守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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三日目の朝食を終えた一行は、それぞれの部屋へ戻り、帰り支度を始めていた。

窓の外には、朝の港町。

昨日まで何度も見た海。
灯台。
防波堤。
商店街の屋根。
そして、遠くで揺れる漁船。

潮騒は静かだった。

誰かを呼ぶ声ではない。
誰かを閉じ込める音でもない。

ただ、旅の終わりを見送るような波音だった。

女子部屋では、弥子が荷物を広げていた。

「貝殻マグネット、よし! 絵葉書、よし! 地元プリン……」

泉が横から言う。

「プリンは昨日食べたよね」

弥子は少しだけ遠い目をした。

「美味しかった……」

ラクスが微笑む。

「よい思い出ですわね」

アウクソーは淡々と荷物を確認している。

「弥子様、食べ物のお土産は残っておりますか」

「……ほぼ、ありません」

「承知いたしました」

泉が苦笑する。

「承知されちゃった」

弥子は胸を張った。

「でも、思い出は残ってます!」

ラクスは柔らかく頷いた。

「ええ。それが一番ですわ」

一方、男子部屋では、露伴が荷物の中に慎重に何かを包んでいた。

泉が部屋の前を通りかかって、思わず立ち止まる。

「先生、それ……」

露伴は振り返らない。

「海幽霊の覗き浮き玉だ」

「本当に持って帰るんですね」

「当然だ」

「帰ってから夜中に目が合っても知りませんよ」

「目が合うから買ったんだ」

「根本的におかしいです!」

カイエンはその横で、釣りの荷物を整理していた。

彼の表情は、昨日より明らかに晴れている。

ソープがそれを見て笑った。

「嬉しそうだね」

「普通だ」

「普通より少し口角が上がってる」

「見るな」

アウクソーが廊下から静かに現れた。

「マスター」

カイエンは荷物を持ったまま固まる。

「……何だい」

「早朝の予定外外出については、帰路中に改めて確認いたします」

「まだ終わってないのかい」

「終わっておりません」

ソープが小さく笑う。

カイエンは肩をすくめた。

「釣果はあっただろう」

「釣果は評価いたします。予定外外出とは別件です」

「厳しいな」

「必要なことです」

その時、廊下の向こうから女将の声がした。

「皆さま、先ほどのお魚、できましたよ」

弥子の声が、旅館中に響いた。

「魚!!」


岸辺露伴は潮騒を聞く その23

食事処の一角に、小さな皿が並べられていた。

 

大げさな料理ではない。

 

だが、それが逆によかった。

 

カイエンの釣ったアジは、からりと唐揚げに。

キスは軽い衣の天ぷらに。

メバルとカサゴは、小ぶりながら塩焼きに。

 

朝食を終えたばかりだというのに、香ばしい匂いが胃を刺激する。

 

弥子は完全に覚醒していた。

 

「わああ……!」

 

キラがすぐに言う。

 

「弥子ちゃん、みんなで分けるんだからね」

 

「もちろん!」

 

その返事は元気だった。

 

元気すぎて、あまり信用できなかった。

 

カイエンは腕を組み、どこか満足げに皿を見る。

 

「悪くないな」

 

ソープが笑う。

 

「カイエンが釣った魚だね」

 

「そうだ」

 

露伴は皿を見てメモを取る。

 

「剣聖の釣果、旅館の手により唐揚げと塩焼きへ変換される」

 

「変換と言うな」

 

「では昇華」

 

「それも違う」

 

承太郎は一切れを見て、短く言った。

 

「うまそうだ」

 

弥子が反応した。

 

「承太郎さんが食べる前から高評価!」

 

ネウロが笑う。

 

「ククク……魚の死後評価も高いらしい」

 

「変な言い方しないで!」

 

女将が笑いながら言った。

 

「量は少しですけど、揚げたてですからね。熱いうちにどうぞ」

 

弥子は両手を合わせた。

 

「いただきます!」

 

全員も、それに続いた。

 

そして次の瞬間。

 

弥子がキスの天ぷらを一口食べた。

 

