守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
山あいの温泉旅館。
ロビーには木の香りが漂い、障子越しの光がやわらかく差し込んでいる。
本来なら、
日頃の疲れを癒やすには申し分ない場所のはずだった。
だが。
「……え?」
キラ・ヤマトは、
受付で女将の言葉を聞いた瞬間、嫌な予感どころか確信に変わった。
女将は深々と頭を下げている。
「誠に申し訳ございません……。
本来は二部屋ご用意しておりましたが、手違いがございまして、本日は特別大広間のお部屋ひとつのみとなってしまいまして……」
沈黙。
七人分の沈黙は、わりと重い。
キラの横で、弥子が最初に口を開いた。
「えっ、七人で一部屋!?
うそ、修学旅行じゃん!」
「面白がるな!!」
キラが即座に突っ込む。
「絶対大変だよ!?」
ネウロが口元を吊り上げた。
「ククク……逃げ場のない箱庭か。
よいではないか」
「よくないよ! おまえがそう言う時はだいたいろくでもないんだよ!」
カイエンは片手で額を押さえた。
「ぼかぁ厄介事は苦手なんだが……
宿を探し直すのも面倒だな」
アウクソーが静かに一礼する。
「マスターがそれでよろしければ、私は構いません」
その隣でラクスは、
驚きも焦りも見せず、ただ穏やかに言った。
「そうなのですね。
では、そのようにいたしましょうか」
キラが振り向く。
「ラクス、もっとこう……
“それは大変ですわね”とかないの?」
「大変ではございますけれど」
ラクスはにこやかだ。
「決まってしまっていることに、あまり騒いでも仕方ございませんでしょう?」
正論だった。
だがキラにはきつい。
承太郎は帽子のつばを指で押し上げ、短く言う。
「好きにしろ」
「うわあもう!」
キラは頭を抱えた。
「なんでみんなそんなに受け入れ早いの!?」
女将は恐縮しきっている。
「まことに申し訳ございません。
その代わり、お部屋は当館で最も広い特別室をご用意いたしましたので……」
弥子の目が光る。
「広いの!?」
キラが横を見る。
「そこ食いつくところ!?」
「だって広いならちょっと楽しそうじゃない!」
弥子。
「お茶菓子とかいっぱいあるかもしれないし!」
ネウロが愉快そうに笑う。
「騒音娘、貴様は実に安いな」
「うるさいわね!
ていうか誰のせいでこんなカオスな旅になると思ってんのよ!」
「半分は貴様自身の食欲だろう」
ネウロ。
「否定しきれないのが悔しい!」
キラが深々と息をつく。
「……もういいです。
とりあえず、お部屋見てから考えましょう」
女将はほっとした顔で、もう一度頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
特別大広間
案内された部屋は、確かに広かった。
襖が開く。
まず、広い。
とにかく広い。
大きな和室に、次の間。
床の間あり。
大きな窓あり。
眺めもよい。
部屋の端には小さな内湯まで付いている。
一同、少しだけ止まる。
弥子がぽかんとした。
「……うわ」
キラも正直、少しだけ思った。
広い。
広いけど。
「広いけどそういう問題じゃないんだよなあ……」
カイエンは窓際へ歩き、外を見た。
「景色は悪くない」
ラクスもゆっくり室内を見渡す。
「ええ、落ち着いたお部屋ですわね」
アウクソーはすでに、
荷物を置く位置や動線を見ているようだった。
承太郎は一番奥の壁際に視線をやる。
もう場所を決めている目だ。
ネウロは部屋の中央に立ち、
実に楽しそうに笑った。
「ククク……
よい。実によい。
密閉、近接、逃避不能。
人間関係の軋みが最もよく聞こえる条件だ」
「おまえは黙ってろ!!」
キラと弥子が綺麗にハモった。
一瞬、静かになる。
弥子がキラを見る。
「……あ」
キラも弥子を見る。
「……ちょっと今、息合ったね」
「うん」
弥子は真顔でうなずいた。
「やっぱりあたしたち、苦労人枠だわ」
「同意しかないよ……」
ネウロがにたりとする。
「ふむ。貴様ら、ようやく己の立場を理解したか」
「理解してるから疲れるのよ!」
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荷物の置き場問題
落ち着く間もなく、次の問題が発生した。
荷物をどこへ置くか。
広い部屋とはいえ、七人分だ。
雑に置けばすぐ邪魔になる。
キラがとりあえず仕切る。
「ええと、まず荷物は壁際に寄せよう。
通るところは空けて、窓の前も塞がないようにして……」
「おまえ、もう完全に幹事だな」
弥子。
「好きでやってるわけじゃないよ!」
ラクスがやわらかく言う。
「キラ、ありがとうございます。
では、こちら側へまとめましょうか」
その一言で、女子側の荷物が自然にまとまり始める。
ラクス、上手い。
アウクソーも静かに応じる。
「私はこちらへ置きます。
マスターのお荷物は、出入りの邪魔にならぬよう奥へ」
カイエンは気だるげに荷物を置きながら言う。
「助かるよ、アウクソー」
弥子が小声でキラに言う。
「見た? あの阿吽の呼吸」
「見た……」
キラも小声で返す。
「いいなあ、ああいうの」
ラクスがにこやかにこちらを見る。
「キラ?
