守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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怪盗Xiがお目付け役になる件 その3

 三日目の朝は、穏やかだった。

 

 空はよく晴れていて、風も強くない。

 通りの木々は柔らかく揺れ、店先には焼き菓子やパンの匂いが漂っている。

 

 怪盗Xiは、ソープの少し後ろを歩いていた。

 

 制服の外套は、今日もバッグの中。

 スパッドはケースに入れたまま。

 端末は懐。

 任務報告用のメモは、すでに数行埋まっている。

 

『三日目午前

・ソープ、予定通り散歩開始

・現在のところ寄り道なし

・甘味店の匂いに反応あり

・要警戒』

 

 Xiは端末を閉じた。

 

「今のところ、平和だね」

 

 ソープが振り返って言った。

 

「その言い方、平和じゃなくなる前フリみたいだからやめて」

 

「そう?」

 

「そう」

 

 Xiは辺りを見回す。

 

 今日は、なるべく何も起きてほしくなかった。

 

 二日目の時点で、たい焼きを一個許可してしまった。

 団子屋はなんとか通過した。

 その報告を送ったところ、ログナーから返ってきた返答は短かった。

 

『団子屋通過は評価する。たい焼きは許容範囲。引き続き監督せよ。』

 

 評価された。

 

 それが、Xiには妙に落ち着かなかった。

 

「評価されると、逃げ道が減る気がするんだよなあ……」

 

 小さく呟くと、ソープが首を傾げる。

 

「逃げたいの?」

 

「逃げたいっていうか、僕は自由な怪盗だからね」

 

「でも、今日はお目付け役だよ」

 

「一週間だけ」

 

「うん。一週間だけ」

 

 ソープは楽しそうに笑った。

 

 その笑顔が、断りづらい。

 

 Xiは、もうそのことを三日目にしてかなり学習していた。

 

     *

 

 散歩道の先に、小さな洋菓子店があった。

 

 ガラス越しに、ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ、タルトが並んでいる。

 

 ソープの足が止まった。

 

 Xiも同時に止まった。

 

「見ない」

 

「まだ何も言ってないよ」

 

「目が言ってる」

 

「今日はたい焼きじゃなくて、ケーキだね」

 

「種類の問題じゃない」

 

「地球の洋菓子文化として――」

 

「駄目」

 

 Xiは即答した。

 

「昨日たい焼き食べたでしょ。今日の午前中は買い食いなし」

 

「午前中は?」

 

「言葉尻を拾わない」

 

 ソープは少しだけ残念そうに店内を見た。

 

「綺麗だね」

 

「綺麗でも駄目」

 

「一切れだけ」

 

「駄目」

 

「半分」

 

「一切れを半分にするには、一切れ買う必要があるでしょ」

 

「じゃあ、見るだけ」

 

「見るだけは買う前段階」

 

 Xiは、昨日からさらに強くなっていた。

 

 少なくとも、甘味店への初期対応に関しては。

 

 ソープは少し黙った。

 

 そして、袖の中から一枚の古い紙を取り出した。

 

 Xiは嫌な予感がした。

 

「……何それ」

 

「これ」

 

 ソープは、丁寧に折られた紙を広げた。

 

 少し古びた紙。

 そこには、妙にきれいな字で何かが書かれている。

 

 Xiは目を細めた。

 

「……まさか」

 

 ソープは穏やかに言った。

 

「あの時のケーキ三切れ分の請求書だ」

 

「もう時効だよ!」

 

 Xiは即座に叫んだ。

 

 通りすがりの人が一瞬振り向いたが、すぐに何も聞かなかったことにした。

 この町の通行人も、少しずつ強くなっている。

 

「時効?」

 

 ソープは首を傾げる。

 

「うん。時効。絶対時効。ケーキ三切れなんて、もう歴史の彼方だよ」

 

「ジョーカー太陽星団の会計慣習では、そう簡単には消えないよ」

 

