守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
怪盗Xiの処遇について、ログナーはまだ諦めていなかった。
ミラージュ騎士団レフトメンバーへの仮採用。
陛下不在時における影武者候補。
怪物強盗としての変装能力および逃走能力の活用。
どれも、怪盗Xi本人にとっては迷惑極まりない話だった。
だがログナーにとっては、実務的に検討する価値のある案件だった。
「話し合いの場を設ける」
ログナーはそう宣言した。
その声は、いつも通り冷静だった。
冷静すぎて、聞いている側が逆に不安になるほどだった。
「話し合いっていう名の採用面接だろ」
カイエンが言った。
「違う」
ログナーは即答した。
「では何だ」
「条件確認だ」
「同じだろ」
「違う」
「違わねぇよ」
カフェテラスのテーブルには、またしても奇妙な面々が集まっていた。
ソープ。
カイエン。
アウクソー。
ログナー。
少し離れた席には、桂木弥子と泉京香。
なぜかまたいる岸辺露伴。
そしてネウロも、いる。
もうこのカフェにとっては日常なのかもしれない。
少なくとも店員は、だいぶ何も見なかったことにする技術を身につけていた。
「で、今日はXiをどうやって釣る気だ?」
カイエンが訊く。
ログナーは、手元のメモを見ずに答えた。
「食事だ」
「食事?」
「まず、食事をしながら話す。警戒を解くには有効だ」
露伴が眉を上げた。
「君にしては人間的な手段だな」
「人間相手には人間的な手段を使う」
「怪盗Xiは人間なのか?」
「少なくとも、腹は減るだろう」
弥子が目を輝かせた。
「説得力ある!」
ネウロが冷たく言う。
「貴様は腹が減りすぎだ」
「今のは一般論!」
「貴様の一般論は大抵胃袋から出ている」
「ひどい!」
ソープがにこにこしながら言った。
「それで、何を食べるの?」
ログナーは淡々と答えた。
「ニホンの寿司などどうでしょう」
ソープの表情が少し明るくなる。
「寿司」
カイエンも頷いた。
「まあ、悪くねぇな」
弥子は完全に前のめりになった。
「お寿司! マグロ! サーモン! えんがわ! いくら! うに!」
「お前は呼んでない」
カイエンが言う。
「聞こえたからには参加資格がある!」
「どんな理屈だ」
泉が小声で言う。
「弥子ちゃん、せめて交渉が始まってから食べましょう」
「交渉って、食べながらするんでしょ?」
「食べるのが主目的になっています」
「だってお寿司だよ?」
「それはそうですね」
泉も少し揺れた。
その時だった。
カフェテラスの端に、ふわりと白い煙が漂った。
ログナーが目を向ける。
煙が薄れ、黒衣の怪盗が姿を現した。
怪盗Xiである。
「やあ」
Xiは軽く片手を上げた。
「また僕を捕まえようとしてる顔だね。ログナー司令」
「捕まえるとは言っていない」
「じゃあ何?」
「話をする」
「その顔で言うと、だいたい捕まえると同じ意味になるよ」
Xiは軽く肩をすくめ、ソープの方を見た。
「ソープもいるの?」
「うん。今日は交渉だって」
「交渉?」
Xiは警戒したように一歩下がる。
カイエンがにやりと笑った。
「お前のミラージュ入りのな」
「入らないって言ったよね?!」
露伴が手帳を開く。
「怪盗Xi、改めて採用交渉へ」
「書くなよ、漫画家!」
「面白いものは書く」
「その理屈、ほんとひどいよ」
ログナーはXiをまっすぐ見た。
「まあ、旨いものでも食べながら話をしよう。ニホンの寿司なんてどうだ」
その瞬間。
怪盗Xiの顔から、すっと血の気が引いた。
「寿司……」
声が、少しだけ震える。
「刺身……」
場の空気が止まった。
Xiは、まるで遠い過去の戦場を思い出す兵士のような目をした。
「お刺身怖い……」
弥子が即座に反応した。
「大好きなの?」
Xiがびくっとして振り向く。
「僕もそれ知ってるけど、今回はそういう昔話のネタじゃない!」
「違うんだ」
「違うよ!」
Xiは両手を振った。
「これは“怖い怖いと言いながら最後に饅頭が怖い”みたいな話じゃない。本当に怖いんだよ!」
カイエンが怪訝そうな顔をする。
