守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
いつものカフェではなかった。
理由は単純である。
いつものカフェの店員が、あまりにも「何も見なかったことにする」技術を習得しすぎてしまったからだ。
光の神が顕現する。
怪盗が煙幕で消える。
白い軍装の男が伝票に赤ペンを入れる。
漫画家が客の人生を読もうとする。
桂木弥子がパフェを追加しようとする。
普通の喫茶店なら、どれかひとつで十分に限界だった。
だから今日は、場所を変えた。
駅から少し離れた、昔ながらの喫茶店。
木のテーブル。
厚めのメニュー表。
壁には古い時計。
カウンターの奥では、マスターが静かにコーヒーを淹れている。
そこに、ログナーとソープ、泉京香、そして桂木弥子が座っていた。
弥子の前にはメニュー表が三冊重ねられている。
店のものが一冊。
弥子が自分で持ち込んだメモが一冊。
そして、なぜか観光物産展のチラシが一冊。
ログナーはそれを見ただけで、すでに嫌な予感を覚えていた。
「桂木弥子」
「はい!」
弥子は元気よく返事をした。
「今日は怪盗Xiとの交渉に向けた打ち合わせだ」
「分かってます!」
「食事会ではない」
「もちろんです!」
「ましてや、貴様の食べたいものリストの検討会ではない」
「……もちろんです!」
間があった。
泉がすかさず言う。
「弥子ちゃん、今ちょっと間がありました」
「気のせいです!」
ソープは紅茶のカップを手に、にこにことしている。
「でも、食事をしながら話すなら、食べ物は大事だよね」
「そうです!」
弥子が勢いよくソープに向き直る。
「食べ物って、人と人との距離を縮めるじゃないですか! Xiだって、美味しいものを食べながらなら、ミラージュ騎士団の話も少しは前向きに聞いてくれるかもしれません!」
ログナーは、わずかに目を細めた。
「言葉だけは正しい」
「言葉だけ?!」
「問題は、貴様の提示する“美味しいもの”の範囲だ」
「大丈夫です! ちゃんと考えてきました!」
弥子は胸を張った。
泉は少し不安そうにメニュー表を見た。
「弥子ちゃん、普通のものですよね?」
「もちろんです!」
ログナーが問う。
「では聞こう。候補は?」
弥子は待ってましたとばかりに、自分のメモを開いた。
「まず、カエルの唐揚げ!」
泉が即座に言った。
「チョイスが変!!」
ログナーは一秒も迷わなかった。
「却下だ」
「早い!」
「怪盗Xiは生魚、および珍味に警戒している。交渉の第一候補にカエルを出す意味が分からない」
「美味しいんですよ! 鶏肉みたいで!」
「“みたい”という説明が必要な時点で交渉向きではありません」
泉が冷静に言った。
「泉さんまで?!」
ソープは少し興味深そうに首を傾げた。
「カエルか。地球の食文化としては、たしかに面白いね」
ログナーの視線が、すぐにソープへ向いた。
「陛下」
「ソープだよ、ログナー」
「ソープ様」
ソープは困ったように笑った。
「少しだけ興味があるって言っただけだよ」
「その“少しだけ”が危険です」
弥子が乗り出す。
「そうです! まずは一皿だけ!」
「桂木弥子」
ログナーの声が低くなる。
「はい!」
「貴様の“一皿”は信用しない」
「ひどい!」
泉が静かに頷く。
「弥子ちゃん、これは仕方ないです」
「泉さんまで?!」
弥子は唇を尖らせたが、すぐに次の候補へ移った。
「じゃあ、イナゴの佃煮!」
「却下だ」
「蜂の子ご飯!」
「却下だ」
「ワニ肉ステーキ!」
「却下だ」
「ダチョウの串焼き!」
「却下だ」
「イノシシ鍋!」
「交渉場所が喫茶店から猟友会になる。却下だ」
「ログナーさん、即答が上手すぎません?!」
ログナーは淡々と言った。
「貴様の案が即答に値するだけだ」
弥子は悔しそうにメモを握る。
「どれも美味しいのに……」
「問題はそこではない」
泉が言う。
「弥子ちゃん、それって本当にXiさんが食べたいものですか?」
「……」
弥子は目を逸らした。