「怖いこと言わないで!」

 

「それに、僕は覚えてる」

 

「覚えてないで!」

 

「おいしかったよね」

 

「そこは覚えてる!」

 

 Xiはしまった、という顔をした。

 

 ソープはにこりと笑う。

 

「じゃあ、覚えてるんだ」

 

「味の記憶と債務の記憶は別!」

 

「そうかな」

 

「そうだよ!」

 

 ソープは請求書を軽く揺らした。

 

「ケーキ三切れ分」

 

「古い!」

 

「未払い」

 

「言い方!」

 

「だから、今日のケーキ一切れを相殺にしよう」

 

「相殺って言葉をそんな可愛い顔で使わないで!」

 

 ソープは、じっとXiを見た。

 

 そして、少しだけ声を落とす。

 

「じゃあ、その分」

 

 間。

 

「わかる……ね?」

 

 Xiは顔を覆った。

 

「交換条件が酷い」

 

     *

 

 Xiは必死に抵抗した。

 

「だいたい、僕は今お目付け役だよ? ソープの買い食いを止める側だよ?」

 

「うん」

 

「その僕に、過去のケーキ三切れを持ち出してケーキを買わせるの、構図がおかしくない?」

 

「でも、払ってないよね」

 

「正論みたいに言わないで!」

 

「泉がいたら、借りたものは返した方がいいって言うと思うよ」

 

「泉さんの正論を先回りして使わないで!」

 

 Xiは頭を抱えた。

 

 ソープはずるい。

 神様っぽいことをしないでほしい、と昨日言ったばかりなのに、今日は請求書で来た。

 

 神の威光ではなく、会計の圧。

 

 ある意味、ログナーより逃げにくい。

 

「……ちなみに」

 

 Xiは慎重に訊いた。

 

「その請求書、ログナー司令は知ってる?」

 

「知らないと思う」

 

「なら破棄しよう」

 

「だめ」

 

「即答」

 

「大事なものだから」

 

「ケーキ三切れ分が?」

 

「思い出も含まれてるよ」

 

「そういう言い方されると、捨てにくい!」

 

 ソープはにこにこしている。

 

 Xiは、洋菓子店のショーケースを見た。

 

 ケーキは、確かに美味しそうだった。

 

 だが、ここで許可すれば報告書に書かねばならない。

 書かずに済ませるという選択肢も一瞬よぎったが、あとでログナーに見抜かれる気がした。

 

 さらに、ソープは古い請求書を持っている。

 

 交渉力が高い。

 

「……一切れだけ」

 

 Xiは言った。

 

 ソープの顔が明るくなる。

 

「いいの?」

 

「一切れだけ。店内で食べる。追加なし。持ち帰りなし。飲み物は水か紅茶一杯まで」

 

「細かいね」

 

「君と歩くと、細かくなるんだよ!」

 

 ソープは嬉しそうに請求書を畳んだ。

 

「じゃあ、相殺だね」

 

「相殺って言わないで。負けた気がする」

 

「負けたの?」

 

「負けてない。妥協」

 

「Xiは妥協が上手だね」

 

「褒めてる?」

 

「うん」

 

「なんか嫌だなあ」

 

     *

 

 洋菓子店の小さなイートイン席。

 

 ソープの前には、苺のショートケーキが一切れ置かれた。

 

 Xiの前には、紅茶。

 

 ケーキは本当に一切れだけ。

 Xiは皿を睨むように見ていた。

 

「僕は食べないからね」

 

「毒見は?」

 

「昨日その手は使った」

 

「今日は債務処理」

 

「言い方がどんどん会計寄りになる!」

 

 ソープはフォークを手に取り、小さく一口食べた。

 

 柔らかなスポンジ。

 甘いクリーム。

 苺の酸味。

 

 ソープは目を細める。

 

「おいしい」

 

「よかったね」

 

「少し食べる?」

 

「食べない」

 

「本当に?」

 