「あいつ、生魚駄目なのかね」
弥子は納得いかない顔をした。
「美味しいのに!」
「君は何でも美味しいって言うだろ」
Xiが言う。
「そんなことないよ! 美味しいものだけ美味しいって言うよ!」
ネウロが言った。
「その範囲が広すぎるだけだ」
「ひどい!」
ログナーは、少しだけ眉をひそめた。
「何があった」
「訊くの?」
「交渉に必要な情報だ」
「今それ、交渉じゃなくて事情聴取だよ」
「同じだ」
「違うよ!」
Xiは心底嫌そうな顔で椅子に座った。
逃げてもよかった。
だが、この場にいる者たちは、どうせ逃げても後で追ってくる。ログナーはもちろん、露伴に妙な興味を持たれたらさらに面倒だ。
だったら、最小限だけ話して切り抜ける。
怪盗Xiは、そう判断した。
「昔ね」
Xiは言った。
「珍味だって言われたんだ」
弥子が身を乗り出す。
「珍味」
「そう。“慣れると癖になる”って」
ネウロの口元が、わずかに歪んだ。
「ほう。実に信用できない紹介文だな」
「でしょ?」
Xiは力強く頷いた。
「だいたい、“珍味だ”“一族自慢だ”“慣れると癖になる”って言うやつは信用しちゃいけないんだ」
露伴のペンが走った。
「ずいぶん具体的な経験則だな」
「書くな!」
「今のは良い台詞だ」
「良くないよ。傷だよ」
ソープが心配そうに訊いた。
「それで、何を食べたの?」
Xiは、嫌そうに口を歪めた。
「バラムツ」
弥子の表情が固まった。
「……それ、食べちゃダメなやつじゃん!」
「先に言ってよ!」
「いや、普通は出さないよ!」
「出されたんだよ!」
泉がスマホを手に取りかけて、すぐに止めた。
「調べるまでもなく、弥子ちゃんの反応でだいたい分かりました」
弥子が真顔で説明する。
「バラムツって、脂が人間の体で消化できないから、食べると大変なことになる魚だよ」
「そう!」
Xiは椅子にもたれた。
「僕の体内秩序を盗んでいった」
カイエンが吹き出した。
「何だその表現」
「だって本当にそうだったんだよ! あれは魚じゃない。内部犯行だ」
ネウロが愉快そうに笑う。
「クク……怪物強盗が魚の脂に敗北するとはな」
「敗北じゃないよ! 罠だよ!」
「魚に盗まれた怪盗」
「うるさいな!」
露伴は真剣にメモしている。
「体内秩序を盗んでいった……内部犯行……なるほど、これは使える」
「使うな! 僕の胃腸史を漫画にするな!」
「胃腸史という表現もいいな」
「拾うな!」
ログナーは少し考え込んだ。
「つまり、刺身という形態に警戒があるわけか」
「生魚全般にちょっと警戒がある」
「寿司もか」
「寿司も」
「マグロも?」
「マグロはたぶん大丈夫だけど、今は流れで怖い」
「流れで怖いとは何だ」
「気持ちの問題!」
弥子が真剣な顔で言う。
「でも、マグロは美味しいよ?」
「その善意が怖い」
「サーモンは?」
「やめて」
「えんがわ」
「やめて」
「いくら」
「魚卵に逃げ道を作るな!」
「うに」
「それはもう別ジャンルじゃない?」
泉がくすくす笑った。
「弥子ちゃん、勧誘になっています」
「だって美味しいのに」
「トラウマ相手に食レポで押すのは危険です」
「そっか」
ログナーは静かに言った。
「では、寿司はやめる」
Xiはほっとした。
「うん。そうして」
「焼き魚にする」
「魚から離れてよ!」
カイエンが腹を抱えて笑う。
「だめだ。完全に魚に警戒してる」
「当たり前だよ。僕はもう、光る名前の魚には騙されない」
「バラムツは別に光ってねぇだろ」
「名前が罠っぽい!」
露伴が言った。
「では肉にすればいいんじゃないか」
Xiが露伴を見る。
「珍しいね。まともな提案をするんだ」
「まともとは失礼だな」
「普段が普段だよ」
「僕は君の中身を読んでみたいとは思っている」
「ほらまともじゃない!」
ログナーが割り込んだ。
「肉か。悪くない」
弥子が手を上げる。
「唐揚げ!」
ネウロが言う。
「貴様が食べたいだけだろう」
「交渉にも向いてるよ! みんなでつまめるし!」
「貴様が多くつまむ未来しか見えん」
「信用ない!」
ソープがにこりと笑う。
「じゃあ、塩大福は?」
