守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

105 / 194
怪盗Xiは威光を盗めない

カフェテラスの伝票整理は、今日もまだ終わっていなかった。

 

いや、正確には一度終わったはずだった。

 

 だが、終わったと思った会計ほど、後から追加の紙片が出てくるものだ。

 誰かのポケットからレシートが見つかり、土産物袋の底から控えが出てきて、なぜかカイエンの釣具レンタル代だけが二枚ある。

 

「なぜ二枚ある」

 

 ログナーは、冷たい声で言った。

 

 カイエンは椅子にもたれ、あからさまに目を逸らす。

 

「……予備だろ」

 

「予備の請求書とは何だ」

 

「知らん。店に聞け」

 

「貴様に聞いている」

 

「だから知らねぇって言ってるだろ」

 

 アウクソーが、静かに二枚の伝票を見比べた。

 

「マスター。こちらは延長料金の控えかと思われます」

 

「アウクソー」

 

「はい」

 

「黙っててくれ」

 

「事実ですので」

 

 カイエンは深々と息を吐いた。

 

「今日は事実が多すぎる……」

 

 ソープはその横で、のんびり紅茶を飲んでいた。

 

「カイエン、でも最後は釣れたからいいじゃないか」

 

「釣果と会計は別です、陛下」

 

 ログナーが即座に返す。

 

 カイエンが額を押さえる。

 

「ログナー」

 

 アウクソーも小さく咳払いをした。

 

「ログナー様」

 

 ログナーは一拍置いてから、無表情のまま言い直した。

 

「……ソープ様」

 

「だからそれももう怪しいんだって」

 

 カイエンが呻く。

 

 その少し離れた席では、桂木弥子と泉京香が、

 今日もまた偶然というには都合よく居合わせていた。

 

 弥子の前には、チョコレートパフェ。

 泉の前には、アイスティー。

 

「また伝票整理してる」

 

 弥子がスプーンをくわえながら言った。

 

「旅行って、帰ってからも大変なんですね」

 

 泉がしみじみと言う。

 

「でも、あの白い人がいると、伝票整理っていうより取り調べに見えるよね」

 

「確かに」

 

 泉はちらりとログナーを見た。

 

「領収書一枚で人を裁けそうです」

 

「わかる」

 

 弥子が頷いた、その時だった。

 

 カフェテラスの空気が、ふっと変わった。

 

 日差しが揺らぎ、通行人たちの声がわずかに遠ざかる。

 

 弥子はスプーンを止めた。

 

「……ん?」

 

 泉も目を上げる。

 

「また、何か……?」

 

 テラスの入口に、一人の人物が立っていた。

 

 白く、光をまとったような姿。

 穏やかな顔。

 静かな佇まい。

 

 そこにいるだけで、周囲の視線を奪う姿。

 

 ――の、はずだった。

 

 その人物は、ゆっくりと歩み寄る。

 

 そして、微笑んだ。

 

「さて」

 

 穏やかな声が、カフェテラスに落ちる。

 

「何が訊きたいんだっけ?」

 

 ほんの一瞬、場が止まった。

 

 そして次の瞬間。

 

「Xiじゃん」

 

 弥子が即答した。

 

「バレるの早!」

 

 白い人物――怪盗Xiが、思わず素の声で叫んだ。

 

 泉が、申し訳なさそうに言う。

 

「だって……全然圧が足りない……」

 

「圧」

 

 Xiが肩を落とす。

 

「そこまで具体的に不足を指摘されるとは思わなかったね」

 

 弥子はパフェを食べながら首を傾げる。

 

「見た目はすごいよ。きれいだし、頑張ってるとは思う」

 

「頑張ってる」

 

「でも、前のは見た瞬間に、こう……語彙がなくなる感じだった」

 

 泉も頷いた。

 

「今回は語彙が残りますね」

 

「それは偽物として致命傷なの?」

 

「かなり」

 

 弥子と泉が同時に言った。

 

 カイエンは椅子の背にもたれたまま、鼻で笑った。

 

「全然駄目だな」

 

 怪盗Xiは振り向く。

 

「君まで即断かい?」

 

「姿だけだ。中身が軽い」

 

「手厳しい」

 

 ログナーは、伝票から目を上げた。

 

 その視線は、氷のようだった。

 

「論外だ」

 

「もっと手厳しい」

 

「威光がない」

 