「……少しだけ」

 

 ソープが笑った。

 

「毒見?」

 

「違う。品質確認」

 

「似てるね」

 

「似てない」

 

 Xiはフォークを受け取り、本当に小さく一口だけ食べた。

 

 そして、少しだけ黙った。

 

「……おいしい」

 

「ね」

 

「でも追加はなし」

 

「分かってるよ」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

「たぶん禁止」

 

 Xiは端末を取り出した。

 

『三日目途中報告メモ

・洋菓子店を発見

・ソープ、強い関心

・過去のケーキ三切れ分の請求書を提示

・古い。時効を主張したが却下された

・ケーキ一切れを相殺扱いで許可

・追加購入なし

・味は良好

・これは買い食いではなく債務処理

・ただし納得はしていない』

 

 ソープが覗き込む。

 

「“債務処理”なんだ」

 

「そう書かないとログナー司令に怒られる」

 

「怒るかな」

 

「怒るよ。特に“過去の請求書”ってところで」

 

 ソープは少し考えた。

 

「じゃあ、ログナーには見せない?」

 

 Xiは真顔でソープを見た。

 

「隠すともっと怖い」

 

「そっか」

 

「君、ログナー司令の怖さを分かってるようで分かってないよね」

 

「分かってるよ」

 

「じゃあなんで請求書持ち出したの」

 

「ケーキが食べたかったから」

 

「正直!」

 

     *

 

 その頃、いつものカフェテラスでは、カイエンがまた露伴に捕まっていた。

 

「だから、騎士とは何かと訊いているんだ」

 

 露伴は手帳を開いている。

 

 カイエンは椅子にもたれ、心底うんざりした顔をしていた。

 

「騎士は騎士だろ」

 

「説明になっていない」

 

「説明する気がない」

 

「なら、君の言動から読み解くしかないな」

 

「勝手に読むな」

 

「僕は漫画家だ。読み解くのが仕事だ」

 

「迷惑な仕事だな!」

 

 アウクソーが静かに紅茶を置く。

 

「マスター、落ち着いてください」

 

「落ち着ける状況じゃねぇだろ」

 

 弥子はパフェを食べながら完全に見物している。

 

「カイエンさん、またロックオンされてる」

 

 泉が苦笑した。

 

「露伴先生、一度興味を持つとなかなか離れませんから」

 

「離れないどころか、食い込んでくる」

 

 カイエンはぼやいた。

 

 ラクスとキラも同席していた。

 

 ラクスは穏やかにその様子を見ている。

 

「カイエンさんも、大変ですわね」

 

「分かってくれるか、ラクス」

 

「はい」

 

 キラが少し笑う。

 

「でも、露伴さんが気になる気持ちも分かる気がします」

 

「分からなくていい」

 

 カイエンは即答した。

 

「僕はただ静かに茶を飲みたいだけなんだ」

 

 露伴が言う。

 

「ならば質問に答えれば早い」

 

「答えたら増えるだろ」

 

「増える」

 

「ほら見ろ!」

 

 弥子がスプーンを持ったまま言った。

 

「新しい生贄を差し出すしかないですね」

 

 泉が驚く。

 

「弥子ちゃん、言い方」

 

 カイエンは一瞬考えた。

 

「……Xiか」

 

 露伴の目が光った。

 

「怪盗Xiか。確かに彼も面白い。ミラージュ制服、スパッド、外注任務、ソープのお目付け役。資料価値は高い」

 

 カイエンはにやりとした。

 

「だろ。あいつを追え」

 

 露伴は首を横に振った。

 

「だが、君も面白い」

 

「増えただけじゃねぇか!」

 

 弥子が笑った。

 

「露伴先生、獲物を逃がさないですもんね」

 

「その通りだ」

 

 露伴は当然のように言った。

 

 カイエンは、静かに空を仰いだ。

 

「ログナーがいなくなっても、平和にはならねぇな……」

 

