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斜面の村のある方向は、切り立った崖になっており、落差はあまりないがその下で桑の栽培がされていた。『李転』は、畑まで奏文を案内し、早速作業に取り掛かることにした。畑ではすでに李転の二人の息子がおり、奏文たちは彼等と合流する形になった。
「ここでやることは単純明快さ」、と李転が言う。「木に成っている桑の実と葉を収穫するだけだ」
奏文は了解した。地面に籠が幾つかあって、その中に収穫物を詰めるようだった。彼は籠のひとつを持って、収穫がまだの木まで行き、手でどんどん葉をむしり、実を摘み取っていった。
勿論、収穫は一本の木だけでは済まないし、籠はすぐに一杯になって中身を大きい荷車に上げないといけないし、葉と実は分別しなければならないしで、集中力のいる作業であり、だが、易しい単純作業ではあったので、奏文はその内順応し、作業しながら、他のことに意識を向けられるようになった。
さっき遭遇した、村に常駐する兵士との話が奏文の記憶に鮮明に残っていた。彼は軽侮され、嘲笑され、彼の中の尊厳は浅からぬ傷を負わされた。だが、奏文にはどこかそのひどい処遇に納得してしまう部分があったし、劣等感があった。王朝の将来を巡って父と意見が食い違い、決して互いに不和になったわけではないけれど、奏文はみずからの意見と望みを重んじて、家を出てきた。あれから一年ほどが経ち、その間何度か一人で旅する不安に襲われて懐郷の念に苦しんだことがあったが、父に言われたように、帰郷することは強いて断念した。
旅を始めてから、王朝の退廃が進行していると風聞で流れて来、奏文はおのれの推定が妥当だったのだと知って安堵するようだったが、喜びなど一切なかった。あるのは今後世の中がどうなっていくのかという謎と不安感だけだった。
――満杯になった籠を荷車まで持っていく時、たまたま李転の長男――十六歳だそうだ――が話しかけて来、腹が空いたら桑の実をつまみ食いすればよいと助言してきた。奏文は言われた通り、こっそり房状の黒いツヤツヤした実を口に入れてみたが、さっぱりした酸味と甘みがあっておいしく、一抹の清涼感が得られるようだった。
「集中してますね」、と長男に言われたが、奏文は雑念に塗れているのだという自覚でおり、苦笑がこぼれた。
「要らぬことばかり頭に上ってきて……集中しているとはあまりいいがたい」
「けど、体が動いているのだから、結構なことですよ」
「そのくらいの器用さは持ち合わせているつもりだ。それだけで、乱世を生きていけるものではないがな……」
後のセリフは呟くように言ったせいで、長男には明瞭に伝わらず、けれど彼は特に固執せず、また畑に戻っていき、奏文も空っぽにした籠を持って同じように引き返した。
桑畑での農作業はたっぷり日暮れまで続き、ほとんど立ちっぱなしだった奏文は、確かにサボらずに作業をやり通したが、慣れない立ち仕事で、足が棒になってしまった。
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