君は完璧で究極の式神 作:スギ花粉ナイトメア
「……領域展開――『
涼やかな男性の声があたりに響き、世界が一変する。
突如として、
そして世界を押しつぶすような重力が空間を侵食していった。
地下水道を構成するコンクリートは次々と砕け、水道管が破裂する。
真人を捕らえた影の牢獄は瞬く間に削られていき、解体される。
さらに、魔虚羅の身体が見えない力に抑え込まれるように沈みこみ、陥没した地面に膝をついてめり込む。
領域展開発動直前の呪力の
しかし、まだ見ぬ術者の領域の精度は驚異的で、アイの簡易領域もじわじわと剝がされていく。
「っ、すごい結界術だよ……このままじゃ長くはもたないかも」
「私が打開策を探ります。いざとなったらあなただけでも脱出を」
「……するわけないでしょ。ナナミン」
「私は大人であなたは子供。私にはあなたを優先する義務があります。……タリス。いざとなれば頼みます」
七海はアイが時間を稼いでいる間に、魔虚羅の影の縁からわずかに顔を出し、外の様子を窺った。
すると影の牢獄が破られ、額に縫い目のある男――“夏油傑”が、瀕死の真人へ歩み寄っている。
真人はすでに頭部を残して全身が焼け落ちていた。
「げ、夏油、たすけ……!」
「真人。産まれたばかりで気の毒に。このままだと君は祓われてしまう。
――私が守ってあげよう」
夏油傑――その肉体を操る呪詛師『
「……残念だよ」
羂索が小さく笑う。
「せっかくここまで身を隠していたのに、高専側へ私の存在が露見してしまった」
七海の目が細まる。
うずくまる魔虚羅の影を覗き込みながら、羂索は続ける。
「それと君だよ、星野アイ」
その声音から、笑みが消えた。
「君は私の計画にとって――あまりにも邪魔すぎる」
地下水道に呪力による重圧が満ちる。
「見てごらんよ、真人のこの姿を! ああ、どうしてこんな酷いことができるんだ君は! 私の長い年月をかけた悲願が! 不断の努力が! 台無しになりそうだよ!!」
羂索は芝居がかった仕草で怒りを表現する。
「……呪詛師が努力とか言い出すんだ? 知らないよ。そんなあなたの都合なんてさ」
アイは黙っていられず、影の中からつい返事をしてしまった。
羂索はすっと真顔に戻り、肩をすくめる。
「だろうね。ただ私もこう見えて忙しい身なんだ。君みたいな規格外はお呼びじゃない。
――ここでついでに死んでもらおうか」
その瞬間。胎蔵遍野に組み込まれた術式『
影響は魔虚羅の影の内部にすら及び、簡易領域の外縁にいた七海が耐え切れずに膝をついた。
しかし。
「思ったよりおしゃべりで助かったよ。ありがとね。時間稼ぎに付き合ってくれてさ」
魔虚羅の法陣が回る。
――ガコン。
刹那。魔虚羅が動く。
即座に立ち上がると、超重力の中、地面を踏み砕きながら前進した。
羂索の目が見開かれ、表情が消える。
「……『異戒神将魔虚羅』。もう適応したのか」
魔虚羅は羂索の領域に適応し、既に重力の影響をさほど受けていなかった。
白い巨体が一瞬で距離を詰め、退魔の剣が閃いた。
「っ!!」
羂索は咄嗟に身を引くも、間に合わない。
斬撃が右腕を肩口から切断した。
血飛沫が舞う。
羂索は首だけになった真人を小脇に抱えながら後ずさる。しかし思考は冷静だった。
「(なるほど……ここまで不条理なものとはね。千年研鑽を続けてきた技術が、ほんの数分で役立たずになる……か)」
魔虚羅がさらに踏み込む。
羂索は即座に反転術式で腕を治すと、魔虚羅の剣に両手を添えて、超人的技量で軌道を逸らす。
続けて羂索はバックステップで魔虚羅から距離をとり、
「呪霊操術のほうが有効そうだ」
羂索の指先の空間が渦巻く。
すると次の瞬間、巨大な“鳥居”の形をした呪霊が現れた。
その黒い鳥居には無数の眼があり、ギョロギョロと周囲を見ている。
また、鳥居の内部は闇で満たされている。
羂索は真人の髪を掴み、その門の闇へ放り投げた。
「待っ――」
七海が前へ出ようとするが、羂索は無数の呪霊を召喚し、進路を塞ぐ。