「……っ!」

 

目が輝く。

 

「うまっ!」

 

続けてアジの唐揚げ。

 

「香ばしい!」

 

さらにカサゴの身。

 

「ふわっふわ!」

 

キラが慌てて言う。

 

「弥子ちゃん、ちょっと待って。みんなで――」

 

「分かってる!」

 

分かっていると言いながら、箸の速度が速い。

 

泉が目を丸くする。

 

「早い! 早いよ弥子ちゃん!」

 

ラクスは微笑みながらも、少し驚いている。

 

「本当に美味しそうに召し上がりますのね」

 

カイエンは最初、満足げに見ていた。

 

しかし、だんだん皿が減っていく。

 

「あれ」

 

弥子がさらに一口。

 

「これ、カイエンさんが釣ったんですよね! すごい!」

 

「そうだが」

 

「めちゃくちゃ美味しいです!」

 

「それは何よりだが」

 

また一口。

 

「……僕の口には入るのか?」

 

その一言で、キラが皿を見る。

 

もう、かなり少ない。

 

泉が叫ぶ。

 

「弥子ちゃん! カイエンさんの分!」

 

弥子ははっとした。

 

「しまった!」

 

ネウロが笑う。

 

「剣聖が釣り、騒音娘が喰う」

「生態系が完成したな」

 

カイエンは額に手を当てた。

 

「僕が釣った魚なんだが」

 

弥子は残ったキス天をそっと差し出した。

 

「カイエンさん、これ……」

 

カイエンは少しだけそれを見て、苦笑した。

 

「いいよ。君が食べな」

 

弥子は目を輝かせた。

 

「いいんですか!?」

 

「そこは少し遠慮してほしかったな」

 

キラが笑ってしまった。

 

ラクスも口元に手を添えている。

 

承太郎は唐揚げを一つだけ食べ、短く言った。

 

「悪くねぇ」

 

露伴が即座に言う。

 

「最大級評価だ」

 

今回は誰も否定しなかった。

 

カイエンも、最後に小さな塩焼きの身を少しだけ口にした。

 

「……うまいな」

 

ソープが笑う。

 

「名誉挽回できてよかったね」

 

「君に言われると腹が立つな」

 

「でも嬉しいだろう?」

 

カイエンは答えなかった。

 

ただ、少しだけ満足そうだった。

 

______________________________

 

 

キラは会計メモを見ながら、釣果の欄に書き込んでいた。

 

釣魚調理:旅館サービス

釣具レンタル費:要審議

名目案:共有食材調達費

 

それを見た泉が吹き出しかける。

 

「共有食材調達費……本当に書いたんですね」

 

キラは真面目だった。

 

「仮置きです」

 

カイエンが堂々と言う。

 

「実際、みんなで食べただろう」

 

キラは皿を見る。

 

「主に弥子ちゃんが」

 

弥子は元気よく手を挙げた。

 

「はい!」

 

アウクソーが静かに言った。

 

「実態としては、弥子様による消費割合が高いものの、共同食材として提供された事実はございます」

 

キラが頭を抱える。

 

「アウクソーさんまで会計判断を難しくしないでください……」

 

ソープが楽しそうに言う。

 

「AKDに回すには、いい名目かもしれないね」

 

カイエンが頷く。

 

「そうだな」

 

キラが顔を上げた。

 

「軽い!」

 

露伴は即座にメモを取る。

 

「共有食材調達費。後日、請求書問題の火種となる可能性」

 

泉が嫌そうな顔をする。

 

「先生、そういう火種を育てないでください」

 

「育てているのは僕ではない。現実だ」

 

「現実にしないでください!」

 

ネウロは弥子の方を見る。

 

「貴様の胃袋ひとつで、会計区分が増えるとはな」

 

弥子は胸を張った。

 

「それほど美味しかったってこと!」

 

「褒めていない」

 

「でも、ちょっと褒めてた!」

 

食後ならぬ間食後。

 

一行は本格的に帰り支度へ戻った。

 

