守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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岸辺露伴は潮騒を聞く その24

旅館のロビーには、朝の光が差し込んでいた。

 

昨日まで何度も通った廊下。

温泉へ続く暖簾。

食事処の入り口。

窓の外に見える港。

 

そのどれもが、少しだけ名残惜しく見えた。

 

弥子は荷物を抱えながら、ロビーの窓から海を見ていた。

 

「もう帰るんだねぇ」

 

泉も隣で頷く。

 

「二泊三日なのに、すごく長かった気がするね」

 

「うん。灯台行って、防波堤行って、朝市行って、商店街行って、卓球して、温泉入って、魚食べて……」

 

ネウロが笑う。

 

「ククク……その要約では、ほぼ食って遊んだだけだな」

 

弥子は振り返る。

 

「泣いたり怖がったりもしたよ!」

 

「その後、食っただろう」

 

「食べたけど!」

 

ラクスは小さく笑った。

 

「けれど、その食事があったから、私たちも日常へ戻れたのかもしれませんわ」

 

キラは会計ファイルを手に、少しだけ遠い目をしていた。

 

「日常へ戻る前に、精算があります」

 

カイエンが笑う。

 

「会計准将、最後の戦いだな」

 

キラは力なく言った。

 

「最後だといいんですけど……」

 

______________________________

 

 

フロントでは、女将が丁寧に頭を下げた。

 

「この度はご宿泊いただき、ありがとうございました」

 

ラクスが一歩前に出て、穏やかに返す。

 

「こちらこそ、大変お世話になりました」

 

弥子も元気よく頭を下げる。

 

「ご飯すっごく美味しかったです!」

 

女将は嬉しそうに笑った。

 

「まあまあ、そう言っていただけると何よりです」

 

キラは宿泊費と明細を確認する。

 

「宿泊費、食事代、入湯税……ここまでは予定通りですね」

 

泉がほっとする。

 

「よかった。普通の項目ですね」

 

キラは次のページを見た。

 

「問題は、普通じゃない項目です」

 

泉の表情が曇った。

 

「やっぱりあるんですね……」

 

キラは真面目な顔で読み上げる。

 

「まず、灯台および防波堤周辺の保全費用寄付」

 

承太郎が短く言った。

 

「財団に回せ」

 

キラが顔を上げる。

 

「スピードワゴン財団でよろしいんですか?」

 

承太郎は頷いた。

 

「こういう場所は、放っておくとまた面倒になる」

 

露伴が言う。

 

「実に分かりやすい判断だな」

 

承太郎は帽子のつばを下げる。

 

「必要なだけだ」

 

泉が小声で言う。

 

「かっこいい……」

 

弥子も頷く。

 

「承太郎さん、こういうとこ渋いですよね」

 

承太郎は黙った。

 

否定しないので、たぶん少し照れている。

 

______________________________

 

 

キラは次の項目を見る。

 

「次に、旅館への心付けです」

 

女将が慌てる。

 

「いえいえ、そのようなお気遣いは……」

 

ラクスが静かに微笑む。

 

「昨日の大漁のお料理も、今朝のお魚の調理も、本当にありがたかったですわ」

 

弥子も力強く言う。

 

「あの舟盛りと、カイエンさんの魚の唐揚げのお礼なら、あたしも出します!」

 

ネウロがすぐ言った。

 

「貴様が一番食ったからな」

 

「分かってるよ!!」

 

キラは少し笑った。

 

「では、心付けは参加者全員で少しずつ。金額は無理のない範囲で」

 

アウクソーが頷く。

 

「妥当です」

 

カイエンは財布を出しながら言う。

 

「まあ、世話になったしな」

 

ソープも小さく頷いた。

 

「いい宿だったね」

 

女将は少し目元を和らげた。

 

「ありがとうございます。皆さまにそう言っていただけて、こちらも嬉しいです」

 

弥子は胸を張った。

 

「また来ます!」

 

キラがすかさず言う。

 

「予算を整えてからね」

 

「はい!」

 

______________________________

 

 

キラはさらに明細をめくる。

 

そして、少しだけ眉間を押さえた。

 

「次です」

 

カイエンが聞く。

 

「何だい」

 

キラは読み上げた。

 

「地球海浜文化調査費」

 

全員の視線が、自然とソープへ向かった。

 

ソープは涼しい顔をしている。

 

「僕かな」

 

カイエンが即座に言う。

 

「君以外に誰がいる」

 

キラは内訳を見る。

 

「塩スイーツ、港町商店街での小物、普通に光る灯台キーホルダー、海浜文化資料協力費、観光価格調査に伴う購入品……」

 

泉が困惑する。

 

「観光価格調査に伴う購入品?」

 

カイエンはソープを見た。

 

「だから誰目線なんだよ」

 

ソープは微笑む。

 

「旅人目線だよ」

 

「その名目で通ると思うな」

 

キラは深く息を吐く。

 

