守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
四日目の朝。
怪盗Xiは、ソープの隣を歩いていた。
制服の外套は、今日もバッグの中だった。
理由は明白である。
目立つ。
白い。
暑い。
そして何より、街なかで着ると「自分はただ者ではありません」と全身で宣言しているようなものだった。
Xiは怪盗である。
怪盗にとって、目立つことは時に武器になる。
だが、常に目立つのはただの不便だった。
「Xi、今日も制服は着ないんだね」
ソープが言った。
「着ないよ。白いし、目立つし、暑いし」
「似合ってるのに」
「似合うかどうかと、着たいかどうかは別」
「そう?」
「そう」
Xiはバッグを軽く叩いた。
「ちゃんと持ってはいる。支給品だからね。あとスパッドもある。使わないけど」
「使わずに済むなら、それが一番だね」
「君がそう言うと、少し安心するよ」
「でも、いざという時は?」
「いざという時が来ないようにするのが、お目付け役の仕事でしょ」
「うん。偉いね」
「褒めないで。逃げ道が減る」
ソープはくすりと笑った。
そこへ、少し離れたところから声が飛んだ。
「おい、外注後輩」
Xiは足を止めた。
声の主は、カイエンだった。
いつもの軽薄そうな笑み。
だが、その目つきだけが少し違う。
昨日までの、カフェで露伴に追い詰められていたヒューア・フォン・ヒッター子爵ではない。
そこにいたのは、ハスハの剣聖。
ダグラス・カイエンだった。
「後輩じゃない」
Xiは反射で返した。
カイエンは笑う。
「じゃあ外注」
「それは合ってる」
「外注なら、仕事に必要な基礎くらい覚えとけ」
Xiは嫌な予感がした。
「……何の話?」
「訓練だ」
「帰る」
「まだ何もしてねぇだろ」
「何かされる前に帰るんだよ」
ソープが楽しそうに言った。
「カイエンが教えてくれるんだね」
「うん」
カイエンは頷く。
「後輩の指導も、先輩の務めだからな」
「外注!」
「外注後輩」
「混ぜるな!」
*
三人は、近くの河原へ移動した。
街から少し離れた、広い河原。
水の流れる音。
風に揺れる草。
遠くで子どもたちが遊んでいるが、十分な距離がある。
カイエンは周囲を見回し、頷いた。
「ここならいいだろ」
Xiはバッグを下ろした。
「カフェとかファミレスじゃないだけ、まだマシかな」
「公共の場で剣は抜くな。これは基本だ」
カイエンはさらりと言った。
Xiは少し意外そうな顔をする。
「そこ、ちゃんとしてるんだ」
「当たり前だ」
カイエンの声が少し低くなった。
「剣ってのは、抜いた時点で周りの全部を巻き込む。抜けるのに抜かない。それができてからだ」
Xiは、少しだけ黙った。
ソープも静かに聞いている。
「……騎士って、もっと斬るものだと思ってた」
Xiが言う。
カイエンは笑った。
「斬らずに済ませるために、斬れるようにしておくんだよ」
その言葉は、いつもの軽口とは違っていた。
Xiは少し居心地悪そうに目を逸らす。
「急に師匠っぽいこと言うなあ」
「今日から師匠と呼んでもいいぞ」
「呼ばない!」
カイエンは肩をすくめた。
「じゃあ始めるぞ。今日は剣は抜かねぇ。まずは足さばきと体の使い方だ」
「剣じゃないんだ」
「剣を振る前に、体が遅けりゃ話にならん。相手がどこを見て、いつ動き出すか。そこを読んで、そこから外れる。お前はそういうの、得意だろ」
「僕は怪盗だからね」
Xiは少しだけ胸を張った。
「相手の目を騙すのは、まあ本業だよ」
「なら話が早い」
カイエンは一歩、足を動かした。
ただの一歩に見えた。
だが、Xiの視界の中で、カイエンの位置が一瞬だけずれた。
「……今、ずれた?」
「分かったか」
「分かるよ。僕は“見えてるものが本物かどうか”で生きてるからね」
「いい目だ」
カイエンはにやりと笑う。
Xiは警戒する。
「褒められると、次に何か変なこと言われる気がする」
「お前、剣向いてるぞ」
「ほら来た!」
*
カイエンは、川辺の砂利の上に立った。
姿勢は自然。
力んでいるようには見えない。
「いいか。ディレイアタックってのは、攻撃のタイミングを見切らせない技だ」
「遅延攻撃、だっけ」
「そうだ」
カイエンは軽く手を上げた。