荷物をまとめる。

忘れ物を確認する。

お土産を整理する。

会計を確認する。

 

アウクソーは手際よく全員に確認していく。

 

「弥子様、購入品はすべてお持ちですか」

 

「はい!」

 

「泉様、書類や原稿関連の資料は」

 

「はい、大丈夫です」

 

「露伴様、覗き浮き玉は破損しないよう梱包されていますか」

 

「完璧だ」

 

泉が横から言う。

 

「存在そのものは完璧じゃありませんけどね」

 

「失礼だな」

 

「怖いんです!」

 

キラは宿泊費と追加費用を計算していた。

 

「宿泊費、食事、朝市、商店街、お土産、取材協力費予定、釣具レンタル……」

 

弥子がそっと覗く。

 

「大丈夫そう?」

 

キラは少し考える。

 

「総額はまだ致命的じゃない」

 

「やった!」

 

「ただし、請求区分が複雑」

 

「それは……やった?」

 

「やってない」

 

カイエンは視線を逸らす。

 

「まあ、細かいことは帰ってからだな」

 

アウクソーが静かに言った。

 

「マスター、細かくありません」

 

「……はい」

 

ソープは貝殻チャームや灯台キーホルダーを眺めながら言う。

 

「いい旅だったね」

 

カイエンは少しだけ海を見る。

 

「そうだな。騒がしかったが」

 

承太郎は荷物をまとめ終えていた。

 

「帰るぞ」

 

露伴は窓の外を見ながら、少しだけ名残惜しそうだった。

 

「まだ描き足りないな」

 

泉がすぐ言う。

 

「先生、帰りますよ」

 

「分かっている」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

「善処するじゃないですね?」

 

「本当にだ」

 

弥子は笑った。

 

「露伴センセ、信用されてない」

 

「君に言われたくない」

 

「なんで!?」

 

ネウロが言う。

 

「ククク……信用とは、胃袋にも取材欲にも不足しがちなものだな」

 

「ネウロに言われたくない!」

 

ラクスは荷物を整えながら、窓の外の海に目を向けた。

 

「本当に、静かな海ですわね」

 

キラは隣に立つ。

 

「うん」

 

ラクスは少しだけ微笑んだ。

 

「また、いつか来られるでしょうか」

 

「来られるよ」

 

キラはそう言ってから、少しだけ現実的に付け足した。

 

「予算を整えてから」

 

ラクスはくすりと笑った。

 

「はい」

 

______________________________

 

チェックアウトの時間が近づいていた。

 

旅館のロビーに全員が集まる。

 

弥子は最後に、入口から海の方を振り返った。

 

「なんか、帰るの寂しくなってきた」

 

泉も頷く。

 

「いろいろありすぎたけど、いい旅だったね」

 

カイエンが言う。

 

「釣りの名誉も回復したしな」

 

アウクソーが即座に言う。

 

「予定外外出については未解決です」

 

「まだ言うか」

 

「言います」

 

ソープが笑った。

 

「最後まで締まらないね」

 

承太郎は短く言う。

 

「それでいい」

 

露伴はメモ帳を開いた。

 

帰り支度。

旅は、終わる直前にようやく旅らしくなる。

土産、忘れ物、会計、未回答の問い。

そして、釣った魚を食い尽くす女子高生。

 

泉が覗き込む。

 

「最後の一行、必要ですか?」

 

弥子が力強く言った。

 

「必要です!」

 

キラが苦笑する。

 

「必要なんだ」

 

ネウロは笑った。

 

「港町の記録としては、実に正確だ」

 

弥子は胸を張る。

 

「美味しかったから勝ち!」

 

カイエンも少し笑う。

 

「まあ、あれだけ美味そうに食われたら、釣った甲斐もある」

 

ラクスが微笑んだ。

 

「ええ。とてもよい釣果でしたわ」

 

カイエンは少しだけ照れたように目を逸らす。

 

「そうかい」

 

外では、潮騒が静かに鳴っていた。

 

旅の終わりを急かすでもなく、引き止めるでもなく。

 

ただ、見送るように。

 

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