「そこまで言うかい」

 

「事実だ」

 

 Xiは胸に手を当て、芝居がかったため息をついた。

 

「やれやれ。怪盗の変装術も、神の領域には届かないのか」

 

 ソープ本人は、少し困ったように笑っている。

 

「僕、そんなに違うかな?」

 

 カイエンが即答した。

 

「違ぇよ」

 

 ログナーも即答した。

 

「違います」

 

 弥子も頷いた。

 

「違う」

 

 泉も控えめに続けた。

 

「違いますね」

 

 ソープは少しだけしょんぼりした。

 

「そっか」

 

「落ち込むところじゃないだろ」

 

 カイエンが突っ込む。

 

 怪盗Xiは、それでも優雅さを崩さず、白い袖を翻した。

 

「しかし、造形はかなり寄せたつもりだよ。

 髪の流れ、立ち姿、声色、表情。光の演出も少々」

 

 露伴が、いつの間にか背後に立っていた。

 

 手帳を開き、ペンを構えている。

 

「そこは評価できる」

 

 Xiが振り向く。

 

「おや、岸辺露伴。君には好評かな?」

 

「偽物としては資料価値がある。描けるからな」

 

「本物より低評価なのに、漫画家には好評なのが複雑だ」

 

「本物は描けない。君のこれは描ける」

 

「それは褒めているの?」

 

「偽物としては、致命的な欠点だ」

 

「やはり褒めていないね」

 

 露伴はじっとXiを観察した。

 

「前回のあれは、見た瞬間に“描いてはいけない”と分かった。君のこれは、努力すれば描ける。つまり、怪盗Xi。君は姿を盗めても、あの御身の意味までは盗めていない」

 

 Xiは静かに笑った。

 

「なるほど。意味か」

 

 ログナーが冷淡に言う。

 

「意味以前だ」

 

「まだ下げるのかい?」

 

「前提が違う」

 

「前提」

 

「陛下は、陛下だからな」

 

 カイエンが即座に呻いた。

 

「ログナー、そこでまた言うな」

 

 露伴のペンが走る。

 

「今また言ったな」

 

「書くな」

 

「断る」

 

「消せ」

 

「断る」

 

「この件は通行止めだ」

 

「またそれか」

 

 ログナーと露伴が睨み合う。

 

 その横で、怪盗Xiはふむ、と顎に手を当てた。

 

「威光、意味、前提。なるほど。難しいね」

 

「難しいんじゃない」

 

 ログナーが言った。

 

「不可能だ」

 

「怪盗に向かって不可能と言うのは、なかなか挑発的だね」

 

「挑発ではない。説明だ」

 

「君は本当に、説明の形で人を刺すのが得意だ」

 

「事実を述べているだけだ」

 

 弥子が小声で泉に言う。

 

「あの人、本当に口が強いよね」

 

「はい。伝票を読む声で人を斬れますね」

 

「すごい能力だ」

 

 ネウロがいつの間にか弥子の背後に立っていた。

 

「ほう。姿を真似ても、質量が足りぬ偽物か」

 

「質量?」

 

 弥子が見上げる。

 

「精神の質量だ。存在の密度と言ってもよい」

 

「ネウロ、たまにそれっぽいこと言うよね」

 

「貴様にも理解できるように薄めてやったのだ」

 

「褒め方が最低!」

 

 ネウロはXiを見て、にやりと笑った。

 

「だが、悪くはない。偽物の謎には偽物の味がある」

 

「魔人には、多少評価していただけたみたい」

 

 Xiは軽く会釈した。

 

「ただし本物には遠い」

 

「それはもう、十分に言われたよ」

 

 その時、Xiの目がふとテーブルの伝票に向いた。

 

 港町旅行の会計明細。

 塩菓子。土産物。食事。文化調査。寄付。釣具レンタル費。

 

 Xiは、何かを思いついた顔をした。

 

「ところで」

 

 ログナーの目が細くなる。

 

「何だ」

 

 Xiは、にこやかに言った。

 

「この格好でツケで買食いを……」

 

「やめろ」

 

 ログナーの声が低くなった。

 

 カイエンが吹き出した。

 

「お前、それは駄目だろ」

 

 弥子は目を輝かせる。

 

「え、その姿で買い食い?」

 

 泉が真顔で首を振る。

 

「弥子ちゃん、面白がってはいけない気がします」

 