「相手が“今来る”と思った瞬間を外す。“もう来ない”と思った瞬間に置く。相手の立ち上がりを読むのが重要になる」
「立ち上がり?」
「相手が動き出す瞬間だ。攻撃する。避ける。守る。迷いが消えて、体が動き出す瞬間。そこを見られたら、どんなに速くても遅い」
Xiは少し考えた。
「……それ、嘘をつく時に似てる」
「ほう」
「相手が“今から嘘をつく”って見てる時に嘘を置いたら、だいたい失敗する。だから、疑う前に通すか、疑い終わった後に混ぜる。タイミングをずらす」
カイエンは、満足そうに頷いた。
「分かってんじゃねぇか」
「分かりたくなかった」
「次はパラレルアタックだ」
「分身攻撃」
「そうだ」
カイエンが軽く地面を蹴った。
砂利が小さく跳ねる。
一瞬。
Xiの目に、カイエンが二人に見えた。
右にいる。
左にもいる。
次の瞬間には、カイエンは元の位置に立っていた。
「……今の、二人いた?」
「見せた」
「本当に増えたの?」
「相手がそう思えば、戦いの上では同じだ」
「騎士の説明が怖いなあ」
ソープが横で言う。
「カイエンなら、もっと増やせるよね」
「僕なら最大八分身くらいまではいける」
カイエンはさらっと言った。
Xiは思わず声を上げた。
「八?!」
「状況次第じゃもっと見せることもある。だが、今日は初めてだから、八とか十六分身とは言わねぇ」
「言われたら帰るよ」
「まずは基本の二分身だ」
「初心者に求めるレベルが高い!」
カイエンは当然のような顔をしている。
「お前、変装で何人分も演じるだろ。二人分くらいいける」
「演じ分けと物理分身を同列にするなよ!」
「理屈は近い」
「近いんだ……」
Xiは頭を抱えた。
ソープは楽しそうに笑っている。
「でも、Xiならできそうだね」
「ソープまでそう言う」
「うん」
「その笑顔で言われると断りにくいんだよなあ……」
*
訓練が始まった。
まずは構えではなく、歩き方。
カイエンは、Xiの足元を指さす。
「重心が前に出すぎだ。逃げる時はいいが、見せたい位置を残す時には向かねぇ」
「見せたい位置?」
「パラレルアタックは、相手に“そこにいる”と思わせる技だ。一人目の気配を置いて、二人目で動く」
「気配を置くって、言い方が難しい」
「怪盗ならできるだろ」
「怪盗を便利単語にするなあ」
Xiは一歩踏み込んだ。
足元の砂利が鳴る。
体が少しぶれた。
だが、分身というより、ただバランスを崩したように見えた。
「うわっ」
Xiは慌てて体勢を戻す。
カイエンは腕を組んだ。
「惜しい」
「今ので惜しいの?」
「踏み込みは悪くない。だが、二人に見せようとして、一人目が逃げてる」
「一人目が逃げるって何?」
「そこにいる理由がない」
「理由まで必要なの?!」
「必要だ。相手の目を騙すなら、“なぜそこに見えるのか”も置いていけ」
Xiは目を細めた。
「……それは、ちょっと分かる」
カイエンが笑う。
「だろ」
「変装も、顔や声だけじゃ足りない。そこにいる理由がないと、すぐ偽物になる」
「なら同じだ」
「同じにされた……」
Xiはもう一度試す。
今度は、足の置き方を変えた。
体を前に出す瞬間、わずかに肩を残す。
視線を一瞬だけ右に置き、左へ抜ける。
ほんの一瞬、Xiの影が二重に揺れた。
ソープが目を丸くする。
「あ」
カイエンも少しだけ表情を変えた。
「……お」
Xiは息を吐く。
「今のは?」
「一瞬だけ、残った」
「やった」
「ただし、まだ遅い。相手が一流なら普通に見切る」
「初心者への褒め方が厳しい!」
ソープが微笑む。
「でも、少しできたんだね」
「うん。少しだけ」
Xiは、少しだけ嬉しそうだった。
だが、すぐに我に返る。
「いや、違う。僕はミラージュの訓練を受けに来たんじゃない。お目付け役の外注だよ」
「護衛補助だろ」
カイエンが言う。
「補助にしては内容が濃い!」
*
少し休憩になった。
ソープは川辺の石に腰掛け、Xiはその隣で水を飲む。
カイエンは立ったまま、川の流れを見ていた。
いつものカフェでの軽口とは違い、剣に関わる時のカイエンは静かだった。
Xiは、少しだけその横顔を見る。
「カイエン」
「何だ」
「僕がこれ覚えたらさ」
「うん」
「怪物強盗の本業で便利かも」
カイエンが即座に振り向いた。
「悪用すんな!」
Xiは笑った。
「いや、だって相手の目を騙して、タイミングをずらして、気配を置いていくんでしょ? 怪盗向きじゃん」