ログナーが即座に言う。
「陛下」
ソープは少しだけ残念そうにする。
「だめ?」
「交渉の主食にはなりません」
「お茶もつければ」
「なりません」
Xiが小さく言った。
「塩大福なら、僕は食べる」
ログナーが彼を見る。
「貴様も乗るな」
「だって生魚じゃないし」
カイエンが笑いながら言う。
「よかったな、ログナー。寿司では釣れなかったが、塩大福なら釣れるかもしれないぞ」
「釣るな!」
Xiが言う。
「僕は魚じゃない!」
「魚に負けた怪盗だろ」
「カイエン、それ以上言ったら君の釣り下手をばらすよ」
「もうばれてる」
露伴が言った。
「僕が記録済みだ」
「お前は黙ってろ!」
ソープは、少しだけ考え込む。
「でも、食べ物で交渉するなら、相手が安心して食べられるものの方がいいよね」
「陛下の仰る通りです」
ログナーが頷く。
「そこでなぜ寿司を選んだのかな」
ソープが穏やかに言った。
ログナーが一瞬だけ沈黙する。
カイエンがにやにやした。
「おい、責められてるぞ」
「責めてないよ」
ソープは笑う。
「でも、Xiが怖がるなら別のものにしよう」
Xiは目を細めた。
「君、たまにすごく優しいこと言うよね」
「たまに?」
「普段はなんか、ふわっと巻き込んでくるから」
「そうかな」
「そうだよ」
ログナーは、静かにメモを修正した。
「交渉時の食事候補。寿司は除外」
露伴が横から覗き込む。
「生魚で交渉失敗、と」
「書くな」
「断る」
「失敗ではない。情報収集だ」
「失敗したから情報が得られたんだろう」
「黙れ」
「君、僕には敬語を使わないんだな」
「必要ない」
「失礼な男だ」
「事実だ」
弥子が泉に小声で言った。
「また始まった」
泉が頷く。
「露伴先生とログナーさん、すぐ言い合いになりますね」
「仲良しなのかな」
「それを言うと怒られるので、言わない方がいいです」
「じゃあ心の中で言う」
「賢明です」
Xiは、そんな周囲を見回し、少しだけ気が緩んだように笑った。
「まったく。交渉するっていうから何をされるかと思ったら、寿司で僕を仕留めようとするなんてね」
ログナーは無表情で返す。
「仕留めるつもりはない」
「どうだか」
「採用するつもりだ」
「そっちの方が怖いんだよ!」
カイエンが笑う。
「お前、寿司より採用の方を怖がれよ」
「両方怖いよ!」
ソープが言った。
「じゃあ、今日は交渉じゃなくて、食事会にしようか」
Xiがすぐに警戒する。
「食事会って言って契約書出したりしない?」
「しないよ」
ログナーが言う。
「今日は出さない」
「“今日は”って言った!」
露伴がすぐ書く。
「今日は出さない」
「君も書くな!」
弥子が元気よく手を上げた。
「じゃあ唐揚げと塩大福で!」
「組み合わせが変だろ」
カイエンが言う。
「甘いのとしょっぱいの!」
「それは分かる」
泉がメニューを見ながら言った。
「このお店、唐揚げはありますけど、塩大福はありませんね」
ソープが少し残念そうな顔をする。
「ないんだ」
ログナーが静かに言う。
「よかった」
「ログナー」
「いえ」
Xiはメニューを覗き込んだ。
「じゃあ、僕は無難にオムライスで」
「普通だな」
カイエンが言う。
「普通でいいよ。僕はいま普通を求めてるんだ」
「怪盗が普通を求めるのか」
露伴が言った。
「僕だって食事くらい安全にしたいんだよ」
ネウロが笑う。
「クク……怪物強盗の安全圏がオムライスとはな」
「オムライスを馬鹿にするなよ。安心と信頼の卵料理だぞ」
弥子が頷く。
「分かる! オムライスは正義!」
「ほら、桂木弥子もそう言ってる」
「弥子が言うと食べたいだけに聞こえるけどな」
カイエンが言う。
「食べたいよ!」
「否定しねぇのか」
結局、その日は寿司ではなく、カフェのメニューで食事をすることになった。
Xiはオムライス。
弥子は唐揚げと追加のパフェ。
泉はサンドイッチ。
カイエンはコーヒー。
ソープは紅茶と、メニューにない塩大福への未練。
ログナーは食事に手をつけず、交渉条件のメモを整理していた。
「食べないの?」
Xiが訊く。
「必要ない」
ログナーが答える。
