守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
今夜もカイエンは、ショットバーでグラスを傾けていた。
そして、カイエンは、もう怪盗Xiの気遣いを信用していなかった。
悪意があるわけではない。
むしろ、本人としてはかなり真面目に気を遣っている。
それは分かる。
分かるからこそ厄介だった。
ラクス・クラインに化ければキラ・ヤマトが怒る。
泉京香に化ければ露伴と編集部方面が面倒になる。
ソープダッシュに化ければログナーが無言で立ち上がる。
桂木弥子に化ければ、年齢と食費の両面で危険になる。
結論はひとつだった。
「偽物は駄目だ」
カイエンは、ショットバーのカウンターで言った。
隣には承太郎。
反対側にはログナー。
少し離れた席には怪盗Xi。
そして、なぜか今夜も岸辺露伴がいる。
「いきなり何の結論だ」
露伴が手帳を開いた。
「開くな」
カイエンが即座に言う。
「まだ何も書いていない」
「これから書くだろ」
「当然だ」
「閉じろ」
「断る」
怪盗Xiは甘いノンアルコールカクテルを飲みながら、不満そうに言った。
「偽物ってひどいなあ。僕、かなり頑張ったんだけど」
「頑張った結果が全部地雷だったんだよ」
カイエンは言った。
「僕は普通に飲みたいだけなんだ。普通に。大人の店で。普通に綺麗な女性と」
「つまり、まだ諦めていないのか」
ログナーが冷たく言った。
「悪いか」
「露伴に取材項目を増やされる覚悟があるなら構わん」
「構う。非常に構う」
承太郎が短く言った。
「やめておけ」
「お前はそればっかりだな」
「有効だからな」
「有効なのが腹立つ」
露伴はペンを構えた。
「ヒューア・フォン・ヒッター子爵、酒席に華やぎを求める、と」
「書くな!」
怪盗Xiがにやにや笑う。
「じゃあ、やっぱり僕が知らない綺麗な人に化ければ――」
「やめろ」
カイエン、ログナー、承太郎、露伴が同時に言った。
Xiは頬を膨らませた。
「もう。みんな息ぴったりじゃん」
「不本意だ」
ログナーが言う。
「不愉快だ」
露伴が言う。
「同感だ」
承太郎が言う。
「お前ら本当に仲いいな」
カイエンが言った。
「違う」
「違う」
「違う」
三人が同時に返した。
カイエンはグラスを置いた。
「だから、本物を呼べばいい」
Xiが目を丸くする。
「本物?」
「そうだ。偽物が駄目なら、本物だ」
露伴の目が輝いた。
「それは面白い」
「お前が面白がるから嫌なんだよ」
「まず候補を整理しよう」
「整理するな!」
ログナーは淡々と言った。
「ラクス・クライン」
「いきなり大物を出すな」
カイエンが言う。
承太郎がグラスを傾けた。
「呼べば来るのか」
「熊退治の件や、防波堤での件もある。礼を言いたいと言われれば、付き合ってくれるかもしれん」
カイエンは少し真面目な顔になった。
「あの時の礼なんていらねぇんだがな」
露伴が即座に書く。
「今のはいい。非常にいい」
「書くな!!」
Xiは首を傾げた。
「でもラクスが来たら、キラも来るんじゃない?」
「……」
カイエンは黙った。
ログナーが言う。
「当然だろうな」
承太郎も言う。
「来るだろうな」
露伴が面白そうに言う。
「キラ・ヤマトの警戒心も取材できる」
「やめろ。話が増える」
カイエンが頭を抱える。
Xiは楽しそうに続けた。
「ラクスが一杯付き合ってくれて、キラが横で見守ってる。カイエン、落ち着いて飲める?」
「……飲めねぇな」
「却下?」
「保留だ」
「未練あるんだ」
「うるせぇ」
ログナーが次の候補を挙げる。
「泉京香」
露伴の顔が変わった。
「却下だ」
全員が露伴を見る。
カイエンがにやりとする。
「お前が却下するのか」
「泉君は編集者だ。酒席に呼ぶ理由がない」
Xiが笑う。
「締切の話されるから?」
「違う」
露伴は即答した。
「絶対違う」
「二回言ったね」
承太郎が低く言う。
「効いているな」
「効いていない」
ログナーが淡々と追撃する。
「泉京香がいれば、露伴の暴走抑止にはなる」