何かおっしゃいましたか?」
「いえ何も!」
キラ、即答。
承太郎は無言で、自分の荷物を壁際の一番邪魔にならない位置へ置いた。
一発で正解を引いている。
ネウロは荷物を部屋の中央寄りへ置こうとした。
「そこ邪魔!!」
弥子。
「動線を塞ぐな!!」
キラ。
「ククク……
実に息が合ってきたな」
「嬉しくない!」
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座る位置問題
荷物が片付くと、
今度は誰がどこに座るかで空気が微妙になる。
自然発生的に、
部屋の中央に座卓を囲むような形になったが――
キラは、気づくと真ん中寄りにいた。
「……あれ?」
右にラクス。
左に弥子。
正面やや斜めにネウロ。
少し離れてカイエンとアウクソー。
そして壁際に承太郎。
「なんで僕がこんな中央司令室みたいな位置なの」
弥子が即答する。
「だってあんた真ん中じゃないと止められないでしょ」
「止める前提なの!?」
ネウロが頷く。
「正論だな」
「正論扱いするな!」
ラクスも穏やかに微笑む。
「キラのお近くのほうが安心ですもの」
キラが一瞬固まる。
「……その言い方、断れないやつだよね」
「いけませんか?」
ラクス。
「い、いけなくは……ないけど……」
弥子が小声でぼそっと言う。
「うわ、強い」
キラも小声で返す。
「静かな圧がすごい……」
アウクソーはカイエンの少し後ろ寄りに、自然に座っている。
出しゃばらず、しかし遠くもない。
完璧な距離感だ。
カイエンはその位置を一瞥し、何も言わない。
何も言わないということは、自然すぎて気にしていないのだ。
承太郎だけが、一人だけ壁際でぶれない。
弥子がちらっと見る。
「承太郎さん、そこ落ち着くんですか?」
「問題ねぇ」
承太郎。
「即答だ……」
ネウロが愉快そうに言う。
「この不良だけ、最初から独房の囚人みたいな位置取りだな」
「言い方!!」
キラ。
承太郎はぴくりとも動かない。
「好きで端にいるんだ。放っとけ」
「ほんとに通常運転なんだなぁ……」
キラ。
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お茶菓子戦争未遂
そのとき、
部屋係の仲居さんがお茶と茶菓子を持ってきた。
「皆さま、どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」
綺麗に並べられる湯呑み。
上品な温泉まんじゅう。
干菓子まである。
弥子の目が輝く。
「きた!!」
ネウロも見る。
「ほう」
キラが即座に言った。
「待って。
数を確認してからね」
「なんで!?」
弥子。
「なんでじゃないよ!
弥子とネウロがいる時点で確認は必須なんだよ!」
実際、数は七人分ぴったりだった。
キラがほっとする。
「よかった……」
だが安心したのも束の間、
ネウロが一つをつまみ上げながら言う。
「ククク……
数が七つあるなら、先に二つ取っても直ちに不足は顕在化せぬな」
弥子が即反応する。
「あっずるい!!」
「やっぱり!!」
キラ。
「だから言ったじゃないか!!」
弥子も手を伸ばす。
「ネウロばっかりずるい!
あたしだって旅館のお菓子は譲らないんだから!」
「貴様は朝食バイキングでも同じことを言うだろう」
ネウロ。
「言うけど今は関係ないでしょ!」
キラが両手で制止する。
「待って待って待って!
