君は完璧で究極の式神 作:スギ花粉ナイトメア
突然変異呪骸『ディープ』
このピンクのウサギのぬいぐるみは始め、他の二体のような特殊能力を持っていないと思われていた。
1号『ハッピー』のように式神の通り道となるゲートを開くことはできず、
2号『タリス』のように簡易領域を展開することもできなかった。
穏やかな性格であまり自己主張もしなかった。
他の二体のように鳴き声はあげず、いつもぼーっとしている。
一応本人(?)なりの日々のルーティーンがあるようで、決まった時間に窓の外を見たり、仰向けに寝転がって天井を見たりしていた。
能力がないことは夜蛾も、アイも、気にしていなかった。
別に道具として生み出したわけではないし、ディープが毎朝よたよたと窓枠に登って、外を見るのをかわいらしく思っていた。
それだけで構わなかった。
状況が変わったのは今年の3月ごろ。まだまだ冷え込む朝だった。
夜蛾は猫を飼っていた。名前はひろし。
その猫は生まれつき左右の後ろ脚がなかった。
親戚の家で生まれたこの猫を、夜蛾は引き取ったのだ。
どんな感情の動きがあってそういう行動をとったのか、夜蛾自身にもうまく説明ができない。
ただそうせずにはいられなかったというだけのことだ。
夜蛾が歩行を補助する車輪のついた歩行器を作ってやると、その猫は嬉しそうに家じゅうを動き回っていた。
事件が起きたのはそんな時だ。
夜蛾が通勤前に自慢のアゴヒゲを整え、玄関に向かうと、ディープと白猫のひろしが向かい合っていた。
小動物の井戸端会議のようで夜蛾は微笑ましく眺めていたのだが、ひろしが「にゃ!」と一言鳴くと、影に沈むようにして消えてしまった。
――間違いなくディープの仕業だった。
慌てた夜蛾は自身の傀儡操術を用いてディープを制御し、ひろしを影から救出しようとした。
しかし、ディープは夜蛾の操作を一切受け付けない。
それどころかディープはじわじわと夜蛾の呪力を吸い取り始めたのだ。
夜蛾は愕然とする。能力は不明で、制御もできない。
自身の娘も同然の少女の精神を核とした呪骸が、他者を害するなど、夜蛾は信じたくなかった。
急ぎアイに連絡を取って呼び出すと、ウサギちゃんシリーズの大元となった式神『脱兎』を顕現させた。
そして『脱兎』を中継器として、自身の傀儡操術によるディープとの交信を試みた。
すると、小さく幼い意志のようなものが、夜蛾の頭に流れ込む。
うう? はしりたいの?
――じゃあ、とりかえす? あなたの……
ディープの意思が意味するところを、夜蛾は理解できなかった。
だが、どうにも悪意は感じられない。
もしかしたら何か理由があり、ひろしはまだ生きているのかもしれない。
しかし、他者を影に拘束し、周囲から呪力を奪う。
それではまるで、呪いの人形だ。
とても看過できない。
夜蛾とアイはこれ以上被害者を出さないため、ディープの封印を決断した。
呪符で覆い、常に夜蛾の管理下に置いた。
アイは責任を感じ、ディープの管理を申し出たが、これは夜蛾が譲らなかった。
夜蛾はディープの能力を日々研究し、ひろし救出の突破口を探す。
――そして半年がたったある日。
学長室で夜蛾が書類を片付けていると、ずっとおとなしくしていたディープが突如として動き出した。
ディープは机からぴょんと飛び降りると部屋の隅の暗がりで震えだした。
警戒した夜蛾は即座に部屋に結界を張り、すぐに対処できるように待機させていた護衛の呪骸2体と共にディープを囲んだ。
そして次の瞬間。
――部屋の隅から白猫のひろしが元気に飛び出した。
ひろしは
夜蛾は訳が分からず、放心した。
―――――――――――――――――――
学長室の窓際では白猫のひろしが、棚の上へ飛び乗っている。
「で? 結局学長は私に何をさせたいんだ?」
真希が腕を組みながら怪訝そうに尋ねる。