「でも、ちょっと見たい」

 

「それは分かります」

 

 ログナーの背後に、見えない圧が立ち上がる。

 

「やめろと言った」

 

 Xiは肩をすくめる。

 

「いや、考えてみて。この姿で和菓子屋に立ち寄り、

『支払いは後日ログナーへ』と――」

 

「やめろ」

 

「塩大福を少々」

 

「やめろ」

 

「みたらし団子も」

 

「やめろ」

 

「たい焼きは文化調査として」

 

「やめろ!」

 

 カフェテラスの空気が震えた。

 

 ログナーが声を荒げることは少ない。

 だからこそ、その一言には十分すぎる圧があった。

 

 Xiは少し楽しげに目を細める。

 

「おや。効果はあったみたいだね」

 

「貴様」

 

 ログナーが一歩踏み出す。

 

「陛下の御姿で、無銭飲食まがいの真似をするな」

 

「ツケだよ。無銭ではない」

 

「同じだ」

 

「厳密には違う」

 

「私に請求が来る時点で同じだ」

 

 ソープが小さく手を上げた。

 

「ログナー、僕も塩大福は少し気になる」

 

「陛下」

 

「ソープ」

 

 カイエンとログナーが同時に言った。

 

 ソープは困ったように笑う。

 

「だって地球文化調査としては――」

 

「却下します」

 

「早いね」

 

「検討済みです」

 

「まだ言い終わってないよ」

 

「言い終わる必要がありません」

 

 露伴が手帳に書き込む。

 

「塩大福。文化調査。却下」

 

 ログナーが即座に睨む。

 

「書くな」

 

「これは平和な情報だろう」

 

「平和な情報ほど後で厄介になる」

 

「経験則か?」

 

「そうだ」

 

「それは面白いな」

 

「面白がるな」

 

 Xiは再びアマテラス陛下もどきの姿で、軽く袖を広げた。

 

「しかし、せっかくだから、この姿で少し街を歩いてみるのも一興かな」

 

「やめろ」

 

 ログナーが即答する。

 

「なぜ? 皆が語彙を失うかもしれないじゃない」

 

 泉が控えめに手を上げる。

 

「たぶん失わないと思います」

 

 弥子も頷く。

 

「うん。今のところ普通に会話できてるし」

 

「普通に会話できる時点で駄目なの?」

 

 Xiは苦笑した。

 

 露伴が言う。

 

「本物は、見た人間の言葉を奪った。君は、見た人間に感想を言わせている。そこが決定的に違う」

 

 Xiは少しだけ真面目な顔になる。

 

「なるほど。言葉を奪うほどの存在、か」

 

 ソープが穏やかに首を振った。

 

「奪っているつもりはないんだけどね」

 

「だから厄介なんだよ」

 

 カイエンが言う。

 

「お前はいつもそうだ。何もしてない顔で、とんでもないことをする」

 

「そうかな」

 

「そうだ」

 

「カイエンまで厳しいなあ」

 

「長い付き合いだからな」

 

 Xiはソープを見る。

 

「では、本人から見てどうだい? 僕の出来は」

 

 ソープは少し考えた。

 

 そして、にこりと笑った。

 

「うーん。似ているところもあるよ」

 

 Xiの顔が少し明るくなる。

 

「ほう」

 

「でも、僕ならその格好で買い食いをツケにはしないかな」

 

 ログナーが深く頷いた。

 

「当然です」

 

 ソープは続けた。

 

「ちゃんと買うよ」

 

「陛下」

 

 ログナーの声が一段低くなる。

 

「買うのか」

 

「文化調査だからね」

 

「そこではありません」

 

 カイエンが笑いを堪えきれず、肩を震わせている。

 

「だめだ、結局本物も駄目だ」

 

 アウクソーが静かに言う。

 

「マスター。笑いすぎです」

 

「いや、無理だろ」

 

 露伴は手帳にまた一行足した。

 

『本物も塩大福には弱い可能性。』

 

「消せ」

 

 ログナーが言う。

 

「断る」

 

「通行止めだ」

 

「その程度の情報は通す」

 

「通すな」

 

「僕の手帳は君の道路ではない」

 

「なら封鎖する」

 

「やってみろ」

 

 二人の空気がまた険悪になる。

 

 ネウロが愉快そうに笑った。

 

