体が進行していた。
七海の影が大きく波打ち、新たに兎が4羽飛び出すと、いずこかにぴょんぴょんと跳ねていく。
そして黒い水面のように広がった影の中から、ゆっくりと小柄な人の輪郭が浮かび上がった。
長い黒髪。白いパーカーにシアンのキャップ。紫がかった黒の瞳。
――特級呪術師・星野アイがそこにいた。
アイは影から現れると、まるで待ち合わせに来たかのような気軽さで片手を上げた。
「
「星野さん。こいつは想定よりも遥かに危険だ。確実にここで祓いましょう」
「うん。もとよりそのつもりだったでしょ?」
――実のところ、七海は虎杖とセーフハウスで別れた直後にアイと合流していた。
しかし、今回の黒幕の周到さと、
そのため、七海は自分の影にアイを潜伏させ、自ら囮となって動くことで、敵対勢力をつり出そうとしたのだ。
アイは真人を見る。
そして、満面の笑顔でにこりと笑った。
「はじめまして!」
そして、その笑顔のまま――片手を蛇の形にして、真人に突き出した。
その刹那、式神『大蛇』が真人の足元から突如現れ、腰から下を食いちぎる。
「……っ、あは――。無駄だよ! こんな攻撃じゃさあー! 俺の魂には響かないよ!」
真人は上半身だけで仰向けに地面に倒れ込みながらも、依然余裕を崩さない。
しかしアイは、そんな真人の上半身を冷たい目で見降ろしながら、続けて言う。
「――さようなら」
その声を聴いた瞬間だった。
真人の背筋を何か冷たいものが這い上がる。
この呪霊は生まれて初めて恐怖を感じていた。
「……あれ?」
いつの間にか。真人の周囲を、四羽の白い兎が囲んでいた。
アイが不器用に指を鳴らす。
すると、四羽の脱兎を起点に、黒い影がドームのように立体的に、真人を囲んだ。
――それはアイの結界術による簡易領域の牢獄だった。
『無為転変』――魂へ直接干渉する真人の術式が、影の結界によって機能停止した。
「あなたの術式、危ないから禁止ね――魔虚羅。終わらせて」
主の命に応えて、白い腕がアイの影から伸びた。
そして人型の式神が這い出して来る。
筋骨隆々の巨体。
神々しくも異形の風貌。
頭上の法陣。
八握剣異戒神将魔虚羅。
すでに真人の術式に
「ん? そういうことか。ナナミン、ちょっと魔虚羅が無茶するかも。一緒に影に隠れてようか」
「何をするつもりでしょう……」
疑問を口にしながらも七海は指示に従い、アイと共に魔虚羅の足元に沈み込んだ。
一拍の後、魔虚羅は再び真人を捕らえた『影の牢獄』に向き直り、口を大きく開く。
――そして爆発的な勢いで白い炎を真人に向かって吐き出した。
噴き出す炎が、牢獄ごと真人の全身を、一瞬で包み込む。
牢獄は中の真人を出さないことに特化しているため、外からの炎は防がない。
爆ぜるような音とともに、地面のタイルの上を灼熱が這う。周囲の空気さえ歪み、熱波で景色が揺らめいた。
「――」
牢獄の中で、真人はもう笑っていない。
服だったものは瞬く間に炭化し、青白い肌が焼け爛れていく。脂が爆ぜる嫌な音とともに肉が泡立ち、指先から黒く崩れ落ちた。自身の魂を操作し、肉体の再生を試みるも、『無為転変』の術式はアイの簡易領域により機能を停止している。
魂の形を弄ぶ呪霊である真人にとって、肉体の損壊は致命傷ではなかった――今までは。
真人は生まれて初めて『痛み』を感じていた。それは全身を焼き尽くす炎による地獄のような苦しみだった。
「なんで……治ら――あああァァ!!痛い!痛い!!あああ!!」
火炎放射は絶え間なく真人の皮を焼き続ける。顔面が炭化して崩れ、覗いた歯列まで赤熱する。片目が溶け落ち、焼けた喉からは笑いとも悲鳴ともつかない声が漏れ続けた。
魔虚羅は人の形をした呪いを、容赦なく焼却し続けた。
真人がこの世界から消滅する。
――その瀬戸際で、地下水道の全域を、おぞましい呪力が覆った。
「――へえ。出てくるんだ。あの呪霊がそんなに大事なのかな」
アイは魔虚羅の影の中で、顎に手を当てて呟く。
「……領域展開――『胎蔵遍野』」
涼やかな男性の声が、あたりに響いた。
魔虚羅「汚物は消毒だー!!」