「これは……ソープさんの個人負担ですか? それとも……」

 

ソープはさらっと言った。

 

「AKDでいいんじゃないかな」

 

キラが顔を上げる。

 

「軽い!!」

 

カイエンも言う。

 

「軽いな」

 

ソープは不思議そうにする。

 

「でも、地球海浜文化調査だよ?」

 

カイエンが頭を押さえた。

 

「だからそのスケールの軽さが問題なんだ」

 

露伴が楽しそうにメモする。

 

「地球海浜文化調査費、AKDへ回送予定」

 

泉が顔をしかめる。

 

「先生、それ、後で誰か来るやつじゃないですか?」

 

ソープはにこにこしている。

 

「ログナーあたりかな」

 

カイエンは即座に言った。

 

「来なくていい」

 

キラは小さく呟く。

 

「でも、来そう……」

 

______________________________

 

 

キラは、最後の問題項目を見た。

 

「それから、カイエンさんの釣具レンタル費用です」

 

カイエンは少しだけ姿勢を正した。

 

「それはだな」

 

キラは先に言う。

 

「当初は個人趣味としての釣行でした」

 

アウクソーが補足する。

 

「はい。マスター個人の希望による早朝釣行です」

 

カイエンは咳払いした。

 

「しかし、釣った魚は全員で食べた」

 

弥子が元気よく手を挙げる。

 

「主にあたしが食べました!」

 

キラは苦笑した。

 

「そこは本当に正直だね」

 

カイエンは弥子を見る。

 

「というわけで、これは共有食材調達費と見なしてもいいだろう」

 

泉が小さく笑った。

 

「言い方だけは立派ですね」

 

露伴が即座に書く。

 

「言い方だけは立派」

 

「書くな」

 

「もう書いた」

 

キラはしばらく考えた。

 

そして、少し優しい顔で弥子を見る。

 

「消費割合を考えると、桂木弥子さん個人負担でもおかしくないんだけど……」

 

弥子の顔が固まった。

 

「えっ」

 

キラは続ける。

 

「今回は、桂木弥子魔界探偵事務所の経費扱いにします」

 

弥子が目を見開く。

 

「個人じゃなくて、事務所!?」

 

キラは頷いた。

 

「その方が少しは負担が軽いと思うから」

 

弥子は感動したようにキラを見た。

 

「キラくん……!」

 

ネウロがすかさず言う。

 

「ククク……つまり貴様の胃袋は、事務所経費でなければ維持できぬということだ」

 

弥子が振り返る。

 

「言い方!!」

 

キラは苦笑しながら言う。

 

「でも、釣った魚をほぼ弥子ちゃんが食べたのは事実だから、全体旅費にするのは少し難しくて」

 

弥子はうぐっと詰まった。

 

「それは……はい……」

 

カイエンが満足そうに言う。

 

「僕は釣った。弥子は食った。実に明快だな」

 

アウクソーが静かにまとめる。

 

「摘要は『現地調達食材試食費』、または『調査協力食材費』が妥当かと存じます」

 

弥子が目を丸くする。

 

「なんか急に仕事っぽくなった!」

 

ネウロが言う。

 

「吾輩の事務所が、貴様の食欲の尻拭いをするのか」

 

弥子は即座に言い返した。

 

「いつもあたしがネウロの尻拭いしてるんだから、たまにはいいでしょ!!」

 

一瞬、空気が止まった。

 

泉が小声で言う。

 

「弥子ちゃんの勝ちですね」

 

キラも頷いた。

 

「うん。今のは弥子ちゃんの勝ち」

 

ネウロは鼻で笑ったが、反論はしなかった。

 

______________________________

 

キラはすべての項目を確認し終え、深く息を吐いた。

 

「総額としては……破綻していません」

 

弥子が両手を上げる。

 

「やったー!」

 

キラは続ける。

 

「ただし、請求先が複雑です」

 

泉が聞く。

 

「どのくらい複雑ですか?」

 

キラは紙を見せた。

 

・灯台、防波堤保全費用寄付

 → スピードワゴン財団

 

・旅館への心付け

 → 参加者全員で少しずつ

 

・地球海浜文化調査費

 → AKD

 

・釣具レンタル費用

 → 桂木弥子魔界探偵事務所

 

泉はしばらくそれを見た。

 

「……後で絶対、誰か確認に来ますね」

 

ソープは明るく言う。

 

「ログナーかな」

 

カイエンは嫌そうな顔をした。

 

「本当に来なくていい」

 

露伴は嬉しそうにメモする。

 

「請求書問題、次章への火種」

 

泉が即座に止める。

 

「先生、火種って書かないでください!」

 

「実際に火種だ」

 

「火をつけないでください!」

 

承太郎は短く言った。

 

「面倒だな」

 

キラはしみじみ頷いた。

 

「はい……」

 

ラクスはそんなキラを見て、優しく言った。

 

「キラ、お疲れ様でした」

 