泉の目が細くなる。
「弥子ちゃん?」
「……交渉に必要なものです」
「目を逸らさない」
ログナーが静かに言った。
「桂木弥子」
「はい!」
「貴様、私をスポンサーとして見ているな」
弥子の肩が、ぴくっと動いた。
「……」
「沈黙は肯定と取る」
「ちょっとだけ!」
「却下だ」
「まだ何も頼んでません!」
「頼む前に止めている」
ソープがくすくす笑った。
「弥子は正直だね」
「正直じゃありません!」
泉が言う。
「弥子ちゃん、それは今、何に対する否定ですか?」
「えーと……」
「本音が漏れています」
「漏れてません!」
ログナーは、持参していた資料に一行を書き込んだ。
『桂木弥子案。
交渉補助としての対話能力は一定評価。
食事選定能力は危険。
本人の食費リスク高。
スポンサー認識あり。
泉京香による監修必須。』
弥子が横から覗き込んで叫ぶ。
「あたし、危険物扱いですか?!」
「予算上は」
「予算上?!」
泉は困ったように笑う。
「でも、弥子ちゃん。ログナーさんのお金で、自分が食べたい珍味を食べようとしていたのは事実ですよね?」
「ログナーさんのお金じゃなくて、AKDの文化調査費かなって……」
ログナーの目がさらに冷たくなった。
「より悪い」
「より悪いんですか?!」
「当然だ」
ソープが、そこで少しだけ手を上げた。
「でも、地球の食文化調査としては、珍味も意味があるんじゃないかな」
弥子の目が輝いた。
「ですよね!」
ログナーがすぐに言った。
「陛下」
「ソープだよ」
「ソープ様。陛下の“面白そう”も、予算上危険です」
「僕も?」
「はい」
ソープはちょっとだけしょんぼりした。
「そっか」
弥子が勢いづく。
「でもソープさんも興味あるって言ってますし! 文化調査なら、やっぱり食べてみないと分からないです!」
「食べる前提で話を進めるな」
「だって文化は体験しないと!」
「貴様の場合、体験がほぼ食事だ」
「九割くらいです!」
泉が言った。
「増えましたね」
ログナーが即座に記録する。
「桂木弥子、文化理解の九割が食事」
「記録しないでください!」
*
話し合いは、いつの間にか怪盗Xiの交渉メニューから、地球食文化調査会議へと変質しかけていた。
弥子は、もはや隠す気があるのかないのか分からない。
「イナゴの佃煮は、甘辛くてご飯に合うんですよ!」
「怪盗Xiの生魚トラウマに配慮した結果、虫を出すのか」
「魚じゃないです!」
「そういう問題ではない」
ソープが小さく言う。
「でも、昆虫食は昔からある文化だよね」
「そうです!」
弥子はすぐに乗った。
「栄養もあるし、郷土料理ですし、文化調査としては外せません!」
泉が静かに言った。
「弥子ちゃん。今、文化調査という言葉を盾にしていますね」
「してません!」
「しています」
「していますね」
ログナーと泉の声が揃った。
弥子は頬を膨らませる。
「じゃあ、まずソープさんだけでも一口!」
ログナーの声が冷えた。
「陛下に変なものを食わすな」
「変なものじゃないです! 郷土料理です!」
「脚が刺さる可能性がある食材を、事前説明なしに出すな」
「刺さるって決まったわけじゃありません!」
ソープは興味を隠せない顔で言った。
「脚が刺さるの?」
「たまにです!」
ログナーが言った。
「たまにあるものを陛下に出すな」
弥子が慌てて言う。
「でも、ちゃんと食べれば大丈夫です! ご飯と一緒に食べるといいんですよ!」
「自然にご飯を追加するな」
「バレた!」
泉が額を押さえた。
「弥子ちゃん……」
ソープは、にこりと笑った。
「少しだけなら、試してみたいかな」
「ソープ様」
ログナーが低く言う。
「本当に少しだけだよ」
「その言葉は信用できません」
「ログナー、僕まで弥子と同じ扱いなの?」
「予算上は近いです」
弥子が驚いた顔でソープを見る。
「ソープさん、同じ危険枠です!」
「仲間だね」
「はい!」
「仲間にしないでください」
泉が言った。
ログナーは資料にさらに記入した。
