守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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静かな執務室だった。

 外の喧騒は厚い壁に遮られ、机上には整えられた書類が積まれている。部屋の主は、その書類の一番上に置かれた一枚を、しばらく無言で眺めていた。

 白い手袋を嵌めた指が、紙の端を軽く叩く。

 そこには、地球で行われた“海浜文化調査”に関する費用明細が記されていた。

 旅館宿泊費。
 食事代。
 灯台および防波堤保全への寄付。
 旅館への心付け。
 塩菓子および土産物代。
 釣具レンタル費。

 そのいくつかの項目の横に、赤いペンで印がつけられている。

「……文化調査」

 男は、低く呟いた。

 声には怒気はない。
 だが、怒っていないわけではない。

 その声を聞いた、部屋の隅に控えていたファティマ――イエッタは、静かに視線を上げた。

「マスター?」

 ファルク・ユーゲントリッヒ・ログナーは、書類を手に取った。

「ちょっと行ってくるぞ、イエッタ」

「どちらへ?」

「地球だ」

 即答だった。

 イエッタは一瞬だけ沈黙した。
 それから、控えめに言った。

「……お一人で、ですか?」

「請求書を届けるだけだ」

「マスターが直接?」

「私が確認する必要がある」

 ログナーは立ち上がった。

 その姿は、白い軍装に身を包み、細身でありながら妙に隙がない。声はあくまで冷淡で、そっけない。だが、イエッタは知っている。こういうときのログナーは、単に怒っているのではない。

 呆れているのだ。

「陛下には、もう少し責任感を持っていただかないと」

 その言葉に、イエッタはほんの少しだけ目を伏せた。

「……お気をつけて」

「気をつけるのは、向こうだ」

 そう言い残して、ログナーは書類を携え、部屋を出た。

 扉が閉まる。

 イエッタは、しばらくその扉を見つめていた。

「……マスター」

 小さな声で、呟く。

「また、余計なことをおっしゃらなければ良いのですが」

 その予感は、非常に正しかった。


岸辺露伴は陛下を聞き逃さない

 東京某所。

 

 その日、岸辺露伴たちは、カフェの一角に集まっていた。

 

 港町への旅を終え、いくつもの怪異と出会い、歌と謎と海の幸に満ちた時間を過ごして、ようやく日常に戻ってきた――はずだった。

 

 少なくとも、キラ・ヤマトはそう思いたかった。

 

「いやあ、でも本当に楽しかったよね!」

 

 桂木弥子が、テーブルに置かれたパフェを前に、満面の笑みを浮かべている。

 

「怖いこともあったけど、最後は大勝利! ご飯も美味しかったし!」

 

「おまえの場合、記憶の八割が食事だろう」

 

 脳噛ネウロが淡々と言った。

 

「失礼な! 九割くらいだよ!」

 

「増えたな」

 

 空条承太郎は、帽子のつばに指をかけて、短く息を吐いた。

 

「やれやれだぜ」

 

 カイエンは椅子にもたれながら、コーヒーを啜っている。

 

隣にはアウクソーが静かに控えていた。

 

「まあ、無事帰ってこられたなら上出来だろ」

 

「マスター。釣りの話はされないのですか」

 

「……アウクソー、今それを言うか」

 

 カイエンが顔をしかめる。

 

 露伴はその横で、手帳を開いていた。

 旅行中に起きた出来事。灯台。防波堤。歌。海に残った怨念。そして、ソープと名乗る少年が見せた不可解な振る舞い。

 

 記録すべきことは多い。

 

 多すぎる。

 

 露伴は苛立たしげにペンを走らせながら言った。

 

「まったく、君たちは情報量というものを少しは考えた方がいい。

 旅行一回で、怪異と歌姫と魔人と騎士と神話みたいな少年がごちゃ混ぜになるなんて、

 取材対象としては贅沢すぎるが、整理する側の身にもなってほしいね」

 

「露伴先生、でも楽しそうです」

 

 ラクス・クラインが、柔らかく笑った。

 

「楽しいかどうかと、腹が立つかどうかは別だ」

 

「それはもう楽しんでる顔だよ、露伴先生」

 

 キラが苦笑した。

 

 その瞬間だった。

 

「やぁ」

 

 誰かが、彼らのテーブルのすぐ近くで声をかけた。

 

 全員が振り向く。

 

 そこに立っていたのは、黒衣を纏った、一人の怪盗だった。

 

 怪盗Xi。

 

 相変わらず、そこにいるのが当然であるかのように、軽やかに立っている。

 