「有用だな」
カイエンが頷く。
「有用じゃない!」
露伴が怒る。
「僕は暴走していない」
「している」
ログナー。
「しているな」
承太郎。
「してるよ」
Xi。
「してるだろ」
カイエン。
露伴は全員を睨んだ。
「この場は僕に敵が多すぎる」
カイエンは笑った。
「よし、泉さんは有力候補だ」
「待て」
「締切の話題でお前が静かになるなら、僕は助かる」
「ヒッター子爵、君は本当に性格が悪いな」
「お前に言われたくない」
次に、Xiが元気よく手を上げた。
「じゃあ弥子ちゃんは?」
ログナーが即座に言った。
「費用が読めない。却下だ」
「早い!」
「本人でも却下なの?」
Xiが言う。
「本人だからだ」
ログナーは言い切った。
承太郎も低く頷く。
「食うだろうな」
カイエンも笑う。
「店の食材が減る」
露伴が書く。
「桂木弥子、飲み会では予算上危険」
「本人いないのにひどい!」
Xiが言った。
その瞬間、バーの扉が開いた。
からん。
「誰が予算上危険なの?」
桂木弥子だった。
全員が固まった。
その後ろには泉京香もいる。
「こんばんは。露伴先生がまた原稿と関係ないところで面白そうなことをしている気配がしたので」
「気配で来るな!」
露伴が叫んだ。
弥子はカウンターの方へ歩いてきて、きょろきょろと店内を見回す。
「わー、大人のバーだ」
ログナーがすぐに言う。
「桂木弥子、飲酒は禁止だ」
「飲まないよ! ノンアルだよ! あと唐揚げがあれば唐揚げ」
「やはり食事目的か」
「違うよ! ちょっと様子見に来ただけ!」
ネウロが、なぜか背後にいた。
「貴様の様子見は、胃袋を通るのか」
「ネウロまで?!」
カイエンが頭を抱えた。
「増えた……」
泉が露伴の横に立つ。
「露伴先生、バーで取材ですか?」
「取材ではない。偶然だ」
「手帳とペンを持っている偶然ですね」
「これは常備品だ」
「では、その常備品を少し閉じましょうか」
「……」
露伴は一瞬だけ黙った。
カイエンはその様子を見て、小さく感動した。
「効いてる」
Xiが小声で言う。
「本物の泉さん、強いね」
「偽物よりずっと効くな」
カイエンが頷いた。
「僕の変装も悪くなかったと思うけど」
「中身がお前だから駄目だったんだよ」
弥子がXiを見つけて、ぱっと顔を明るくする。
「あ、Xi!」
「やあ、弥子ちゃん」
「この前、お刺身怖いって言ってたよね」
「その話、ここで広げないで!」
弥子はカウンターに座る。
「バーテンさん、あたしノンアルで甘いのください! あと唐揚げありますか?」
ログナーが低く言った。
「やはり来た時点で食費が発生する」
「食べるけど! でもそんなに食べないよ!」
「“そんなに”の定義を述べろ」
ネウロが言う。
「えーと……唐揚げなら、まず軽く二皿?」
ログナーが即答する。
「却下だ」
「まだ頼んでない!」
泉が苦笑する。
「弥子ちゃん、一皿にしましょう」
「はーい」
ログナーが泉を見る。
「制御能力が高い」
「ありがとうございます?」
露伴が嫌そうな顔をする。
「褒めるな。調子に乗る」
「露伴先生?」
「何でもない」
カイエンはグラスを手に取り、少しだけ笑った。
「なんだ。本人を呼んだ方が、まだまともじゃねぇか」
Xiが不満そうに言う。
「僕の気遣いは?」
「方向が違った」
「やっぱり?」
「やっぱりだ」
その時、扉がもう一度開いた。
からん。
全員が振り向く。
ラクス・クラインだった。
その隣には、キラ・ヤマト。
ラクスは穏やかに微笑んだ。
「こんばんは。皆さま、お揃いですのね」
キラは少し困ったように笑っている。
「ラクスが、少しだけなら、と」
カイエンが小さく呻いた。
「本当に来た……」
ラクスはカイエンの前に立ち、丁寧に頭を下げた。
「カイエンさん。あの時は、ありがとうございました」
「礼を言われるほどのことじゃねぇよ」
カイエンは少し照れたように目を逸らす。
「あの場にいたなら、守るのが当然だ」
露伴のペンが動いた。
「今のはいい。非常にいい」
泉が静かに言う。
「露伴先生」
ペンが止まった。