夜蛾は椅子に腰掛け、静かに頷く。
「……無論、説明する。少し長くなるが付き合ってくれ」
そして彼は、机の上に座らされているピンク色のウサギ――『ディープ』へ視線を向けた。
呪符でぐるぐる巻きにされた小さな呪骸は、気まずそうに縮こまっている。
アイはそんなディープを撫でながら、「大丈夫だよー」と宥めていた。
夜蛾は低い声で語り始める。
「……そこの白猫――ひろしの瞳の色は元々、青と緑のオッドアイだったんだ」
窓際で尻尾を揺らしていたひろしが呼ばれたと思ったのか「にゃあっ」と鳴く。
「そして生まれつき、後ろ脚がなかった」
真希は黙って聞いている。
夜蛾は続けた。
「だが半年前のことだ。そこのウサギの呪骸『ディープ』が影の中にひろしを閉じ込めてしまった」
ひろしが棚から飛び降りる。
しなやかに着地した猫の両目は、透き通るような青だった。
「私とアイは手を尽くし、ひろしの救出を試みたがどうすることもできなかった。」
学長室に沈黙が落ちた。
夜蛾はゆっくりと言葉を選ぶ。
「それが今朝になって、ディープはひろしを開放した。喜ばしいことだが、同時にある
ひろしは学長室をペタペタと歩いている――
「私はこう推測している」
彼はひろしを見る。
「ひろしは“後ろ脚二本”を差し出すことで、“何か特別な眼”を得ていたのではないか、と」
「……は?」
真希の眉が寄る。
アイも予想だにしていなかったのか、ディープを膝に乗せながら目を瞬かせた。
「つまり私と同じ天与呪縛ってことか……?」
夜蛾は頷いた。
「ディープの能力は、おそらく
空気が張り詰める。
「四肢の欠損や呪力の消失。先天的縛りと引き換えに超常の力を得る天与呪縛。
ディープはその縛りを破壊し、得たものを天に返すことで、失った物を取り返す
――そんな力があるのではと、私は推測している」
真希の目が細まった。
「……つまり」
「お前の天与呪縛にも干渉できるかもしれん」
夜蛾は真正面からそう告げた。
真希はしばらく黙る。
――そして鼻で笑った。
「別に今の体に不満はねーよ。気を使わせて悪かったな」
その声に迷いはなかった。
この肉体こそ、自分の研鑽の証だ。
呪力を持たぬ代わりに得た強靭な身体。
禪院家に否定され続けた自分が掴んだ力。
だが。
ふと脳裏に妹の顔がよぎる。
――禪院真依。
自分が家を出たせいで、置き去りにした双子の妹。
「……ただまぁ、試すだけなら付き合うぜ」
真希は頭を掻きながら言う。
アイがぱっと顔を上げる。
「……真希ちゃん」
「勘違いすんな。興味本位だ」
夜蛾は真剣な顔で頭を下げた。
「危険性は未知数だ。少しでも異変があれば即座に中断する」
「了解」
真希は椅子から立ち上がった。
その時だった。
アイの膝の上のディープが「やだぁ……」と言いたげにぷるぷる震え始める。
「……嫌がってる?」
アイが抱き上げると、ディープは体をもぞもぞとよじった。
夜蛾は静かに言う。
「ふむ、能力行使を好まないのかもしれん」
真希はアイの前でしゃがみ込み、ディープと目線を合わせた。
「おい」
ディープがびくっとする。
「別に失敗しても怒らねぇからさ。ちょっとだけ頼めるか」
真希はぶっきらぼうに言った。
数秒、ディープはじっと真希を見つめる。
そして――ぴょんと、小さな体が真希の靴の上へ飛び乗った。
「……っ」
変化は一目瞭然だった。
真希の全身から、凄まじい呪力が噴き出し、空気が震える。
学長室の窓ガラスがびりびり揺れ、棚の呪具が共鳴するように唸った。
「――」
アイが目を見開く。
真希自身も、経験のない感覚に戸惑っていた。
身体の奥から呪力が溢れている。
だが同時に。
「が……っ」
身体が鉛のように重い。
視界がぐらつき、呼吸が乱れる。
筋肉の動きが鈍い。
まるで全身に超重量の鎖を巻き付けられたようだった。