「見ていたよ。キラくんのプロポーズ場面」

 

 キラの表情が、固まった。

 

「……え?」

 

 ラクスが、わずかに瞬きをする。

 

 弥子は目を輝かせた。

 

「プロポーズ?!」

 

「ち、違います!」

 

 キラが慌てて立ち上がりかける。

 

 怪盗Xiは楽しげに片手を上げた。

 

「おや、違うの? 僕にはなかなか情熱的に聞こえたけど」

 

 そして、彼は一歩下がり、優雅に身振りをつけた。

 

 声色が変わる。

 

 ラクスの声だった。

 

「もしものときには、キラ、貴方が私を守ってくれるのでしょう?」

 

 キラが息を呑む。

 

 さらに、Xiはキラの声で続けた。

 

「ああ、ボクが君を守る。かならず、ボクが!」

 

「やめてください!!」

 

 キラの顔が、みるみる赤くなる。

 

 弥子はテーブルを叩きながら笑った。

 

「え、なにそれ! 完全に名場面じゃん!」

 

「名場面ではありません!」

 

「いや、名場面だろう」

 

 露伴が即座に言った。

 

「露伴先生まで?!」

 

 ラクスは口元に手を当て、少しだけ頬を染めていた。

 

「わたくしとしては、頼もしいお言葉でしたわ」

 

「ラクス……!」

 

 キラは助けを求めるように彼女を見るが、ラクスはにこにこと微笑むばかりだ。

 

 ネウロが目を細める。

 

「クク……人間の羞恥心というものは、なかなか芳醇だな。発酵食品に近い」

 

「やめてください、変な分類しないでください!」

 

 カイエンは腹を抱えて笑っている。

 

「キラ。男見せたな」

 

「カイエンさんまで!」

 

 怪盗Xiは満足そうに頷いた。

 

「うん。実に良い反応だ。愛と羞恥は、やはり鮮度が命だね」

 

「人の思い出を鮮魚みたいに扱わないでください!」

 

 キラが叫ぶ。

 

 すると、ラクスが静かに立ち上がった。

 

「Xiさん?」

 

 その声は穏やかだった。

 

 怪盗Xiが振り向く。

 

「おや」

 

「一度なら芸ですわ」

 

 ラクスは微笑んだまま、Xiの前に立った。

 

「二度目は、悪ふざけです」

 

「これは手厳しい」

 

 怪盗Xiは胸に手を当て、芝居がかった仕草で頭を下げた。

 

「では、今日のところはこの辺で。美しい歌姫の叱責は、怪盗の胸にも響くものだからね」

 

「本当に響いているのなら、もう少し反省なさってくださいませ」

 

「検討しよう」

 

「してない返事だ、それ」

 

 弥子が突っ込む。

 

 怪盗Xiは、店内の空気に溶けるように身を翻した。

 

「それではみなさん、また会おうね。次はもう少し、空いた道を選ぶとするよ」

 

 そう言って、店の扉へ向かう。

 

 カフェの外は人通りが多い。昼下がりの街は、客も通行人も絶えない。怪盗にとって、雑踏は最良の隠れ蓑だった。

 

「逃げた!」

 

 弥子が叫ぶ。

 

 キラが追おうとする。

 

 だが、その前に。

 

 カフェの外、雑踏の流れが、不自然に途切れた。

 

 いや、途切れたのではない。

 

 一人の男が、道を塞いでいた。

 

 白い軍装。長い髪。静かな眼差し。

 抜き身ではないはずなのに、そこにいるだけで刃のような圧がある。

 

 ファルク・ユーゲントリッヒ・ログナー。

 

 怪盗Xiは、その姿を見て足を止めた。

 

 ログナーは、わずかにも表情を変えない。

 

「この道は通行止めだ。ほかをあたれ」

 

 低く、静かな声だった。

 

 だが、その一言で、周囲の空気が凍った。

 

 怪盗Xiは一瞬だけ沈黙し、それから笑った。

 

「おや。ずいぶん古風な交通整理だね、司令」

 

「お前には十分だ」

 

「なるほど。真正面は無粋か」

 

 Xiが指を鳴らした。

 

 白い煙が、ふわりと広がる。

 

 弥子が叫ぶ。

 

「煙幕!」

 

 キラが一歩踏み出す。

 

 だが、煙が晴れたとき、そこに怪盗Xiの姿はなかった。

 

「逃げた……?」

 

 キラが呟く。

 

 ログナーは、表情を変えずに答えた。

 