「騎士技を盗みに使うな」
「盗んでないよ。教えられてる」
「余計タチが悪い!」
ソープがくすくす笑った。
「でも、Xiらしいね」
「褒めてる?」
「うん」
カイエンは額を押さえた。
「いいか。覚えるなら、使いどころを考えろ」
「公共の場では剣は抜くな、でしょ」
「それもだ。だが、足さばきだって同じだ。人混みでやれば、誰かを転ばせる。相手を騙すってのは、周りも巻き込むってことだ」
Xiは少しだけ黙った。
カイエンは続ける。
「騎士は、ただ強けりゃいいわけじゃねぇ。自分がどこで、何を背負って、何を守るのか。それを分かってねぇ奴に、剣は持たせられない」
「……僕は騎士じゃないよ」
「知ってる」
「なら」
「でも今、お前はソープのお目付け役だ。スパッドも持ってる。制服も支給されてる。外注だろうが何だろうが、周りから見りゃ関係者だ」
「既成事実化が進んでる」
「そうじゃねぇ」
カイエンは、少し真面目な声で言った。
「責任の話だ」
Xiは、言葉を返せなかった。
ソープは静かに二人を見ている。
風が川面を揺らす。
少しして、Xiは小さく言った。
「……分かったよ。悪用はしない」
「本当か?」
「本業に便利そうだなとは思うけど」
「おい」
「でも、今はしない」
「今は、か」
「一週間の任務中は」
「限定するな」
カイエンは呆れたように笑った。
「まあ、最初はそれでいい」
*
再び訓練。
今度はディレイアタックの基礎だった。
カイエンは、枝を一本拾ってXiに渡した。
「スパッドは抜くな。まずはこれだ」
「木の枝でいいの?」
「十分だ」
Xiは枝を構える。
「なんか急に子どものチャンバラみたいになった」
「馬鹿にするな。基本は道具じゃねぇ」
カイエンは軽く構えた。
「打ってこい」
「本気で?」
「本気で打ってこい。どうせ当たらん」
「言ったね」
Xiは一歩踏み込む。
右から枝を振る。
カイエンは動かない。
当たる、と思った瞬間。
カイエンの姿が、半歩ずれていた。
Xiの枝は空を切る。
「速っ」
「今のは、お前が打つ前に分かった」
「どうして?」
「肩が先に動いた。目も動いた。足も正直だ」
「僕、そんなに正直?」
「剣の前ではな」
Xiはむっとする。
「もう一回」
今度は少し遅らせる。
打つように見せて、半拍待つ。
カイエンの目が少し動いた。
「お」
Xiはその瞬間に打つ。
だが、カイエンは枝を指先で軽く止めた。
「悪くない」
「止められたけど」
「初めてなら上出来だ。今のは、打つ気配を少しずらせてた」
Xiは少しだけ笑った。
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ、これマスターしたら――」
「悪用するな」
「まだ言ってない!」
「顔に出てる」
ソープが横で笑う。
「Xi、分かりやすいね」
「そんなはずないんだけどなあ」
「怪盗なのに」
「言わないで!」
*
訓練は昼前まで続いた。
Xiはへとへとになっていた。
足さばき。
重心。
気配を残す。
攻撃タイミングをずらす。
相手の立ち上がりを見る。
言葉だけなら、怪盗の技術に近いところがある。
だが、それを肉体でやるとなると話が違った。
Xiは草の上に座り込んだ。
「これ、時給上げてもらうべきだよ」
「お前、時給じゃなくて金貨三枚の外注だろ」
カイエンが言う。
「そうだった。じゃあ追加手当」
「まだ一日も終わってねぇぞ」
「訓練手当」
「却下だ」
「カイエンが却下するの?」
「僕が教えてるからな」
「師匠面が強くなってる」
カイエンは笑う。
「外注弟子だな」
「また肩書きが増えた!」
ソープが立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ戻ろうか」
Xiはすぐに警戒した。
「戻る途中、甘味店に寄らない」
「今日は訓練したから、少し糖分があっても」
「それ、僕が言うなら分かるけど、ソープが言うのは違う」
「Xiも疲れたでしょう?」
「誘惑の角度を変えないで!」
カイエンが肩をすくめる。
「まあ、今日くらいは何か食わせてやってもいいんじゃねぇか?」
Xiが目を見開く。
「カイエン?」
「動いた後は食った方がいい。体が覚える」
「急に師匠として正しいこと言ってくる」