「っ、おい……これ……!」
立っていられない。
真希は膝をつき、そのまま前へ倒れ伏した。
「真希ちゃん!」
アイが駆け寄り、真希の肩を支える。
ディープはびくっと震えた。
そして慌てたように真希の靴から飛び降りる。
その瞬間。
真希を覆っていた莫大な呪力が霧散した。
「っ……はぁ……!」
真希は床に手をつき、荒く息を吐く。
汗が額から落ちた。
ディープは部屋の隅へ逃げるように移動すると、小さく縮こまり、悲しそうにぷるぷる震えていた。
夜蛾の顔が険しく歪む。
「……すまない。……ディープにも辛い思いをさせてしまった」
いつも以上に低い声だった。
「私の見通しが甘かった」
真希は息を整えながら顔を上げる。
「気にすんな……」
そして苦笑した。
「なるほどな。これが“普通の呪術師”かよ」
鈍重で、脆弱で、息苦しい。
真希は自身が天から与えられていた力を改めて理解する。
「――」
夜蛾は沈黙したまま、震えるディープを見る。
彼はディープの能力の本質を理解しつつあった。
ディープは世界が強制的に成立させている代償構造を破壊する。
ひろしのように身体的欠損を伴う場合は影に隔離し、周囲から呪力を奪いながら体を再構築する。
また、一時的であれば触れるだけで天与をリセットし、本来の形に戻すことができる。
強大な力だが、扱いには注意が必要だ。
「(だがこの子には何の罪もない。窮屈な思いをさせてしまった……)」
夜蛾は謝罪の思いを伝えるように、指先でディープを撫でた。
ディープは不思議そうに夜蛾を見つめながら、されるがままになっている。
そんな時だった。
ピリリリリ――。
真希のスマホが鳴った。真希は画面を一瞥すると、即座に通話アイコンをタップする。
「……どうした? わざわざ通話で」
『真希!! あんた生きてるのね!?』
鬼気迫るその大声は、近くにいた夜蛾とアイにもはっきりと聞こえた。
「どういう意味だよ? 別に死にかけちゃいねーぜ?」
真希は困惑して答える。
『……突然呪力が流れ込んできて……私はてっきりお姉ちゃんがっ! あんたが!!』
電話の相手――禪院真依は涙ぐんだ声で怒鳴った。
真希が珍しくおろおろしながら事の経緯を説明すると、真依は『落ちこぼれがバカなことしてんじゃないわよ! しね!』
そう言って通話を切った。
呆然と立ち尽くす真希をアイは「愛されてるねー」とからかう。
そんな光景を横目に、夜蛾は今後のディープの処遇について考えていた。
「(やはりふさわしい人間が現れるまでは、アイと共にいるのが最善だろう。あの子ならディープに多少呪力を吸われたところで誤差の範疇だ)」
夜蛾は春先から続いた心労の種が一つ解決し、ホッとため息をつく。その視線の先では白猫のひろしが元気に跳ね回っていた。
―――――――――――――――――――――――
「まぁともあれ、お姉さんが無事で良かったですね。真衣さん」
「無事も無事! 憎たらしいくらいピンピンしてたわよ! あの落ちこぼれ脳筋ゴリラ!」
呪術高専京都校2年生教室では、長い前髪で片目を隠した少年――吉野順平が、苦笑いしながら「まぁまぁ」と禪院真依の機嫌をとっていた。
「……しかし、とんでもない能力ダ。天与呪縛を無効化するなど、聞いたこともなイ」
窓際で腕を組んで立っていた人型ロボット――究極メカ丸は驚愕したように呟く。
「そうね、やっぱりあなたは気になるわよね。メカ丸……」
真衣は気遣わしげにメカ丸に目線を向ける。
「……ずっと……。求めていたものダ。気にならないと言えば嘘になるナ」
メカ丸は続ける。
「交流戦が近イ。焦らずとも機会はあル。まずはそちらに全力を尽くすだけダ。
……星野……アイ。おまえは一体……」
それだけ言って、メカ丸は動かなくなった。
心配した三輪が放課後に声をかけるまで、誰とも口をきかなかった。