『ソープ様、食文化調査名目で珍味に興味。
桂木弥子と組むと危険。
予算上の複合リスクあり。』
ソープが覗き込む。
「複合リスク」
弥子も覗き込む。
「なんかかっこいいですね」
「かっこよくありません」
泉が即答した。
*
その時、喫茶店のベルが鳴った。
からん。
全員が振り向く。
黒衣の怪盗が立っていた。
怪盗Xiである。
「やあ」
Xiは片手を上げた。
「なんだか楽しそうな匂いがしたから来てみたけど……」
テーブルの上のメモを見る。
「カエル、イナゴ、蜂の子、ワニ、ダチョウ……」
Xiの顔が引きつった。
「僕の交渉だよね?」
弥子は笑顔で頷いた。
「うん!」
「なんで試練みたいなメニューになってるの?」
「ごちそうだよ!」
「その二つが弥子ちゃんの中で近すぎるんだよ!」
Xiはソープの隣に座りかけて、ログナーの視線に気づき、少し離れた席に座った。
「ログナー司令、まさか本気でこのメニューで僕を釣ろうとしてないよね?」
「私は却下している」
「よかった」
「桂木弥子案だ」
「弥子ちゃん!」
弥子は胸を張った。
「美味しいものを食べながら、楽しく話そうと思って!」
「君の“美味しい”は、僕にはまだ早いんだよ!」
「ひどい!」
「だって弥子ちゃん、段ボールやコンクリートもバター醤油ならいけそうとか言ってたでしょ!」
泉が目を閉じた。
「否定できないのがつらいですね」
ログナーが静かに言った。
「桂木弥子の“美味しい”は、交渉時の安全基準として採用しない」
「採用してよ!」
「却下だ」
Xiが強く頷いた。
「それは正しいよ」
「Xiまで?!」
「だって僕、バラムツで学んだんだよ。“珍味”“一族自慢”“慣れると癖になる”。この三語が揃ったら逃げるって」
弥子が言う。
「今回は一族自慢じゃないよ!」
「でも珍味は入ってる!」
「慣れると癖になるかも!」
「ほら!」
Xiはソープの方を見る。
「ソープも乗らないでよ。君が文化調査とか言うと、ログナー司令が本当に資料を作り始めるんだから」
ソープは困ったように笑った。
「でも、食文化って面白いよ」
「面白いけど、まず普通の食べ物からでいいじゃん!」
ログナーが言った。
「怪盗Xiは普通を求める傾向がある」
「うん。僕はいま普通が好き」
「オムライスか」
「オムライスは信頼できる」
「唐揚げも信頼できるよ!」
弥子が言う。
「普通の唐揚げならね」
Xiは警戒しながら言った。
「カエルの唐揚げは?」
「普通じゃない!」
「美味しいのに!」
「美味しいと普通は別なんだよ!」
泉が頷いた。
「Xiさんの言う通りです」
弥子はしょんぼりした。
「泉さんまで……」
ソープがそこで優しく言った。
「弥子。珍しいものを食べたい気持ちは分かるよ」
弥子の顔が明るくなる。
「ソープさん!」
「でも、Xiが安心できるものの方がいいね」
「……はい」
ソープは微笑む。
「文化調査は、また別の機会にしよう」
ログナーがすぐに言った。
「その別の機会は事前申請制です」
「ログナー」
「必須です」
弥子が手を上げる。
「申請したら通りますか?」
「内容による」
「カエル」
「却下」
「イナゴ」
「要審査」
「蜂の子」
「要審査」
「ワニ」
「要審査」
「唐揚げ山盛り」
「誰の分だ」
「あたしの分」
「却下」
「厳しい!」
*
結局、交渉メニューは泉の監修でまとまった。
オムライス。
普通の唐揚げ。
サンドイッチ。
甘いノンアルコールカクテル。
デザートは一人一品まで。
弥子は最後の条件に不満そうだった。
「一人一品……」
「弥子ちゃん、交渉ですから」
「でも、交渉が長引いたら?」
「追加は要相談です」
「相談先は?」
泉がログナーを見る。
ログナーは言った。
「私だ」
弥子は絶望した顔をした。
「通る気がしない」
「正しい認識だ」
Xiは安心したようにメニューを見た。
「うん。これなら僕も来るかも」
ログナーが反応する。
「来るかも、ではなく来い」
「ほら、すぐそういうこと言う」
「交渉だ」