「クク……情報の通行権を巡る争いか。人間は実に面白い場所で争う」

 

「争ってない」

 

 露伴とログナーが同時に言った。

 

 弥子がパフェを食べながら呟く。

 

「息ぴったりじゃん」

 

「不愉快だ」

 

「不本意だ」

 

 また同時だった。

 

 泉が口元を押さえる。

 

「仲良しですね」

 

「違う!」

 

 露伴が言い、ログナーは無言で泉を見た。

 

 泉はすぐに目を逸らした。

 

「すみません」

 

 その間に、Xiは静かに後退していた。

 

 白い袖を翻し、テラスの出口へ向かう。

 

「では、僕はそろそろ失礼するよ。威光を盗めないことは分かったけど、収穫はあった」

 

 カイエンが片眉を上げる。

 

「何の収穫だ」

 

「塩大福が重要らしい」

 

「そこかよ」

 

 ログナーが立ち上がる。

 

「待て」

 

 Xiは微笑む。

 

「おや、通行止めかな?」

 

「当然だ」

 

 ログナーが一歩前に出る。

 

「陛下の御姿を使った以上、ただで帰れると思うな」

 

 Xiは肩をすくめる。

 

「これはこれは。職務熱心だ」

 

「職務ではない」

 

「では?」

 

「不敬への対応だ」

 

 その声には、静かな怒りがあった。

 

 先ほどまでの伝票整理の苛立ちとは違う。

 それはもっと深く、もっと冷たい。

 

 Xiもそれを察したのか、少しだけ表情を引き締めた。

 

「なるほど。そこは本当に怒るんだね」

 

「試したのなら、悪趣味だ」

 

「怪盗は境界を確かめるものだからね」

 

「なら覚えておけ」

 

 ログナーの声が、さらに低くなる。

 

「そこは通行止めだ」

 

 空気が張り詰めた。

 

 だがその瞬間、ソープが穏やかに言った。

 

「ログナー」

 

 ログナーの動きが止まる。

 

「ほどほどにね」

 

「……陛下」

 

「僕は平気だよ」

 

「私が平気ではないので」

 

 その一言に、カイエンが少しだけ目を細めた。

 

 ソープは静かに微笑む。

 

「うん。分かってる」

 

 そのやり取りを見て、露伴のペンが止まった。

 

 さっきまで茶化し、記録し、突っ込んでいた手が、少しだけ動きを失う。

 

 それは、威光とは違うものだった。

 臣下の忠誠。

 友の心配。

 長い時間を共にした者だけが持つ距離感。

 

 姿形では盗めないもの。

 

 露伴は小さく呟いた。

 

「……なるほど。そこか」

 

 Xiはそれを聞いて、少し楽しげに笑った。

 

「何か分かったのかい、漫画家」

 

「少しだけな」

 

「描けそうかな?」

 

「君のことなら描ける」

 

「本物は?」

 

 露伴は一瞬黙り、それから顔をしかめた。

 

「まだ無理だ」

 

 ソープが笑う。

 

「まだ、なんだね」

 

「うるさい」

 

 ログナーがXiに視線を戻す。

 

「怪盗Xi。その姿を解け」

 

「仕方ない」

 

 Xiは優雅に一礼した。

 

 白い姿が、ふわりとほどける。

 

 光めいた演出が消え、そこにはいつもの怪盗Xiが立っていた。

 

 黒衣の怪盗。

 軽やかな笑み。

 どこまでも芝居がかった立ち姿。

 

 弥子が即座に言った。

 

「あ、こっちの方がしっくりくる」

 

 泉も頷く。

 

「はい。語彙が戻ります」

 

「僕の評価基準は語彙なの?」

 

 Xiが苦笑する。

 

「今回に関してはそう」

 

 弥子が言った。

 

「前の本物は、もう何て言えばいいか分からなかったもん」

 

 ネウロが嗤う。

 

「貴様に語彙がある時点で偽物、ということだな」

 

「ネウロ、あたしを基準にするのやめて」

 

「分かりやすい基準だ」

 

「最悪!」

 

 Xiは一礼した。

 

「では、今度こそ退散するよ。威光は盗めなかったが、良い勉強になったし」

 

 ログナーが言う。

 

「次に陛下の姿を使えば、ただでは済まさん」

 

「わかった。次は別の姿で来るよ」

 

 カイエンが嫌そうな顔をした。

 