「……少しだけだ」
「少しだけでもだめです」
「厳しいな、君は」
ログナーが言う。
「有用だ」
「君まで言うな」
ラクスはにこりと笑う。
「もしよろしければ、今夜は一杯だけご一緒させてくださいませ。もちろん、わたくしもほどほどに」
キラが横で頷く。
「飲みすぎないでくださいね、ラクス」
「はい、キラ」
カイエンはグラスを掲げた。
「じゃあ、一杯だけな」
承太郎が静かに言う。
「ようやく普通の酒席らしくなったな」
その言葉に、全員が一瞬黙った。
そしてほぼ同時に、弥子が唐揚げを注文し、露伴が手帳を開き、ログナーがXiの契約条件メモを取り出し、Xiがラクスの隣で「本人の圧はやっぱり違うなあ」と呟き、ネウロが笑い、泉が露伴の手帳を閉じた。
承太郎は、ため息をついた。
「前言撤回だ」
カイエンが笑った。
「だろうな」
*
しばらくして、バーのカウンターは妙に賑やかになった。
弥子はノンアルの甘いカクテルと唐揚げ一皿。
泉は軽いカクテルを一杯。
ラクスはグラスを手に、静かにキラと並んでいる。
キラは彼女を見守りながら、ジュースを選んだ。
Xiは、ラクス本人の横で腕を組む。
「やっぱり本物は違うね」
ラクスが微笑む。
「あら。Xiさんも、またわたくしの姿をなさったのですか?」
「ちょっとだけね」
キラの表情が変わる。
「Xi」
「ごめん。もうやらない。たぶん」
「たぶん?」
「……努力する」
ログナーが言った。
「その努力は契約条件に入れる」
「すぐ採用の話に戻す!」
カイエンは、少しだけ満足そうだった。
「まあ、悪くねぇな」
Xiが言う。
「本物を呼べてよかった?」
「そうだな」
「じゃあ次はソープダッシュも――」
ログナーが立ち上がりかけた。
「却下だ」
「早い!」
カイエンも首を振る。
「あれは駄目だ」
「なんで?」
「中身が見えすぎる」
「どういう意味?」
「ソープが服を替えただけにしか見えねぇんだよ」
ラクスが少し首を傾げる。
「ソープさんは、不思議な方ですものね」
露伴が反応する。
「その話を詳しく――」
泉が言う。
「露伴先生」
「……」
露伴は黙った。
カイエンはグラスを掲げた。
「泉さん、本当に助かる」
「どういたしまして」
ログナーも頷く。
「制御役として優秀だ」
「褒め方が少し特殊ですね」
弥子が唐揚げを食べながら言う。
「でも本物の方が楽しいね」
Xiが少しだけ拗ねる。
「僕の変装も楽しかったでしょ」
「楽しかったけど、ややこしかった!」
「それ、褒めてる?」
「たぶん!」
「たぶんかあ」
承太郎が静かにグラスを傾ける。
「やれやれだぜ」
バーのマスターは、今日もグラスを拭いていた。
おそらく、また何も聞いていない。
何も見ていない。
ただ、今夜の客たちは、少しだけ華やかだった。
そして、少しだけ騒がしかった。
カイエンは、ようやく息をついた。
「偽物は駄目だ。本物は……まあ、たまにはいい」
Xiが言う。
「じゃあ僕も本物の怪盗Xiとして飲んでるから問題ないね」
ログナーが即座に言った。
「貴様は契約候補としてここにいる」
「問題あった!」
露伴が手帳に書く。
『カイエンは本物を呼びたい。
偽物では満たせないものがある。
ただし、本物は本物で事態を複雑にする。』
カイエンが覗き込む。
「それはまあ、否定しねぇ」
露伴が少し意外そうに見る。
「否定しないのか」
「今日はもういい」
カイエンはグラスを傾けた。
「訳わかんねぇけど、悪くない夜だ」
ラクスが静かに微笑む。
「それなら、よかったですわ」
キラも少し笑う。
「本当に、飲みすぎないでくださいね」
カイエンは笑った。
「心配するな。今日は一杯で十分だ」
ログナーが低く言う。
「それが賢明だ」
カイエンはログナーを見る。
「お前に言われると、少し腹立つな」
「事実だ」
「出たよ」
弥子が楽しそうに笑い、泉が露伴の手帳を見張り、Xiが契約の話から逃げ道を探し、承太郎は黙ってグラスを傾けた。
今夜もまた、カウンターの一角だけが通行止めだった。
だが、悪くない通行止めだった。