「強制っぽいんだよ」
「強制ではない。招集だ」
「もっと怖い!」
ソープが笑った。
「でも、少し前進したね」
弥子はまだ物産展のチラシを見ている。
「文化調査は……」
ログナーが言う。
「別件だ」
「別件なら、可能性はあるんですね!」
「事前審査、予算上限、食材安全確認、泉京香の監修、桂木弥子の食数制限が条件だ」
「条件が多い!」
「当然だ」
Xiが言った。
「僕もその条件なら、文化調査を遠くから見るくらいはするよ」
「食べないの?」
弥子が訊く。
「様子を見る」
「慎重!」
「僕は学習した怪盗なんだよ」
ソープが、少しだけ名残惜しそうにチラシを見る。
「イナゴ、ちょっと気になるけどね」
ログナーの声が即座に低くなる。
「陛下」
「ソープだよ」
「ソープ様。まず脚の除去確認からです」
「そこからなんだ」
弥子が元気よく言った。
「じゃあ、次の文化調査では、脚が刺さらないイナゴを探してきます!」
「その方向で努力するな」
泉が言う。
Xiも頷く。
「弥子ちゃん、そこじゃないよ」
弥子は首を傾げる。
「じゃあ、どこ?」
ログナーが言った。
「普通を覚えろ」
弥子は少し考えた。
「普通の唐揚げ大盛り?」
「大盛りを外せ」
「普通の唐揚げ中盛り?」
「盛るな」
「普通の唐揚げ」
「それでいい」
弥子はにっこりした。
「じゃあ、普通の唐揚げをたくさん!」
「戻ったな」
泉がため息をついた。
ソープは楽しそうに笑っている。
Xiも、呆れながら笑った。
「まあ、弥子ちゃんらしいけどね」
弥子は胸を張った。
「食べ物は大事だから!」
ログナーは資料を閉じた。
「本日の結論」
全員が彼を見る。
「桂木弥子は、交渉補助としては一部有用。食事選定は監修必須。文化調査名目での珍味提案には警戒。ソープ様との共同提案は、予算上の最重要警戒案件とする」
「最重要警戒案件?!」
弥子とソープが同時に言った。
Xiは笑いをこらえきれず、肩を震わせた。
「すごいね。僕の採用交渉より危険扱いされてる」
ログナーはXiを見た。
「貴様も十分危険だ」
「そこは忘れてなかった」
泉が小さく笑った。
「でも、今日はかなりまとまりましたね」
「はい!」
弥子は明るく頷いた。
「次は普通のメニューでXiと楽しく話して、その次に文化調査ですね!」
「次の次を勝手に入れるな」
ログナーが言う。
「でも、ちょっとだけなら?」
「却下だ」
「まだ内容言ってません!」
「貴様の“ちょっとだけ”は信用しない」
弥子はぷくっと頬を膨らませる。
ソープが隣で、同じように少し残念そうにチラシを見ている。
ログナーは二人を見て、低く言った。
「似た者同士か」
弥子とソープは顔を見合わせた。
「そうですか?」
「そうかな?」
泉が微笑む。
「食文化への好奇心という点では、少し似ているかもしれませんね」
Xiが言った。
「でも、弥子ちゃんは食べたいだけで、ソープは文化調査って言ってる」
ログナーは即答した。
「どちらも予算が発生する」
「身も蓋もない!」
弥子が叫んだ。
喫茶店のマスターは、静かにコーヒーを淹れていた。
おそらく、彼もまた何も聞いていない。
怪盗の採用交渉。
地球食文化調査。
イナゴの脚。
AKDの予算。
桂木弥子の食欲。
そのすべてを、喫茶店の湯気がやわらかく包んでいる。
ソープは正体を隠す。
弥子は本音を隠す。
ただし、弥子の本音は、時々メニュー表からはみ出す。
そしてログナーは、それを決して見逃さない。
弥子は最後に、小さく呟いた。
「……カエルの唐揚げ、美味しいのに」
Xiがすぐに言った。
「ほら、まだ諦めてない」
ログナーが資料を開き直す。
「警戒継続」
泉が苦笑する。
「弥子ちゃん、まずは普通からです」
ソープが楽しそうに紅茶を飲む。
「普通も、文化だよ」
その言葉に、弥子はぱっと笑った。
「じゃあ、普通の唐揚げを文化調査で!」
「戻すな」
ログナーの即答に、全員が笑った。
今日もまた、平和だった。
少なくとも、誰もイナゴを食べていない。