魔虚羅が剣の一振りでまとめて複数体を消し飛ばし、アイが影を伸ばして一気に沈める。
――しかし間に合わない。
「また会おう。呪術師」
その言葉だけを残し。
羂索は門をくぐった。
門はそのまま歪み、溶けるように消滅する。
地下水道へ静寂が戻った。
「――」
七海は無言で鉈を下ろす。
アイは目を見開いて集中し、羂索の残穢を凝視するも、痕跡を追うことができなかった。
「……逃げられちゃったね。まぁ、勝てたかわかんないけどさ」
むこうはまだまだ手の内をみせていない。
そう感じたアイは表情から悔しさを
「奴はあの呪霊の救出に重点を置いていたようでした。正面からやりあうつもりは実際の所なかったのでしょう。……しかし、不甲斐ない。私は今回、完全に力不足でした。」
七海は眼鏡を押し上げながら言う。
それを聞いたアイは、否定するように結構強めに七海の背中を叩いた。
――しかし、七海は微動だにしない。
「(鍛えすぎだよナナミン。びくともしない……)」
地下水道の壁面には、領域展開の余波による亀裂がいくつも走っている。
重力に押し潰されたコンクリートが、ぱらぱらと崩れ落ちた。
「でも、収穫はあったね」
アイは乱れた黒髪を整えながら言う。
「夏油傑が生きてて、呪霊側について動いてる。これがわかっただけでも対策は打てるんじゃない?」
「……ええ。その通りです」
肯定しながらも、七海の声音は依然重い。
夏油傑。
五条悟の親友にして、百鬼夜行を引き起こした最悪の呪詛師。
すでに死亡したとされていた男だ。
その彼が、再び暗躍を始めた。
「高専側にとっては最悪の事態ですが、これまで断片的だった情報が一本の線で繋がりました。あなたへの連続襲撃も、虎杖君たちの件も」
「本命はたぶん悠仁くんだよね。わたしは邪魔だったって本人も言ってたしね」
「……あなたほど敵に回して
アイは頬を膨らませて七海の背中をポカポカ叩く。――七海は微動だにしない。
地下水道に、わずかに和らいだ空気が流れる。
もっとも、互いに疲労は隠せなかった。
七海のスーツは裂け、アイのパーカーも泥と煤で汚れている。
七海は小さく息を吐くと、鉈を腰へ戻した。
「……お礼を」
「んー?」
アイは不思議そうに首を傾げる。
「今回は助けられました。言ったでしょう? 食事くらいは奢りますよ」
アイの目がパッと輝く。
「ほんとに? なんでもいいの?」
「ええ。常識の範囲内でお願いします」
「じゃあファミレス!」
アイはすぐに答えた。
七海が目を瞬かせる。
「……随分と庶民的ですね」
「ファミレス好きなんだよねー。あの“頑張れば高校生でも来れる感じ”が好き。あんまり堅苦しいのは苦手だしね」
「その方がくつろげるということでしたら、私は構いませんよ」
七海はそう言いながらも財布を取り出し、中身を確認する。
「好きなだけ頼んでください」
七海が珍しく柔らかい表情を見せると、アイは手を叩いて喜んだ。
そうして二人は、死闘の直後とは思えないふわっとした空気のまま、地下水道を後にした。
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「やれやれ酷い目にあった。異戒神将の適応まで、まさか簡易領域なんかで
とある山中の廃れた神社にて。
階段に袈裟の男――羂索が腰かけていた。
その掌には、焼けただれ、頭だけとなった真人が乗っている。
「――げとおお! 俺は!――まだやれるよぉっ!」
「私も不本意なんだ。真人」
羂索が静かに言う。
「君には伸び代があった。もっと君と友情を育み、成長を見守りたかった」
続けて言う。
「でも状況がそれを許さないようだ。君を自由にさせておけば、遠からず
羂索が手を掲げると、黒い渦が出現した。
強制的な吸引力が真人を包み込む。
「……はぁっ?」
真人の表情が凍りついた。
「ま、……待ってくれよぉぉ!!」
「君の力は私が引継ぎ、世界を新たなステージに導く」
羂索は淡々と告げる。
「――さよなら。真人」
次の瞬間。特級呪霊・真人の身体は、青い球体へと圧縮され――
――羂索の掌へ収まった。