ソープが嬉しそうに言う。
「じゃあ、たい焼き?」
「違う」
Xiは即答した。
「普通に昼ご飯。甘味じゃなくて、ちゃんとしたもの」
「普通の唐揚げ?」
「それなら、まあ」
「弥子が喜びそうだね」
「呼ばない」
「なぜ?」
「量が増えるから」
カイエンが笑った。
「お前、本当に小さいログナーになってきたな」
「やめて!」
*
その時、草むらの向こうから声がした。
「今のは何だ」
Xiは固まった。
カイエンも目を細める。
ソープは楽しそうに振り返った。
岸辺露伴が立っていた。
手帳を持っている。
ペンも持っている。
目は完全に取材対象を見つけたそれだった。
「露伴先生……」
Xiがうめく。
「いつからいたの」
「“後輩の指導も先輩の務めだからな”のあたりからだ」
「最初からじゃん!」
カイエンが舌打ちする。
「見られたか」
「当然だ。君たちがカフェから姿を消した時点で、何かあると思った」
「追ってくるな」
「断る」
露伴は手帳を開いた。
「ディレイアタック。パラレルアタック。剣聖カイエンによる怪盗Xiへの基礎訓練。これは非常に面白い」
「まだ基礎もできてない!」
「だから面白いんだ」
「最悪だよ!」
露伴はXiを見る。
「怪盗としての認識操作と、騎士技の足さばきが接続する。今の会話もよかった」
「聞いてたの?!」
「聞いていた」
「プライバシー!」
「河原だ」
「そういう問題じゃない!」
カイエンは露伴の前に立った。
「露伴、これは訓練だ。邪魔するな」
「邪魔はしない。観察する」
「それが邪魔だ」
「君の剣聖としての指導も興味深い。ヒューア・フォン・ヒッター子爵ではなく、ダグラス・カイエンとしての顔が見えた」
カイエンの表情が少しだけ変わった。
「……」
露伴はにやりと笑う。
「やはり面白いな、君は」
「帰れ」
「嫌だね」
Xiはソープに小声で言った。
「帰ろう」
「うん」
「今なら露伴先生の興味はカイエンに向いてる」
「それでいいの?」
「いい。カイエンは師匠だから」
「さっき呼ばないって言ってたよ」
「今だけ師匠」
カイエンが振り向いた。
「おい、聞こえてるぞ」
「師匠、あとはお願いします」
「都合のいい時だけ師匠にするな!」
Xiはソープの腕を引いて、そっと河原を離れようとした。
露伴が振り向く。
「待て、Xi。君にも聞きたいことがある」
「この道は通行止め!」
Xiは言いながら、自分で少し嫌な顔をした。
「……僕、今ログナー司令みたいなこと言った?」
ソープが頷いた。
「言ったね」
「忘れて」
「うん」
「絶対忘れてない顔だよ!」
*
その夜。
Xiは報告書を書いた。
『怪盗Xi 外注任務四日目報告
・カイエンより基礎訓練を受ける
・内容は足さばき、体術、ディレイアタック、パラレルアタックの基本概念
・剣は抜いていない
・スパッドも使用していない
・公共の場では剣を抜くな、との指導あり
・カイエンは普段と違い、ちゃんと剣聖だった
・二分身は難しい
・一瞬だけ気配を残せた気がする
・本業に使えそうだが、悪用するなと言われた
・昼食は普通の唐揚げ。甘味追加なし
・露伴先生が途中から見ていた。危険
・カイエンを囮に撤退
・僕は正式採用されていない。念のため記録
以上』
送信。
しばらくして、ログナーから返信が来た。
『報告確認。
カイエンによる基礎指導は有用。
剣を抜いていない点は妥当。
悪用禁止。
パラレルアタック習得進捗は継続報告せよ。
露伴への警戒継続。
正式採用ではないとの記載、確認済み。』
Xiは端末を見たまま固まった。
「……進捗報告が増えた」
ソープが横から覗き込む。
「よかったね」
「よくないよ! 訓練が正式な業務項目に入った!」
ソープは楽しそうに笑う。
「でも、少しできたんでしょう?」
「少しだけ」
「じゃあ、すごいね」
Xiは目を逸らした。
「……褒めないで」
「逃げ道が減る?」
「うん」
その頃、別の場所でログナーは端末を置き、静かに呟いた。
「悪くない」
イエッタが尋ねる。
「マスター、訓練も評価対象に?」
「当然だ。カイエンが見たなら、伸びる余地があるということだ」
「継続契約の材料になりますね」
「なる」
遠くで、Xiがまたくしゃみをした。
「……今、すごく嫌な計画に組み込まれた気がする」
彼の一週間は、まだ四日目だった。