「逃げたのではない。選ばせただけだ」

 

「何をだ?」

 

 承太郎が問う。

 

「別の逃げ道をだ」

 

 露伴は、じっとログナーを見ていた。

 

「なるほど。捕まえられなかったのではなく、

 使わせたくない道を封じた、ということか」

 

「そう取っても構わん」

 

 ログナーはカフェの中へ入ってきた。

 

 弥子が小声で言う。

 

「うわ……絶対普通のお客さんじゃない……」

 

 ネウロが愉快そうに笑った。

 

「ほう。請求書を持った災厄か」

 

「まさにそれだな」

 

 カイエンが苦い顔をした。

 

「来やがった……」

 

 ソープは困ったように笑った。

 

「ログナー。やっぱり来たんだね」

 

「当然です」

 

 ログナーは手に持っていた封筒を掲げた。

 

「誰かが収支を確認しなければ、陛下はまた“文化調査”の名目で塩菓子を買い込まれる」

 

 その瞬間。

 

 露伴のペンが止まった。

 

「……陛下?」

 

 カイエンの顔が引きつる。

 

「おい」

 

 ソープが、少しだけ目を伏せる。

 

「ログナー……」

 

 ログナーは、そこで初めて、自分の発言に気づいたようにわずかに沈黙した。

 

「……失礼しました。ソープ様」

 

「様?!」

 

 露伴が身を乗り出した。

 

「今、言い直したな。しかも余計に怪しくなったぞ」

 

「露伴、食いつくな」

 

 カイエンが慌てて遮る。

 

「食いつくに決まってるだろう! 

今のは完全に聞き逃してはいけない単語だ。

“陛下”。しかもその対象がソープだと? 

何の陛下だ? どこの国だ? いや、国という単位で収まる話か?」

 

「収めろ! 頼むから収めろ!」

 

 カイエンが叫ぶ。

 

 ログナーは冷ややかにカイエンを見た。

 

「貴様も少しは責任を感じろ。朝から魚一匹釣れず、釣具代だけを増やした男が」

 

「そこを突くな!」

 

 弥子が目を丸くした。

 

「見た目すごく綺麗なのに、言葉が辛い……」

 

 ネウロが満足げに頷く。

 

「毒舌家か。しかもよく熟成している。これは良い香りだ」

 

「何の香りだよ」

 

 承太郎が短く言った。

 

 ログナーは、空いている椅子に座ることもなく、テーブルの上に封筒を置いた。

 

「本題に戻ります」

 

「戻るな!」

 

 露伴が言った。

 

「僕にとっては今の方が本題だ」

 

「漫画家の本題など知らん」

 

「何だと?」

 

「事実を申し上げただけだ。」

 

 露伴の眉がぴくりと動く。

 

「いい性格をしているな、君は」

 

「よく言われる」

 

 その返しに、弥子が思わず吹き出した。

 

 ソープは、少し困った顔のまま封筒を見た。

 

「請求書だね」

 

「はい」

 

 ログナーは淡々と答える。

 

「地球海浜文化調査費、旅館への心付け、灯台および防波堤への寄付、塩菓子、釣具レンタル費。いくつか確認が必要です」

 

「塩菓子は文化調査だよ」

 

「食べ比べを三回する必要はありません」

 

「三回じゃないよ。四回だ」

 

「なお悪い」

 

 露伴が小声で呟いた。

 

「陛下、文化調査、塩菓子……情報が多い」

 

「露伴先生、メモが速いです」

 

 キラが言う。

 

「当然だ。こういうときに手が止まる漫画家は三流だ」

 

 ログナーは露伴を一瞥した。

 

「勝手に記録しないでいただきたい」

 

「だったら勝手に面白い単語を落とすな」

 

「落とした覚えはない」

 

「落ちていた。僕は拾った」

 

「捨てろ」

 

「断る」

 

 カイエンが頭を抱えた。

 

「だめだ。相性が悪い」

 

「いや、むしろいいのでは?」

 

 ラクスが穏やかに言う。

 

「お互い、言葉を大切にされる方のようですし」

 

「ラクス、それは物凄く前向きな言い方だ」

 

 キラが苦笑する。

 

 そのとき、カフェの入口付近で、また小さく鈴が鳴った。

 

 全員が振り向く。

 

 そこに、もう一人のログナーが立っていた。

 

 同じ姿。

 同じ顔。

 同じ声で、彼は言った。

 

「さて。では本題を続けようか、陛下」

 

 カフェ内の空気が、止まった。

 

 本物のログナーが、ゆっくりと視線を向ける。

 