     *

 

 洋菓子店を出たXiとソープは、再び散歩道に戻った。

 

 Xiはまだ少し納得していない顔をしている。

 

「ケーキ三切れ分の請求書なんて、普通持ち歩く?」

 

「持っていたら便利かなと思って」

 

「便利だったね。すごく便利に使われた」

 

「相殺できたし」

 

「僕は認めてない」

 

「でもケーキ、食べたよね」

 

「品質確認!」

 

「おいしかった?」

 

「おいしかったよ!」

 

 言ってしまってから、Xiはまたしまったという顔をした。

 

 ソープは嬉しそうに笑う。

 

「よかった」

 

 Xiはため息をつく。

 

「君、ずるいなあ」

 

「そう?」

 

「うん。強く命令するんじゃなくて、断りにくい方向から来る」

 

「命令はしてないよ」

 

「だから困るんだよ」

 

 ソープは少しだけ足を止めた。

 

「Xi」

 

「何?」

 

「無理に付き合わなくてもいいんだよ」

 

 Xiは眉をひそめる。

 

「それを今言う?」

 

「うん」

 

「請求書でケーキ食べた後に?」

 

「うん」

 

「ずるいなあ……」

 

 ソープは穏やかに笑っている。

 

 Xiは頭をかき、少しだけ視線を逸らした。

 

「……一週間だけだからね」

 

「うん」

 

「でも、一週間はちゃんとやる。依頼だから」

 

「ありがとう」

 

「そこで素直に礼を言うのもずるい」

 

 ソープはくすりと笑った。

 

     *

 

 夕方、Xiはログナーへの報告をまとめた。

 

『怪盗Xi 外注任務三日目報告

・午前、散歩

・ソープ、洋菓子店に興味

・過去のケーキ三切れ分の請求書を提示された

・時効を主張したが、ジョーカー太陽星団会計慣習を理由に却下された

・ケーキ一切れを相殺扱いで許可

・追加購入なし

・味は良好

・これは買い食いではなく債務処理

・ただし、僕は納得していない

・ソープは交渉がうまい

・今後、古い請求書の持ち出しに注意

・僕は正式採用されていない。念のため記録

以上』

 

 送信。

 

 数分後、返信が来た。

 

『報告確認。

 古い請求書の存在は初耳だ。

 詳細を確認する。

 追加購入なしは評価する。

 ケーキ一切れは許容範囲。

 ただし、今後は事前報告を推奨する。』

 

 Xiは端末を見つめた。

 

「……やっぱり見せなきゃよかったかな」

 

 隣でソープが端末を覗き込む。

 

「怒ってないね」

 

「怒る前段階だよ。詳細確認って書いてある」

 

「ログナー、細かいね」

 

「君のせいだよ!」

 

 ソープは笑った。

 

「でも、今日は楽しかった」

 

 Xiは少しだけ黙った。

 

「……まあ、ケーキはおいしかった」

 

「うん」

 

「でも次は請求書なし」

 

「じゃあ、領収書なら?」

 

「やめて!」

 

     *

 

 その夜。

 

 ログナーは、Xiからの報告をもう一度読み返していた。

 

 イエッタが静かに尋ねる。

 

「マスター、いかがでしたか」

 

「三日目にして、陛下が交渉カードを使用した」

 

「ケーキ三切れ分の請求書、ですか」

 

「初耳だ」

 

「確認されますか」

 

「当然だ」

 

 ログナーは端末を置く。

 

「だが、追加購入は防いだ。報告も正直だ。

 債務処理という表現は不適切だが、状況把握はできている」

 

「評価は?」

 

「悪くない」

 

 少し間を置いて、ログナーは低く言った。

 

「ただし、陛下の古い請求書については、こちらでも整理する必要がある」

 

 遠くで、Xiがまたくしゃみをした。

 

「……今、過去まで掘られた気がする」

 

彼の一週間は、まだ三日目だった。

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