キラはようやく少し笑った。

 

「ありがとう、ラクス」

 

弥子も言う。

 

「キラ会計准将、お疲れ様!」

 

キラは少しだけ苦笑した。

 

「その呼び方、最後まで残ったね……」

 

カイエンが笑う。

 

「いい仕事だったぞ、会計准将」

 

キラは諦めたように言った。

 

「はい。ありがとうございます」

 

______________________________

 

精算を終えると、本当に旅館を出る時間になった。

 

女将と仲居たちが、玄関先まで見送りに出てくれた。

 

「皆さま、どうぞお気をつけて」

 

ラクスが丁寧に頭を下げる。

 

「本当にありがとうございました」

 

弥子も深々と頭を下げる。

 

「ご飯、全部すっごく美味しかったです!」

 

女将は笑った。

 

「またお腹を空かせて来てくださいね」

 

弥子は大きく頷く。

 

「はい!」

 

キラが小声で言う。

 

「ほどほどにね」

 

「はい!」

 

返事だけは今日も立派だった。

 

カイエンは玄関先で、少しだけ港の方を見る。

 

「釣りは、またやってもいいな」

 

アウクソーが静かに言う。

 

「次回は事前申請をお願いいたします」

 

「……分かったよ」

 

ソープが笑った。

 

「怒られる前に申請だね」

 

「君は黙ってろ」

 

承太郎は荷物を肩にかけ、短く言う。

 

「行くぞ」

 

露伴は旅館の看板と海を見て、最後に一行だけメモした。

 

旅館を出る時、旅はすでに思い出になり始めている。

 

泉がそれを見て、少しだけ微笑む。

 

「先生、それはいいですね」

 

露伴は当然のように言った。

 

「当然だ」

 

______________________________

 

旅館の送迎車で駅へ向かう途中、窓の外を港町の景色が流れていった。

 

朝市の通り。

商店街。

遠くに見える灯台。

そして、防波堤。

 

弥子は窓に額を近づける。

 

「あそこ、もう普通に見えるね」

 

ラクスも静かに頷いた。

 

「ええ」

 

キラはラクスの手元の貝殻チャームを見た。

 

「持って帰れるものがあってよかったね」

 

「はい。今日の海を、忘れずにいられますわ」

 

ネウロは窓の外を見ながら笑う。

 

「ククク……謎は喰った。だが、港町は残る」

 

弥子は言う。

 

「それでいいじゃん」

 

「そうだな」

 

その返事が少しだけ素直だったので、弥子はネウロを見る。

 

「今、素直だった?」

 

「気のせいだ」

 

「気のせいじゃない!」

 

車内に笑いが起きた。

 

露伴は、まだソープを見ている。

 

ソープは気づいて、にこりと笑った。

 

「まだ訊きたい?」

 

「当然だ」

 

「また今度ね」

 

「それで逃げられると思うな」

 

カイエンは小さく呟いた。

 

「まだやるのか」

 

泉は頭を抱える。

 

「帰り道くらい静かにしてください……」

 

______________________________

 

 

駅に着くと、出発まで少し時間があった。

 

ホームへ向かう前、弥子が駅の売店を見つけた。

 

「あ」

 

キラが即座に反応した。

 

「弥子ちゃん」

 

弥子は真剣な顔で言う。

 

「最後のお土産」

 

「昨日商店街で買ったよね?」

 

「駅の売店は駅の売店!」

 

キラは目を閉じた。

 

「分かってた……」

 

カイエンが笑う。

 

「最後まで勝負か、会計准将」

 

キラは会計ファイルをしまいながら言った。

 

「もう、小額なら許容します……」

 

弥子の顔が輝いた。

 

「やった!」

 

アウクソーが冷静に告げる。

 

「ただし、持ち運び可能な範囲でお願いいたします」

 

ソープは売店を見て言う。

 

「駅売店は、観光地の最後の関門だね」

 

カイエンが突っ込む。

 

「また誰目線だ」

 

「旅人目線だよ。これは本当に」

 

ラクスは微笑んだ。

 

「最後に少しだけ、見て参りましょうか」

 

承太郎は短く言う。

 

「時間は見ろ」

 

泉が頷く。

 

「そうですね。乗り遅れたら大変です」

 

露伴は売店の棚を見て、少し目を細めた。

 

「駅限定品か……」

 

泉が即座に言う。

 

「先生、変なものはもう買わないでください」

 

「駅売店に変なものなど――」

 

その時、棚の隅に妙な商品が見えた。

 

潮騒まんじゅう・防波堤限定風味

 

弥子の目が光った。

 

キラの顔が引きつった。

 

ネウロが笑った。

 

「ククク……旅はまだ終わっていないな」

 

潮騒は、遠くで静かに鳴っていた。

 

帰りの列車までは、まだ少しだけ時間がある。

 

最後のお土産選びが、始まろうとしていた。

 

 

 

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