 偽ログナー――怪盗Xiは、涼しい顔で微笑んでいた。

 

「これはこれは。ご本人登場とは」

 

 カイエンが立ち上がる。

 

「てめぇ、まだいたのか!」

 

 弥子が叫ぶ。

 

「ログナーさんが二人?!」

 

 ネウロは笑っている。

 

「クク……なるほど。請求書が二重になったか」

 

「笑いごとではない」

 

 承太郎が静かに身構える。

 

 露伴は、逆に目を輝かせていた。

 

「待て。今、偽物も“陛下”と言ったな。つまりさっきのは怪盗の悪ふざけではなく、本物も使う呼称ということだ。非常に重要な情報だぞ」

 

「露伴!」

 

 カイエンが叫ぶ。

 

「今それどころじゃねぇ!」

 

「それどころだ!」

 

 露伴は叫び返した。

 

「僕にとってはむしろそこが本筋だ!」

 

 本物のログナーは、怪盗Xiを冷淡に見据えた。

 

「怪盗Xi。私の顔で遊ぶのは構わん」

 

「構わないのかい?」

 

「問題はそこではない」

 

 ログナーの声が、ほんの少しだけ低くなった。

 

「私の職務で遊ぶな」

 

 怪盗Xiは肩をすくめた。

 

「おや。随分と殺気立っているね」

 

「殺気ではない。確認だ」

 

「確認?」

 

「逃走経路の確認を済ませたか、という意味だ」

 

 その言葉に、怪盗Xiの笑みが、ほんのわずかに深まった。

 

「なるほど。暴力より面倒な男が来たね」

 

「面倒とは失礼な。私は確認と請求をするだけだ」

 

「だから面倒なんだよ」

 

 Xiは、手に持っていた偽の請求書をひらりと舞わせた。

 

「では、芸術には退き際も必要ということで」

 

「逃がすと思うか」

 

「思っているとも。怪盗だからね」

 

 次の瞬間、再び煙幕が広がった。

 

 今度の煙は、先ほどよりも濃い。

 

「また煙!」

 

 弥子が叫ぶ。

 

 ログナーは一歩も動かなかった。

 

 ただ、静かに言った。

 

「次も通行止めだ」

 

 煙が晴れたとき、偽ログナーの姿は消えていた。

 

 テーブルの上には、カードが一枚残されている。

 

 露伴がそれを拾った。

 

 そこには、流麗な字でこう書かれていた。

 

『愛と会計と国家機密。いずれも扱いには注意されたし。 怪盗Xi』

 

 カイエンが舌打ちした。

 

「ふざけやがって」

 

 キラはまだ顔を赤くしていた。

 

「最初の“愛”の部分、絶対僕のことですよね……」

 

「そうでしょうね」

 

 ラクスが微笑む。

 

「ラクス、そこは否定してほしかった……」

 

「ふふ」

 

 露伴はカードを手帳に挟んだ。

 

「これは良い資料だ」

 

「資料にするな」

 

 ログナーが言う。

 

「君たちは本当に、僕に資料にするなと言う割に、資料価値の高いことばかり起こすな」

 

 露伴は不満そうに返した。

 

 本物のログナーは、改めて封筒を指で押した。

 

「さて」

 

 カイエンが嫌そうな顔をする。

 

「まだやるのかよ」

 

「当然だ」

 

 ログナーはソープを見た。

 

「陛下にはもっと責任感を持っていただかないと」

 

 露伴が椅子から半分立ち上がった。

 

「また言った!!」

 

 カイエンがログナーの肩を掴みそうな勢いで叫ぶ。

 

「おい!! ログナー気をつけろよ!」

 

 ソープは、とうとう苦笑した。

 

「ログナー……今のは、かなりまずいよ」

 

 ログナーは、わずかに目を閉じた。

 

「……失礼しました」

 

「遅い!」

 

 カイエンが言う。

 

 露伴はすでにペンを走らせている。

 

「いや、遅くない。むしろ完璧なタイミングだ。

偽物、本物、両方が同じ呼称を使った。これはもう偶然ではない」

 

「露伴、忘れろ」

 

「断る」

 

「頼むから忘れろ」

 

「漫画家に向かって“忘れろ”は禁句だ。覚えて描くのが仕事なんだよ」

 

 ネウロが楽しそうに笑った。

 

「クク……情報に飢えた人間というのは実に扱いやすいな。餌を撒けば勝手に食いつく」

 

「餌じゃない。取材対象だ」

 

「同じだ」

 