一人一個! まず一個ずつだから!」
「面倒だな」
ネウロ。
「面倒にしてるのはおまえらだよ!」
ラクスが湯呑みを持ちながら、くすりと笑った。
「にぎやかですわね」
「にぎやかで済ませていいラインかなあ、これ……」
キラ。
カイエンはお茶を一口飲み、肩の力を抜いた。
「まあ、まだ平和なほうだろう」
弥子が振り向く。
「どこがですか!」
「死人が出てない」
カイエン。
「基準が怖いんですよ!」
承太郎がまんじゅうを一つ取り、静かに食べ始める。
早い者勝ちの争いに参加する気配はない。
弥子がそれを見て呟く。
「この人だけ妙に落ち着いてる……」
ネウロが言う。
「違うな。興味の向きが違うだけだ」
承太郎は低く返す。
「くだらねぇことで騒ぐな」
「くだらなくないよ!
旅館のお茶菓子は大事なんだよ!」
弥子。
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風呂の順番問題
お茶菓子騒動が一段落すると、
今度は風呂の話になる。
部屋には内湯がある。
そしてもちろん大浴場もある。
キラが嫌な予感を抑えつつ言った。
「ええと……
先に言っておくけど、部屋のお風呂と大浴場、どう分けるか考えたほうがいいよね」
弥子がすぐ食いつく。
「えっ、部屋のお風呂もあるの!?
大浴場も行きたいし、こっちも入りたい!」
「予想通りだ……」
キラ。
ラクスは穏やかだ。
「大浴場は後でもよろしいかもしれませんわね。
まずは少し落ち着いてからでも」
アウクソーも静かに言う。
「私は皆さまに合わせます」
カイエンは面倒そうに天井を見た。
「大浴場は混んでるなら後でいい。
部屋の湯でも十分だろう」
弥子が目を丸くする。
「えー、せっかく旅館来たのに!」
ネウロがにやりとした。
「ククク……
大浴場は人間観察に向いているがな」
「その目的で行くな!!」
キラ。
承太郎は短く言う。
「どっちでもいい」
「この人本当にぶれないな……」
弥子。
キラは両手で顔を覆った。
「もうだめだ……
まだ部屋に入ったばっかりなのに、問題が多すぎる……」
そのとき。
ラクスが、やわらかく言った。
「キラ」
「え?」
「少しお茶を召し上がって、落ち着かれたらいかがですか?」
その声音だけで、
ほんの少し呼吸が整う。
「……うん、そうする」
弥子がひそひそ声で言う。
「すごい。あれで落ち着くんだ」
ネウロが鼻で笑う。
「言葉選びが上手いのだろう。
貴様は“うるさい”が先に来るからな」
「そっちは“性格悪い”が先に来るでしょ!!」
女将からの再来訪
そこへ、再び部屋の外から声がした。
「失礼いたします」
女将だった。
全員の視線が向く。
女将は申し訳なさそうに、だが少し安心した顔で言う。
「皆さま、お部屋のご利用にご不便はございませんでしょうか」
キラが立ち上がる。
「いえ、大丈夫です……たぶん」
「たぶん」
と弥子が小声で繰り返す。
女将はさらに続けた。
「お詫びといたしまして、本日のお夕食はお部屋出しに変更させていただきました」
一同、止まる。
キラの顔色が変わる。
弥子の目が輝く。
ネウロの笑みが深まる。
カイエンは面倒そうに眉を上げる。
ラクスは上品に微笑む。
アウクソーは静かに控える。
承太郎は無言。
キラだけが悟った。
終わった。
「部屋で……七人で……会席……?」
女将はうなずく。
「はい。どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ」
そう言って、女将は去っていった。
襖が閉まる。
沈黙。
そしてネウロが、楽しげに囁いた。
「ククク……
よい。実によい。
もはや誰も逃げられぬ」
弥子が拳を握る。
「部屋でごはん!!
最高じゃん!!」
カイエンが深く息をつく。
「ぼかぁ厄介事は苦手なんだが……
静かに食えればそれでいい」
ラクスは微笑んだままキラを見る。
「賑やかになりそうですわね」
アウクソーは静かに言う。
「お手伝いが必要でしたら申しつけくださいませ」
承太郎は一言。
「やれやれだぜ」
そしてキラは、
座卓の真ん中で静かに天を仰いだ。
「……まだ始まったばっかりなんだよね、これ」
誰も否定しなかった。