「食事しながら話そうって言ったの君だよね」
「私は話す側だ」
「ずるいなあ」
ログナーはメモから目を上げる。
「怪盗Xi」
「何?」
「生魚は不可。珍味という単語に警戒。慣れると癖になる、という表現にも警戒。交渉時は避ける」
「人のトラウマを採用資料にするな!」
「必要な配慮だ」
「配慮の形が怖い!」
露伴が横から言う。
「僕も記録しておいた」
「もっと怖い!」
「安心しろ。胃腸史としては描かない」
「胃腸史って言うな!」
「ただし、“怪盗Xiは寿司を信用しない”というタイトルは使える」
「使うな!」
弥子が口いっぱいに唐揚げを食べながら言う。
「でも分かりやすいよ」
「分かりやすさで僕を追い詰めないで!」
ソープは楽しそうに笑った。
「でも、Xiのことを少し知れたね」
Xiはオムライスを一口食べて、少しだけ目を細めた。
「……まあ、僕も一つ学んだよ」
ログナーが訊く。
「何をだ」
「ログナー司令は、交渉前に相手の苦手な食べ物を調べない」
カイエンが噴き出した。
露伴も笑いを堪える。
ログナーは無表情のまま、しばらく沈黙した。
「次回から調べる」
「次回がある前提なんだ」
Xiがげんなりする。
「僕はまだ契約しないよ」
ソープが言った。
「契約金は国家規模で出すよ」
Xiのスプーンが止まった。
「……契約、なんて、しない」
カイエンが即座に指さす。
「揺れた」
「揺れてない!」
弥子も言う。
「今のは揺れたね」
泉も小さく頷く。
「はい。寿司より効いています」
ネウロが笑う。
「生魚ではなく金で釣れるか。実に人間らしい」
「僕は怪物強盗だよ!」
「だからこそだろう」
ログナーが静かにメモする。
「国家規模の契約金。効果あり」
「書くな!」
露伴も書く。
「国家規模の契約金。効果あり」
「君も書くな!」
ソープがにこにこしている。
「次は塩大福も用意しようか」
「陛下」
ログナーが低く言う。
「だめ?」
「交渉が長引きます」
「いいじゃない。長く話せるよ」
「それが問題です」
Xiはオムライスを食べながら、小さく呟いた。
「……塩大福は、ちょっと食べたい」
ログナーの視線が刺さる。
「貴様まで」
カイエンが笑った。
「決まりだな。次回は塩大福交渉だ」
「やめろ!」
Xiとログナーが同時に言った。
弥子が目を輝かせる。
「塩大福!」
泉がため息まじりに笑う。
「また食べ物の話になりましたね」
露伴は手帳を閉じた。
「今日の結論はこれだな」
「何だ」
ログナーが訊く。
露伴はにやりと笑う。
「ログナー司令は、生魚で交渉に失敗する」
「失敗ではない」
「失敗だろう」
「情報収集だ」
「失敗から得た情報だ」
「黙れ」
Xiが言った。
「僕からも結論があるよ」
全員が彼を見る。
Xiはスプーンを置いて、真剣な顔で言った。
「怪盗Xiは寿司を信用しない」
弥子がすぐに言う。
「でも美味しいよ?」
「いつかね!」
「いつか食べるんだ」
「……マグロくらいなら、いつか」
ログナーがメモする。
「マグロは条件次第で可」
「だからメモするな!」
カイエンが笑い、ソープも笑い、弥子は唐揚げを食べ、泉はその光景をどこか諦めたように見守った。
ネウロは愉快そうに目を細める。
露伴は、手帳に最後の一行を書き加えた。
『怪盗Xiは寿司を信用しない。
ただし、国家規模の契約金と塩大福には揺れる。』
ログナーが横から覗き込む。
「余計なことを書くな」
「事実だ」
「その言い方は私のものだ」
「便利だからな」
「使うな」
「断る」
そのやり取りを見て、弥子が小声で言った。
「やっぱり仲良しだよね」
泉が静かに頷く。
「はい。何も見ていませんけど」
二人はそう言って、食事に戻った。
その日の交渉は、正式な契約には至らなかった。
怪盗Xiは寿司を避け、オムライスを食べ、国家規模の契約金に少しだけ揺れ、塩大福にも少しだけ揺れた。
ログナーは、生魚での交渉に失敗した。
露伴は、それをしっかり記録した。
そしてソープは最後まで、塩大福がメニューにないことを少しだけ残念がっていた。
平和だった。
少なくとも、誰もバラムツは出さなかった。