 弥子はパフェを食べながら、首を傾げた。

 

「でも、ソープさんって本当に何者なんですか?」

 

 その問いに、場の空気が少しだけ変わる。

 

 ソープは、静かに笑った。

 

「ただの整備士で、旅行者だよ」

 

 露伴が即座に言う。

 

「嘘だね」

 

「早いね、露伴」

 

「今の言い方は“ただの”を強調しすぎた。隠している者の言い方だ」

 

「漫画家って怖いなあ」

 

 ソープは困ったように笑う。

 

 ログナーが低く言った。

 

「詮索は控えていただきたい」

 

「断る」

 

 露伴はログナーを真正面から見た。

 

「僕は岸辺露伴だ。面白いものを聞き逃すくらいなら、漫画家を辞めた方がいい」

 

「では辞めればいい」

 

「君、本当にいい性格しているな!」

 

 カイエンがため息をつく。

 

「喋るほど露伴が強くなるって言っただろうが……」

 

 ログナーは、カイエンを見た。

 

「貴様も人のことを言えた立場ではない。釣具代の件がある」

 

「まだ言うか!」

 

「言います」

 

 アウクソーが静かに口を開いた。

 

「マスター。事実です」

 

「アウクソーまで……!」

 

 弥子が笑った。

 

「なんか、請求書って怖いんだね」

 

「怖いのは請求書ではない」

 

 ログナーが言う。

 

「無自覚に費用を発生させる者たちだ」

 

 全員の視線が、ソープ、カイエン、弥子に向いた。

 

「え、あたしも?」

 

「食事量の面で」

 

「そこは否定できない!」

 

 ラクスがくすりと笑った。

 

「でも、とても楽しい旅でしたわ」

 

 キラも頷く。

 

「はい。大変なこともありましたけど……行ってよかったです」

 

 ソープは穏やかに目を細めた。

 

「うん。僕もそう思うよ」

 

 ログナーは、その言葉を聞いて、ほんのわずかに沈黙した。

 

 そして、封筒をソープの前に置いた。

 

「ならば、次回からは事前に予算計画を提出していただきたい」

 

「そこに戻るんだ」

 

 ソープが苦笑する。

 

「当然です」

 

 ログナーは冷淡に答えた。

 

「楽しい旅と、杜撰な会計は別です」

 

 露伴が呟く。

 

「名言だな」

 

「記録するな」

 

「もうした」

 

「削除しろ」

 

「断る」

 

 カイエンが笑った。

 

「諦めろログナー。こいつは聞き逃さねぇし、書き逃さねぇ」

 

 露伴は胸を張った。

 

「当然だ。僕は岸辺露伴だからな」

 

 そのとき、外の雑踏の向こうから、どこか遠くで怪盗Xiの笑い声が聞こえたような気がした。

 

 ログナーは、ちらりと窓の外を見る。

 

 そして、低く言った。

 

「次は本当に通行止めにする」

 

 ソープが微笑む。

 

「ほどほどにね、ログナー」

 

「陛下がほどほどを覚えてくだされば」

 

 露伴のペンが再び止まった。

 

「また言ったな」

 

 カイエンが叫ぶ。

 

「ログナー!!」

 

 ログナーは、無表情のまま言った。

 

「……失礼」

 

 だが、もう遅い。

 

 岸辺露伴は、聞き逃さない。

 

 それが、どんなに小さな声であっても。

 

 どんなに慌てて言い直されても。

 

 どんなに周囲が止めようとしても。

 

 面白い言葉は、必ず拾う。

 

 そしてこの日、露伴の手帳には大きくこう記された。

 

『ソープ――陛下?』

 

 その横に、二重丸。

 

 さらに下には、こう続いていた。

 

『ログナー。毒舌。請求書。通行止め。むっつり疑惑あり。要取材。』

 

 カイエンがそれを覗き込み、呻いた。

 

「……最後のは消してやれ」

 

 露伴は、にやりと笑った。

 

「断る」

 

 ログナーの視線が、静かに露伴へ向いた。

 

 その場の温度が、ほんの少し下がる。

 

 弥子が小声で言った。

 

「……あ、これ、通行止めになるやつだ」

 

 ネウロが笑った。

 

「クク……次の謎も、なかなか喰い応えがありそうだ」

 

カフェの窓の外では、街の人々が何も知らずに行き交っている。

 

 だが、その一角だけは、確かに通行止めだった。

 

 情報と羞恥と請求書が渋滞し、誰一人として、容易には抜け出せそうになかった。

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