「まさか俺じゃねぇだろうな」

 

「それも面白いね」

 

「やめろ」

 

 Xiは笑った。

 

「では、また会おうね」

 

 白い煙幕が、ふわりと広がる。

 

 ログナーは動かない。

 

 ただ一言、静かに言った。

 

「次も通行止めだ」

 

 煙が晴れた時、怪盗Xiの姿は消えていた。

 

 残されたのは、カードが一枚。

 

 露伴が拾い上げる。

 

 そこには、美しい字でこう書かれていた。

 

『姿は借りられる。声も盗める。

 だが、威光は盗めない。

 怪盗Xi』

 

 露伴はそれを見て、ふっと笑った。

 

「分かっているじゃないか」

 

 ログナーが手を差し出す。

 

「渡せ」

 

「断る」

 

「それも資料にする気か」

 

「当然だ」

 

「見せろ」

 

「嫌だ」

 

「消せ」

 

「カードは消せない」

 

「燃やす」

 

「やめろ」

 

 カイエンが呆れたように言う。

 

「お前ら、最後までそれか」

 

 ソープは紅茶を飲みながら、楽しそうに笑った。

 

「でも、今日は少し分かったこともあったね」

 

 露伴が顔を上げる。

 

「何がだ」

 

「威光って、形じゃないんだね」

 

「君が言うと、妙に腹が立つな」

 

「そう?」

 

「そうだ。まるで他人事みたいに言うからだ」

 

 ソープは少し考えた。

 

「じゃあ、僕も勉強になった」

 

「その言い方も腹が立つ」

 

 ログナーが伝票を揃える。

 

「では、話が終わったなら会計に戻ります」

 

 カイエンが呻く。

 

「まだやるのか」

 

「当然だ」

 

 ログナーは釣具レンタル費の伝票をカイエンの前に置いた。

 

「特にこれは確認が必要だ」

 

「だから強調するな!」

 

 アウクソーが静かに言った。

 

「マスター、延長料金も含まれております」

 

「アウクソー!」

 

 弥子が最後のパフェを食べ終え、満足そうに息を吐いた。

 

「今日も濃かったね」

 

 泉が頷く。

 

「はい。カフェで体験する内容ではありませんでした」

 

「でも、偽物は分かりやすかった」

 

「圧が足りませんでしたからね」

 

「語彙も残ったしね」

 

 二人は妙に納得した顔で頷いた。

 

 露伴は手帳を開き、カードを挟んだ。

 

 そして、一行だけ書き足す。

 

『怪盗Xiは威光を盗めない。

 なぜなら、威光とは姿ではなく、そこに至る時間と関係性の重さだからだ。』

 

 少し考えて、さらに続ける。

 

『ただし、偽物は描ける。

 これはこれで面白い。』

 

 ログナーが横から覗き込む。

 

「余計なことを書くな」

 

「余計かどうかは僕が決める」

 

「なら私が止める」

 

「やってみろ」

 

「通行止めだ」

 

「僕の原稿は通行止めにならない」

 

「なる」

 

「ならない」

 

 ソープは笑っている。

 

 カイエンは疲れた顔でコーヒーを飲む。

 

 アウクソーは伝票を揃え、弥子は空のパフェグラスを見つめ、

 泉は今日の出来事をどう編集部に説明すべきか少しだけ悩んでいた。

 

 街のざわめきは、何事もなかったように続いている。

 

 怪盗Xiは姿を盗める。

 声も盗める。

 芝居もできる。

 

 だが、あの日、露伴の語彙を奪ったものだけは盗めなかった。

 

 光の御身。

 沈黙の意味。

 誰も口にしない単語。

 

 そして、ログナーが本気で怒る境界線。

 

 それらは、どんな怪盗にも盗めない。

 

 少なくとも、今日のところは。

 

 カイエンがぽつりと言った。

 

「しかし、あいつ本当に塩大福買いに行くんじゃねぇだろうな」

 

 ログナーの手が止まった。

 

 ソープが少しだけ目を輝かせる。

 

「塩大福……」

 

「陛下」

 

「ソープ」

 

ログナーとカイエンが同時に言った。

 

 露伴は、また手帳を開いた。

 

「なるほど。次の火種は塩大福か」

 

「書くな」

 

「断る」

 

 今日もまた、カフェテラスの一角だけが、静かに騒がしかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。